辺境
「お前、誰?」
ハミルに冷たい目で見下され、クーイラサはビクッと肩を揺らした。ハミルにもう軽い調子は無く刺すような視線をクーイラサに向けている。
「タナビタ子爵令嬢クーイラサ。幼い頃は赤色の髪、赤みがある緑の瞳」
慌ててクーイラサは俯き目を閉じた。自分に視線が集まっているのが分かる。分かるが顔は上げられない。目なんて開けることは出来ない。
「十三年前、キワサハ伯爵領に住んでいた者の証言だ」
キワサハ伯爵は亡くなったウェットダン公爵夫人、メッツアとナニエルの母の実家だ。
「ハミル! ここにいるクーイラサは偽者ということか?」
「違うわ、私の名前はクーイラサよ」
ランスの問いにクーイラサは叫ぶように答えた。自分の名前はクーイラサだ。他の名前なんて……ない。
「ナニエル様、ご両親の公爵夫妻は母上のご実家であるキワサハ伯爵領で大火事があり弔問に赴かれて事故で亡くなった、合ってる?」
ハミルはペラペラと紙を捲っている。
「そ、そうだ。原因不明の大火事でキワサハ伯爵であった祖父を始め大勢の者が犠牲になった。両親がキワサハ伯爵領に向かう途中に事故に遭い、それに責任を感じた叔父のバベラ様がキワサハ伯爵領を継がず姉上と私の後見人になってくれた」
十年前、王都から遠く離れたキワサハ伯爵領で大火事があった。収穫間近の小麦畑から出た火は風に煽られ瞬く間に大火となり五つの村と三つの街を焼け野原にした。焼けた街の一つにキワサハ伯爵の屋敷があった。キワサハ伯爵の跡継ぎであったタナビタ子爵バベラはキワサハ伯爵位を国に返上したため、キワサハ伯爵領は今は国領となっている。
「その大火事で元キワサハ伯爵家の関係者と親しくしていた者がほとんど亡くなっている。いや、火事の影響がない場所に住んでいた者たちも不慮の事故などで死亡していたことが分かった」
サライス以外の者たちは息を飲んだ。それが不自然なことだと分かる。その目的と考えられることは…………。
「公爵夫妻が弔問に行かれる前に話をされているのを聞いたそうだ」
『弟のバベラは責任感の強い子だから、爵位を返上することになっても領地の再建に尽力するでしょうね』
ハミルに誰からと聞く者はいない。ハミルにそんな話が出来るのは一人しかいなかった。
「お、おかしくないじゃない。責任感があるから私のお父様は領地ではなく二人の後見人になることを選んだのよ」
クーイラサの言うことは少しも可笑しくはない。だが、ハミルは冷たい視線を変えようとしなかった。
「ちゃんと後見人の仕事をしていれば、ね。メッツア様が犯罪者と言われることはなかったはずだ」
クーイラサは体を小刻みに震わせながら言葉を探す。もっともらしいことを言わなければならない。
「そ、それは…、こ、公爵家の仕事が忙しくてそこまで見れなかったのよ!」
「確かに。タナビタ子爵がいるようになってからウェットダン公爵家にはそれまで取引していなかった者たちが頻繁に出入りするようになった」
しかも叩けば埃が出るような者たちが。
「だが、ハミル。頻繁に登城出来ない領主は城の方から視察団を送り成り済ましがないか確認している。タナビタ子爵にそんな疑いがあるとは聞いた覚えはないぞ」
ランスの言葉にハミルは頷く。
「そっくりな者がいたとしたら?」
ランスの額に皺が寄る。そっくりな者でもキワサハ伯爵の内情に詳しくなければ成り済ますことは出来ない。
「亡くなったキワサハ伯爵は双子で生まれた弟だった。本当は兄の方が後継者だったが問題を起こし貴族籍を抹消された。双子だけあってキワサハ伯爵と兄はそっくりだった、という話が出てきた」
「じゃあ、今捕らえられているタナビタ子爵はその除籍された兄の息子?」
ランスの問いかけにハミルは首を横に振る。
「まだそこまでは。ただ、十二年前、フイカラサ辺境領でタナビタ子爵がいたという証言がでた。その時期にキワサハ伯爵領からタナビタ子爵は確かに領地から離れていた」
フイカラサ辺境はキワサハ伯爵領と王都を挟んで正反対の方角にあり遠く離れている。直線距離で普通に移動したのなら馬車で片道二十日以上かかる。
「十二年前? それにフイカラサ辺境領だと」
ランスは顎に手をやり記憶を思い起こす。その頃に何かがあった。
「確かフイカラサ辺境で大きな事件があったはずだ」
ハミルは頷いた。ランスなら知っていると思っていた。サライスやナニエル、エタサは幼すぎて知らないだろうが。
「辺境伯の次男がメッツア様と同じような犯罪に手を染め、それを知った父親の辺境伯爵の手で処刑された」
大きな事件だった。フイカラサ辺境領で恐喝から強盗、誘拐、殺人、違法薬物販売、人身売買など多岐に渡る犯罪が横行しその全てに辺境伯の次男が関わっていた。だが、息子の罪を知った父親の辺境伯が碌に調べもせずに次男を始めとした関係者全員を処刑したため、全容を明らかにすることが出来なかった。
「確かにメッツアと類似している…」
ランスはボソリと呟いた。
「ランス様、それはどういうことですか?」
その呟きを拾ったナニエルが不思議そうに聞く。
「当時の資料を至急準備しろ!」
ランスは控えていた者に指示を出すと小さく息を吐いた。自分自身を落ち着かせるかのように。
「次男が辺境伯の息子という地位を利用して様々な犯罪を行っていた。捜査していた兵たちも辺境伯の息子の名を出され怪しい者たちを取り調べることが出来なかった」
ナニエルは目を見開いた。姉であるメッツアが主犯とされた犯罪も犯人と思われる者たちにウェットダン公爵家の名を出され、踏み込んだ捜査が出来なかった。
「後日の調査で主犯とされた辺境伯の息子が傀儡であった可能性も出てきたが、辺境伯の息子を始めとした関係者全員を激昂した辺境伯が取り調べ前に一人残らず殺してしまったため分からず終いだ」
「辺境伯は何故そんなことを……」
ナニエルの疑問にランスは視線を落とした。
「その辺境伯もその直後に責任を取ると言って自決している。ただ、辺境伯が直前に口にしたワインから薬物が検出された。興奮剤だ。罪人に厳しい者だったが取り調べもせずに処刑したのはそのためであったのではないか、と推測されている。薬物を混入した者は不明だ」
「な、何で今そんな話を? 昔の辺境の話なんて関係ないだろ」
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