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ヒューマンドラマ・純文学

黒髪少女と真夜中の神社でビスケットを食べる

作者: 優木凛々


りょう: 主人公


少女は驚いた猫のように、きょとんとした顔でりょうを見上げていた。


長い黒髪に、不揃いな前髪。短めのスカートに、薄手のパーカー。

小さな手を袖に隠し、寒そうに膝を抱えている。


その、不安げな姿が、過去の記憶と重なり。

涼は、思わず少女に尋ねた。



「君、家を出て来たの? それとも帰れないの?」









その夜のりょうは、実にツイていなかった。



「ああ……。行ってしまった……」



バイトが珍しく長引き、タッチの差で、帰りのバスに乗り遅れてしまったのだ。


走り去るバスに手を伸ばしながら、ガックリと肩を落とす涼。

薄暗い街灯の光を頼りに停留所の時刻表を見ると、次のバスが来るまであと一時間以上もあった。



「うーん。どうしよう……」



涼は、少し冷えた手をこすりあわせながら、思案に暮れた。


いつもバスを使っているので、このあたりを歩いたことは一度もない。

もう夜遅いし、安全に帰るなら、バスを待つの一択だ。


しかし、もうすぐ十二月だというこの季節に、寒空の下、立ちっぱなしで一時間以上待つのは、どう考えても辛すぎる。



「……仕方ない、歩くか」



迷った末、涼は最寄り駅まで歩くことにした。


スマホを取り出すと、地図アプリで最寄り駅までの道を検索。

肩から掛けた白いトートバッグを抱えるように持つと、夜道を黙々と歩き始めた。


ヘッドライトを光らせた車が行き交う大通りを渡り。

シャッターが閉まった商店街を通り抜け。

閑静な住宅街を足早に歩く。


そして、ようやく、あと十数分も歩けば駅だ、という所まで来た時。

突然、手に持っていたスマホが震えた。



『件名:3万円貸してください』



スマホの待ち受け画面に表示された件名を見て、涼はげんなりした。


それは、定期的に届く、金を無心するメール。

毎回「貸して」と書いてくるが、一度たりとも返ってきたことはない。



「……まったく。今までの分を全部踏み倒しておいて、よくもまあ、また貸してとか言えるよ」



大きな溜息をつく涼。

相手の図々しさに腹を立てる一方で、それでも毎回貸してしまう自分にイライラする。


そして、「バスは逃すし、金貸せメールは来るし、ホント今日はツイてない」と、こぼしながら歩くこと数分。

涼は、前方右手に、街灯に照らされた小さな鳥居が立っているのに気が付いた。



「へえ。こんなところに神社があるんだ」



好奇心も手伝い、鳥居の奥を覗き込む涼。


木々に囲まれた境内はそこそこの広さで、所々ひび割れた石の参道の先、古めかしい外灯に照らされて、小さなやしろが立っている。

境内はシンと冷たく静まり返っており、時折、風でカサカサと鳴る落ち葉の音が聞こえてくるのみ。

全体的に朽ちた感じがするせいか、かなり不気味だ。



「うわっ。なんか怖っ」



涼は鳥居の前に立ったまま、しばし考え込んだ。

普段であれば、このまま回れ右して帰るところだが、何しろ今日はツイていない。

運が悪い時こその神頼みじゃないだろうか。



「ちょっと怖いけど、厄祓いとして参拝しとこう」



涼は、トートバッグを抱えるように持つと、そろそろと境内に足を踏み入れた。

ひび割れた参道を通って、薄暗いやしろに向かってゆっくり歩く。


そして、『賽銭箱』と書いてある文字が見える場所まで進んで、涼はピタリと足を止めた。

やしろの階段部分に、動く何かがいるのに気が付いたからだ。


目を凝らしてそれを見て、りょうは思わず目を見開いた。



「……え? 女の子……?」



それは、小学校高学年くらいの女の子であった。

背中まである黒髪に、不揃いな前髪。短いスカートに、ピンク色のパーカーを身にまとい、震えながらやしろの階段に座っている。


むこうも突然現れた涼にびっくりしたらしく、驚いた猫のような顔をしている。


その、小さくて不安げな姿が、過去の記憶と重なり、涼は思わず尋ねた。



「君、家を出て来たの? それとも帰れないの?」


「か、帰れない感じ、です」



目を白黒させながら、か細い声で答える少女。



「ふうん。いつ帰れるとか決まっているの?」


「い、家の電気が消えたら……」


「いつも何時ごろに電気消えるの?」


「十二時くらい」


「あと一時間半か。ご飯は? 食べたの?」


「作ったんですけど、食べる前に、お母さんが、人を連れて、来ちゃって……」



目を伏せながら、つっかえつっかえ言う少女。


涼は、「なるほどね」と、呟くと、トートバッグに入れていた未開封のペットボトルのお茶を取り出して、少女に差し出した。



「これ、あげる」



少女が驚いたような顔をした。



「え? ええっと……」


「ほら、声が少し嗄れてるじゃん。喉渇いてるんでしょ。もらっておきなよ」



押し付けるようにペットボトルを渡す涼。


戸惑ったように、「ありがとうございます」と、受け取る少女。


涼は少し間を空けて少女の隣に座ると、トートバッグから、バイト前に買った安くて大きいのが売りの特大コッペパンを取り出した。



「これもあげる。お腹空いてるんでしょ」


「え、でも」


「じゃあ、半分こ。ほら」



パンを、一対三くらいに割って、三の方を少女に手渡す涼。

顔をくしゃりとさせて、消え入りそうな声でお礼を言いながら、パンを受け取る少女。


二人は並んでパンを食べ始めた。


最初は遠慮していた少女だが、空腹には耐えられなかったらしく、夢中で食べ始める。


涼は、いつも持ち歩いている、『徳用大袋ビスケット』を、トートバッグから取り出すと、袋を開けて、自分と少女の間に置いた。



「これも食べていいよ」



そして、お礼を言いながら必死にパンを食べる少女をながめながら、二つのことに気が付いた。


一つ目は、彼女がとてもしっかりしていること。お礼も言えるし、食べ方もちゃんとしている。何となく頭も良さそうだ。


そして、もう一つは、彼女の惨めな身なり。


顔はちょっと磨けばテレビに出れそうなほど整っているのだが、長い髪の毛は絡まりまくってバサバサ。

自分で切ったのか、下手な人に切られたのか、前髪はガタガタで目も当てられない。

服もサイズが合っておらず、どこか薄汚れているし、スニーカーに至ってはつま先に大きな穴が開いている。

スカートから伸びた長い脚は驚くほど細く、腕も痛々しいほど細い。


親からほとんど構われずに放置されているのが見て取れ、思わず溜息をつく涼。


しばらくして、少女がパンを食べ終わった。お腹が満たされたのか、人心地が付いたような表情を浮かべる。

そして、りょうに勧められるままビスケットを手に取ると、それをチビチビとかじりながら、自分の境遇を話しはじめた。



「うち、2年前から母子家庭で。家が狭くて、お母さんの彼氏が来ると、家を出なきゃいけないんです。

いつもは家を出る準備をしとくんですけど、今日は直前まで料理してて、何も持って出られなかったんです」



その様子が目に浮かぶようだと思いながら、涼は口の端を上げた。



「そっか、油断したね。ああいう人達は、『今日はないだろ!』って時に限って来るからね。

すぐ持ち出せるカバンとコートを用意して、いつも玄関に置いとくといい。

カバンの中に、こういうビスケットとか入れといて食べれば、寒くても風邪引きにくくなるから。

あと、マフラーと手袋も入れといた方がいい」



はい、と、素直に頷く少女。



「あと、警察に見つからないようにしなね。見つかったら親を呼ばれて、すっごく怒られるし、変な子供がいっぱいいる所に連れていかれたりするから」


「そうなんですか?」


「うん。ご飯はあるけど、威張ってる子がたくさんいて、あまり良いところではなかった。

――それと、どんなに困っても、たとえお母さんの彼氏でも、男と2人になっちゃ駄目だよ。絶対に酷いことされるから」


「……はい」



少し怯えたようにコクリと頷く少女。



「あと、学校から配られる『保健便り』をちゃんと見ときな。毎日歯を磨こうとか、朝食を食べようとか、普通の子が当たり前にしてることが書いてあるから、自分で気を付けてちゃんとやった方がいい」



その後も、身なりや友人関係についてアドバイスを続ける涼。

目を皿のように見開いて、頷きながら話を聞く少女。



――そして、月が頭上に差し掛かる頃。


涼がスマホを見て立ち上がった。



「お。あと二十分で十二時。もう帰れるかな」


「……はい。多分」



スカートのお尻をはたきながら、のろのろと立ち上がる少女。

その、帰りたくなさそうな、心許なげな姿を見ながら、涼が尋ねた。



「そういえば、さっき、今日は夕飯作った、って言っていたけど、何があった?」


「ええっと、今日はお母さんの誕生日で、カレーを作って待っていたんです。でも、帰って来たお母さんが、彼氏と二人で食べるって言って……」



話しながら、切なそうに目を伏せる少女。

しかし、涼が口を開こうとすると、彼女はそれを遮るように微笑んだ。



「でも、いいんです。お母さんの誕生日なんで、お母さんが喜んでくれれば」



その健気な姿が、幼い頃の記憶と重なり、涼は唇を噛んだ。

忘れようと心に閉じ込めていた記憶が噴き出してくる。


涼は、軽く息を吐くと、低い声で尋ねた。



「……お母さんのこと、好き?」



戸惑ったような顔をしながらも、こくりと頷く少女。

涼は、たまらない気持ちになって、思わず口を開いた。



「……そっか。そうだね。世界でただ一人のお母さんだもんね。大好きだよね」


でもさ。


「世の中には、普通じゃないお母さんっていてさ。愛されたくて、どんなに頑張って尽くしても、何も返ってこない」


だから。


「がんばったって傷つくだけだって気付いたら、ボロボロになる前に逃げな。君は頭が良さそうだから、うんと勉強して頑張れば、奨学金取って、遠くの高校にだって行ける。家を出て、働いて、自分の好きなことして。――そうしたら、大変だけど、楽になるから」



がんばるんだよ、と、りょうが言うと、少女は目に涙をためて、コクリと頷いた。







その後、涼は、何度もお礼を言う少女を、家の近くまで送った。


どうしても困ったらとメールアドレスを書いた紙を渡し、少女が暗い家に入って行くのを見送り、再び駅に向かって歩き出す。

静かな住宅街を歩きながら考えるのは、少女のことと、昔のこと。


そして、いつの間にか、駅に到着。

人がほとんどいない改札を通り、階段を上がって閑散としたホームに立つと、トートバッグの中でスマホが鳴った。




-------

件名:Fw: 3万円貸してください

本文:

先ほどのメール見ていますか。すぐに3万円難しければ、1万円でもいいです。明日朝までに振り込んでください。



(以下転送)- - - - -


件名:3万円貸してください

本文:

連絡下さい。 



()()() 


-------





涼は涙がこぼれないように、夜空を見上げながら思った。


ああ、自分もあの少女と同じなのだ、と。


もう分かっているのだ。

どんなに尽くそうとも、何も返ってこないことを。

でも、どんなに苦しくて悲しくても、縋って愛を乞わずにはいられなかった。

たった一人の母だから。


でも、もう終わりにしよう。

たとえ自分が死んで尽くしても、あの人からは何も返ってこないのは分かっているのだから。



「前に進まないと」



涼は、そっと涙をぬぐうと、ベンチに座った。

電車が来るまで、三十分。スマホを睨みながら、どう返信するべきか考える。


途中で快速電車がものすごい勢いで通過していくが、そんなものは気にも留めず、ただひたすら、書いては消し、書いては消し、を、繰り返す。

電車が到着して、それに乗り込みながらも、ずっとそれを繰り返す。


そして、電車が駅に到着する少し前。ようやく、返信する文章が完成した。



『今まで貸した十九万円を返して下さい。その中から三万円お貸しします』



文章を読み返して、涼はクスリと笑った。

返すべきものを返してくれれば良い訳だから、断ってもいないし、ちゃんと筋が通っている。

我ながら良い出来だ。


涼は、えいや、と、メッセージを送信すると、電車を降りた。

短い階段を上がって、小さな改札を出る。


そして、家に向かって歩き出そうとした、――その時。


バッグの中のスマホが鳴った。

しばらく無視しても、狂ったようにいつまでもしつこく鳴っている


涼は溜息をつきながら、バッグに手を入れ、手探りでスマホをミュートに設定。


「これでよし」と、呟くと、未だかつてないほど清々しい心持で帰路についた。






ーーその後。


涼は無事に就職。忙しい日々を過ごしている。


ふとした拍子に少女を思い出し、あの神社に行ってみようかと思ったりもするが、何となく足が向かず。

たまに思い出しては、元気にやっているだろうか、と、考える日々。



そして、月日は流れ、四年後。湿った土の香りのする新緑の春。

スーツを着た涼がスマホを見ながら駅から家へと歩いていると、一通のメールが届いた。



『件名:ご無沙汰してます』



それは、少女からだった。

メールには、奨学金を取り、寮のある地方の進学校に入学したと書いてあった。


「がんばったんだね」と、微笑む涼。


メールの最後には、こう書かれていた。



『またあのビスケットが食べたいです』



涼はクスリと笑うと、街頭に照らされた若葉色の街路樹を見上げながら思った。


少女が帰ってきたら、あの神社に会いに行こう。

徳用ビスケットを食べながら、積る話をするのは、きっと、とても楽しいことに違いない。と。









最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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[良い点] 少女と涼さんの距離感。 二人とも堅実に大きな一歩を踏み出せて良かった。 [気になる点] 涼さんの性別。どっちでも読めるけど味わいが全く違って面白い。 [一言] 前向きになれる話をありがとう…
[良い点] 母娘って、いろいろと微妙な、難しい関係性にあるなと思いました。 涼と少女が、これからの人生幸せに生きてほしいと願います!
[良い点] 心が温かくなる小説です。 等身大の主人公と、家で少女の距離感がちょうどよい感じで読みやすい小説でした。 時間軸の書き方が独特で、参考になりました。 [一言] 読んだ後、ショートショートを1…
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