古敷谷史夏⑥
「なにそれ、勝手にしたら!」
耐えられなくなったのか、マイちゃんはそれを捨て台詞に帰ってしまった。
再び沈黙が訪れたけれど、今度は私が耐えられなくなった。
「あ、ありがとう」
「気にしなくていい」
そうは言うものの、気にしないのは無理だ。
「いや、気になっちゃうな……あんなこと言われちゃったし……」
「それもそうか。うん、俺、古敷谷さんのこと好きだよ」
さっきまでマイちゃんと言い争っていたときの気迫はもうなく、優しい佐井君に戻っていた。
「え?」
「古敷谷さんと勉強をしながら他愛もない話をしてたけど、いつからかその他愛もない話をしたくて勉強を教えてた」
私が感じていたことを佐井君も感じていたということなのか。
「あのね、それ私もなんだ……」
「そうなの? それは嬉しいな」
「私も嬉しい」
二人でベンチに腰を掛ける。
会話はない。他愛もない話が好きだと言っていたのにそれすらできない状況。
しばらく黙ったまま二人並んで座っていた。
「古敷谷さん!」
佐井君が意を決したように、立ち上がり言った。
「は、はい」
「俺と、付き合ってください」
「は、はい。よろしくお願いします」
最後の方は涙が出てきて上手く言えたかわからなかった。
「ありがとう」
「こちらこそ」
「ねえ、それじゃあ史夏ちゃんって呼んでいい?」
「うん」
佐井君に初めて下の名前を呼んでもらえた。
「史夏ちゃん。用意したものがあるんだ」
「え? 何?」
「史夏ちゃんの誕生日っていつか聞いていなかったからわからないけど、たぶん夏生まれなんだろうなって思ったから、誕生日プレゼントを用意したんだ」
そう言って佐井君はかわいい髪留めを出した。
「ありがとう」
「うん。本当はお祭りのときに渡そうと思ってたんだけど会えなくて。それで今日家に行ったんだ……」
「そうだったんだ」
「でもプレゼントを渡すことより先にしなくちゃいけないことができちゃったからね。こんなタイミングになっちゃったけど」
「ううん。うれしい。なんで髪留めにしてくれたの?」
「勉強を教えてるとき、髪を抑えてたから」
そんなところまで見ていてくれたんだ。
「ありがとう。大切に使うね」
「別に乱暴に使ってもいいよ。また買ってあげるから」
「ううん。これはずっと使う」
涙はもう出なかった。
その代わり抑えたくても表情が緩んでしまう。
私の夏休みはまだまだ終わりそうもなかった。
二学期も楽しく学校に行ける気がした。
「ねえ、佐井君。私も佐井君を下の名前で呼びたい」
「うん、いいよ。そうしよう」
「それじゃあ、これからよろしくね。幸司君」
□◇■◆
「なんで幸助、親のそういう話聞くかな?」
心音が幸助の左腕を小突きながら言った。
「友達が聞いてみたら面白いよって言ってたから」
心音の手を払う幸助。
「ちなみに今日つけている髪留めがその髪留めでーす」
なんだか恥ずかしくなってきたから、わざとお茶らけてみる。
「懐かしいなぁ。そんなこともあったなぁ。俺が舞ちゃんに、史夏ちゃんに勉強を教えてるって言っちゃったのが原因だったんだよなぁ」
幸司君は照れくさそうにしている。
「私は苦手だな。親の馴れ初めとか聞くの。恥ずかしいじゃん」
「うん。俺も聞いてからそう思った」
「遅いよ! 大体わかるでしょ!」
会話に花が咲いたのには理由がある。
八月二十五日。今日は給料日だからと伝え、いつもより豪華な食事を並べ、久しぶりの一家団欒だった。
その中で急に幸助が私たちの馴れ初めを聞いてきた。
「で、そのマイちゃんって子はどうなったの?」
「結局姉貴も気になってんじゃん」
「ここまで聞いたら気になるでしょ」
心音はそんなこと言っているけれど、私が思い出話を始めてからすぐに箸が止まっていた。
ずっとしっかりと聞いていたくせに。
「謝ってくれたわよ。幸司君のおかげでね。それに絵梨ちゃんとも知佳ちゃんとも仲直りできたの」
私たち夫婦はお互いに、幸司君と史夏ちゃんと学生のころと変わらずに呼び合っている。
今はこうやって笑顔でいるが、ここまで来るのにかなり苦労した。
高校卒業後は幸司君は大学へ、私は短大へ行ったけれど、あれからずっと付き合っていた。
そして幸司君が大学四年生のときに、結婚しすぐに私は心音を産んだ。
いわゆるデキ婚だった。
それを話すと心音はまた「聞きたくなかった」と頭を抱えて言った。




