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短編小説

醜い姫の騎士と龍

 昔々、あるところに、それはそれは美しいお姫様がいました。


 つややかな金色の髪は、黄金の絨毯のように美しく、赤色の瞳は紅玉ルビーの如き煌めきをもっていました。姫の身にまとったドレスは、どんなに質が悪いものでも、あたかも宝海にゆらめく絹織物のように輝きました。


「隣国の王子が、わたしと結婚したいと仰っているのですか?」


 でも――


「あんな貧乏国の三男とか、世界が破滅しようとも無理です。おととい来やがれ」


 性格は最悪でした。


 そんなお姫様でも、絶世の美女であることは間違いありません。


 月が恥じらって、野山の陰から出てこないほどの美貌……かつて、幾つもの大国を滅ぼしたと言われる、邪悪な黒龍が目をつけたのは当然のことでした。


「グルルルァ……あの姫は、俺様のものだ。金銀財宝に美術品の数々、すべからく、俺様の所蔵品コレクションにしてやった。人間は俺様のためにあくせく働き、人の生み出したモノはすべて俺様のものになるのだ」


 闇で塗りつぶされたかのような鱗、禍々しく刺々しい翼、弱者を圧倒する見事なまでの巨躯。数千年の時を生き、美しいものを強欲と力で奪い取り、人を瞬きの合間に蒸発させる炎息ブレスを吐く邪竜。


 ついに彼は、長きにわたる眠りから目を覚まし、姫をさらいに来たのです!


「グルルルァ! 邪竜が目を覚ましたぞ! 怯えるがいい、人間ども!!」


 でも――


「へ、へ~い、か、彼女ぉ、お、俺様と一緒に、よ、よかったら、塔の上で、お、お茶でもしばかな~い?」


 邪竜は、恋愛経験0なので、女性の口説き方がわかりませんでした。


 姫はその高貴なる頭を回転させて、邪竜の使い道を概算、お金に変える道を導き出して微笑みました。


「構いませんよ。どうぞ、おさらいになってください」

「やったぁ!!」


 話術テクニックに自信がついた邪竜は、姫を背に乗せて、天高く飛び上がりました。くして、お姫様は、自らの意思でさらわれてしまいます。


 焦ったのは、王様たちです。


 なにせ、お姫様には、星の数ほど縁談の話が打ち上がっており、そのすべてが破談となってしまったら困ってしまいます。貧乏な弱小国が生き残るには、美しい姫を、強国にお嫁に出す他ありません。


 斯くして、ひとりの屈強な騎士が、お姫様を取り戻すために旅立ちました。


 騎士は、甘いマスクをもった美丈夫でした。


 剣の腕が一流であれば、女性の扱い方は超一流。いつもいつも、女性を周囲にはべらしている、遊び人と噂される青年でした。なにせ、高慢な女王様ですら、彼のきらめくような微笑みに夢中だったのですから。


 でも――


「あぁ、姫……いや、フィオナ……君が好きだ、世界で一番好きだ……結婚して、君から『旦那様』と呼ばれることを目標に生きてる……俺の生存確率は、君からの愛情パーセントと比例してる……」


 お姫様にぞっこんで、他の女性には興味がありませんでした。


 彼を指して言う遊び人とは、彼に相手にされない女性たちが流した根も葉もない噂でした。フィオナ姫に恋い焦がれている彼の想いは、毎日毎日、雨の日も雪の日も嵐の日も、一輪の花を送り届けるくらいの純白ピュアさ加減でした。


 さてはて、そんな追手が迫っているとは露知らず、邪竜を籠絡したお姫様は塔をひと目見て「しょっぼ!!」と叫びました。


「え……しょ、しょぼい……?」

「そうですよ、邪竜様。大国を討ち滅ぼした伝説の邪竜が、こんなしょぼい住まいに、将来の妻となるわたしを住まわせるつもりですか。姫、がっかりです。久々のがっかり賞です。この有様では、先祖代々、口伝で『邪竜の癖に、しょぼい巣だった』と言い伝えられること間違いありません」


 お姫様がそう云うのも、致し方ありません。


 なにせ、邪竜は、はじめて姫をさらうどころか人をさらったこともありません。どうすれば、人が満足するかなどわかるわけもないのです。


 崩れかけて4度ほど曲がった塔の最上階は、ホコリだらけで蜘蛛の巣だらけ。置かれた調度品に目を向ければ、椅子の足はたったの二脚で、ベッドの代わりに干し草が敷き詰められているだけの有様。


 これでは、伝説の邪竜どころか、田舎のトカゲの棲家のようではありませんか。


「ふぃ、フィオナ姫、俺様はどうすればいいだろうか? こ、これでは、姫に愛想を尽かされて出ていかれてしまう」


 また、寂しい一匹暮らしに戻るのかと、真っ黒な龍はめそめそと泣き出しました。


「まったく、仕方のないトカゲさんですね。貴方には、その立派な翼と刃を通さない鱗、見事なまでの金銀財宝があるではないですか。近くの村から大工を連れてきて、この塔を作り直させるのです。

 そうすれば、ココにいてあげてもいいですよ」

「だ、だが、近くの村と俺様は仲が悪い。なにせ、昔、奴らの家畜をムシャムシャバリバリと食べてしまったのだから」

「是非もない! なら、謝りなさい! なにをめそめそとこのトカゲ! 立派なのは、その体格だけですか! 悪いことをしたのなら、謝って仲直り、そうしてから利用してやるのが常でしょうが! 利用しろ利用!!」

「ひぃん!」


 お姫様にペシペシと叩かれて、黒龍は、逃げるように飛び立ちました。


 邪竜は、お姫様の言いつけどおり、村人たちに謝罪をしました。驚いていた彼らでしたが、食べた牛や豚の分だけ、自慢の鱗と金銀財宝を分け与えた龍に好感を覚えました。


 村人たちは、すっかり、気前の良い邪竜を気に入りました。村の大工たちは、割の良い仕事だと喜んで、塔の修復を引き受けてくれたのです。


 腕の良い大工たちによって、歪んでいた塔は、真っ直ぐに矯正されました。壁には、龍の鱗が埋め込まれて強固に。村人たちが丹精込めて作り上げた、絨毯や調度品たちが、色とりどりに内部を飾り立てました。


「ふむ、及第点。伝説の邪竜とまで謳われると、まだまだだと言いたくなりますが、その努力を認めてあげるのが姫イズム」

「やったぁ!!」


 どうやら、フィオナ姫は、この塔で暮らしてくれるようです。


 龍としての面子も保てて、美しい姫も閉じ込められる。また、寂しい思いをすることもない。邪竜は一匹、空中で。一回転に二回転、おまけに三回転で大喜びでした。


「たのもー! たのもーっ!!」


 そんな折、長き旅を終えた騎士が、ついに塔へと辿り着きました。


「あら、ロイドじゃないですか。どうしたのですか、そんなボロボロの出で立ちで。遊びに来た割には、剣呑なものをもっておりますね」


 なにせ、この騎士、ココに辿り着くまでの艱難辛苦は筆舌に尽くし難き。数冊は、物語が書けそうな、凄まじい冒険の数々を終えたばかりなのです。


 愛馬は逃げ去り、鎧は穴ぼこだらけ、長槍は途中で落っことし、抜身の長剣が一本、どうにか手元に残っていたくらいでした。


「フィオナ!! じゃなくて姫!! 君が悪しき邪竜に連れ去られたと聞き及び、居ても立っても居られず、王の許しを得て遠路はるばるやって来たのだ!! 僕は、君を、連れ戻しに来たのだよ!!」

「グルルルァ! 姫を連れ戻しに来ただとぉ!?」


 そんなことを言われたら、邪竜は黙って聞いてはいられません。


 なにせ、龍にとって、最も誇り(プライド)を傷つけられるのは、宝物を誰かに奪われることなのですから。せっかくのお姫様を連れ戻されたりしたら、邪竜は、仲間の龍たちから馬鹿にされてしまうのではありませんか。


「帰れ、汚らしい人間が! フィオナ姫は、俺様のものだ!」

「な、なにを言うんだ、この黒トカゲが偉そうに! 人間ひとを勝手にモノ呼ばわりして、所有権を口にするとは、貴様は紳士の風上にも置けん畜生だ! 所詮は爬虫類、僕ら人間の、これっぽっちも脳みそがないと知れる!」

「な、なんだとオマエェ!! お、俺様の頭の半分もない身体で、脳みそ理論を語るとはこのバカタレがァ!!」


 一触即発、空気が、ぴりりと張り詰めました。


 怒り狂った邪竜は息を吸い込んで腹を膨らませ、今にも炎息ブレスを吐き出さんばかりに赤く燃え上がりました。対する騎士は、手慣れた手付きで長剣をしならせて、四分の一に削れてしまった大楯を構えます。


 あぁ、なんということでしょうか! 龍と人の決戦が、今にも、始まってしまいます!


 と思いきや――


「なにを」

「ひぃん!」

「勝手に」

「ふべは!!」

「喧嘩してるのです、かっ!!」

「「いだい!!」」


 お姫様の平手によって、ふたりの殺気は塵と消えてしまいました。


「貴方たちふたりは、光栄にも、このわたしに利用価値があると認められた大事な資源なのですよ? にも関わらず、所有者たるわたしの許可もなしに、殺し合おうなどと卑怯千万、恥辱の限りだと知りなさい」

「おぉ! 姫! 僕が間違っていました!!」

「……オマエ、さっき、人間ひとを勝手にモノ呼ばわりする者を、畜生呼ばわりしていなかったか?」


 騎士は、ちょろいので、モノ呼ばわりされて感激しておりました。


「で、ですが、姫、この僕にも騎士としての矜持があります。この邪竜と決闘せずして、おめおめと、姫と握手してだけ帰るわけにはいかないのです」

「なら、ハグしてあげるから帰りなさい」

「……………………………………………………」

「長考するな、人間。騎士の矜持はどうした」

「ええい! 姫からなにをされようとも! このサー・ロイド、邪竜との決着を着けるまで、一歩たりともココを動きません!」


 血を吐くような思いで、騎士は欲望を跳ね除けました。お姫様はその想いの強さを知って、ため息を吐きました。


「仕方がありませんね。昔から、ロイドは金槌頭ですから、何度か鉄を打たせねば満足しません。

 一人と一匹で、わたしを巡って争ってもらおうではありませんか」

「グルルル……さもありなん、俺様としても、願ったり叶ったりだ」

「姫、我が祈りを聞き届けて頂き、幸甚こうじんの至り。必ずやこの黒トカゲを討ち果たし、今晩の夕食に、ささやかなる一皿を追加することをお約束いたします」


 お姫様の許しも得て、一人と一匹は、再び見合いました。


 肌を刺すような緊張感。


 一陣の風が、両者の間を吹き抜けていき、砂塵が両身を煽ったとしても。彼らは、ぴくりとも動きません。対する一人と一匹が、一秒を数千で割った数ほど、相手の喉元に食らいつく想像イメージを終えました。


 そして、ついに、動き出し――


「話を聞きなさい」

「「いだい!!」」


 お姫様に、張り飛ばされました。


「貴方たちは、なぜ、そうも血気盛んなのですか。血の気が有りすぎるのであれば、近隣の村々を回って、血液をミリリットル単位で売りつけてきなさい。稼ぎはビタ一文足りとも、誤魔化さずに、わたしに提出するように」

「承知いたしました、姫!!」

「承知するな、この阿呆人間。

 ふぃ、フィオナ姫、なぜ、俺様たちの決闘を邪魔立てする? さ、先程、許可を与えたばかりではないか」


 美しい尊顔を龍に向け、フィオナ姫はじとりと視やりました。


「なにを言うのですか、この血色良き爬虫類トカゲ。貴方たちの頭の中には、決闘の手段が、殺し合いの一種類しかないのですか。もっと、種類レパートリーを増やさないと、お客様は退屈して永眠してしまいますよ」

「「……客?」」


 しれっとした顔で、お姫様は羊皮紙を取り出しました。


「貴方たちの決闘を収益化します。

 龍と人と決闘なんて面白いもの、金に変えずになにに変えるというのですか」


 無言のふたりを前にして、お姫様は金勘定を始めました。その切なそうで艶めいた表情は、まるで、恋する乙女のようではありませんか。


「龍よ……ど、どうする?」

「お、俺様に聞くな。ただ、フィオナ姫の機嫌を損ねれば、またあの骨身が軋むような一撃が飛んでくるのは違いない」

「なにを、ふたりで、こそこそと、相談しているのですか?」

「「なんでもありません」」


 一人と一匹は、疑いがかからないように、笑顔で姫の前に並びました。


「演目……じゃなくて、決闘方法は、わたしが考えましょう。おふた方には、心技体を競い合う、見事なまでの演技パフォーマンスを期待いたします。

 そして――」


 お姫様は、あどけなく、一人と一匹に微笑みかけました。


「勝った方と、わたしは、婚姻を結ぶことにいたします」

「「えぇっ!?」」


 顔を見合わせた騎士と龍は、めらめらと敵愾心が燃えてくるのを感じました。


 なにせ、騎士にとって、フィオナ姫は、幼き頃から恋をしている最愛の女性ひと。彼女以外の女性など、目の端にすら引っかからないのですから。


 龍にとっても、はじめて、連れ去ることができた唯一のお姫様です。龍の誇り(プライド)がありますし、元の孤独の生活に戻ることだって我慢なりません。


「残念だったな、黒トカゲ。明日、僕の正義の剣に貫かれ、偉大なる太陽にむくろを晒すことになるとは悲しいよ」

「グルルルァ、バカを言うなよ阿呆人間。オマエの肋骨を噛み砕いた音を、この耳でしかと受け止め、その音楽を堪能する夜が愉しみだ」


 向かい合った両者は、ふんと、顔を背け合って歩き去りました。


 いつの間にやら、大変なことになってしまいました。さて、騎士と龍はどうなってしまうのでしょうか?


 余裕のお姫様が、ふたりの背中に微笑を投げかけ――次の日、近隣の国や街から、大勢の見物人が集まっていました。


 塔の周囲には、邪竜が今まで、視たこともないような人人人……黒い塊となった群衆が、勝手に屋台を開いてあきないを始める始末です。村人たちは、飲み物と食べ物を片手に、邪竜を応援するための旗まで作ってきていました。


「がんばれよー! 大トカゲー!! 姫様をモノにしろよなーっ!!」

「あ、アイツらは……俺様は、龍だと言うのに聞かん奴らめ」


 とは言うものの、応援されている邪竜は、悪い気持ちはしません。


 相対する騎士はと言うと、その類まれなる容姿で女性たちを味方につけて、黄色い声援を浴びておりました。


「さて、黒トカゲ。己の命日は、既に墓標に刻んできたか?」

「グルルルァ、阿呆人間。焼き焦げた己の臭いで、飯を食う準備はできているんだろうな?」

「元気が良くて結構」


 しずしずと、一人と一匹の間に進み出たお姫様は、金貨で重くなった袋を揺すりながら笑顔で言いました。


「では、本日の演目……じゃなくて、決闘方法を言い渡しましょう」


 騎士と龍は、祈りました。自分に有利な決闘方法であるようにと。


「決闘方法は」


 一人と一匹は、唾を呑み込み――


盤上遊戯チェスです!」

「「えっ」」


 大盛り上がりの会場とは裏腹に、騎士と龍は唖然と立ち尽くしておりました。なにせ、騎士と龍が、盤上遊戯チェスで雌雄を決するなどと聞いたことがありません。そもそも、どちらとも、盤上遊戯チェスなんてやったことがないのですから。


「もちろん、おふた方は、ルールをご存知ですよね? どちらかは、わたしと結婚することになるような立派な殿方なのですから、盤上遊戯チェスのルールを知らないなんてことは有り得ません」

「「…………」」


 言えるわけがない――一人と一匹の心情が合致しました――ルールを知らないなんて、言えるわけがない。


 斯くして、世にも奇妙な、ルールを知らない人と龍との盤上遊戯チェス勝負が始まったのでした。


 大勢の人々に取り囲まれた騎士と龍は、好奇心に満ちた目線を浴びながら、一方は巨躯を一方は痩身を揺らしました。


 でも、双方ともに、動く気配がありません。


「「…………」」


 なにせ、どちらも、ルールを知らないのですから。


「どうしたのですか? 早く始めてください。

 知ってはいると思いますが、チェスは先手が有利ですからね」

「……黒トカゲ君、お先にどうぞ」


 おぉっ! と、会場がどよめきました。なにせ、有利な先手を、自ら譲ったのですから。騎士の紳士的なプレイに、女性陣はメロメロです。


 でも、本当は、ルールを知らないので、先に邪竜に打ってもらうつもりのだけでした。


「お、オマエからでいいぞ」


 またも、お客さんたちは、どよめきを上げました。


 なにせ、あの、自分本位の邪竜が、大事なお姫様を懸けた大勝負で紳士的な態度を見せたのですから。邪竜応援団たちは、大盛り上がりで、邪竜の身体に群がった子どもたちは歓声を上げました。


 でも、本当は、ルールを知らないので、先に騎士に打ってもらうつもりのだけでした。


「どうぞ」

「どうぞ」

「どうぞ」

「どうぞ」

「どうぞ」

「どうぞ」

「どうぞ」

「どうぞ」

「「…………」」


 一人と一匹は、大粒の汗を流しながら、互いに同じことを思いました――コイツ、なにを考えているんだ。


「埒が明きませんね。では、ロイドが先手で」

「クソぉおおおおおおおおおお!!」

「グルルルァ!! 勝負、あったなァ!!」


 お客さんたちは、なぜ、ココまで騎士が悔しがっているのか、逆に先手をとられた邪竜が勝ち誇っているのかわかりません。


 ただ、その先手合戦に熱くなって大盛り上がりです。


「…………」


 騎士は、この窮地に、汗だくになりながら考えて考えて考えて――ついに、必勝法を考えつきました。


 適当なコマを持ち上げて、ちょうど良さそうな場所へと運び……客たちの反応を視て、盤面ボードに置いたのです。


 ただ、歩兵ポーンをひとつ前に動かしただけなのに、会場は絶叫と歓声に包まれて盛りに盛り上がりました。暇を持て余していた人々にとって、このトンチンカンな戦いは、丁度いい暇つぶしだったからです。


「……ふふ」


 歩兵ポーンを動かしただけの騎士は、不敵に微笑みました。


「勝ったな」


 俺様は、もう、負けたのか!?


 愕然とする邪竜でしたが、負けたわけがありません。神の審判とも言えるお姫様が、無言で突っ立っていることからも明らかです。


 邪竜は、ほっと、息を吐きました。


 ですが、安心している場合ではありません。自分の手番なのです。どうにかして、盤上遊戯チェスのルールを知っていると見せかけつつ、見るからに手練である騎士から勝利を収めなければなりません。


「トカゲ様、トカゲ様」


 困り果てていると、身体に乗っている幼い子供が耳打ちしてきました。


「あの駒を、あそこに置いたほうがいいよ」

「そ、そうか。グルルルァ、た、たまには、人間如きの意見も聞いてやらんこともない」


 こうして、無事に、邪竜は窮状を凌ぐことができました。


 騎士は、客たちの中から、チェスの強そうな老人を見つけて、彼の反応をうかがいながら打ちました。一方、龍かと言えば、自分の身体に乗って遊んでいる子供の傀儡くぐつとなって、打っていくことを選びました。


 いつの間にやら、騎士と龍の真剣勝負は、ド素人のお爺さんと女の子との対決に変わり果てていたのです。


 そんなこととはまったく知らず、お客さんたちは大いに楽しんで、ついに邪竜の勝利で盤上遊戯チェス対決は幕を下ろしました。


「なんてことだ……僕は……負けたのか……」


 負けたのは、お爺さんです。


「グルルルァ! 俺様の勝ちだぁ!!」


 勝ったのは、女の子です。


「はいはい、勝負ありましたね。撤収撤収」


 ぱんぱんと手を打ち鳴らし、お姫様は、金を巻き上げたお客さんたちに帰宅を促しました。その腰には、屋台で儲けた利潤が詰め込まれた金貨袋が、ひーふーみー……見るからに、幸福そうな笑顔でした。


 人々と喧騒が去った後、静けさの中で、満足気に邪竜は言いました。


「グルルルァ……姫よ、約束通り、お、俺様と結婚してくれ」

「嫌です」

「えっ」

「だって、貴方たち、双方ともに盤上遊戯チェスのルールも知らないんですもん。盤上遊戯チェスも打てぬ、低能諸兄とは結婚できません」


 なんということでしょうか! 姫は、最初から、両者が盤上遊戯チェスのルールを知らないことを知っていたのです!


「アッハッハ! やったぁ! 我が正義の剣が、貴様の心臓を貫いたぞ黒トカゲ!!」

「ロイドだって、盤上遊戯チェスのルールを知らないでしょう。なにを偉そうに抜かしてるんですか」


 たしなめられて、騎士は赤面しました。


「対決だの決闘だの、女性の心を奪うのは、野蛮な凌ぎ合いではありません。一人と一匹で、もう少しさかしげに、そういったところを話し合ったらいかがですか。

 意思と知能があるのならば、欲望如きに負けてはなりません」


 とか言いながら、お姫様は、ウキウキと金貨を数えながら消えてしまいました。


 取り残された一人と一匹は、どちらともなく座り込み、どちらともなくぽつりぽつりと語り始めました。


「阿呆人間、オマエ、フィオナ姫が好きなのか?」

「あぁ、もちろんだ。愛している。なにせ、彼女は、僕のたったひとりの幼馴染で、守ると誓った唯一の女性なのだから」

「幼馴染……?」


 騎士は、龍に、語って聞かせました。


 幼き頃の彼は、よく王城に忍び込んで、憂鬱そうに座り込んでいるフィオナ姫の相手をしたこと。最初は笑わなかった彼女が、徐々に笑うようになって恋をしたこと。そして、どのような犠牲と努力を払おうとも、彼女の笑顔を守ると誓ったことを。


「僕は、小さな頃は、腕が枯れ木のように細くてネズミ呼ばわりされていた。でも、フィオナを守れるようになりたくて、必死に身体を鍛え上げて剣技を磨き上げたんだ」


 鎧を外した騎士の全身は、傷と痣だらけでした。


 たかが卑小な人間如きとバカにしていた龍ですが、彼の努力の跡を垣間見て、その愛の実直さに敬意を抱きました。


「そういう黒トカゲ、貴様こそ、フィオナを愛しているのか?」

「お、俺様は、ただ寂しくて……」


 龍は、騎士に、語って聞かせました。


 他の龍よりも身体が大きかった彼は、好き放題に暴れ回った結果、周囲からは誰もいなくなっていたこと。金銀財宝を集めることで、いつの日か仲間が、自分を慕ってやって来るのではないかと思っていたこと。寂しさのあまりに、夜に涙が止まらなくなってしまっていたことを。


「俺様は、自分勝手で横暴で、その癖に寂しがり屋だった。フィオナ姫が来なければ、あの村人たちとは友達になれなかったし、いつまでも、邪竜として恐れられていただろう。

 だから、俺様は、フィオナ姫を手放したくない。一緒にいたいのだ」


 たかが卑大した龍如きとバカにしていた騎士ですが、彼の切羽詰まった寂しさに、その愛の実直さに憐憫を抱きました。


「なぁ、龍よ、僕は貴様のことを勘違いしていたようだ」

「俺様もだ。オマエのことは、尊敬に値する人間だ」

「いやいや貴様のほうこそ、己を省みて、猛省を形に出来る立派な龍ではないか」


 一人と一匹は、互いに互いを尊重し、気恥ずかしさから黙り込みました。


 そして、音を聞きました。


「なんだ?」

「……弓矢だ」


 邪竜は、羽を広げて、呻きました。


「人間が、弓を放つ音だ!」


 騎士と龍は、駆け出しました。そして、塔を囲んでいる人間の軍隊と、火矢によって燃え上がる塔を視たのです。


 その火炎の凄まじさたるや! きっと、改修をほどこしていなければ、今頃、塔は燃え落ちていたことでしょう!


「フィオナ姫、思い上がった女狐が! 俺からの求愛を拒み、ついには、邪竜の元に嫁いだとは! ココまで馬鹿にされ、なにもせん俺ではないぞ!」


 かつて、縁談を断った隣国の第三王子が、逆恨みからフィオナ姫を見つけ出し、復讐のために焼き殺そうとしていたのです。


「お、おやめください! なにをしていらっしゃるのですかっ!!」


 たまらず、騎士は、第三王子の元へと駆けつけました。


「なんだ、お前は?」

「わ、私は、サー・ロイドと申します。フィオナ姫の忠実なる騎士のひとりです。

 王子様は、勘違いをしてらっしゃいます。フィオナ姫が、金を稼いでいるのは、婚姻を断り続けているのは、窮状にある我が国を救うためなのです。貧乏国貧乏国とバカにされている小国たる我が国を、貧状にある民たちを救うために、あの御方はわざと悪者を演じ自分の価値を煽り上げているのです」

「知るか、そんなこと! コイツを連れだ――」


 天高く、咆哮が上がりました。


 伝説の邪竜が、漆黒の羽ばたきをもって打ち上がり、夕焼けの煉獄の只中に姿を現しました。腰を抜かした第三王子に襲いかかろうとした龍へと、矢弓や砲が、雨あられと降り注ぎます。


「龍よ!!」

「なにをしている行けッ!! オマエの愛する姫を助けに!!」

「だ、だが、貴様は!?」


 さすがの邪竜の鱗も、ココまでの量の矢弓と砲を受け止めきれません。どんどんどんどん、鱗と肉が削れ落ち、宙に浮いている血だるまと化していきました。それでもなお、邪竜は、人間たちに手を出そうとはしません。


「俺様は、ココで沈もう! 古来から、邪竜は、人間ひとの手で討滅されるのが習わし! 一時の幸福に浸ってはいたが、本来の役割を担うだけの話だ!

 俺様は、もう、人間ひとは喰わん! フィオナ姫に嫌われるからな!」


 血を流しながら、邪竜は笑いかけました。


「愉しかったぞ、勇敢なる騎士よ。

 さらばだ」


 騎士は、憂いを振り払うように駆け出し、燃え盛る塔の中へと突進してきました。


 邪竜への攻撃は、止むことはありません。


 邪竜が死を覚悟したその時――大きなときの声が、上がりました。


 押し寄せてきたのは、近隣の村の人々でした。彼らは、邪竜からもらった鱗で作った鎧、金銀財宝で得たお金で傭兵を雇い、大声を上げながら、第三王子の立派な軍隊へと突っ込んでくるではありませんか。


「大トカゲー!! 助けに来たぞーっ!! もう少し、ふんばれぇー!!」

「ば、バカな……なにを考えているのだ……邪竜を救う人間など、聞いたことがない……な、なにを……!?」

「なにをって、当たり前のことを聞くな」


 人々は、笑って、邪竜に言いました。


「友人を助けるのは、当たり前のことだ」

「……阿呆が」


 血に混じって、透明な宝石が、龍の眼尻から流れ落ちました。


「阿呆の……人間どもが……」


 邪竜と人間が心を合わせて戦っているその時、塔の中を駆け上がった騎士は、顔を下げて、座り込んでいるお姫様を見つけました。


「姫!! 助けに来ました!!」

「…………」

「姫ッ!!」


 俯いたままのお姫様は、顔を上げようとはしません。


「いいのです、もう。わたしの役目は、終えました。貴方と龍のお陰で、国庫は、それなりに潤いました。アレを元手に商売をすれば、我が国の窮状も、どうにか耐えしのぐこともできましょう。

 可能であれば、もう少し、格の高い相手に嫁ぎ、契約金を得たかったのですが」

「……ふざけるな」

「え?」

「ふざけるなッ!! 僕のこの心はどうなる!? ココで死なれたら、僕の恋は、生涯実ることはない!! 龍にはじめて芽生えた恋心はどうなる!?」


 最上階の窓から、お姫様は、見下ろしました。


 そして、自分たちのために、戦い続けている血まみれの龍を視やりました。彼のその献身を見つめ、彼女の目には涙が浮かびます。


「わ、わたしは……わたしは、ただ、美しいだけの傀儡です……そして……」


 お姫様は、焼け焦げて、醜く黒ずんだ顔を晒しました。


「もう、わたしは、美しくもない……なんの価値もありません……醜くて汚らしい、金の亡者なのです……ロイド、貴方が愛してくれたわたしは……もう、いないのよ……こんなにも焼け焦げてしまったら、笑うことすらできない……」

「なにを仰るのか、貴女の笑顔はココにある」


 笑いながら、騎士は己の胸を叩きました。


「貴方は……貴方たちは……なぜ、わたしを、愛してくださるのですか……なぜ……?」

「知れたこと」


 騎士は、微笑んで答えました。


「貴女の平手ほど、骨身に染みるものはない」

「……バカですね、本当に」


 お姫様を抱え上げた騎士は、窓に片足をかけて叫びます。


 心の限りに――叫びました。


「龍よ!!」


 応えるかのように、龍は、どこまでも高く飛翔しました。


 そして、騎士と姫を背に乗せて、飛んでいきました。闘争の火種を失った人間たちは、争うのをやめ、村人たちは、手を振って彼らを見送りました。


「「フィオナ姫」」


 雲と雲の合間を飛びながら、騎士と龍は、同時に言いました。


「「貴女を愛しています、結婚してください」」


 泣きながら、ただ、自分の価値を、美と金でしか計算できなかった彼女は――はじめて、己を求められていることを知って泣きました。


 そして、最後に、焼け焦げた顔の皮膚が固着する前に――一度限りの、微笑みを浮かべました。


「わたしも、貴方たちを愛しています」


 こうして、騎士と龍は、お姫様と結ばれました。


 口の達者なお姫様の尻に敷かれながらも、なにかと喧嘩をする騎士と龍は、笑い合いながら助け合いながら幸せに暮らしましたとさ。


 めでたしめでたし。

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― 新着の感想 ―
[一言] いい話だぁ‼︎
[良い点] この話しめっちゃ、好き。 童話とライトノベルの間くらいでとても読みやすいし纏まっている。好き。
[良い点] 最後に真実の愛を知る姫に感動しました。面白かったです
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