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05 秋高し



「飛び込まなかったら良かった」


 俺は身体をタオルで拭きながら言う。

 水の中はとても冷たく、身体の震えがとまらない。


「めっちゃ冷たいね!」

「冷たいどころじゃない。シベリアかと思った」

「シベリアよりは暖かいでしょ」


 鞄に入れて持ってきた下着と素早く着替える。

 彼女とは反対方向を向いていた。


「でも、やらなくて後悔するよりも、やって後悔する方がいいって言うよ」

「それは一理あるけど」

「着替えたら、すぐ登ろ」

「分かった」


 着替えを終えて歩き出す。

 川沿いに下流に向けて進み、登山道のある場所まで戻ってきた。

 ここからは本格的な山道だ。


「この道、佐藤くんは登ったことあるんだっけ?」


 彼女は左手の木々を見ながら俺に問う。

 右側には一歩でも道を踏み外すと、転げ落ちてしまうくらいの急な坂になっている。


「うん。小学生の時に学校で行ったことある」

「それからは登ってないの?」

「ないよ」

「道は大丈夫? 覚えてる?」


 彼女はこちらに振り向いて、ジト目で俺を見てきた。

 俺は多分一本道だから大丈夫、と多分にアクセントを置いて答える。


「もう……ちゃんと調べたら良かった」

「今からでも調べる?」


 俺はスマホを取り出して言う。

 彼女は手の平を俺のスマホに押すような仕草で留めた。


「まあいいや。この道の通りに歩いていったら遭難する事はなさそうだしね」


 彼女はそこで一息置き、笑みを浮かべる。


「もしかしたら展望台のある公園には行けないかもしれないけど、手探りで山を登っていくのって楽しくない?」


 わくわくするような期待を持って、彼女は言う。

 余りにも楽しそうに言うもんだから、俺の目線が自然と彼女の方に向いた。


 爽やかな笑顔。

 にっと口角を上げた口元からは、白く綺麗に整った前歯が見える。


「そうかも。まあ俺は何回か登ったことがあるけど」

「えー! でも曖昧な記憶なんでしょ? 小学校の時の話だし」

「うん」

「それはだいぶ怪しいよ」

「そうかな」

「もしかしたら遭難するかも」 

「そうなんですか」 

「そんな無気力にさらっと駄洒落を言わないで」

「ごめん」 

「いいよ」  

「ありがとう」

「どういたしまして。あ! あそこに熊に注意の看板がある」


 彼女は熊の絵が描かれている看板を指差す。

 そこには熊の出現に注意するように書かれていた。


「この山、熊もいるんだね」

「まあ山だし」

「この辺の地域はよくイノシシが出るよね。道の途中によく糞が落ちてる」

「そうだな。一回山から下りてきたイノシシを見たことがある」

「そうなんだ。まあだからさ、熊がいるとは思ってなかった」

「確かに。熊が下りてくるのは中々ないからな」

「そもそもだけど、熊に注意って何に気を付けたらいいんだろう。現れたら終わりじゃない?」

「終わりでは無いと思うけど。まあ現れたときの覚悟をしておけ、とか」

「ふふ、確かに覚悟は必要かも。私たちも覚悟をしなくちゃいけないしね」

「……ああ、そうだな」


 彼女の言う覚悟とは、この世界の終焉に他ならない。

 この地球は一週間後、正確には六日後に隕石の衝突によってなくなる。

 もちろん地球の中に住んでいた生物は皆揃って死ぬ運命だ。

 彼女は何を覚悟するのか、そしてそれは覚悟できることなのか、俺は何も知らないが。


「取り敢えず、さっさと登って頂上まで行こう!」

 

 彼女は明るく、朗らかな調子でそう言った。


 俺には彼女が、そういう調子に聞こえるように、《《努めて》》言っているみたいに聞こえた。

 これが彼女の素なのか、それとも。

 彼女が歩くペースを少し早める。



 昨日よりも口数が多く、テンション高く楽しげに話す彼女が、何処か無理しているように感じるのは俺の気の所為だったらいいなと思いつつ。

 でもこの終わりかけの世界で、不安な気持ちを持っていないなんていうこともおかしな話だと考えた。


 俺は彼女、藤原楓と恋人になったが、それは形だけのもので、彼女のことは何も知らないんだなと感じる。

 当たり前の話ではある。

 出会ったのはつい先日のことだからだ。


 しかし、それじゃあ恋人って何なんだ。



「ペースは上げないでくれ」

「置いてくよー」


 彼女の声が遠のいていく。俺は急いで彼女の後を追った。



 段々と急な坂になっていく砂利道。

 ドングリや松ぼっくりが落ちている。

 明らかに怪しい色のキノコを見つけて二人で笑う。


 

 秋高し。澄んだ空気を俺は味わった。

 紅葉した木々の隙間から太陽の光が射し込む。

 赤と黄に染まったイロハモミジ、ブナ、カラマツ、シロモジ、コアジサイ、チングルマ。


 壮観な眺めを見ながら、俺は彼女と夜景を目的に山を登っていく。

 それから四時間程で山頂に到着したのだった。






――――――――








 登山道を登り終え、そこからまた暫く歩いていると、公園が見えた。

 展望台広場だ。開けた場所にいくつものベンチが置いてある。

 奥には展望台があった。数人の人影も見える。


「行ってみよっか」

「うん」


 彼女の提案に俺は頷く。

 展望台の柵に近付くにつれて、思わず声を出してしまう。


「わぁ――」

「凄い」


 それは彼女も同じだったようで、二人揃って歓声を上げた。

 展望台から見下ろす景色。沈みかけの夕日が街を照らしている。

 無数の建物と青い海、そして雲一つ無い空。

 俺と彼女はまだ夜景でもないのに関わらず、只々その景色に見惚れていた。


「……綺麗だね」  


 ぽつりと彼女は言う。

 俺は小さく相槌を返した。  


「こんなに綺麗なんだ」 


 思っていたよりも綺麗な眺めだったのか、彼女はその場に立ち尽くしている。

 俺と彼女は柵の前に二人横並びになっていて、少し横を見るだけで彼女の横顔が見えた。

 彼女の顔の輪郭はとても繊細で、火照った頬と合わさり、素朴な美を感じさせる。


「近くに住んでたのに全然知らなかった」

「うん」


 自分の家から見える景色も良い眺めだが、この山の上からの圧巻な景色には到底敵わない。

 建物一つ一つがとても小さく見え、街全体から海を挟んで対岸の建物まで見通せた。


「家族で見たいなあ」


 彼女が呟くように言う。

 それがとても繊細で、悲痛な叫びに聴こえた。


 俺は彼女が泣いているのに気づく。

 彼女の頬に雫が落ちる。


「家族で見たかったなあ」


 彼女は両手で止めどなく流れる涙を拭う。

 美しい顔がくしゃりと歪んでいた。


 泣き続ける彼女に、俺はただ横にいる事しかできない。

 太陽が沈んでいくと同時に気温が下がるのを俺は感じた。


 

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