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「何が、何が起こっているのだ!グレイ、説明しろ!何故……」

 肥満を極めた、醜い体躯の男が唾をまき散らしヒステリックに叫んでいる。その光景は直視しがたいほどに醜悪極まるものだ。何が最も不快かといえば、その醜い男が、公的には私の主だということだった。

 私は極めて穏やかな忠臣の顔で、彼を落ち着かせるべく現状を報告する。

「落ち着いてください主。子供は所詮子供ですからすぐに見つかります。門から逃げ出した人間はいないのですから、必ずこの屋敷内の何処かにはいるはずです」

 あの少女の発言一つで、この屋敷は大きな危機に晒されている。自分たちの足場が、小娘の発言一つという簡単なことで壊れていく感覚に、子爵はパニックに陥っている。

『ベータ子爵!貴様お嬢様を奴隷にするなどふざけたことを!許さないぞ!伯爵家が黙ってはいないからな‼』

 誘拐を命じ連れてこさせた子供たちの中に、あの少女の言う「伯爵家」の「お嬢様」がもしも本当にいるのなら。我々から二日も逃げきって見せている彼女なら、その人物だけでも逃がすことが出来たはずだ。だがこの屋敷から出た人間は一人もいない。

 あの白髪の少女の発言以降、屋敷の門から出た人間は一人もいない。それは屋敷で雇っているメイドや兵も同様であり、この屋敷内で起こったことが外に漏れるのを防ぐためだ。外壁全てを監視しているわけではないが、まさか建物二階分の高さの外壁を登る者はいないだろう。

(しかし……何故あの子供は逃げ回っている?)

 そう。逃げようとするのなら簡単に捕まえることが出来る。そもそも子爵の部屋前までの侵入を許したのも、あの子供が逃げようとはしていなかった為だ。

 ならば考えられるのは、あの激高した様子が、刃物を振り回していた姿が虚構であるという可能性だ。こちらの可能性の方が現状高いと言える。何故なら我々は、攫ってくる子供たちの身辺調査を怠ったことはないからだ。

 だが幾ら考えても——そのような嘘を吐く理由があるとは思えない。

「なら即刻見つけろ、この無能!いや、駄目だ、もう遅い。なんてことだ……この家紋は」

 戦慄いた声に、男の様子が妙だと感じとる。これまでは慌てていても、その顔には無駄な自信と傲慢さが透けて見えたものだ。しかし今、男の表情は哀れなほどに青白く、体はひきつけを起こしたかのように震えてしまっていた。

「……主?そちらの文に何か」

 その手に握られているのは他領の使者により送られてきた書状。今朝方私自身が門にて受け取ったものではあるが、主宛の文を従者の私が見るわけにはいかない。当然私はその内容を知らなかった。

 しかし己宛に送られてきているはずの書状の封を、主は一向に開けず。視線はただ一点、ただ狂ったように震えた指先にある、封蝋印に刺さっている。それを盗み見ると、その独特な紋様が強く印象に残る。

(竜胆の花に……剣ではなくナイフ……?いずれにせよ見覚えはない、が)

「主、お気を確かに。情報統制は万全でございます。誰一人この屋敷から出ていない以上、貴方様が害されることなど有り得ません」

 そう、何度か繰り返した言葉を告げる。最も手っ取り早く彼が安心する言葉を。

 しかしこれまでは丸め込まれてくれた主は、その言葉で決壊したように顔に血管を浮かべ、蒼白だった顔を怒りで真っ赤にしながら叫んだ。

「この——無能が!ならば何故あのラグラシアタから文などが来るのだ⁉」

 ——ラグラシアタ。

 その単語に、一瞬で背を冷たいもので撫でられたかのような悪寒と、本能から湧き上がる嫌悪感、恐怖が走り抜ける。

 見たことがないはずだ。その単語に聞き覚えこそあっても——その名の貴族家から、正式な文など来るわけがないのだから。

「な……」

 やっと絞り出した私の声は、目の前の男と同程度に怯え、掠れ——混乱していた。

「何故……、あの、死神貴族から……⁉」

 ——ラグラシアタ伯爵家。

 ベータ子爵家よりも高位の、代々王室に仕える人間を輩出している伝統ある上級貴族。誰もが知る高名な血筋。……だがその名前が社交界の噂話や話題に上がることはほぼ有り得ない。死神貴族と忌み畏れられているその伯爵家が、そういった華やかな催しにおいて目立つことはない。

 代々王室に仕えている、かの一族に任されている仕事は罪人に関する刑罰と執行。つまり罪人である、と王に決められた者のその後の刑罰のほぼ全てを決める立場にあるのがラグラシアタ家だ。

 本来使者が罪状と共に連衡し、王城のしかるべき場所で刑罰は告げられる。だがこの国で権力を持つ貴族はその例に当てはまらない。通常まず王城への呼び出しがかかり、その後一月以上をかけて周辺を洗い、確たる証拠を以って罪と刑が確定する。

 だがこの書状は、そういった段取りを全て飛ばして送られてきている。——つまり、

「ラグラシアタから直接来る書状——これが、この惨状が漏洩しているという証拠以外の何だというのだ!」

その家紋入りの書状を送られた貴族家は除籍——死刑が確定した、ということを意味していた。

 爪を伸ばしていて良かった。短かったら更に時間がかかっていたし、きっともっと痛かった。

「……痛い……」

 それでも。剥がした後のこの痛みは変わらなかっただろうが。

「痛いわ……泣いてしまいそう」

「………何なんだ、お前」

「あら……まだお喋りが出来たのね。偉いわ」

 とはいえ、彼も長くは持たないだろう。両足からの出血は意識を失わせるには十分だ。このまま流し続けたら死ぬだろうが、まあそれまでには渇くだろう。

 この二日、屋敷の中で出会った敵対する人間全てをこうして無力化し続けてきた。主に一人の時を狙い、時に罠を張り、時に後ろから足の健を切り、時にこうして奪った銃を使った。……銃というものは意外に反動が大きく、傷が痛むから止めようとは思ったが。

「しぶといご褒美に少しだけ会話して差し上げましょう。どうせ貴方がたは死罪でしょうしね」

 これから死ぬ人間ならば、殺してしまってもよいのではと思うが、利はないだろう。損ばかりだ。

「…………お前、何が目的なんだ」

「そうですね……一先ずは、身の安全の確保でしょうかね。その為に貴方がたのご主人様には罪人として罰を受けていただく必要があるのです」

「馬鹿な……!子爵が罰を受けることなど……」

「聞かされていませんか?……余程ショックが大きかったのでしょうね。それにしても部下に待機指示くらい出していてほしいものですけれど」

 “書状”が子爵の部屋に届けられたのを確認したのは今朝のこと。それ以来、兵たちをまとめていた大柄な男の姿を見ていない。時間にして半日、あの部屋に籠城しているのか、主に折檻されているのか、それとも未だに茫然自失としているのかは知らないが、それでこうして余計な傷を負わせられる彼ら部下には同情しかない。

「子爵家は既に取り壊し——除籍と死罪が決定しています」

「な——」

「勿論ここに詰めている貴方がたも無罪というわけにいかないでしょう。……罪を知りながら、今まで何もしてこなかったのですから。同罪ですね。死罪でしょう」

 言葉を紡ぐたび、彼の顔面は色を失い蒼白に近くなっていく。これまでに幾人もこうして絶望するさまを見届けてきた。けれど彼らの反応は一様に同じだった。

 きっと理性では理解していた。命令された兵の中には、子爵の命令に逆らい、けれど外へ出ることが叶わず空き部屋に逃げ込んでいる者、反対に子爵の部屋へ訴えに行く者も多くいた。それでも一部、彼らが私を捕まえろ、という命令を無視できなかった理由は単なる思考の放棄だ。

 人に雇われ人に使われ、人並みの判断能力を欠如した言いなりの身分。それが生来か、この異常な屋敷で歪められてしまったものなのかは分からない。

「貴方がたは……哀れですね」

 命じられ、受け入れ、流されて、疑問も持たずに行った行為の果てに処刑される。

 責任だけを命じた者が持っていくと信じた、中身だけが幼子のような大人たち。

「……まあでも、いっそ死んでしまった方が幸せかもしれませんね?どう思います?」

「………どう、ざい?死罪……?そんな馬鹿な」

 何にせよ、やるべきことも、その結末も既に決まっている。

 私が行うのは——

「助かりたいですか?」

 意思を確かめること。そして——全てを救済することだ。

「全てを捨てて私に尽くす意思は……ありますか?」

 爪が剥げた右腕を伸ばす。私だけが見えていることを確認して、微笑む。

「さあ——ハッピーエンドを始めましょう」


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