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 今世、私が私という自我を認識したのは、母親の胎内から取り出されて間もないころのことだった。

 私は自らが転生体であるということを知っていた。だがそれは記憶からくる推測ではなく、私は私の中に組み込まれた知識としてそれを知っていた。奇跡の存在しないこの時代で、それが如何に理に反した事象であるかを理解していた。

 赤子の時期から泣きも喚きもしない人間など不審がられると懸念していたが、幸いだったのは両親と思しき人間たちが、生まれた私にまるで興味を抱かなかった点だ。私はまだ目も開きづらい時期に、所謂貧民街へと置き去りにされてしまった。

 廃棄物と死にかけの人間で埋め尽くされたそこには、捨てられた乳児を育てる奇特な人間などいない。皆が皆食べられるゴミと食べられないゴミを仕分けるので精一杯だ。無論赤子の私がそんな生存競争に参加できるはずもない。

 一人で立ち歩けるようになるまでは、ただ雨水を飲み、草や虫を食み、そして一人でも多くの人間に媚を売る。そうやって生きていた。

 貴族——そう呼ばれているらしい特権階級の人間が歩く大通りのゴミ捨て場へ向かえば、食べられるものも、読み捨てられた小綺麗な本の類もある。周囲の人間の目さえ無視をすれば、生きていくのにも教養にも困ることはなかった。

 あとは衛生問題だが、これに関しては耐性と知識を身に着けさえすれば、病気になったとして医者にかかるほどの大事になることはない。ゴミ捨て場で拾った布切れを水場で洗い整えれば服のように見せることも出来る。

 見た目と所作がまともであれば、買い物も仕事も出来るようになる。すれ違っただけの人間の目には、屋根の下で寝起きする一般市民——身分の階級で言えば平民の人間と、そう変わらないように見えるだろう。

 そうしてこの時代に生まれてから、九年が経過していた。

 事件が起こったのは、いつものように書物を読み漁り、それを需要がありそうな場所に転売しに行く道中のことだった。

「おい嬢ちゃん。貴族さまに仕える気はないか?」

 そんなことを道端で、何でもない子供に問いかける人間は、貧民街だろうと大通りだろうと大抵、売春の勧誘、もしくは人攫いだ。

 九歳の子供に前者はまずないだろう。しかし後者の場合、逃げるのは困難だ。声をかけた時点でそのターゲットの身辺調査は終わっていると見て間違いがない。この問いかけは単に、暴れられないのならその方がいいからというものだ。

 私の所持品は湿った本だけだった。更に筋肉が付きにくい体質に生まれた私に、問いかけた男とその後ろで控えている屈強な男たち3名を同時に相手どり逃げる、もしくは捻じ伏せるのは難しい。

「……勧誘ですか?光栄です」

 騙されたふりは予想外に難しかった。私は演技が得意ではないらしい。付いて行った馬車の中で結局拘束されてしまった。

 老朽化の激しい馬車に揺られ到着した場所が、私の暮らしていた貧民街とは違う街、違う領主が治めている土地だということは、目隠しをされ連れていかれた馬車の移動時間から察しはついた。しかしそれでも驚いてしまったのは、私の誘拐を命じた罪人が、同じ国に住まう貴族さまだったことだ。

 貴族制、君主制を採用しているこの国、「ジニア」では、しかし奴隷は禁止されている。違反すれば身分に関わらず極刑となるほどの重罪になり、またそれがこの国の人間の希少性、市場価値を高めている。それこそ私のような浮浪児でも高額で取引されてしまうほどに。

 故に他国の人間の手による誘拐事件こそ珍しくはないものの、自国の人間の手によるそれは表沙汰になるほど多くはない。表沙汰にならない理由としては、その大部分が貴族の手による、身寄りのない平民を攫ったものだからだ。

 そして現在——私はこの暗く黒く、淀んだ部屋に監禁されていた。

 明かりも、窓すらない黒い部屋。塗料によって床から天井まで黒く塗られているために、明かりなしでは壁や扉が木製であることに気付けない。

そう広くもない部屋の中には、詰め込まれたように子供たちが収容されている。彼らは私と同様、両腕を上体ごとまるで拷問のように吊るされ、両足は重い枷に繋がれている。頑丈な鎖がそこかしこに伸び、錆びたような不快な音が彼らの希望を削いでいく。

「………………痛いわ」

 しかし手枷を外すことは造作もなかった。関節を外しさえすれば鉄製のそれなど容易い。だが同じくこの部屋監禁されている他の子供たちに、同じことをさせるのは難しいだろう。彼らの目には、見るからに深い絶望が覆っている。

 恐らく協力に期待は出来ないだろう。道具も何もない状況では、彼らの枷は私には解けないし——今の段階では、彼らの心の傷を癒すことも難しい。

「……全く。ろくでもない世界——そう思いませんか?」

 窓のない黒い部屋の中、響き渡らせるように声を出した。しかし、帰ってくるのは沈黙と怯えたような息遣いだけだった。

彼らは、最早逃げようとすら考えていない。ただ現状を受け入れ、諦め、絶望し、目の前で枷を外して見せた私がいても尚、思考を停止させ困惑している。

「…………。諦めているのなら、それはそれで構いませんけれど」

 私は一人喋り続ける。誰一人として声を上げない静寂の中、けれど視線は確かに私だけに注がれている。絶望だけが支配していた空間で、子供たちは微かに新しい感情を抱き始めている。

「私は——私にしか出来ないことを為すだけです」

 不安、恐怖、嘆き……そして僅かな希望の混じり始めた空間の中、しかし私たちの入ってきた扉の前に座り込んでいる少年だけは、空っぽのままの表情で、しかし義務だとでもいうように注意深く私を見つめていた。

 私よりも幾分年上に見える彼は、監禁された他の子供たちとは違い、吊るされず足は自由なまま手枷を前にされ、しかし他の子供たちには付けられていない口枷を装着されている。だが顎と鼻を無理矢理固定し口を強制的に閉ざすそれは、色白で儚い彼の容姿にはそぐわないように思えた。

 彼は恐らく見張り用の——既に奴隷として買われた人間だ。彼を見下ろすように私は彼の目の前に立った。

「……通していただけますか」

 と、口に出すと、ざわりと空気が震えたのを感じる。息を呑む呼吸音と体が恐怖で震える音。少年は無表情のまま、立ち上がった。

「……………」

 今度は見下ろされる。首を振った少年は、少しも表情を変えず。手に握ったままのナイフを私の首元へ突き付けた。

「……………」

「……ええ、脅しではないのでしょう。分かりますよ。知っています」

 この部屋で目が覚めた時から感じる悪臭。それは子供たちの体臭もあるが、それ以上に床にこびりついた血液や吐瀉物や排泄物の混ざりあった臭い。この部屋でこれまで何が行われてきたかなんて、聞かなくても分かっている。

 逃げ出そうとした人間がどうなったかなんて、そのナイフに深く染み込んだ錆が教えてくれる。

「けれど」

 ナイフにそのまま手を伸ばし——掴んで、彼の身体を引っ張る。一瞬、無表情の中に少しの動揺が混じった。

その好機を見逃さずもう片方の腕で口枷を掴み、足を払い、持ちうる限りの力で押し倒す。大きな音と共に倒れた彼の重心に膝から飛び乗れば、私と変わらないくらいに筋肉が付いていない彼は身動きがとれなくなった。動揺と衝撃の隙にナイフを回転させ、少年の顔の真横に突き刺してみる。

「貴方に私は殺せません」

「……………」

「………無言ですか」

 脅かしたつもりだったのに、とナイフを離す。少年は変わらず表情のない目で、ぼんやりと私を見上げていた。

両手を封じられている彼に既に碌な抵抗は出来ない。しかし私が立ち上がると同時に、彼も立ってしまうだろう。どうしようと逡巡していると、自分の履いていたスカート(もどき)が破けていることに気が付いた。

 跨ったまま、スカートをナイフで切り裂き、それで彼の足を拘束する。ようやく立ち上がり部屋を見渡すと、拘束されたままの子供たちは、先程よりも幾許か感情の入った顔をしてこちらを見つめていた。

 それでも希望は持てない、私の行動に驚きこそしたものの期待は出来ない。どうせ殺されるだろう、そういう顔だった。

 安心させたくて、喚かれたくなくて、落ち着かせたくて、私は、笑って言う。

「大丈夫です。必ず救って差し上げます」

 彼らが今、私の心配をしているのは知っていた。引き留めるだけの声を出す力もないことを、救われたいと、逃げたいと、生きていたいと願っているのを知っている。

「……ナイフ、借りますね」

 床に突き刺したそれは先端こそ折れてしまったものの、鉄よりは頑丈な素材で出来ているようだった。

 見張りが中に存在していることから気が付いていたが、この部屋の扉は木製なのもあってこの時代の建築物にしては脆い。塗りつぶされた黒い壁を見るに、元々はこのような……監禁を目的とした用途で作られた部屋ではないのだろう。

 これならば、このナイフで簡単に抉じ開けることが出来る。ナイフがなければ幾度か体当たりを繰り返していたが、その際に生じるだろう長時間の騒音というリスクはやはり私の身の安全を危険なものにする。

「——ふ」振りかぶり、木目の隙間に入らせる。方向を変え幾度か繰り返すと、さして大きな衝撃もなく、ただガキン、という一瞬の音がして、外に取り付けられた錠が床に落ちる気配がした。

 扉はギィ、と歪な音を立てあっけなく開く。久方ぶりに浴びる明かりに少しよろめきつつ、私は振り返らずに外へ飛び出した。


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