ファンタジー物語を考える ~モンスターの扱いから始まる徒然な雑思考~
剣と魔法のファンタジー世界、人間の敵対者としてモンスターがいる世界って好きなんだけど。
この「モンスター」の扱いが、少年漫画の王道的な面白い物語っていうのを考えるときに、どう扱うべきなのかと考えてしまう。
少年漫画的な対立では、敵対者は人間(人格を持った存在)であることが面白いドラマを構成する要件になる。
だから敵対者はモンスターでも魔王、デーモン、悪魔、魔王軍四天王みたいな形にして、人格を持たせる。
ダイの大冒険とか見ていても、まあこれが基本形なのかなとは思う。
逆に人格を持たないモンスターというのは、「やられ役」「モブ」に適している。
ただじゃあ、主人公に与えられる「試練」みたいな形で、突破すべき目標としてしまえば、人格を持たないモンスターも面白い物語の敵役たりえるのではないか。
困難→踏破→成長。
これは面白い物語の定番たりえる。
ただなぜ困難に挑むのかという点にやはり人間ドラマが必要になってくる。人間社会の中での軋轢はやっぱり必要。
以前にRPGツクールで作ったRPGのシナリオでは、主人公は妹(生まれつき盲目)の目に光を取り戻すために、奇跡の薬草を探しに秘境へと向かう。
この際、道中で出会うモンスターというのは「試練」「障害」の立ち位置だ。
試練、克服、成長。
これの繰り返しは面白い物語たりえる。
これに加えて、ともに困難を乗り越える仲間との友情や絆の物語も入ると彩りが増す。
その過程でのわずかな「仲間の死」も、物語に強い力を与える。
努力、友情、勝利。
この場合の「努力」は、地道なトレーニングなどを指すのではなく「困難に立ち向かうこと」を指すと見るのが妥当か。
こういった重たい種類の物語を作る際には、主人公の物語に挑む動機・目的の強度が重要になる。
「仲間の死」という代償を乗り越えてでも手に入れなければならない何かでなければ、その物語の意味そのものが問われてしまう。
(面白い物語と現実とは違う。そんなナンセンスさもまた現実だ、では面白い物語にはならない)
多分、主人公の目的がそれだけの強度を持つには、個人の欲求だけでは難しくて、「大義」などといったものが必要になってくるかもしれない。
ここに物語の「テーマ」が乗る、重なるという事象が起こると、物語はさらに深みを増す。
この場合、「努力、友情、勝利」がテーマということになるのかもしれない。
他人を巻き込まない、主人公のみで立ち向かって克服する苦難であれば、主人公の目的は大義でなくとも格好がつく。
主人公の個人的な欲求や願望でも構わない。
テーマというのは、その作品の世界観、あるいは正義観と言い換えてもいいのかもしれない。
「努力、友情、勝利」をテーマにした作品は、「努力、友情、勝利」という正義観を好む読者さんにピタッと嵌まって、気持ちよく読める。
でも「『努力、友情、勝利』なんてのは嘘っぱちだ。そんな考え方には触れるだけでイライラする」という読者さんには、そうした世界観・正義観を持った作品は適合しない。
いわゆる「なろうテンプレ」と呼ばれる作品に忌避感を持つ読者さんも、逆の意味でそうした種類の作品が持つテーマや正義観に対して苛立ちを覚えているのだと思う。