第4話 酒と会話の濃さは反比例
飲みニケーションという言葉がある。
大体の意味は「酔った勢いに任せた会話」だ。
別に仲良くもない相手と話すときは、飲みニケーションが役に立つ。
酒の席での会話などわら半紙程の薄さを呈するが、変に縁が生まれるよりはマシだ。
「兄ちゃん。中々話が分かるじゃねぇか。
明日、競馬でも行こうや」
「嫌だ」
何故僕は平日の夜更けに、見知らぬおっさんと飲みニケーションしているのだろうか。
■第4話 酒の濃さと会話の薄さは反比例する■
「なんだ、付き合い悪いな」
「アンタと違って社会人なんで……」
「いいじゃねえか仕事ぐらい、星の数ほどある」
「辞めたくないから断ってんだよ」
時刻は10時を回った。ここは都内の端の居酒屋の隅。
目の前でグラスに残った焼酎を啜るおっさんが今回の感染者。
年は50前後だろうか、釣り用のジャケットを着た小柄な男だ。
任務要請自体は昼過ぎにあったのだが、このおっさんがちょこまかと移動し続けた為、発見したのは日が沈み始める頃だった。
さらに、事情を説明すると「飲みに付き合ってくれたら行ってもいい」などとワガママを言い始めるものだから、こちらも大変しょうがなく、業務の一環だからと渋々、おビール様を仰がせてもらった。
青少年諸君、仕事中に飲むビールは旨いのだ。覚えておけ。
しかしそんな喜びも束の間、目の前のおっさんは酒が入ると延々と管を巻き続けた。
過去の苦労話や自慢話の連続で僕はすっかり辟易し、2杯目のハイボールを飲みながら、その管で自分の首を締めてしまえばいいのに、とも強く思った。
ちなみに共に任務に就いているメイリは、僕の横でアセトアルデヒドいっぱいの夢の中に退避している。
僕も逃げたい。しかし、そんな些細な願い事もナギさんにNGを受けた。
しかし、彼の話を聞きながら、僕はあることに気がついた。
このおっさんは寂しいのだ。いや、この国のおっさんは皆、胸の内に寂しさを秘めているのだ。
仕事場では若い部下にうざがられ、家庭では妻や年頃の子供に邪険にされる毎日。
おっさんが、おっさんが何をしたって言うんだ!
とも考察したが、話を聞くうちに、このおっさんは独身で定職にも就いていないと知り、殺意が再燃した。
しかし、おっさんに対する秘めた殺意を決して表に出さないのが社会人である。
それを隔てているのは、燃えやすいわら半紙一枚なのであるが。
「まぁ、仕事を辞めたくないってのは、いいことだ。
俺ァすぐ辞めたくなっちまう」
「だから無職なんでしょ?」
僕がそう言うと、おっさんは鼻を鳴らして笑った。
「無職はいいぞ、昼間っから酒が飲める!」
「そりゃ羨ましいけど、僕はコーヒーがいい」
確かに働かなくていい暮らしに憧れはするが、それには「働かなくても暮らせていける余裕を持った上で」という条件がついてまわる。明日の生活に不安を抱いて生きたくはない。
だから、宝くじが当たったら仕事なんていくらでも辞めてやる。
「ま、アンタにゃその方が合っとると思うよ。
ムリヤリにでも職に就いてないと野垂れ死にしそうだ」
「どういう意味だよ」
「真面目だってことだよ。若い子はみんな」
お聞き頂いただろうか。これが俗に言う「最近の若いもんは」である。
ニュアンスは少し違うが、言いたいことは同じ。
おっさんたちの世代にとって、「真面目」というのは褒め言葉ではなく、「遊び方を知らん奴」だ。
遊び方など時代によって変わるというのに……。まぁ、つまるところ自分の生き方・考え方を肯定したいだけで、深い意味など伴っていない。氷が溶けたハイボール並みに薄い。
「違うね。おっさんになると悪ガキに戻るんだよ」
「ああ、それは……かもしれねぇな。
んで、ジジィになったらまたオシメして過ごす様になるってな」
「歳は取りたくないなぁ」
「でもな、歳取れるってことは幸せなんだぜ?死んだらそのままだ」
「かもしれないな」
──お気づきだろうか。先ほどからのこの会話の薄さ。
──二人とも顔や態度に出ないので伝わりづらいが、相当量のアルコールが入っており、彼らの視界には、もはや酒グラスと萎びた大根おろししか映っていない。
「……この酒飲んだら出よ。そこのネーチャンも起こしとけ。俺ァ便所」
「滑るから気ぃつけろよ」
「そんな歳じゃない」
そう言って便所に入ってゆく彼は放っておき、僕はメイリの肩を叩いて起こす。
酒のせいで睡眠が浅かったのか、彼女はすぐに目を覚ました。
「あれ?ここどこ……?」
「居酒屋だよ。最初の」
「え?居酒屋……?うそ、4時間も居たの?」
「居たんだよ。不幸なことに」
「不幸ってなんだ。俺は楽しかったぞ?」
おっさんの小はメチャクチャ早かった。恐らく手は洗ってない。
「そりゃ良かった」おっさんには適当にそう返すと、車のキーをポケットから取り出してメイリに渡した。「金払っとくから、パーキングから車出してきてくれる?」
「いや、私も酒飲んでんだけど?」
「……あり?」
「……酒臭さ、結構酔ってんね」
その後、結局本部までは電車で送ることに決まり、僕らは店を出た。
秋のヒンヤリとした夜風が酔って火照った身体と心に染みるので、軒先にあった自販機でコーヒーを買ってカイロ代わりに手の中で転がしていると、メイリが何やらおっさんに話しかけていた。
「ところで、おっさんはどんな症状だったの?」
「症状?なんじゃそら?」
おっさんはぽかんと口を開けていた。別に可愛くはない。
「あれ?テンキ最初に話したよね?」
そう言ってメイリが僕を振り返ったので、あまり動いていない脳みそを回す。
「確か……あ……あー。っと、『判断力と短期記憶能力の低下』」
「なんだ、ずっと酔ってただけ?」
簡単に言ってくれる。酔ったおっさんの相手ほど面倒くさいモノはない。
法人税の納付手続きよりよっぽど面倒くさい。
「それにしても……だ」
そんな自分の苦労も知らず、おっさんは懐から取り出したタバコを咥えると、腔内で遊ばせた煙を吐きながら言った。
「兄ちゃん。中々話が分かるじゃねぇか。
今度、競馬でも行こうや」
「嫌だ」
おっさんは鼻で笑って、なんとも美味しそうに煙をくゆらせる。
紫煙が夜の街に独り消えてゆく。