第3話 あの日感じた尊みの深みは誰も知らない
世の中には様々な人間がいる。
国や文化、宗教、政治、あるいはスポーツ、甘い卵焼きの是非、ハンバーガーにおけるチーズの位置。
一人ひとりが異なる価値観を持っている。
客観的に見れば下らないことでも、人によっちゃそれ自体が宝物だろう。
しかし、人生はいつだって主観で進んでいく。自分の見たい未来に向かって歩んでいくべきだと、僕は思う。
……んだけど、どう?」
「いいんじゃナイ?好きなもの見れバ。
でも流石に☓☓モノのAVはない」
日差しが温かい秋の午後、僕はレビィと共に任務に就いていた。
感染者は20代の女性。現在は自宅に居ることが確認されている。
「いや、だからさ。昨日はそういう気分だっただけだよ。
別に☓☓モノばっかり見てるわけじゃない」
こんな時代にもDVDはある。
そしてDVDがあるということは、そーいう書店も残っている。
流石にオンデマンドサービスや映像ストリーミングが跋扈する現代では風前の灯火だが、閲覧履歴が残らず、情報流出のリスクが少ないという利点がDVDにはある。
しかし、ピンクと黒の淫靡な暖簾を出た瞬間に知人と鉢合わせてしまえば、そんな些細な利点など吹き飛んでしまう。
「なんでレビィが居たんだよ。あそこは男の聖地だぞ。それにお前未成年だろ?」
「あーいう所は古いマンガとかアニメとか、意外と掘り出し物が多いんだヨ。それに未成年かどうかなんて、店員さんわかんないでショ」
「店員さんビビってたぞ」
そうこう言っている内に、僕らは感染者が住むというマンションにやってきたのだった。
呼び鈴を鳴らす。しかし、反応はない
「留守?」
「いや、GPSはここで合ってる」
「もう一回押してみたら?」そう言って今度は彼女が呼び鈴を鳴らす。「スイマセーン。行政の方カラ来たんですケドー」
「それめちゃくちゃ詐欺っぽいから止めたほうがいいよ」
しかし、そんな僕の指摘とは裏腹に、彼女が呼びかけるとすぐに扉の鍵を開ける音がした。
もしかしたら、今回の感染者は騙されやすい人なのかもしれない。
すると、女性がメガネとマスクで隠した顔を扉の隙間から覗かせた。
「……い」
「あ、すいません。自分たち国の情報局ってところから来たんですけど……」
そこまで言って、僕は彼女の眼鏡に光る涙を見た。
「どうされましたか?」
「……尊い」
「は?」
聞き間違いだろうか。僕は聞き返したが、彼女は涙を流しながら「尊い」を繰り返すばかりだった。
「あの、確かに僕らは国から派遣されてますけど、身分的には同じですよ?」
「いや、多分そういう意味じゃナイよ」
「尊い」
レビィによると、オタクが「推し」に対して使う言葉らしい。
「推し」ってなんだよと言いたい所だったが、ソレを言うとオタクな彼女は熱く語り始めそうだったので止めておいた。
しかし、僕らは彼女の「推し」じゃない。むしろ「誰?」だろう。
「あ、そうか。コレが今回の“喰人”か」
「え?そうなノ?」
「尊い……?」
■第3話 あの日感じた尊みの深みは誰も知らない■
基本的に“喰人”の感染者には異常行動が見られる。
しかし、中には感染者の行動を制限するモノも存在するのだ。
「なるほど、好きなアニメを見ていたら、いつの間にか同じ言葉しか発せなくなっていたということですか」
「尊い」そう言って彼女は泣きながら首を何度も縦に振った。
あの後、筆談なら可能だと分かった僕らは、なんとか彼女の部屋に上がることに成功した。
ちなみに、この前の露出ブランコ男が特殊すぎるだけで、普段はこういった任意の事情聴取の後に保護する形が一般的だ。
それにしても、右を見ても左を見てもアニメ一色の部屋だ。様々な絵柄のポスターやらフィギュアやらなんやらが、独特の調和を織り成している。
レビィがなにやら目を輝かせてウズウズしているが、感染者は今コミュニケーション不全の状態だ。
僕は止めとけと彼女に釘を刺し、今回の事情を説明した。
“喰人”ウイルスについては、利権関係もあり、世間ではあまり報道されていない。
精々「インターネットには危険なウイルスが沢山いるので気をつけましょう」程度だ。
その為、彼女の頭には常に疑問符が浮かんでいるようだったが、状況が状況なだけに納得はしてもらえた。
「……というわけで、私達はアナタを保護する立場で参りました。身体の安全の為、同行して頂きたいのですが」
「無理……」
「え?」
「無理……」
何ということだ、断られてしまった。
いや、そうじゃない。この人喋れるじゃないか。
「え?どうしてですか?」
「しんどい……」
まさかの3単語目である。コンピュータでさえ0か1かの二択だと言うのに。こうなればもはや演算可能であるし、会話も可能なのではないか。
「体調が悪いということですか?」
僕はそう聞いたが、彼女は首を横にふって「尊い」と言った。やはり会話は不可能なようだ。
「尊い……無理……しんどい……」
「あの、レビィ。これはどういうことだ?」
「……分カッタ!」
そう言って目を光らせた彼女は、机の横に置いてある雑誌を手に取った。一体何が分かったのだろう。
「この部屋のポスターで一番目立つところにあるノハ、女性に大人気な二次元音楽プロジェクト“ヒプノシス”のリーダー“蘇我・嵐”!」
そう言われて、“喰人”の彼女は興奮気味に立ち上がった。
「尊い!」
「そして、今日はそんな彼らのライブが行われる日ナノダ!しかも30分後!!」
「尊い!」
「え?間に合わなくない……?」
僕がそう言うと、彼女は「しんどい」と再び涙を浮かべた。
「……恐らく、彼女はライブ抽選に落ちてしまったのでショウ。……心中お察しシマス。
だから、アナタは自宅ライブ・ビューイング組……違いマスか?」
(説明シヨウ!技術が進歩した今では、特殊コンタクトレンズを装着する事によって、自宅の座椅子に座りながらライブの臨場感そのままの映像を、楽しむことができるのダ!
しかし、技術がどれだけ進化しようと、生の興奮に勝るものはナイのダ!! by レビィ)
レビィが親指を立てると、それに合わせて彼女も「尊い!」とグッドサインをだした。
今の僕には理解できない世界が、そこにあった。
「ああ、なるほど。つまりこれからアニメを見るから、同行は出来ない……と」
「尊い!」
「惜しいデス!ワタシ達にとってソレはもはや“アニメ”ではナイ!人生デス!
……と彼女も言ッテマス!」
「いや、絶対言ってない」
僕は時計を見る。ライブとやらが始まるのが15時だから……18時には終わるか。
「分かりました。それではライブが終わり次第再度訪問します。
レビィ。ライブっていつ終わる?」
「23時」
「は?」
「23時ダト言ってイル!!そして同志たる私モ飛び込み参戦するゾ!」
そういうレビィはいつの間にかペンライトを持っている。どっからだした。ドラえもんかお前は。
「尊い!」
彼女もだ。既に心が通じ合っているではないか。これがコミュニケーション強者か。
「そして、お前もダ!!テンキ!!」
「なんで?監視役は一人でイイんじゃない?」
“喰人”の発見から保護までは、常に最低一人の監視を置き、決して“喰人”を単独にしてはならない。というのが部隊の規則だ。
「一人より二人、二人より三人で観たほうが楽しいじゃないカ!
お前も沼に引きずり込んでヤル!!」
「尊い!!」
「え?無理……」
しかし僕の抵抗は叶わず、ずるずると3時間後が経った。
その間、隙を見てナギさんに電話をかけて事情を説明したが、返事は「レビィ独りだと不安だから一緒に居てやれ」というものだった。
ため息を吐いて、暗い部屋の中でライブを鑑賞する彼女たちを見る。
「尊い……」「尊イ……」
二人とも、涙を流して、息苦しそうにしながら、同じ言葉を繰り返すばかりだった。
これでは、どっちがどっちか分からないじゃないか。
しかし、そこまで好きなものに入れ込み、突き進む彼女たちの姿を、どこか羨ましく思う自分がいた。
夢の終わりは彼女たちがペンライトを下げたときだけだ。
「……いや、でも流石に帰りたいんですけど……」
世の中には様々な人間がいる。
自分と違う価値観の人を蔑ろにしてはいけないが、自分と違う価値観の人と一緒にいるとめっちゃ疲れるのだ。