第1話 露出ブランコ男現る!(そして消えてゆく)
「また部隊が全滅した」
「また全滅しましたか」
「理解しているのか?」
「よく分かんないです」
「また、ハッカー隊がウイルスに感染したって言ったんだ!
今回は10人もだ!」
「いや、言ってないですよ」
僕の女性上司である志家凪はイライラしながらデスクを強く叩いた。
月曜の朝からそんなに苛つかなくてもいいのに、と目の前でヒールを鳴らす彼女を見ながら、僕はコーヒーを啜る。
紹介が遅れた。僕の名前は伊井典喜。同僚からは「テンキ」と呼ばれている。
さて、朝の弱っている頭に彼女のキンキン声は辛いが、不満を表明しても火に油を注ぐのは分かりきっている。
無駄な仕事は増やしたくない。社会人なら誰でも思うことだろう?
僕は上司の機嫌をとろうと、自分のデスクにマグカップを置いて、彼女に話しかける。
「ナギさん。今日のこけし頭、最高に決まってますよ。お人形さんみたい」
「あ?」
「すいません」
「私は今、虫の居所が非ッ常に悪い。理由を教えてやろうか?」
「別にいいです」
「今日事務所に来たらな、丁度電話が掛かってきたんだ」
「別にいいです」
「お前らはいつも始業ギリギリに来るか、遅刻するかだからな。私が取った」
「残りの3人は今日も遅刻ですね。電話は誰からでしたか?」
周りを見回して僕は軽く笑ってみたが、それは彼女の眉間に皺を深くするだけだった。
「全滅したハッカー部隊の1人だ。
頭がバグってたんだろう。いきなり私を口説いてきた」
「うわ」
「『あなたのこけし頭お人形さんみたいで最高だと思ってたんです』とな」
「マジすんませんでした」
「まぁ、さすがの私もキレて受話器を床に叩きつけた時、事務所のドアを開いてお前が来た」
「ああ、床に散らばってるプラスチックの破片は受話器の残骸だったんですね。
というより、部隊が壊滅したことに怒っていたんじゃ?」
「いや、アイツらは嫌いだったからな。むしろ清々した」
「あ、そうなんですね」
「アイツらエロ動画見ながら会議参加するような奴らだ。
全く……セキュリティ意識が足りない」
「もっと大事なモノが不足している気がしますが」
「頭にデバイスを埋め込んでいる男なら、視神経通さず、脳に映像を流せるからな。
バレないと思ってたんだろう。実際はログ情報でバレバレだが」
デバイスとは、パソコンを極限まで小さくしたようなモノだ。
これを人間の頭部に埋め込むことで、脳神経とインターネットを直接繋ぐ事ができる。
離れた場所にいる家族や友人と離すのに電話やスマホは要らないし、動画を見るのにディスプレイは必要ない。頭で思い浮かべた文章をそのままメールして送る事もできる。
まさに夢の機械……まぁ、技術を使う側の知能が追いついていないのはよくあることだ。
「バカなんですね」
「しかし、私達は感染する心配は万に一つもないぞ!
なぜなら、誰もデバイスを埋め込んでないからな!」
「お金ないだけですよね」
「インプラント代が高いのが悪いんだ。それに、なんか恐いじゃないか。頭を切るんだぞ?」
「いや、保険適用しますし、今どき手術痕も残りませんよ」
「お前だってやってないじゃないか」
「俺は宗教上の理由です」
「そうか」彼女は興味なさげに相槌を打つ。「まあ、そういう訳で私は怒っているし、他の部隊はバカばっかりだ」
「なるほど。僕がナギさんの立場だったら、この組織見限ってますね」
そう吐き捨てて、僕が朝食用に買っておいたバナナの皮を剥き始めた時、電話のコールが鳴った。
僕は素早くバナナを口に入れる。
それを見てナギさんは呆れたように電話に手を伸ばすが、その先に受話器はなかった。
先ほど彼女が自分の手で破壊したからだ。
身体が固まってしまっている彼女に、僕はバナナを頬張りながら子機を渡してあげた。
我ながらファインプレーだと思ったが、僕の手からそれを奪った彼女に「自分で出ればいいだろ!」と怒られた。
モノを食べながら電話に出るなんて失礼なんじゃないか、と僕は思うのだが。
彼女は鼻息を荒くして通話ボタンを押す。
余談だが、彼女は電話に出る時、全く声が高くならない。貴重な才能だと思う。
約1分の短い通話を終えると、彼女は「任務だ」とだけ言ってぶっきらぼうに子機を投げて寄越した。
「情報はお前の端末に送られている。途中でメイリと合流して、現場に向かえ」
「はいはい」
「『はい』は一回」
ナギさんに窘められながら、僕が事務所を出ようと準備を始めた時、長い金髪を揺らしたジャージ女が出社してきた。
「おはざぁ~す」
大あくびと共に挨拶をする彼女は「メイリ」こと狐野めいり。
現在20日の連続遅刻記録を更新中の彼女だが、ナギさんは特に彼女を怒ることもなく、ただ一言「任務」と命令した。
「えぇ?朝一で?怠ぅ」
遅刻しておいて生意気な事をぬかす彼女である。
「いいからさっさと行け。ランチ、奢ってやるから」
「まじスか!アザぁす!」
メイリが踵を返すように事務所を飛び出したので、僕も便乗してナギさんに「あざっす!」とお礼をして彼女の後を追った。
「お前には奢らんぞ!」と後ろから声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
今日は肉が食べたい気分なのだ。
このデバイスの普及で人々の生活は格段に便利になった。
しかし、急激に発展したその技術は一つの暗い影を落としていた。
自律型コンピュータウイルス──通称、喰人──の存在である。
“喰人”に感染した人間は脳がバグってしまい、異常行動を起こすようになる。
そうなった人間に対処するのが僕の仕事だ。
「確保、保護、削除。
それが私達、対ウイルス部隊『さだめ』のスローガンだ」
それが、初めてナギさんと会った時に言われた言葉だった。
「そのスローガンってパクリじゃないんですか?」
そしてこれが、初めてナギさんに言った言葉だった。
おっと、昔の事を考えていてもしょうがない。
閑静な住宅街の公園で僕たちは車を停めた。
「ナギさんからの情報によると、“喰人”に感染した人間はこの周辺にいるらしい」
「へぇ~、結構イイとこ住んでんだね。可哀想に」
そんな他愛もない話をしながら公園の中に入ると、僕たちの視界に、ブランコで立ち漕ぎをするスーツ姿の中年男性が映った。
映ってしまった。
彼は僕たちに気づくやいなや、猛スピードで前後に揺れるブランコの勢いを利用して、こっちにジャンプしてきた。
やめろ、そんな勢いで俺達の常識を越えてくるな。
「これが俺の全てだぁ!!」
間髪入れずに叫んだ彼は、着ていたトレンチコートをガバっと開いて、自分の秘部を露出させる。
顔が紅潮し、ハァハァと息を荒らげながら、彼は曇ったメガネを光らせている。
僕とメイリは非常識の連続で脳がフリーズし、ただ呆然と“彼の全て”を見ることしか出来なかった。
ちなみに、“彼の全て”は僕の一部よりずっと大きい。何故か哀しくなってきた。
僕が妙な敗北感に駆られていると、横にいたメイリがペタペタとサンダルを鳴らして男に歩み寄った。
女性に興奮したのか、男の呼吸はさらに荒くなり、満面の笑みを顔に浮かべた。
彼女もまた八重歯を見せて笑うと、その瞬間、男の股間を思いっきり蹴り上げる。
グチャっという、肉の潰れる低い音がした。
「っぃひっぃいんッ!!!」
彼の悲痛な叫び声に、僕も思わず股間を押さえてしまった。
枯れた花のように萎びて地面にへたり込む彼を、絶対零度の三白眼で見下しながら、彼女は僕に訊ねた。
「テンキ。感染者って、もしかしてコイツ?」
「え?」焦りつつ僕が手元の端末を確認すると、確かにGPSはココを示していた。「あ~うん。当たりだ」
「やった!楽に終わった」彼女はガッツポーズをすると自分の端末からナギさん電話を掛ける。
その間に僕は路上で悶絶する半裸の男に手錠を掛け、速やかに車まで運び込むと、後部座席に放り込んだ。
──今回は、誰にも見られてないようだ。見られていたら、ほんの少しだけ面倒くさい。
重労働を終えて運転席に座って一息ついていると、話を終えたメイリが助手席に乗り込んできた。
「報告終わり。本部に寄ってから帰ってこいだって」
「りょーかい」
そう言って僕が車を発進させる。時計を見ると、まだ十一時だった。
「早く終わったしさ、早速ナギさんにお昼奢ってもらおーよ。何か食べたいのある?」
「そうだな。実は朝から肉が……」
そう言いかけて僕は言葉を飲み込んだ。
ついでに急な赤信号でブレーキも踏み込んだ。
後ろから聞こえてきた苦悶の声のせいで、さっきの強烈な金的攻撃が、内臓の潰れる音と共に脳裏に蘇ってしまったのだ。
ちらりと横を見ると、男の“全て”を破壊した当の本人の目はとても澄んでいる。
「なんか……今日は食欲ないから、二人で行ってきなよ」
しばらく肉は食いたくない。