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こんなに悪い奴がいるなんて!


「引きこもりって守られてるよな、世間に」



 その女はひとりごとのように言った。


「なんでかって分かるか? 弱いからだ。弱いものは守られるべきだからだ」




 黒髪のすきまから煙が立つ。だれかを踏みつぶすために作られたようなブーツの底で、捨てたタバコを消す。笑んだ唇に、真っ赤な口紅をぬっていた。


「あたし、弱いヤツって大好き」


 篠原紗希子は顔をゆがめた。

 目の前にいる黒髪の女は美人だった。鼻はツンと高く、目はくっきりした二重だ。すべて紗希子が欲しかったものだった。200万円を整形外科に積めば手に入るはずだったが、結局は金が工面できずに諦めたものだった。


「あなたみたいに強い人には、わたしのことは理解できないわ」

 紗希子は吐き捨てるように言った。

「綺麗だもの、あなた」


「そりゃどーも」

 女はまんざらでもなさそうに笑んだ。

「まあ、言われなれてるけど」


 紗希子の顔がゆがんだ。

「でも、それって努力で手に入れたものじゃないでしょう?」と口をひらく。


「美人はね、ずるいのよ。生まれついて勝つための顔面をしてる。でも、でも、それって本当の強さじゃないわ。本当の強さっていうのは、自分で手に入れたものを指すのよ」


 ふたりの女は鏡張りの部屋で対面している。

 紗希子はハッとした。美人の横にうつった自分が、あまりにも醜かったからだ。

 彼女の目に涙が浮かんだ。


「こんなブスには、強くなる権利すら与えられないんだわ」


 紗希子が嘆くと、女は首をかしげた。


「はん、だから引きこもったわけ?」


「醜いものなんて、だれも見たくないでしょう?」


「まあ、たしかに」


 耳をつんざく悲鳴が紗希子の口からあふれた。鏡が割れる。

 ヒステリックな叫びに呼応するように、鏡が割れていく。


「あなたに、言われたくない!」


 紗希子の手に巨大なカッターが現れた。

 彼女は走りだすと、黒髪の女にそれを振りかざした。女は怯えるでもなく「そうこなくっちゃな」と笑った。

 カッターが女の首元に突きささる。息を飲んだのは紗希子の方だった。

 女は避けることもなく、淡々と刃を受けたのだ。


 紗希子はよろめいて、それから呆然と後ろをふりかえった。

 すると、おどろくほどの美青年がどこからか現れて「紗希子、油断しちゃダメだ!」と叫んだ。

 影が紗希子に覆いかぶさる。


 銃声が鳴った。


 黒髪の女が銃をかまえていた。紗希子は自分をかばった青年を見て、それから女の首元を凝視した。

 傷口から血が一滴も流れていない。断面は緑色に光り、すぐに皮膚へと再生した。


「そんでさ、悪りぃけど」

 女は歌うように言った。

「強いんだよねえ、あたし」

 

 紗希子は青年を抱きしめて震えた。女は心底楽しそうに笑い声をあげた。舞台の上であげるような、寒気のする哄笑だった。


「これだから悪役ってやめらんねーよなぁ」


 青年はピクリとも動かない。紗希子はゆっくりと彼を横たわらせて、のろのろと立ちあがった。


「なあヒーロー? 教えろよ。今、どんな気分なんだ」


「許さない」


「はあ?」


 紗希子は眼前をにらんだ。憎しみのこもった視線に黒髪の女は目を丸くした。


「おい、違うだろ。そこはもっとこう、助けを求めて……」


「許さない!」


 空間が揺れた。黒髪の女は頭上を見た。鏡張りの天井から、なにかが落ちてくる。


「やば……」周囲を見渡して、逃げ場がないと悟る。


 紗希子は戸惑う女に向かって、壮絶な笑みを向けた。


「きれいな顔が潰れちゃって、残念ね」


 落下する大きな鏡が、黒い女の呆気にとられた表情を一瞬だけ映した。

 嘘だろ、と呟く声は、轟音に包まれて紗希子の耳には届かなかった。




 1・こんなに悪いやつがいるなんて!




 目覚めたのはソファの上だった。蛍光灯がオズの顔を容赦なく照らしていた。彼女はうめきながら片手で目元をおさえて、それから「獅子戸!」と大声をだした。


 こじんまりとした事務所だった。

 清潔だったが、建物自体が古いのか壁はひび割れている。はめ殺しの窓にスモークがかかっていたが、外から繁華街の雑多な音が聞こえた。

 夜か昼かも判別つかない部屋に、ヒョイと顔を出したのは年齢不詳の男だった。ストライプのスーツを着て、金髪を執拗なまでに丁寧な七三分けにしている。


「起きたか」しゃがれ声は愉快そうだった。

「おや、機嫌が悪いな……もしや、もしやすると」


 ヒュン、と音を立てて灰皿が飛ぶ。獅子戸は顔をそむけて避けた。ガラスが床で砕けちる。


「うっせえ」

 オズは両手で頭を抱えながら、低く言った。

「信じらんねぇ……なんだ、あの化物」


「やはり負けたのか」


「負けてねえよ!」


 吠える彼女に、獅子戸は「だが手の中に何もないじゃないか」と指さした。それにつられて両手をのぞきこむ。空っぽだった。

 オズは再び頭をかかえた。ひどい頭痛がしていたのだ。精神世界にもぐりこむと、彼女はいつもそうなった。


「強すぎたか?」


 獅子戸は眉を釣りあげ、ソファ横のガラステーブルに置かれたラベルのない小瓶を手にとった。錠剤が詰まっている。


「まあ、いったん死んでいるわけだから、しょうがないか」


 オズは人ごとのように笑う男をギロリとにらんだ。そして視線をプイと背けて立ちあがった。


「明日、また来る」


「ふむ?」獅子戸はあごに手を当てた。「まあ構わないが」

 ズカズカと横を通りすぎる彼女に目を細める。

「明日じゃなくて、来週とかもっと先でもいいんだぞ?」


「いや、明日だ」


「だが負けたんだろう。明日もう一度追いかけて、運よく見つかったとしても勝てる見込みがあるのか?」


「次は必ず勝てる」


「俺は見込みを聞いているんだよ、オズ」

 優しい声だったが、言葉は鋭かった。

「お前は負けたんだ。勝てる理由を話せないうちは、お前を使う理由もないんだがな」


 その時、玄関が開いた。黒服の男たちがドタドタと駆けこんで「頭!」と慌てふためいた様子で獅子戸に近づき、耳打ちを始める。

 オズは無表情で部屋を出ようとした。


「おい、オズ」

 獅子戸は部下たちの話をいったん遮り、彼女の背中に声をかけた。

「明日は来るな。別件がある。だからと言って勝手にもぐるのもナシだ。もぐる時はうちの薬でやれ。でないと、試験のデータが狂うからな」


 オズは振りかえりもせずに、事務所を出た。




 雑居ビルの裏口を出ると、オズは舌打ちをした。外は夏日だった。あまりにも日差しが強い。

 彼女はいらつきながら街を歩きだした。


 汚らしい街だった。市の改革に置いていかれた象徴である、なんの役にも立たない電信柱が何本も立っている。名前すらない街だった。

 人々は臭かった。きれいに着飾った女たちすらも、スーツを着たサラリーマン風の男たちすらも、この街にいる人間はみんな、その荒んだ生き方ゆえに臭った。


「おい、魔法使い!」

 顔見知りの肉屋がオズに声をかけた。近所の人間しか立ちよらない、古い商店だった。

「また死んだのか? バラされる前の牛みたいな顔してるぜ」


 オズは「まあな」と言いながら歩きつづけた。肉屋がショーケースの上に両手を出す。


「一回死んだならちょうどいいや。今日こそ、そうだな、腕の一本でもくれよ。きっと高く売れるぜ。マージンは五対五でいい」


 オズは無表情でショーウィンドウを蹴飛ばした。肉屋は「ウヒャア」と声をあげて後ずさる。


「コロッケ」


「は、はい?」


「だぁら、コロッケ。コロッケ三つ」


 肉屋はあわてて紙に包まれたコロッケを袋に入れ、恐る恐るさしだした。

 彼女は鼻を鳴らしてそれをふんだくると、きびすを返して歩きだした。背後から懲りない男が「お勘定は」と話しかけるも、肩をすくめてあきらめてしまった。


 ごちゃごちゃした狭い道だったが、だれもが彼女を一目見ると、そそくさと端に寄った。

 東京の奥地、鼻摘まみ者しか集まらないこの街においても、オズの魔法使いは、だれもが近寄りたくない人間のひとりだったのだ。


 彼女はビニール袋をブラブラさせながら、繁華街をぬけた。すると人気のない工場団地に出た。半分以上の工場が、すでに役目を忘れて静まりかえっている。主人のいなくなった犬が、彼女に吠えたててから、空き地を駆けていく。

 やがて古びた団地が見えてきた。かつては工場の社宅だったのだろう。

 錆びついた三輪車をまたいで、きしむ階段をのぼっていく。右から三番目の部屋の扉は、鍵すらかかっていないのか簡単に開いた。


 部屋は暗かった。カーテンを開けないからだ。カビくささを上回るのは、甘ったるい薬品の匂いだった。八畳間には脱ぎ捨てられた服、食べかけのポテトチップス、読みかけの本、枯れた花が、それ以外の物に押しつぶされて床に転がっている。

 彼女はまずキッチンでタバコに火をつけ、それからコロッケをかじった。頭の中は、今日の戦いでいっぱいだった。


(なぜ負けた?)


 コロッケは甘くて美味だったが、味が感じられなかった。


(途中までは順調だった。いつもどおりだ。ただあの男が女をかばって、それで変わったんだ……)


 ジャケットのポケットが震えた。彼女はすぐに電話に出た。


「オズか」

 電話をかけてきたのは獅子戸だった。

「今、データが出たぞ。おまえ今回、あたりを引いたみたいだな」


「あたり?」


「ヒロインがいただろう」


 オズは寒気がしてならないという風に「おまえ、なに言ってんだ」といった。


「だから、ヒーロー以外にもうひとり居ただろう。ヒロイン付きだ。素晴らしい。やはり護るべきものあってのヒーローだからな……」


「これ以上気色悪いことしか言わねえなら切るぞ」


「つまり銀の靴の保持者だ」


 彼女の目がわずかに見開かれた。


「ただ困ったな。ヒロインを登場させられる、ということは、それだけ具象化に優れているということだ。これまで以上に手にあまる」


「待てよ、モノホン引いたってことか? ついに?」


「そうだ」


 彼女は足に熱を感じて、その場で跳ねた。タバコから灰を落とすのを忘れていたのだ。


「銀の靴は、あの女が持ってるのか」


「おそらくな。これまでは、かけらに過ぎなかったが」


 オズは大慌てでベッドに駆けよった。この部屋で唯一、清潔感のある場所だった。ぴしりと張ったシーツは白く、病院の寝台を思わせた。

 ベッドボードに置かれたアルミの小箱を手にとる。カラカラと振るのは、彼女の癖だった。

 箱の中には、銀色の塊が三つ入っていた。すべて彼女が刈り取った銀の靴の欠片だった。


 彼女は深呼吸をして、湧きあがる笑みをこらえようとした。敗北の焦燥感が、期待に塗りかわっていく。


「対策を立てよう。そうだな、来週の金曜日、うちに来い。それまでは英気を養って……」


 電話を切った。彼女は胸をおさえて、ベッドに座りこんだ。

 ついに、待ち遠しい時がやってきたのだ。


(次は勝つ。勝つに決まっている)


 彼女はニンマリとした。自信に満ちあふれた、おぞましい表情だった。


(なぜならあの女はヒーローで、あたしは悪役だからだ)


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