第9話 皐月の陰で
放任主義発言を気にしていた連人だったが、結局、放任主義な栽培を続けていた。というのも、槍太から「今まで通りのやり方でお願いします」と言われたからである。連人としても、急にやり方を変えるのは難しかった。
生花部では、業務が完全に分担されている。栽培する株の数を絞っている事もあり、山奥にいた頃よりも、やる事が少ない。だが、全くもって、楽にはなっていなかった。
「やっぱオレの土と全然違う。フカフカだし、良い土なんだけどな……」
タチが作っていた土に、よく似た十二番農地。それは連人が自分で育てた土とは、根本的に異なる。長年付き合って来た土との違いに、連人は戸惑う。
その上、生花部の農場は王都郊外。完全な平地なのである。今時期、山はもっと涼しかった。この環境の違いは、そのまま植物の生育サイクルに影響していた。
「勝手が分からん。この時期のカモミールってこんなだったか?」
そもそも連人の知るカモミールは、庭先で雑草と化しており、それほど意識して世話をした覚えが無い。
「品種の違い……でも無いか。どっちも一年草だし。山と平地ってだけで、随分変わるもんだな」
連人が育てているのは、日本でいうジャーマン種。毎年、少しずつ範囲を広げながら、沢山の芽を出していた。
ホタルブクロとリンドウも、何となく違う。
「感覚的なもんだから、何がどう違うのかは分かんねぇけど……んー、何か違和感あるんだよな」
土も気候も異なる環境。何ともやり辛い。
だが、気候を変えるなど不可能。土も、管轄は土壌課。気軽にいじることは出来ない。それ以前に、土の改良方法など、放任主義の連人はよく知らない。連人が耕していた土は、作ったというより、勝手に育ったと言うべきだろう。
また、環境によって変化しているのは、植物の生育サイクルだけではない。
「うはー、こんなに付くのか」
カモミールに付着した、おびただしい数のアブラムシ。あの雑草化したカモミールにもアブラムシはいたが、もっと少なかった気がする。
「げ。ホタルブクロの葉っぱ、穴があるじゃんか。犯人が見当たらないって事は、ヨトウムシか?」
日中は地面に潜り、夜間に植物を食い荒らす厄介者。彼等の食欲を侮ると、痛い目に合う。
害虫を発見したら、害虫対策課に連絡。ここでは、そう決まっている。連絡を受けた害虫対策課は、すぐに動いてくれた。
「盾ちゃん」
普段はよく遊んでいるが、生花部の中で会うのは初めてだ。
「アブラムシだって?待ってな。すぐ呼んでやるからさ」
「呼ぶ? 盾ちゃんが駆除してくれるんじゃねぇの?」
「まあ、見とけって」
盾は息を吸い、遠くまで聞こえる声で、誰かに呼びかける。
「おーい、こっちにも飯があるぞー。食い足りない奴は来ーい」
盾の声に応じ、やって来たのは赤と黒の救世主。
「テントウムシ……?」
「そ。オレの魔法はテントウムシとの意思疎通。テントウムシはアブラムシを食べる益虫だけどさ、なかなか一つの畑に居ついてくれないだろ? だから、こうやって仲良くなって、生花部の敷地内に居て貰ってる。代わりにオレは、ご馳走の情報提供をするって訳だ。ああ、でも期待し過ぎるなよ? 満腹になったら、それ以上食わねぇから」
むしゃむしゃと、食事を楽しむテントウムシ達。
「便利な力だなぁ。テントウムシが言う事聞いてくれるなんて」
連人は感心したが、盾はそれを否定した。
「それはちょっと違うぜ、連人。あくまでも、オレの力は意思疎通だけだ。会話は出来ても、こっちの都合よく動いてくれる訳じゃない。だから、仲良くなったり、交渉して公平な取り引きをする必要がある。『人間の言う事なんか聞きまセーン』って奴も多いし、協力してくれんのは、少数派だ」
さらに盾は「一方的に相手を操ったり、好きなように命令出来るのは、極一部の王族だけだ。人形に憑依出来る女王陛下みたいにな」と話した。
「オレが出来るのはここまでだ。ヨトウムシの方は、夜型職員に任せな」
夜型職員というのは、読んで字のごとく、夕方から深夜にかけて、業務を行う職員を指す。日の出とともに起床する連人には、考えられない就業スタイルだが、朝起きられない人間というのは、この国にも大勢いるのである。この国では、本人の活動時間に応じ、昼型の労働者と夜型の労働者が、明確に区別される。彼等にとって、眠い目を擦りながら働くなど、あり得ないのである。
翌日には、害虫対策課からヨトウムシの駆除報告が、メールで届く。ご丁寧に、捕殺したヨトウムシの画像まで付いている。正直気持ち悪い。業務連絡なので仕方ないのだろうが、さすがにどうかと思う。
アブラムシの方は、前日と変わらず、テントウムシが飛来していた。時々どこかへ飛び去っては、空腹とともに舞い戻る。
「完食にはまだかかるかもな。今の時期は他の畑にも被害が出てるし。今より増えなきゃ良い、ぐらいに思っとけ」
「そーいうもん?てか盾ちゃん、平地って虫多くね?もっと少ないと思ってた」
無論、山にも虫は沢山いたが、この農地はどうも様子がおかしい。
「そりゃ、他に行くところが無いからな。無理矢理土地を開拓して、不自然な環境を作ったのは人間だ。自然界では当たり前の生態系が、ここには無い。連人がいた山では、多分、益虫と害虫のバランスが取れてたんだろう。爬虫類や小動物もいたはずだ。だから、虫自体は多くても、一定以上に増えることは滅多に無いんだろう」
そう言われてみれば、と連人は思い返す。家の中で虫を見かけても、クモやカマキリが捕食するので、いつの間にか居なくなっていることがほとんどだ。ムカデのような、直接的な脅威であれば外に追い出すが、そうでなければ、放っておくのが普通だった。家の外壁にはヤモリが這い、庭木では鳥がさえずる。庭の内外は境界があやふやで、人間と自然が切り離された生活など、していなかった。
「自然界では、色々な種類の植物が生きているだろ? でも畑では、特定の植物を一ヶ所にまとめて栽培する。虫にとっては、絶好の餌場だ。自分の大好物ばかり植えてあるんだからな。しかも、日陰が少ないから、変温動物は寄って来ないし、人間の気配を嫌がって鳥も逃げちまう。他にも肥料のあげ方とかさ、害虫対策課としてはもうちょい考えて欲しいんだけど……それやると成育が遅れたり収量減ったりで、難しいのが現状だ。女王陛下は問答無用で予算削るしな」
「案外、難しいもんだったんだな、植物を育てるってのは。そりゃまぁ、オレも散々失敗してきたけど」
あくまでも連人は放任主義。農作業の大変さなど、半分も知らない。第一、タチと二人で食べていければ、それで良かったのだ。いざとなったら、山に自生する植物を採集して、食べることも出来た。そこに、連人が負うべき責任は無く、それに付随するように、学びへの意欲も生じなかった。
「今はそれで良い。収穫の時期が来たら、槍太さんがジャッジして、必要なことを教えてくれるはずだ。どのみち、同じ株で同じ作業を経験出来るのは、年に一回だけだろ? 新入り育てるのに時間がかかる事くらい、皆分かってるよ」
盾はそう言うが、給料は今月から貰える。連人の中には、若干のモヤモヤが残った。
そこへやって来たのは、部署が違うはずの矛であった。
「連人さん、お疲れ様です。ああ、盾も居たんですね」
「いちゃ悪いのかよ」
あからさまに声色を変えた姉に、盾は不満を漏らす。
「いえ別に。ただ、一人分しか持って来なかったから」
矛の手には、タッパーらしきもの。中身は美味しいものに違いない。
矛はそれを連人に差し出して、蓋を開けた。
「稲荷寿司?」
「はい。少しだけ分けて貰いました。弔い省では、殆どのものを無償で提供していますが、一部有料のサービスもあるんです。この稲荷寿司は、その支払いに使われたお米で作ったものです。基本的には供物として使われたり、災害時用の備蓄になるのですが……弔い省を利用する人達のことを知っていただきたくて、持ってきました」
弔い省の利用者。すなわち、大切な人を亡くした遺族が、持ち込んだ米だという稲荷寿司。遺族を支える側の仕事に就いた連人は、心して食べる。
「うんまい」
「でしょう?供物課の皆さんは、揃って料理がお上手なんです」
「ちなみに姉貴は……」
ばちん、と痛々しい音が響く。弟の口を塞ぐ姉からは
「余計なことを言ったら、後が怖いですよ?」
という、圧が漏れる。もっとも、この反応をした時点で、自分から暴露したようなものだが。
矛の「支払いに使われたお米」という言葉が気になった連人だが、何でもかんでも人に聞くのもどうかと思い、帰宅してから自分で調べる事にした。
「これがそうか?『農作物及び食品による支払い制度。国の指定する作物及び食品を生産している人間は、それらを公的機関への支払いに使用出来る。品目は米、小麦、大豆、味噌、醤油、塩など。制度の利用には国の許可が必要であり、該当する事業を始めたからといって、ただちに利用できるものではない。また、この制度は低所得者のみに適用され、税金の支払いには使用出来ない』か」
つまるところ、低所得者向けに作られた救済制度の一つであるようだ。以前、矛が言っていた通り、飲酒免許や喫煙免許を所有していると、申請すら出来ない。その他にも、細かな条件が多数設定されている。
「これを読む限りだと、本当に最低限の衣食住すら不安定な人しか利用出来ないみたいだな」
売っても売っても儲からない人は、どこの世界にも存在する。単に、要領が悪いのもあるだろうが、設備の規模や反収、生産効率の悪い農家は、決して少なくない。
その多くが、つらら姫の即位前に成人した人々なのだという。つらら姫は、前女王ゆりかご姫が生んだ財政赤字を解消すべく、あらゆる手を打った。その一つが、労働者の質を上げる事だった。彼女は、ゆりかご姫の時代に起きた人口爆発によって確保された人手を、効率的に利用すると決めた。
それによって養育免許が導入され、正しい知識を持つ親のもと、良識ある子供が育つ。これにより、子供の肥満率や虫歯率が減少した他、犯罪件数も激減した。現在の養育免許は、子供の出生前に取得するが、導入直後は、自立していない未成年を抱える全ての親に、免許を取らせた。
労働者には健康であって貰わねばならない。法を厳守して貰わねばならない。医療費の負担は御免だ。休職中の保障金だって、本当は払いたくない。犯罪者を捕まえるには金がかかる。捕まえたら捕まえたで、金がかかる。犯罪者だって飯は食う。寝床も要る。削れるだけ削るのは当然だ。
つらら姫は、国民に容赦の無い言葉を、数え切れないほど投げつけた。けれど、多くの若者が「つらら姫のお陰で稼げている」と話す。つらら姫が施行した法は窮屈だったが、慣れればどうという事はない。それよりも、自分が健康である事、心豊かである事への喜びが勝った。無論、それはつらら姫の持つ絶対的な権力があってこそ、実現しうる政策ではあるのだが。
その恩恵を受けた世代と、受けなかった世代には、能力や知識だけでなく、巡って来るチャンスにまで格差が生じた。これはそのまま、経済格差として表出する。
「あの稲荷寿司、すげー美味かったし、良い米なんだろうに。支払いに使ったって事は、儲かってないんだな。……もし弔い省が無かったら、どうやって故人を見送ったんだろう」
どんな人にも死は訪れる。故人の事情も、遺族の事情も千差万別。そこに一つの公平をもたらす仕事に、連人は就いた。
2022/12/14この国における保育制度について書いた部分を削除しました。
よくよく読んでみたら話が脱線していた上、
結構長ったらしかったので。
ストーリーに影響はありません。