第5話 氷の金蓮花
「と、いう訳で。矛お姉さんです。納棺の時にお会いして以来ですね」
「……よそ行きの姉ホントうざい」三話振りに会う矛と、彼女につねられる青年。どうやら、矛の弟らしい。
「失礼しました。弟の盾です」
「お前ってさ、今十九なんだって?なら、俺よか歳下だな。気軽に『兄貴』とか言って良いんだぜ?」
貞淑そうな印象の矛とは対照的に、どこか軽薄な盾。だが、あまり嫌な感じはしない。人懐っこくて愛想が良く、誰とでも打ち解けるタイプだろう。
「(ジュンって奴、同級生にいたな。確か呼び名は……)ジュンちゃん」
盾ちゃんはフリーズした。隣では、必死に笑いを堪える姉。
「いっ、良いじゃないですか盾ちゃん。かっ、可愛いですよ。というか、昔は皆そう呼んでましたし……ふふっ」
礼儀正しい彼女であっても、弟の扱いは、多少ぞんざいになるらしい。反面、弟以外の年少者に対しては、妙に優しいのが不思議である。
「うう、ここでゴネるのは格好悪い……か。オーケー、盾ちゃん呼びを特別に許可しよう。特別だかんな?」
「(特別ってとこを強調するあたりが格好悪い)」
歳上として、懐の深さを見せられた盾は、満足げだ。
「で、コレが俺の名刺な。初めて見たぜ、紙の名刺」
これを見て、連人は盾の字を知る。
「矛盾」
指差す連人に、呆れ顔の二人。
「そのネタ、もう聞き飽きてんだよ……」
親のセンスを恨みたい、とでも言いたげだ。
「矛も盾も、よくある名前なので、仕方ないんですけどね」
「そうなのか?」
ホコとかジュンとか、音だけなら日本人のようだが、そこに矛や盾を当てるのは、多分珍しい。特に、矛は滅多に居ないだろう。
「連人の方が、断然珍しいよなぁ。聞いたこと無いぜ、そんな名前」
ジュンよりレントが珍しいのは分かるが、ここまで言われるほどなのかと、連人は不思議に思う。実際、同じ学校には、蓮とか怜也がいた。
「名前に武器を連想させる文字を入れると、厄祓いになると言われているんです。刃物は厄を断ち切り、防具は厄を弾き返すそうですよ」
「(浮いてたの、名字だけじゃないのかよ……)んじゃ、ばーちゃんの名前もそうか。太刀ってのがあったよな。爺さんの名前は……あれ、武器の名前なんて入ってたか?」
「爺さん?」
連人は老婆と二人暮しだった、と聞かされていた盾は、首をひねった。
「弔い卿のことですよ」
「マジか」
軽そうな盾でも、弔い卿に「爺さん」など、口が裂けても言えないようだ。
「弔い卿の場合は、馬がそうです。馬は戦場を共に翔ける、戦士の良き相棒ですので。厄を祓うというより、厄に立ち向かう勇敢な字です」
「ツバキは?字は聞いてないんだ」
「刀の鍔に姫ですね。……えーと連人さん?好奇心旺盛なのは結構ですが、本来の目的を忘れていませんか」
「あー……」
そう、矛と盾は、遊びに来た訳ではないのだ。
「では連人さん。情報端末利用免許の取得を目指して、一緒に頑張りましょう」
テキスト持参で、連人の指導をしに来た二人。なんだかんだ言っても、馬澄は忙しい身なのだ。世話を焼きたくても、なかなか時間が取れない。そこで彼は、すでに連人と面識のある矛に、面倒を見てくれるよう頼んだのだった。
矛もまた、馬澄と同じく世話焼き体質なので、こういう依頼は嬉々として引き受ける。連人が無知で危なっかしいというのも、彼女の庇護欲を加速させる要因だろう。実の弟にも、もう少し目をかけて欲しいものだが。
一方の盾はというと、家でも職場でも最年少であるせいか、兄や先輩という立場への憧れがある。歳下に勉強を教えるというのは、なかなか美味しいシチュエーションなのだ。
「情報端末利用免許の試験では、専門用語などはあまり重視されません。それこそ、免許取得後にネットで調べれば良いだけですから。出題されるのは、主にSNSの利用やセキュリティについて、情報の取捨選択、それからトラブルに巻き込まれた際の対処法などですね。ネット利用にも、色々と法律がありますから、それも覚えてください」
「うわあ……」
積み上がるテキストを前に、連人は早速心が折れそうになった。
「こんな量、ホントに皆覚えるのか?」
「もちろん。と、言っても普通は学校のカリキュラムに組み込まれてますので、短時間に詰め込むような覚え方はしませんけど」
連人は改めて、ハンデの大きさを痛感した。
「大変だろうけどさ、実際問題、ほとんどの会社はこの免許無いと入れないんだぜ。それに、一回取れちまえばこっちのもんだ。お前、役所で色々手続きしたろ? あれが全部家で出来るって思えばさあ」
「確かに。それは便利かもだ」
国民名簿に登録された指紋と、端末を操作する自分の指紋を照会する事で、個人を判断するシステムが、この国には確立されている。
ネットは便利。それを盾は強調した。連人もまた、このツールが喉から手が出るほど欲しかった。この世界で普通にやっていくには、情報を集めることが先決だ。少なくとも、この国の八歳児と同じレベルの知識を身につけなくては、会話に不自然さが出てしまう。親に捨てられたことを公言したからか、連人の過去をほじくる人間には、今のところ会っていない。けれど、それは皆の気遣いに頼った綱渡り。さっさと端末を入手して、情報収集に努めたい。
勉強を始めてすぐに、連人は思った。
「(これ、オレが知ってるネットとほぼ同じ……)」
十一年の間に機能が拡充しているようだが、検索エンジンを使ってみろと言われれば、多分使える。
「(コレとか、完全にオッケーグー○ルじゃね?他にも見知った機能が色々と……)」
「連人さんは飲み込みが早いですね」
「ま、まあな」無垢な笑顔が辛い。
情報端末利用免許などと、堅苦しい名前が付いてはいるものの、その内容は『ネットを利用する上で必要な最低限の知識』である。個人情報の取り扱い、ネットマナー……。学校で聞かされた「ネットは便利だけど、危ない面もあるんだよ」を、もっと詳細にした感じだ。
「(結構余裕じゃね?)」
と、連人が思うのも無理はない。実際、連人は数回の講義で、出題範囲の半分を習得した。
「ここまでとてもスムーズです。凄いですよ、連人さん」
連人にとっては、凄くも何ともない。若干のブランクはあれど、普通に使っていたものだ。テレビのニュースでも、ネットで知り合った相手とトラブルに、なんて事件をよく聞いた。中には「こういうのもあるのか」というものもあったが、全く未知の代物という訳ではないので、やはり、覚える苦労は無いに等しかった。
実のところ、この免許はネットを使いこなすためのものではない。なので、免許を取ったものの、端末を上手く使えないという者は多い。検索ワードの選択が下手だとか、通販サイトの会員登録が億劫だとかいう人間は、珍しくないのである。
「この免許の存在意義は、ネット利用の安全性を高めるところにあります。という訳で、法律のお勉強ですよー」
「ちょっと待て、テキストの厚みがおかしいぞ!」
世界一法律が多い国の、本領発揮である。
「これでもネット絡みの法律の、極一部です。ここに掲載が無いものは、一般の利用者ではなく、サービスを提供する側が守る法なので」
「これで一部……?」
免許取得は余裕。それは大いなる勘違いだった。
法律の勉強などしたことがない。連人は戸惑ったが、矛が取り出した真っ赤なシートを見て「あ、丸暗記なのね」と悟った。
「そりゃ、こっちは一般人だからな。やっちゃ不味いことは、覚える義務があるけどさ。ややこしい設定で『この場合は罪になるか?』なんて言うのはねぇよ。そういうのは警察とか弁護士とか、プロの仕事だ」
だから大丈夫。と、連人を安心させるために言ったようだが、全く安心出来ない。ネットのブランクと違い、勉強のブランクは深刻だった。
「なんだってこんなに……。あー、女王様が神経質とかいう話だっけ?」
「そうなんだよなぁ。しかも、その神経を使う方向がバラバラでよ。今の陛下と先代女王なんて、まるっきり逆。先代の女王『ゆりかご姫』は、国民にとにかく甘くてさ。税金はどんどん安くなって、福利厚生はどんどん手厚くなった。結果、人口と財政赤字が同時に膨張。その後を引き継いだのが、当代女王『つらら姫』だ。陛下は心を鬼にして、借金の解消のためにキツい法律を量産してるって訳だ」
つらら姫は、即位して早々あらゆる税を引き上げた。さらに、医療費の自己負担割合なども増やし、財源の確保に努めた。が、国民の生命に直接関わる医療費を、全額国民に負担させることは出来ない。彼女は、国民に対し、健康管理を徹底するよう求めた。というか、そういう法律を作ってしまった。
「病気の原因が自然偶発的なものでなく、明らかに本人の怠慢であると認められる場合は、医療費の六割を自分で負担することになります」
「普通は何割なんだ?」
「三割ですね」
それが多いのか少ないのか、連人にはよく分からない。
「医療制度だけでなく、国民の健康に関わる案件は、法による規制があるんですよ。例えば飲食店。砂糖などを大量に使った食品や、極端に辛いもの、大盛り過ぎるものは、提供出来ません」
激辛料理や大盛り料理はテレビでよく見たが、ここでは違法らしい。
「服装とかもうるせーよな。走れない格好は禁止とかさ」
「何で? 女の人はハイヒールとか履いてるイメージだったけど」
「いざという時に、困るからです。事件や事故、災害などで逃げ遅れたら、病院のお世話になる可能性が高くなるでしょう? 他にも、腹部を露出してはいけないとか、ミニスカートを生足で履いて良いのは気温が二十度を超えた日だけとか……」
馬澄が「息苦しさを感じる人も多い」と言っていた意味が、よく分かった。
「鍔姫は家だと着物だけど……あれは動きにくくないのか?」
「鍔姫さんはちょっと特殊なんですよ。スケープゴートの魔法を使えるので、そもそも自分で走って逃げる必要が無いんです」
「え、身代わり!?」
誰かを生け贄にして助かる、というのは気持ちの良い話ではない。
「身代わりになるのは器物ですので。……まあ、彼女が『物』と認識している人間がいるなら別ですけど」
連人は、彼女のお気に入りポジション。とりあえず安全圏。良かった良かった。
「それだけ厳しかったら、何かしら反発がありそうなもんだけど」
ただ厳しいだけではない。ゆりかご姫による、甘い汁をすすった上での厳しさだ。連人は、便利な現代日本での生活から、突然山奥暮しとなった。テレビもゲームも無い生活に、不満が無かったと言えば嘘になる。この国の人間にも、そういう本音があっただろうと、連人は思う。
「確かに、そういう声はありました。でも陛下が『私は納められた税金以上の何かを、提供するつもりは無い。それとも、お前達は百円玉一枚で千円のギフトカードを買えると言うのか?』とおっしゃって、聞く耳を持ちませんでした」
反発の声は、主に高齢者から上がった。理由は簡単。退職後に国から受け取れるという、高齢者生活保障金の、受け取り期間が短くなったからだ。もともとは、六十歳から死ぬまで受けと取れたのだが、つらら姫はこれを「受け取り開始年は任意とし、そこから二十年だけ受け取れる」とした。
これにより、彼女が即位した時点で八十歳を超えていた人間は、自動的に受け取りが出来なくなった。他にも、医療などの公共サービスにおける優遇措置が打ち切られるなど、高齢者の生活はみるみる内に苦しくなった。月ごとに受け取れる額が増えたことは、せめてもの救いであるが、それで納得する者は少数派だ。
そして、つらら姫は冷たく言い放った。眉一つ、動かさずに。
「お前達は、多くの税を浪費した。納めた税との差額分を、今から支払うか? 出来んだろう。そんなお前達が、残された借金を負いながら生きる、未来の納税者より価値があるとでも? 妾はゆりかご姫が作りおった、千八百兆円の借金を解消するためならば、国民が多少犠牲になっても、仕方がないと思っておる。国を治める上で一番大事なのは『納税者』であろう?」
つらら姫、超怖い。それが連人の、率直な感想だった。
「年寄り死ぬだろ、それ」
「いえ、低収入者向けの補助金制度がありますので、ただちに生活出来なくなるということは……」
「審査の厳しさおかしいけどな」
矛のフォローは、無意味に終わった。
借金を背負う世代からは、一定の理解があった。将来に不安を残すより、今解決しておきたい。高齢者とは反対に、補助や保障が拡充されたことも、大きいだろう。子供を作り、産むまでにかかる全ての費用の無償化など、ゆりかご姫による政策も、一部は引き継いでいる。
「……で? コレ作ったのはどちらさん?」
連人は、分厚いテキストを指差す。
「つらら姫ですね。免許の導入も陛下が決められました」
各々事情があるのは分かったが、何にせよ、連人にとっては迷惑な話である。