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第3話 石蕗を胸に


 いつか、慣れるだろうか。この柔らかな羽毛の感触に。




 「腹、括らなきゃな……」


 朝日の眩しさに目を細め、連人は現状を整理した。自分は今、日本にいない。それどころか、魔法なんてものが、まかり通る世界にいる。帰る方法は不明。なら、当面はこの世界で生きるしかない。幸い、山育ちだったお陰で、多少の無知は「世間知らずだから」でごまかせるようだ。この世界における一般常識を学ぶまでは、そうやって乗り切るのが良いだろう。


 では、その先は?

 日本に帰る方法を探すにしても、どうすれば良い。来た道すら分からないのに、戻る道を探せるものなのか。魔法と同じように、自由に向こうとこちらを行き来する方法でもあれば良いが、誰も日本を知らない可能性も大いにある。その場合、自分はどうなる。嘲笑されるだけで済むだろうか。もっと大事になったら、自分の身に、何かしらの危険が及ぶかもしれない。

 そんな思考を巡らせる連人であったが、ふと、その回路が途切れた。


 「そもそも、オレは帰りたいのか?」


 連人が日本で過ごした時間は八年。タチとともに過ごした時間が十一年。年月だけで見れば、もうこちら側の人間だ。


 帰ったとして、オレの居場所……あー、無さそう。十一年も放置した家が、まともに残ってる訳ねえよな。それ以前に、家の場所が分からん」


 当時八歳の子供が、親族の連絡先を把握していないのも、学校と友人宅以外の道順を知らないのも、仕方の無いことだった。


 あれこれ考えた末、連人は開き直った。


 「この世界のオレは、超世間知らず。日本に帰ったオレは、浦島太郎。大して変わらない気がしてきたな。なら、どっちでも良いや。ばーちゃんの墓守りだってやらなきゃだし。うん。適当に、頑張れることを頑張ろう」


 覚悟などという立派なものではないが、とりあえず、腹は括った。それだけでも、連人の気持ちに余裕が生まれる。彼は、おおらか且つ大雑把。自然相手の生活を送っていたのだ。自分の力でどうにもならない事態には、慣れている。


 頭の中がすっきりした連人は、腹の方もすっきりしていることに気付く。

 「そういや、夕飯食べなかったな」

 いつもの朝より空いた腹。加えて、家主の財力が未知数とくれば、自然、朝食への期待が高まるというものだ。連人は軽い足取りで部屋を出る。


 使用人と思しき男性の案内で、食堂に移動すると、すでに馬澄が着席していた。同じテーブルに、見知らぬ少女の姿も見える。


 「おはようございます、連人君。調子はどうですか?」

 前日、疲労を訴え、食事を取らずに寝てしまった連人を、馬澄は気遣う。


 「調子は……お腹が凄く空いてる!」

 連人の発言に、さすがの馬澄も目を丸くしたが、すぐに元の柔和な表情に戻る。


 「それは良かった。ご飯が食べられるなら、大丈夫ですね。さ、こっちに来て座りなさい」

 馬澄は、少女の向かいに、連人を座らせた。


 「昨日は顔を合わせていませんでしたね。この子は私の孫で、鍔姫つばきといいます」

 「村雲鍔姫です。宜しくお願いします」


 わざわざ立ち上がって、お辞儀をする少女。着物を纏った彼女は、見るからに、名家の令嬢という雰囲気の美少女だった。整えられた髪や、凛とした表情が、育ちの良さを感じさせる。連人は少々気後れしながらも、笑顔で右手を差し出す。


 「こっちこそ、宜しくな。ツバキ」

 瞬間、場の空気が凍りついたのを、連人は感じた。

 「あれ?」

 固まる連人に、年配の家政婦が小声で話しかける。

 

「あの、連人さん。お客様にこのようなことを申し上げるのは、大変心苦しいのですが、初対面のお嬢様に対して、呼び捨てというのは……」


 連人の言動は無礼千万。非常識にも程があるだろうと、使用人達はポーカーフェイスを気取りながらも、青筋を立てる。


 「(しまった……)そ、そうだよな……ですね。ええと、ツバキ……ちゃん。いや、さん?」


 敬語というものを、知らない訳ではなかったが、使ったことはあまり無かった。小学校の先生には、丁寧な言葉を使った気もするが、それも十一年前の話。自然に敬語が出てくるような生活を、彼は知らない。


 眼前の令嬢は、顔を真っ赤にして立ちすくむ。


 「(やべえ。怒ってる)わり、すみませんでした。以後、気を付けます」

 連人が、差し出したままになっていた右手を、引っ込めようとすると、彼女はそれを両手で止めた。


 「直さないでください。そのままが良いです」

 「え」


 一部始終を見ていた皆が、頭に疑問符を浮かべた。


 「まさか身内でもない方から、呼び捨てにされるなんて、思いませんでした。感動です。見ればお顔も大変ハンサムなご様子。せっかくの美男子が、つまらない言葉遣いに直されるなんて、勿体無いですわ」


 頬の紅潮は怒りにあらず。憧れと羨望を瞳に込めて、彼女は連人の顔を見上げる。


 「オレはハンサムじゃありませんが……」

 「まあ、ご謙遜を。それより、また言葉遣いがつまらなくなっていますよ。戻してくださいまし」

 「いや、でも」


 謙遜だと解釈した人間は、この場にただ一人。困惑する連人に、鍔姫は笑顔を向け続ける。


 「(やり方が爺さんと一緒だ……)はいはい。わーったよ。オレはオレらしく振舞ったら良いんだろ?」


 顔から熱が引かない鍔姫は、無言で何度も頷く。育ちが良いからこそ生じた嗜好。その反応に、連人の心情は複雑だったが、怒られるよりマシだろう。ともかくこの令嬢は、連人をいたく気に入ったようだ。


 頃合いを見て運ばれた朝食は、ご飯に味噌汁、焼き鮭、厚焼き玉子、野菜のくるみ和え。


 「(めっっっちゃ素朴)」


 期待外れと言えば期待外れだが、皿の余白がやたら広かったり、ナイフが何本も並べられたり、名前も分からないような料理が出てきても困る。これから毎日、ここで食事をとるのだ。肩肘張らずに食べられるというのは、有難いことである。


 「うんまっ」


 素朴なのはメニューだけ。食材も一流なら、調理する人間の腕も一流なのだろう。何やら、食器やテーブルクロスも高そうに見えてくる。というか、多分高い。


 「なあ、爺さんって何やってる人なんだ?名刺に『弔い卿』って書いてあったけど、弔い省の役職なのか?」


 連人の「爺さん」発言に、またもや皆の顔が強張るが、馬澄の笑顔が何も言わせなかった。ニヤニヤが抑えられなかった約一名も、発言は控えた。


 「そうですね。その辺りも説明しておきましょう。まず、この国は女王制を採用しています。陛下を頂点とし、政治を執り行う太政官。その下にある国家機関が『省』です。省にはそれぞれ役割があり、弔い省は、人の死と向き合うことに特化しています。そして、各省の最高責任者として『卿』が置かれています。私は弔い省の卿なので、弔い卿と言うんです。商い省の卿は商い卿、恵み省の卿は恵み卿、という具合に」

 

 「ふーん。最高責に……え。じゃあ一番偉い人!?」

 省という組織の規模は分からなかったが、国家機関のてっぺんだ。ただの金持ちとは違う。


 「いいえ。私は、最も重い責任を背負うことの見返りに、多額の報酬と権力を与えられているだけです。報酬に見合うだけの仕事はしているつもりですが、それで私自身が偉くなる訳ではありません。私の働きを『立派だ』と、認めてくれる人がいて、初めて私は偉くなれるんですよ。特権階級者の中には、権力と財力を理由に『自分は他人より偉い』と錯覚してしまう方が、大勢います。けれど、そういう人は、誰からも慕われませんし、そういう人を『偉い』とは、誰も思いません。それが分からない人ほど、他人に多くを求めるでしょう。自分で自分を認めること自体は、良いことです。でも、それを他人と比較した挙句、優劣を付けて『自分の方が偉い』などと思うのは、とても褒められたものではありません」


 馬澄は裕福な老人。連人はその程度の認識しかしていなかった。故に、国家機関の最高責任者と知って、意外に思った。そういう風には、全く見えない。それが馬澄の、意識的な振る舞いによるものだったのだから、やはり尊敬に足る人物なのだろうと、連人は思う。昔近所に住んでいた、年中酔っ払っている頑固オヤジの方が余程偉そうにしていたが、実際に偉いと思ったことは無かった。


 「その点、連人君は立派でしたよ。タチさんの火葬が終わるまで、よく頑張りました。朝食も残さず食べたようで、偉い偉い」

 「お、おお」


 突然褒められて、反応に困る連人。しかし、悪い気はしない。弔い省からのサポートがあったとはいえ、右も左も分からない中でのことだ。やって当たり前のことかもしれないが、連人にとって、出来て当たり前のことではなかった。労いや賞賛の言葉は、素直に嬉しい。朝食の件は、ちょっと余計な気もしたが。


 朝食後は、前日の続きを話す。連人を気に入った鍔姫も同席したがったが、馬澄に外すよう言われてしまった。


 「荷運びって言っても、荷物なんてほとんど無いぜ? 家具も爺さんが用意してくれたものだけで十分だしな。洋服と、ばーちゃんの遺品くらいじゃないか?」

 「そうですか。まあ、大抵の物はこの邸内に揃ってますしね。余程思い入れのあるもの以外は、必要ないでしょう」

 前日から持ち越された荷運びについては、すんなりとまとまった。家屋については、取り壊すこととなったが、こちらの費用は連人の出世払いで馬澄が貸す事になった。


 「それでですね、連人君。今後、君は当家を拠点にして、社会に出て行く訳ですが……。我が国において『世間知らず』というのは、大変まずいんですよ」

 馬澄の言葉に、連人は身構えた。自分は、ただの世間知らずではない。それを悟られないよう、取り繕いながら、上手くやっていかなくてはならないのだ。


 「まずいって、具体的にどうまずいんだ?」


 連人の心に、不安が宿る。


 「この国は、世界で最も法律が多い国なんです。ついうっかりで罰金、なんてことも日常茶飯事です」「じゃあ、今のオレが街に出たら……」

 「全財産、無事ならラッキー。ですかね」

 連人は、顔から血の気が引いた。


 「全財産は冗談ですが、順風満帆な人生は諦めるしかないでしょう」

 「そんなことって……」


 やっとの思いで、この世界に馴染もうと、腹を括った矢先にコレである。


 「不安がらせてすみません。あくまでも、今の段階での話ですから。今後の君次第で、どうとでもなりますよ。もちろん、私に出来ることなら、協力しましょう」


 「何だってそんなに法律が多いんだ?」


 連人は、至極当然の疑問をなげかけた。


 「ここ何代かの女王が、酷く神経質でして。どんどん細かな法律が、増えてしまったんです。多くは、国民の安全や、健康を考えてのものですが、息苦しさを訴える方も少なくありません」

 大雑把な連人には、気の滅入る話である。


 「便利な制度も沢山ありますし、上手く活用するのが宜しいかと。そうですね……まずは、保障金を受け取ってみてはどうでしょう」

「国からお金が貰えるってこと?」


 「ええ。満十九歳の四月から、満二十三歳の三月まで、国から保障金が支払われます。これは、高校卒業から五年間、肩書きが無くても生活出来るよう、作られた制度です。この間に、大学へ通ったり、資格や免許を取ったりするのが一般的です。結婚して、子供をを作る人もいますね。就職前に産んでおけば、仕事を長期間休まなくて済みますから。もっとも、それは一部の計画的かつ出世意欲の強い方で、ほとんどの方は、自然に任せておりますが」


 学校は出ていないが、年齢はドンピシャだ。受け取っていない数ヶ月分も、申請すればまとめて受け取れるという。貰えるものは貰っておきたいのが人の性。それが現金なら尚更だ。


 ところが。

 



「綾谷連人さんという方は、国民名簿に記載されておりません。


 役所で発覚した、国民名簿なるものの存在。要は、戸籍が無いという話なのだが、連人はそういうものをよく知らない。


 「えっと、どういうことだ?」

 「国民名簿というのは、全ての国民の名前が記された名簿です。ここに記載が無いということは、法律上、我が国の民ではないということです」


 それを聞き、連人は状況を理解した。

 連人は、自分がこの世界の住人でない事を、隠し通すつもりでいた。


 「(まずい、言い訳出来る……のか?国民じゃないのに、こんなとこにいて。怪し過ぎるだろ、オレ。いっそ本当のことを……いや、リスクがでかい。どうすんだ、これ……)」


 連人は必死に言葉を探す。国民でもないのに国内にいて、国民向けの保障金を受け取る、もっともらしい理由を。それが無駄な努力であると、教えるものは居ない。








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