第15話 姫百合
「何で……」
何故、知っているのか。自分が隠し続けた真実を、彼女が。連人は、生きた心地がしなかった。
「日本、と言うらしいな。お前達の故郷は。お前の父親……綾谷享に吐かせた」
「なっ……」
突如出てきた父の名に、連人の身体は凍りついた。
「(何で父さんを知ってるんだよ……。それに『吐かせた』って事は、父さんに何かしたのか?無事……なのか?)」
「色々喋ってくれたよ。ま、この国の益にはならなかったがな。一般人なら、そんなものだろう。ああ、会いたいなら王城近くのカフェに行けば、いつでも会えるぞ。見張りは付けているが、行動の制限はしていない」
「って事は、父さんと母さんもこの国に?良かった、無事なんだな……」
きっと自分のように、迷い込んだのだろう。自分が両親に捨てられてはいなかった事、両親が無事である事に、連人は安堵した。
「言っておくが、お前の母親は、初めからこの国の人間だぞ?」
「え……」
「畦雲さや。正真正銘、我が国の生まれだ」
幼かった連人にとって、父は父であり、母は母だった。名前にまで、意識が向いた事など無かったのである。そのため連人は、この国の人間の特徴である『武器やそれに関連した名前を付ける』という情報を得ても、母の名前と刀の鞘が、結びつかなかった。
「(母さん、旧姓は畦雲だったのか)え、いや待て。『畦雲』だって!?」
連人の両親は結婚していないので、旧姓とは言わないのだが、それはさておき。馬澄は雲居教徒の姓について、このように説明していた。
「一般の方は雲の後ろに、王族出身者は雲の前に一字、添えるのが習わしです」と。先祖が王族だという馬澄の姓は村雲。他の皆は、雲貝や雲尻など、雲の後ろに一字添えている。
そして、連人の母親は畦雲。すなわち、彼女も王族であり、連人にも王家の血が流れているということだ。
「じゃあ、オレに微生物を操る力があるっていうのは……、本当、だったの、か……?」
「なんだ、信じておらんかったのか」
魔法なんてものに馴染みが無かったのだ。信じる方がどうかしている。
「この世界と、お前たちの世界は、ほんの少し空間がズレているだけで、ほぼ同じ場所に存在している。まあ、その辺りを仔細に説明するには、人類による解明が足りておらんのでな。『何かの拍子に、異なる世界同士が繋がってしまう場合がある』とだけ理解しておけ」
「えっと……つまりオレも、その繋がりをうっかり渡っちまった、って事?」
「そう。父親の方もな。異世界と繋がってしまったポイントには、見張りを置くのだが……この、異世界と繋がるという現象自体、国民には秘匿されている。指名手配犯の逃亡や、子捨て姥捨て。とにかく、悪用のリスクがあるからな。故に、見張りは必ず、王家の血脈が担うことになっている。外部からの侵入についても、此奴らに任せているのだが、この任に背いた者がいた」
連人にも、話の大筋が見えて来る。
「母さんは、その見張りだったんだな」
「その通り。さやは、迷い込んで来た綾谷享を、元の世界に誘導せなばならなかった。当人が、世界を渡った事に気付く前にな。けれど、さやが誘導のために近付き、いくつかの言葉を交わしたところで、二人は恋に落ちた。さやは、自らの職務を放棄して、日本へ渡ってしまったのだ」
言ってみれば、世界を越えての駆け落ちだ。その果てに生まれたのが連人である。そんな短時間で愛の逃避行を敢行した両親に、連人は少々複雑だったが、その後の二人が仲睦まじく過ごしていたのもまた事実。彼等にとって、互いが運命だったのなら、他の選択肢が視界に入らなかったとしても、無理はない。自分はやらないが。
「当然、我等はさやの行方を追った。しかし、情報不足の中での捜索は困難を極めた。世界を越えられる事は分かっていたが、実際に越えた者はいない。結局、さやの発見には十年近い時を要した。発見時、子供のいた形跡があったが見つけられず、夫妻だけを連れて帰った」
それが、十二年前。連人が両親と別れた日。
「多分お前は、まだ未確認だったポイントから我が国に入ったのだろう。……そうと分かっていたら税金を投入してまで捜さなかったんだがなぁ」
「ひっ。……すみませーん」
「連れ戻したさやは、投獄した」
職務を放棄し、無駄で異世界に渡ったのだ。罪に問われるのも無理は無い。思えばつらら姫は、父親と会えるとは言ったが、母親とも会えるとは言っていなかった。
「この国では、本人に反省の意思有りと判断されるまで、罰は与えない。ただ無意味に拘束され続ける。さやは、自分のやった事に後悔が無かったのだろうな。いつまでたっても刑罰に移行できなかった。よって、さやは今も拘束中だ」
「今も……」
十二年。母親は現在進行形で拘束中。法に則った措置とはいえ、情状酌量の余地は無かったのだろうか。連人は日本での八年間、本当に幸せだった。家族仲が良く、両親共に優しかった。そんなささやかな幸せを祈ったばかりに拘束された母。罪は罪と言ってしまえばそれまでだが、悪意を持って遂行された犯罪と、同じに扱われる事に、連人は違和感を拭えない。
「ただ一人の男を愛した。それ自体に何の罪も無い。それに、さやは我が国の情報を漏らしてはいないようだしな。よって、お前に一つ提案がある」
母の刑罰に関して、特別に譲歩しようという事か。けれど、それがロクでも無い案だろう事を、彼女の表情が物語っていた。
「お前の力……自在に微生物を操れるというのは、実に良い。一見地味に見えて、大それた事を可能にする。例えばそう。『生物兵器』とかな」
「……!」
彼女が続きを口にする前に、連人は何を提案されるか察した。
「我が軍に手を貸せ。お前の力を軍事利用させて貰う。それを受け入れるなら、今日にも母親を解放してやろう」
「(やっぱり……)」
自分の力を、軍事利用したいと、つらら姫は言う。これを決断するなど、連人には重すぎた。
「ま、すぐに答えよとは言わん。考える時間くらいはやろう。このところ周辺諸国もきな臭くなっている故、早いに越した事はないが……」
きな臭いというのは、生物兵器を所有しなくてはならない程の状態なのだろうか。実際に連人の力を戦地で使うのか、抑止として持っておきたいだけなのか、それは彼女にしか分からない。ともかく、連人は選ばなくてはならない。母親のために提案を飲むのか、否かを。
「(軍事利用って事は、オレの力で誰かが死ぬかも……って事だよな。そりゃ、この国の世話にはなってるし、会ったことも無い外国の軍人と、この国の民間人の命を比べたら……。いや、そもそも母さん一人のために、大多数の命を天秤にかけて良いのか? オレの出自に関わる事ではあるけど、母さんが法に触れちまったのも事実な訳だし……)」
何かを選ぶ。何かを捨てる。誰かに手を伸ばす。誰かの手を払う。どうあっても、全部をこの手に収めるなんて、不可能だった。
「(なんでこんな事になったかなぁ。答えなんて出るかっての。でも、この女王様はそんなの認めないだろうな。時間をくれるとは言ったけど、時間をかけたところで同じだ。オレの中で優先順位をはっきりさせなきゃ。けど、一番以外はどうなる?その優先順位は、理屈で決めるのか? 感情で決めるのか? 考えろ、オレはどうしたいんだーー?)」
ふと、連人の脳裏に生花部での記憶が蘇る。
「(もし、この提案を受け入れたら、生花部には戻れないのか……?)」
それは困る。自分は、山での経験を誰かのために使いたくて、生花部に入った。特前村から帰って以降は、誠意をもって職務に向き合うと決めた。誠意の何たるかは、馬澄に聞いた。その相手に対して、後ろめたい事はしない。誇れる自分であれ。そう生きようと決めた自分に、千刃は言った。
「連人君の咲かせた花は、不思議なほど綺麗」と。その言葉がどれだけ嬉しかったか、よく覚えている。
誰を犠牲にするかではない。なにを選ぶかではない。自分は、自分の望む事に、持ちうる力を行使する。
「オレは、旅立つ誰かと、それを見送る人達のために、この力を使う」
「母親の事は良いのか?」
「良くは無い。でも、十二番農地を捨てた自分なんて、母さんに見せたくない」
誇れる自分である事が誠意ならば、母親にだって、そうありたい。
「……分かった。今回の取り引きは諦めよう。いやはや、惜しい力だが仕方あるまい」
つらら姫は、一枚の紙を連人の手渡す。
「綾谷享が経営するカフェの地図だ。二階に自宅がある。急に行っても驚くだろうな。こちらから、一応の連絡はしておこう。さやとは、面会の申請をすれば会える。好きにしな」
「意外と優しいのな」
「なんだ?その失礼な発言は。……妾とて、国民にどう思われているかは知っている。だが、耐えて貰わねば困る。負債というのは、放置すればするほど、大きく膨らんでいく。今これを解消しなかったら、妾の次の女王の時代に、国民はもっと苦しむ事になる。負債は先代の愚行が招いた結果だ。妾には、同じ女王としての責任がある。誰が何と言おうと、残りの在位期間内に負債をゼロにしてやるぞ。お前もせいぜい、国家のために励むが良い」
堂々たるもの言い。彼女には、後ろめたい気持ちが何も無い。国民に誇れる女王として、彼女は君臨する。連人は直に対面し、彼女が誠意ある君主だと理解した。まだ、ちょっとだけ怖いけれど。
馬澄と合流し、連人は帰路に着く。
「女王様、おっかないけど良い人だな」
「ええ。根は優しい方ですよ。しかし、いかんせん普段の振る舞いがああなので……君が一人で謁見すると聞いて、肝を冷やしました」
優しいけど厳しい。情けはかけるが容赦しない。矛盾しているようで、していない。彼女は、そういう人なのだろう。
それから数日後、連人は父の元を訪ねた。外観を見る限り、小さくて素朴な、普通のカフェのようだ。
「(何を話そう。十二年振り……何て言えば良いんだ?『久し振り』とかで良いのか?あーっ、緊張して来た)」
連人は、カフェの入り口まで来たというのに、扉を開ける決心がつかない。
「(えーっとえーっと……)」
「……連人、だろう?いつになったら入って来るんだ?」
扉を少し開け、父・綾谷享が顔を出す。
「父さん……」
「『父さん』かー。あの頃はまだ『パパ』って……」
「あああああっ。良いんだよ、昔の事は!」
「はははっ。うんうん」
茶化す父は、連人の頭に手を置く。
「良く来たね。元気そうで良かった」
「まあ……うん。そっちこそ」
何やら情け無い格好になってしまったが、連人は無事、父との再会を果たした。