第10話 加密列の報い
リンゴを思わせる優しい香りが、十二番農地に漂う。連人が植えた、カモミールの収穫である。
これまで、カモミールをハーブティーとして利用してきた連人は、花だけを摘み取るようにしていた。しばらくすると脇芽を伸ばし、次の花を咲かせるのである。
が、今回は故人に手向ける生花としての収穫だ。かなり深いところから、ばっさり刈り取る。ローマン・カモミールと違い、香るのは花だけだが、十分に良い香りがした。
「生花部での初収穫ですね。順調なようで何よりです」
生花部に入って以来、何度も様子を見に来ていた槍太だったが、これまでに口出しをした事は一度も無い。必要な道具の場所など、聞かれれば答えるという程度のものだ。
最初こそ困惑した連人だが、一人で黙々と作業をするのは、実に気が楽だった。他の課との付き合いも、想像以上に少なく、ちょくちょく会うのは盾と刀矢くらいなものである。
そんな連人に、槍太から指示があった。
「収穫されたカモミールがどこへ向かうのか、最後まで見届けてください」
「はい」
連人は、収穫したカモミールを追いかける。
「(この建物は……保管課って言うのか)」
入り口には、各階の温度と湿度が表示されている。どうやら建物全体が、収穫した植物を保管する、倉庫のようになっているらしい。
「おや、来ましたね。話は槍太さんから聞いていますよぉ。装飾課の雲倉剣ちゃんですっ」
右手を挙げ、自己主張する子供のような彼女。細めのツインテールが、幼い雰囲気を、より強調している。何度も言うが、ここで一番若いのは連人であり、二番目は盾である。とはいえ、こういう人に年齢を聞くと、後が大変なのでやめて欲しい。
「あれ、装飾課?扉には『保管課』ってあった気が……」
「私は、式場に飾る装飾品をデザインするのがお仕事です。なのでぇ、収穫した花を、こうしてチェックしているのです。そして、剣ちゃんにはもう一つ大事なお仕事が! 何を隠そう、生花を長持ちさせる魔法をかけているのは、この私なのですっ」
花の寿命はまちまちで、摘み取ったその日の内にしぼむものもある。これをそのまま使うと、葬儀が終わる前に、姿を崩してしまう。場合によっては、葬儀を待たずに枯れてしまうだろう。それを延命するのが剣の魔法だ。
「劣化スピードを十分の一にするのが私の魔法です。元々長持ちする花なら、数ヶ月は持ちますよぉ。まっ、それでも管理方法の良し悪しに影響を受けるので、こういう設備が必要なんですが」
彼女は、カモミールの山に手をかざす。
連人が思い浮かべる魔法といえば、呪文を唱えたり、ステッキを振ったりするものだが、この世界の住人はやらないようだ。正直、結構地味である。それでも、魔法を使える事が、少しばかり羨ましかった。
その後は、保管課の職員によって、害虫の生き残りや傷んだ葉が取り除かれる。綺麗になったところで、保管庫の一室に仕舞われた。
「使う時になったら、お知らせしますね。
「はい、お願いします」
最後まで見届けるのが、今回の課題。保管庫から出される時は、連人も立ち会う。その確認をし、連人は保管課を後にした。
「生花部で部長以外の女の人、初めて会ったな」
「そうでしょうねぇ」
何故か隣にいる剣が、連人の独り言に返答する。
「栽培課は肉体労働適性が無いと入れませんからね。女性が少ないのは理の当然。土壌課なんて、現在ゼロ! ですしぃ。保管課は部屋ごとに、一定の室温を保ってますからね。筋肉量で劣る女性にとっては、暖かい部屋が有難いんですよ。反対に、涼しい保管部屋は男性に過ごしやすい環境と言えます。『生物的な性差を埋めるのは難しい。なら、埋める必要の無い環境にしてしまえ』というのが女王陛下の意向なのであります」
「筋肉量か。言われてみれば、鍔姫も矛姉もまだ半袖にならないな。オレなんか冬でも上着一枚でいられるのに」
「ええ、筋肉が少ないと体温が下がりますんで。筋肉が付きにくい女性には、寒がりさんが多いのです。だから、男性も女性も適温で過ごせるように、どこの企業も部署ごとの男女比が偏る訳なんですね。そもそも『冷えは身体に悪い。それで病気になったら医療費がかかる』って、陛下が」
冷え対策に生足ミニスカートを違法にした国である。それぐらいはやるだろう。
「そうは言っても、筋肉が少ない男だっているだろ?」
「勿論、おりますよぉ。男性の多い部署で余分に着るか、女性の多い部署でハーレム気分を味わうかの二択ですね。後者を選んだ場合は本人のスペック次第ですけど」
「イケメンじゃなきゃハーレムは無理だわな」
連人は現金な女達を思い浮かべ苦笑した。
「いやですよぉ、連人さん。女の園に、槍太さんみたいなイケメンを放り込んだりしたら、女同士の血みどろな争いに発展して、職場が地獄絵図になるじゃないですか。報連相すらままならくなって、お仕事が滞っちゃいます。ちなみに陰気なのが来たら、その方だけ孤立しますね。なんなら、業務連絡役を押し付け合って揉めます」
彼等が何をしたって言うんだ。
連人のカモミールは、割に早く使用された。矛に連れられ、連人はある町に向かう。
町は、ぐるりと壁に囲まれており、人の出入りを厳重に管理しているようだった。この町の共同墓地が、今回の目的地である。
墓地には、連人のカモミールを始め、いくつかの花が供えられた。矛は胸に両手を置き、深くお辞儀をする。
「あの、さ。それ、オレにも教えて欲しい」
「雲居式のお祈りですね。良いですよ。鎖骨の下あたりで、指先を重ねるんです。そのまま頭を下げて、故人の幸せを祈ります」
連人は矛の説明を聞いて、雲居式の祈りを捧げた。自分は、信者ではないけれど、自己流の祈りというのも抵抗がある。祈られる側の流儀に合わせる事が、連人なりの礼儀だった。
「この町って、やけに警備が厳しくないか?」
高い壁もそうだが、墓地に至るまでの道には、監視カメラと思しき機械が沢山あった。連人は高級住宅街かとも思ったが、建物の感じや住人の身なりからして、多分違う。
「ここは町ではありません」
「えっ?」
整地された道があり、脇には商店らしき建物が並ぶ。ちょっと古めかしい感じはするものの、ごく普通の町並みである。
「ここは、ある目的のために作られた、施設なんです」
「施設って……どっからどこまでの話だ?」
「全部です。壁の内側は、全部国の管轄です」
町一つを施設と呼ぶことに、連人は違和感しか無い。国が管理する、町のような施設。訳が分からなかった。
「この場所は、特定前科者収容施設、通称『特前村』と言います」
「え、じゃあここの人は……」
「はい。皆さん、前科持ちです。窃盗や性犯罪は再犯率が高くて、依存症の人も少なくありません。せっかく刑期を終えても、また刑務所に逆戻り……なんて事も、多いんです。罪の意識があるのに止められないというのは、辛いでしょうね。ただ、犯罪は犯罪ですから、相応の措置は必要になってきます。ここは、そういった方達が社会復帰できる状態になるまで、一般人から隔離するための施設です」
連人は改めて、周囲を見回す。行き交う人々は、やはり、普通の人にしか見えない。
「皆、普通にしてるな」
「彼等は囚人ではないので、一定の自由が認められています。仕事をして、貯金を作ってから社会復帰する方もいますし、資格の勉強をされる方もいますね。情報端末の所持も認められています」
施設内にある商店のほとんどが、施設を利用している住人らしい。それらの商店で買い物をする、施設職員の姿もあった。笑い合う老人、腕を組む男女。彼等がどんな罪を犯したのかは知らないが、そこに居たのは、まごう事無き人間であった。
故に、彼等もいつかは死ぬのである。それは壁の外かもしれないし、内かもしれない。
「ここに埋葬されてるのは、罪を克服出来なかった人達なんだな」
世の中には色んな人がいて、その全てに死が訪れる。弔い省と関わっていると、それを嫌でも思い知る。
「特前村の人達は、社会復帰する日を夢見て、必死に努力しています。犯罪である以上、被害者がいるので滅多な事は言えませんが……。沢山後悔して、真面目に反省した人達なんです。でも、どうしたって受け入れて貰えない人は大勢います。我が国の法律では、犯罪の被害者、加害者ともに素性を隠匿することになっていますが、身内は知ってますから。結局、ご遺体を引き取って貰えない事が多いんですよ」
共同墓地に入るというのは、そういう事だ。事情は様々だが、とにかく引き取り手が無いのだ。自業自得ではあるものの、随分物寂しい最期だと、連人は思う。
「犯罪加害者は、罪は法によってのみ裁かれるという理念のもと、あらゆる情報が人目に触れないようになっています。加害者の家族を、世間の目から守る意味もありますね。特前村では前科者である事を隠せないので、本名を使いません。共同墓地に刻まれる名前も、全部通称名です。加害者情報の開示は時折議論になりますが……この国ではまだ難しいでしょうね」
最近、この国に馴染んで来たような気がしていたが、まだまだ感覚の違いがあるようだ。連人にしてみれば、隠すのは未成年だけで良い。犯した罪によっては、未成年でも公開すべきだろう。かつて過ごしていた日本では、当たり前のようにテレビで犯罪者が実名で報道されていた。新聞は読んだ事が無いので知らないが、中身はテレビと似たようなものだろう。
ただし、この国でも、指名手配犯などの情報は、大義のために公開を認められるようだ。
墓参りが済んだ連人達は、特前村を後にする。今日の経験は、連人に答えの無い問題を投げかける。どんな答えを出しても、必ずどこかに不備がある。そんな問いだ。他人が出した答えを聞いても、どこか納得出来なくて。自分が出した答えが不完全であるのに、他人の答えを許容出来ない。人間は、答えの無い問題を穏便に語り合えるほど、寛容では無いのだろう。
「特前村にいる人は、社会復帰に向けて頑張ってるって話だけど、そういう『フリ』をしている奴はいないのか?『おとなしくしていれば自由になれる』みたいな考え方の奴」
「いないと思いますよ?そもそも、反省してから罰を与えるんですから。その罰を全て受け終えてからの特前村です」
「へ?罰があるから反省出来るんじゃ……?」
反省や更生のために存在するのが、刑事罰だろうと、連人は思う。
「いいえ。反省していない人間には、何をやっても罰にならないでしょう?まず、加害者自身に『反省しています』と言わせるんですよ。嘘発見器が反応しなくなるまで、ひたすら拷問です。人によっては、刑期よりも拷問期間の方が長いみたいですね。あまりに長引く場合は『存在自体が税金の無駄』と見なされて、食事の供給が止まります」
「死ぬからそれ!」
つらら姫いわく「更生し、人生をやり直す意思のある人間であれば、金をかける意味もあるだろう。が、反省の色すら無い人間に使ってやる金は無い。というか、死刑囚の食費も無駄ではないか?処刑道具も金がかかるし、適当な部屋に放り込んで餓死させれば良い。え、駄目なの?」
つらら姫の倫理観が怖すぎる。いや、犯罪者よりも、善良な一般人が優遇されるべきなのは分かるのだが、ここまで非情に徹しきれるものなのか。彼女は氷の柱というより、氷の刃だ。
別に、悪さをしなければ良い話なのだが、それでも背中がぞわっとした。