第1話 最愛の美女桜
「貴方が直接赴かれるなんて、珍しいですね」
走行中の車内で、若い女が、同乗者に話しかける。
同乗する老紳士は、落ち着いた声で
「昔からの馴染みなのですよ。それに、ちょっと気がかりなことがありまして」と返した。
黒塗りの車には、専属の運転手が付き、二人は後部座席にて、目的地への到着を待つ。景色を眺める女は、自身の立場も忘れるほどに、驚きと関心を示した。
「王都から目と鼻の先に、こんな場所があったとは思いませんでした。これ、途中から歩きになるんじゃ……」
あまりにも山深い様子に、彼女はそんな心配を口にする。
「道は少々悪いですが、ちゃんと車で入れますよ」
「はぁ。なぜ貴方の車が傷だらけになったのか、よく分かった気がします」
いかにも高級そうな車を、平然と山奥で使う老紳士に、彼女はため息を吐いた。
二人を出迎えたのは、時代錯誤の古い家だった。あちこちにある修繕の跡は、どれも見栄えが悪く、住人が自力で直したのだろうと、容易に察せられる。今にも崩れそうな有り様ではあるが、まだ、住居としての役目を果たしているということを、庭先に立つ住人が証明していた。
その無造作に束ねられた黒髪は、腰のあたりまで流れ落ちる。長い黒髪が、美人の条件とされたのは、最早過去のものである。しかし、そうは言っても、つややかな美髪というのは、心引かれるものだろう。もっとも、この住人は後ろ姿であっても、男だと分かる背格好だったのだが。
「あの、雲貝さんのお宅でしょうか」
女の声に反応し、住人が振り返ると、二人は、共に同じ感想を持った。
「(目つき悪っ!)」
思っても声に出さない。これが大人のマナー。それくらいの分別は、彼等にも備わっている。勤務中なのだから、尚更だ。
「えーっと、あんた達が……あー『弔い省』だっけ?の、人?ばーちゃんの葬式とか相談に乗ってくれるっていう」
この発言だけで、彼がいかに世間ずれしているか、二人には良く分かった。
「ええ、そうです。弔い省職員の、雲尻矛と申します」
矛は、首から下げていたカードを差し出す。
「え、何?」
戸惑う彼の姿に、彼女もまた、大いに戸惑った。
「何って、私のプロフィールデータですよ。お手持ちの端末で確認してください」
「いや、だから、何だよ、それ」
老紳士は、困惑する若者たちに、落ち着きはらった声で助け船を出す。
「用意しておいて正解でした。これを」
差し出された小さな紙を、住人が受け取る。
「名刺か?こっちがお姉さんので、こっちのが爺さんのだな」
「爺……っ」
「はい。村雲馬澄という者です」
彼の立場を知る矛は、無礼な言葉に反応したが、当の馬澄に気にする風は無い。
「馬澄さん? じゃ、爺さんがオレの電話受けた人?」
「そうなりますね、綾谷連人君」
二人のやり取りに、矛はますます訳が分からないという顔で
「弔い卿に直接葬儀の依頼って一体……というか、綾谷ってもしや……」
と頭を抱える。
「言ったでしょう、亡くなられたタチさんとは、昔からの馴染みだと。連人君が困らないよう、彼女が私の連絡先を教えていただけです。……さて、本題に入りましょうか。まずは、ご遺体の確認をさせていただきます」
継ぎはぎだらけの寝具に、横たわる老婆。連人が「ばーちゃん」と呼ぶ、雲貝タチの遺体。神妙な面もちで、馬澄は彼女の死を確認した。
「こちらが死亡診断書です。本来なら、警察官立ち会いのもと、正規の医師が書くべきなのですが、余程の事情が無い限り、高齢者の死因調査は行わないことになっていますので、私が作成いたしました。一応、医師免許は持っていますし……連人君?」
「や、何でもない。……ばーちゃん、本当に死んじゃったんだな」
自分の目だけでは、その事実を確信出来なかった。否、そうではない。事実から目を背けることが、出来てしまったのである。だが、こうして客観的に証明されては、連人も受け入れるしか無かった。
「この後はどうすりゃ良いんだ?この家、オレしかいないから、全部オレがやらないと」
そう言いながら、連人は二人から顔を背ける。自分に現実を突きつけた紙切れを、目隠し代わりにして。
「役所に、タチさんが亡くなったことを、届け出る必要があります。役所までは我々がお連れしましょう。葬儀などは、それが済んでからとなります。埋葬が終わるまで、弔い省の職員がサポートしますよ」
連人の意地を汲んだ馬澄は、あえて慰めの言葉を避ける。
「そっか。んじゃ、何も心配いらないんだな。良かった良かった」
連人は、堪えきれなかった一滴を袖で拭うと、顔を上げた。
連人が落ち着いたのを確認すると、矛は慣れた様子で本題に入る。
「では、埋葬までの具体的な流れを決めてしまいましょう。連人さんは移動手段をお持ちで無いので、役所や葬儀場へは、こちらが用意した車での送迎となります。役所での手続きは早い方が良いのですが、希望の日はありますか? こちらも車を手配する都合があるので、今決めて頂けると助かります」
「オレはいつでも大丈夫だけど、早いってどんくらい?」
「最短で明朝です」
「お、おぉ」
想像よりずっと早い展開に、連人は思わずたじろぐ。
「葬儀はご自宅になさいますか? それとも葬儀場になさいますか? 葬儀場で行う場合は、一度ご遺体を安置所へ運ぶ必要があります。何度も往復するのは大変ですから、ご遺体を運んだ足で、役所まで回ることになるでしょう」
「それなんだけどさ『葬儀はしなくていい』って、ばーちゃんが言ってたんだよ。その場合はどうなるんだ?」
雲貝タチ、最後の願い。それを、連人は叶えたいと思う。たとえそれが
「どうせ私は誰とも繋がっていないから」
という、寂しい理由であったとしても。
弔い省においても、故人の希望は、可能な限り尊重される。矛は、葬儀を行わない前提で話を進めた。
「葬儀を行わないのでしたら、ご自宅か安置所で納棺した後、火葬してお墓に埋葬となります。お墓はお持ちですか? 埋葬先が無いようでしたら、共同墓地も……」
連人は首を横に振る。
「ばーちゃん、墓には一人で入りたいんだってさ。どうも、人付き合いが嫌いらしい。こんな山奥に引っ込んで生活していたのも、誰とも会いたくなかったからだしな。あ、オレは別だぜ?」
死して尚、他人を拒むという姿勢は、社交的な矛に理解出来る心理ではない。自分と対局の思考をもって、望まれた願い。彼女はそれを、何度も見てきた。故に、彼女は拒まない。
「お墓を新しく建てるとなると、かなりの費用になります。葬儀などは国の補助でどうとでもなりますが……お墓については、共同墓地の提供以外、公的な支援が無いんです。散骨などは民間企業に任せていますので、やはり、高額になる傾向がありますね。そもそも、民間企業を利用した葬儀や埋葬は、大金を払ってでもオプションを付けたいという、富裕層向けのプランがほとんどですから」
「一般人は素直に国の世話ンなれっつーことね。で、墓を建てるには、いくら必要なんだ?」
矛は、資料ファイルを開く。
「これくらいですね」
「……高くね?」
山奥で、半ば自給自足に近い生活を送り、物の値段など知らずに育った連人にも、それが手の届かない代物であることは、十分に理解出来た。
「ばーちゃん……『墓代は貯金してるから大丈夫』って言ってたのに……三分の一も無いじゃんか」
「三分の一、ですか。一昔前ならともかく、今時その予算でお墓を探すのは、現実的ではありませんね」
故人の願いは叶えたい。だが、現実は現実として、受け止めなくてはならない。連人は落胆した。
その姿を見て、それまで黙っていた馬澄が口をはさんだ。
「よろしい。私が出しましょう」
馬澄の言葉に、二人は目を見開いて反応した。
「出すって……墓、建てて貰っちゃって良いって、こと?」
「ええ。足りない三分の二は、私の個人資産で補填しましょう」
身なりの良さから、彼がそれなりに裕福な人間だということは、連人も察していた。けれど、いかに裕福だからといって、簡単に甘えるのは躊躇われた。
「ばーちゃんの知り合いとはいえ、そこまでして貰うってのは、気が引ける。どっかで帳尻を合わせられれば良いけど、オレは何も持ってねぇし」
「懐かしいですね。タチさんも似たようなことを言ってましたよ。では、こうしましょう」
馬澄は、墓代の提供に条件を付けた。
「一つ。お墓の場所は、私が墓参りに困らない場所に建てること。二つ。連人君が外の世界と繋がること。三つ。君がタチさんと過ごした十一年を、私に話すこと。全て呑んでくれるなら、いくらでも出しましょう」
連人は、釣り合いが取れていないと思った。どう考えても、自分の方が得をしている。とはいえ、連人はこれ以上の代替案を持ち合わせていない。彼は、素直に甘えることを選んだ。
その後も話し合いが続けられ、その日の内に、埋葬の段取りが決まった。
「では、我々はこれで。次にお会いするのは納棺の時ですが、何かあれば、遠慮無くお申し付けください」
二人が帰ると、連人は彼等の名刺を取り出す。
「弔い省……か。オレみたいなのには有り難い制度だな、本当。それにしても、雲尻に村雲、ばーちゃんが雲貝。皆、雲ばっかだな。てか『ほこ』ってこの字かよ。綺麗なお姉さんなのに、物騒な名前。馬澄さんの肩書きは『弔い卿』。卿って何だ? ブチョーだのセンムだのなら、オレも知ってるけど」
タチの隣で、独り、ぶつぶつと喋る連人。口に出したところで、意味は無い。ただ、声音の途絶えた時間に、耐えるのが嫌だった。
埋葬までの手順は少なくない。が、その大部分は弔い省職員が行う。連人は葬儀を行わないこともあり、ほとんどやる事が無い。連人には、これがとても堪えた。気を紛らわす手段が、欲しかった。
納棺までに連人がやった事と言えば、遺体と共に納める、故人に縁ある品を集めるくらいのものだろう。各種手続きのため、書類等も必要だったが、それもタチが生前に纏めており、連人が時間をかけて用意することは無かった。
「ばーちゃん、何を入れたら喜ぶんだろうなぁ」
タチの持ち物は少ない。家には、生活に必要な最低限の物だけが揃う。連人は、床をギシギシ鳴らしながら、家の中を見て回る。しかし、これといって何も見つからない。
「そりゃ、ある訳無いよな。ばーちゃん、何も欲しがらなかったんだから」
諦めかけた連人は、ささくれ立った縁側に座る。視界に入るのは、自分が耕した畑と、置きっぱなしの軍手。蛇口から伸びる汚いホース。そして……。
「そうだ、あれを入れたら、ばーちゃん喜ぶんじゃないか!?」
連人にとっての最善。それは欲の無いタチが、
「そろそろかしら」
と、いつも心待ちにしていたものだった。
納棺の日、連人の気持ちは晴れやかだった。タチの死は辛かったが、タチに、一番良い思い出を渡せることを、誇らしく思うのである。
「今回は、故人が略式を希望されているとのことで、諸々の儀式は行いません。身を清め、給仕服に着せ替えるだけとなります」
「給仕服って?」
もはや、矛は連人の無知に驚かないが、他の職員は、一様に驚いていた。
「亡くなった方は、天国で神様の召し使いになるんです。そこで頑張った人は、天国でより豊かな生活が送れるよう、神様が取り計らってくださるんですよ」
「(神様に渡す賄賂は労働なのか)なるほど。だから死に装束が給仕服なんだな」
タチの身体を拭きながら、連人は、彼女の死を、改めて実感した。どこを触れても、あの日だまりのような温もりは残っていない。自分の指先に伝わってくるのは、冷気ばかり。それでも、もう少しだけ触れていたかった。
純白の給仕服に身を包んだタチを、職員達が棺へと納める。蓋が閉まれば、もう、触れることは出来ない。それを惜しむのは、当然の心理であったが、それを待つ者はいない。
「副葬品はおありですか?」
「……ああ、今持ってくる」そう言って、連人は外に出た。
「これ」
連人が手にしていたのは、濃いピンク色の花だった。
「確か、バーベナって名前だったかな、この花。ばーちゃん、オレが育てた花が咲くの、毎年楽しみにしててさ。今まで結構色々育てて来たんだぜ? 本当は全部入れたいけど、そうもいかないしな。今回はこれにする。他の花は、墓参りの時に持ってくよ」
柩の蓋が閉じる。自宅から運び出され、行き着くは火葬場だ。その後は骨と灰だけになった、愛すべき家族との再会が待っている。連人は、借り物の靴を履くと、用意された車に乗り込んだ。