お前らみんな悪趣味だよ
「お前、何だそれ」
文庫本から顔を上げた幼馴染みは、何が、と言いたげに首を傾けた。
長い前髪がサラリと流れていく。
持っていた携帯端末で、薄い色味の下唇を突けば、合点がいったように頷いた。
嗚呼、という気のない返事と共に、猫のブックマーカーが文庫本へと吸い込まれる。
「噛み付かれた」
「はぁ?また野良猫にちょっかい出してたのかよ」
濃紺のブレザーには猫の毛なんて付いていないものの、目の前の幼馴染みは良く野良猫を見付けては付いていったり撫で付けたり。
最初こそ迷惑そうに尻尾で払い除けていた野良猫達も、回を重ねる事に幼馴染みに懐いていく。
そして当の本人は、野良猫にちょっかいを出した後でも、その痕跡を残さない。
先日たまたま見かけた野良猫の集会のド真ん中に、幼馴染みの姿を見かけたことを思い出し、遅れた頭痛がやってくる。
額に手を当てれば、文庫本を閉じた幼馴染みが「ううん、違うけど」と答えた。
「隣のクラスのヘアピンちゃん」
下唇の一箇所を赤く染め、血の塊を付けたまま言う幼馴染みは悪びれない。
否、別に俺は悪びれて欲しいわけではないが。
人の顔と名前を覚えない――最早覚える気がない――幼馴染みは「ほら、あの子だよ。確か」と教室の出入口である扉を指差す。
骨と血管の目立つ指先を追いかけていけば、バチリと音がしそうな勢いで目が合った女子生徒が一人。
横髪が落ちてこないようにヘアピンを使用している女子生徒は、俺と目が合えばゆらゆらとその目を揺らし、幼馴染みが手を振った。
釣られるようにして手を振る女子生徒を一瞥し、幼馴染みへ視線を戻せば変わらない無表情がそこにある。
他人に対して興味を抱かない奴が、一体どうしたというのか。
眉を寄せれば、俺を見た幼馴染みがわざとらしく肩を竦め「別に、好きじゃないしね」と言う。
どうでも良さそうに頬杖を付く幼馴染みは、長い前髪の隙間から、細めた黒目を覗かせる。
「オミくんが食べたみたいだから、どんなもんなのかなと思って」
ぽかん、一瞬、間抜けにも口が開く。
「まあ、結局猫に噛まれる方が全然マシだと思うよ。噛まれたことないけど」
お前は猫に噛まれるどころか引っ掻かれたこともないだろ、とは言えなかった。
開いた口が塞がらない、という言葉は正しく今この状況で使うに相応しいものだ。
脈打つような痛みが米神から走り、頭痛が酷くなる。
詰まらなさそうな顔で「リップクリームは安っぽい苺の香料凄かったし」ボヤく幼馴染み。
俺もそう思う、とは思っても言えない。
こちらを覗き見る幼馴染みは、今日一番の表情筋の働きを見せ、目元と口元を僅かに歪めていた。
「まあ、安心してよ。ボクには旨味が欠片も、これっぽっちも、ミリ単位でも分からなかったわけだから」
チッ、と乾いた舌打ちを一つ。
薄く、それでも愉しそうに嬉しそうに笑う幼馴染みが、心底気持ち悪い。
伸ばした手が濃紺と臙脂のネクタイを引き、若干上ずった驚きの声を聞く。
薄い色味の唇はその温度も弾力も薄い。
見開かれた黒目を見ながら、前歯で血の塊を削ぎ落とし、傷口を抉るように噛む。
「痛っ」
離れた途端、口元に手を寄せる幼馴染み。
骨と血管の浮いた手と指の隙間から覗く下唇には、新しい血が滲み重力に従って下へ流れようとしている。
「同じところ噛んだ……。治り遅くなるじゃんか……」
恨みがましい声を聞きながら、手前の椅子を引き腰を下ろす。
ドカリ、と音を立てた後に生理的な涙が浮かんで揺れる黒目を見て、鼻から抜けるような笑い声が漏れた。
「良い気分だろ」
携帯端末の電源を入れて言えば、キョトンと丸められた黒目が俺を映す。
「……何だか青春だね、ボク達」
「こんな地獄みたいな青春、あってたまるか」
クラス中の視線を集め、阿鼻叫喚とも言える騒ぎが起きる中で、俺は二度目の舌打ちをした。