27話 上司と部下と魔物と家庭教師?と その1
「歌で祝われる誕生日か……、ワタシの時も……。
いや、誕生日など来なければ永遠に二十代でいられ……」
「何ブツブツ言ってるんですか?気持ち悪さが倍増してますよ?」
ここはザグナル警備兵詰所の隊長室。
王都からの郵便物を届けに来た部下が、偶然耳にした上司のひとり言へ即座に嫌味を含んだツッコミを入れる。
この部屋の扉はよほどのことが無い限り、開かれた状態で固定されていた。
部下は入るときに開かれた状態の扉を軽くノックして、入室の合図を送っていたのだが、ひとり言を言ってしまうほど妄想に夢中であった上司がそれに気づくはずもなく、今の状態に至る。
そもそも、なぜ部屋の扉が開いているかというと『開かれた隊長室を目指す!』と上司が言い出して誰でも入ってこれるようにしてあったのだが、始めて以来未だに仕事の報告以外でここを訪れた者は誰もいなかった。
ひとり言を聞かれてしまった上司は少しばつの悪そうな顔をした後、聞いた相手に言われたことの本当の意味するところに気がつく。
「おい、待てっ!それでは普段から気持ち悪いことになるだろ!」
「こういう細かい嫌味だけは、すぐ気がつくんですね……」
上司と部下の会話にはとても聞こえないこの会話の主はルインとギズロだ。
ルインのさきほどのひとり言は、先日行われたラフィルの誕生日に起因する。
カズキとその周辺の監視をギズロに命じていた彼女は、その誕生会の監視に参加していたのだった。
「それにしても、ああいう誕生日の祝い方はいいものだな!」
ひとり言を聞かれたということがなかったように話を続けるルイン。
彼女はそう言いながらギズロをチラチラと見ていた。
その視線に気づいた方はというと、大きく深いため息をつく。
「はぁ、この流れはある程度想像してましたから、驚きはないですけどね……。
しかし、一つ大事なことを忘れてませんか?
隊長は自分の部下にピアノか、それに代わる楽器を弾ける者がいると?」
そう指摘された後、自分の隊にいる面々の顔を思い出したルインは落ち込んだ表情になってしまう。
王都でならいざ知らず、赴任してきたばかりのこの町に楽器演奏ができる知己などいるわけもないし、プロに頼むにしても魔物領にほど近いこの場所で音楽を生業にして暮らす変わり者がいるとは思えなかった。
実際、ギズロの報告書で見るまでこの町に楽器店があると思っていなかったし、その楽器店も楽器専門店というわけでなく、音楽を聞くのが好きな店主が農耕具を売るついでに趣味で楽器も扱っている程度のものだった。
そうなると当然演奏は部下に任せることになるのだが、楽器どころか音楽と縁のある生活を送ってそうな者がいなかったのだ。
王都の隊員の中にはそういうことに秀でた者もいるかもしれないが、ここは魔物領と人間領の境にほど近い場所に新設された詰所で、最近の頻発する魔物出現対処のために各部隊から戦闘面での精鋭が選りすぐられた場所。
戦闘では頼りになる部下たちではあったのだが、芸術方面で戦闘と同じ程度に頼りになりそうな者はいなかった。
それを見たギズロは言葉にはしないが『やっぱり深く考えてなかったか……』という表情をしながら話しを続ける。
「まぁ、どうしてもと言うなら方法はありますよ」
「どうしてもだ!
独身三十歳の誕生日の悲しみを忘れるには、
それ以上の楽しさで覆い隠すしかないんだよ!
それにはどうしても必要なんだ!」
ルインの言葉には必死さが感じられた。
この世界の人間(より正確に言うなら人族)の平均寿命は、
男女共に六十歳を少し超えた程度であった。
結婚の適齢期は十八歳から二十三歳ぐらいとされていて、四十歳を少し過ぎた頃に初孫が出来たという話しがざらにある。
そういう環境での三十歳独身女性の悲哀は尋常ならざるものであった。
「そんなに悲しいなら結婚すればいいじゃないですか……。
地位も名誉も金もあるんだから……。
見た目だって、俺はまったく好みじゃないけど美人なんですし……」
「オマエの好みの話しいるか……?
だいたいワタシが美人で金があって地位も名誉もあるなんてことは、
ワタシ自身が一番わかっている。
相手がいないのだ、相手が……。
……いや、こんな話はどうでもいい。その方法とやらを詳しく聞かせてくれ」
ギズロの言うことはもっともなのであるが、相手がいないと言われてはそれ以上何も言えない。
ルインの方も好みではないと言われ少しイラっとしたが、部下に結婚について相談をするつもりなどなかった。
「簡単な話ですよ。カズさんとエルちゃんに頼めばいいんです」
「監視対象にこんなこと頼めるはずないだろ。寝言か?」
思いもよらない提案であった。
まさか、自分が監視を命じている相手に、自分の誕生日にピアノを演奏を頼めと言われるとは考えてもいなかったのだ。
「起きてても俺の寝言以下のことしか言えない隊長に言われるのは心外です。
つまりですね、隊長の誕生日までにはまだ日がありますよね?
その間に疑念を全て払拭した上で、頼めばいいんですよ」
「なるほどな……、確かにその通りではある……」
ギズロの説明に頷きながらこう答えた後、軽く首を捻りながら続ける。
「しかし、お前のカズキへの信頼はすごいな……」
意識して口にした言葉ではない。
知り合って間もないはずの人間を、なぜそんな簡単に信頼できるのかが理解できないルインの思いがぽろっと口に出ていた。
「なんででしょうかね、正直なところ自分でも不思議なんです。
監視はしてたし、過去の経歴なんかも調べて人となりなんかは掴んでるつもりですけど、知り合って間もないし特に親しいという訳でもないのに、カズさんのことは信じられるというか……、自分が同じ立場になったとしても出来ると思わないことをやっている人への憧れとか尊敬ってやつですかね。
そういう意味では隊長も同じですけどね」
「…………」
まさかこの流れで自分のことを誉められるとは、微塵も思っていなかったルインに驚きと喜びの感情が押し寄せる。
しかし、ここで素直に喜ぶのは少し恥ずかしい気がした彼女は、笑顔を作って喜びを表現しようとする表情筋を必死に押さえ込んで、無表情を装った。
そんな戦いが繰り広げられているとは思っていないギズロは、せっかくたまに誉めたのに……と少しがっかりしたような顔になった。
「そんな無言で無表情にならなくても……。
今言ったことは本気で思ってるんですよ?
俺が副官で許されるのは隊長くらいなものです」
「べ、べつに無表情になっていた訳じゃないぞ!
まぁ、カズキに関してのオマエの考えはわかった。
では、その憧れている人間が善人でなかった場合、どうするんだ?」
「言うまでもないですね。犯した罪を償ってもらいますよ。
ついで……と言ってはなんですけど、隊長にお聞きしたいことがーー」
話を続けるギズロに向けて、右手の手のひらを見えるように突き出してルインはそれを遮った。
「心配するな、お前が言いたいことはわかっている。
あの誕生日の様子を見た後だしな。
報告書やあれを見てなお、なぜワタシがカズキへの疑念を捨てないのか?
そういうことだろう?」
「はい、その通りです」
「カズキは良い奴なのだろう。素直にそう思う。
そう思ってるはずなのに……なのに、信じ切れないんだ!
人の心を読む異能を持って産まれたワタシは、心を読むことでしかその人間が信用にたる人物かどうかを判断できなくなってる……。
だからこそ、ワタシは心を読めないあの4人が怖い。
怖くて仕方がないんだ!」
突然の告白だった。
本人であるルインでさえ、なぜ自分がこのような行動を取ったのかわかっていない様子で、その場に立ち尽くしている。
聞かされたギズロの方も当然驚いたのだが、その後にすぐ後悔の念が津波のように彼の心を襲った。
「隊長……すみません……おれ、おれ……」
ギズロは目に涙を溜め、握った拳をぷるぷると震わせながら自分の気持ちを言葉にしようとする。
ルインの異能のことを知っていて、カズキたちの調査を頼まれた自分なら、彼女の心の葛藤を理解できたはずである。
そう思う気持ちが強くなるにつれて、自分への怒りが増す。
それなのに副官という立場に胡坐をかいて、心を読まれてもいいように本音でさえ接していればそれでうまくいく、そう考えていた自分の愚かさに腹を立てていたのだった。
我に返ったルインがギズロの様子をみて、慌てて声をかける。
「え……おい……なんで、お前は泣いている……」
「心読んでください……、ちょっとうまく言葉にする自信ないです」
「待ってやるから、自分でなんとかしろ。
こういう時に心を読むとな、深層意識とでもいうのか相手の触れられたくない部分までわかってしまうことがあるんだ。
そんなことしたくないし、オマエもされたくはないだろう?
だから、自分でなんとかしろ。
少し時間が必要だろうし、その間二人とも黙ったままというのは気まずいから、ちょっとワタシの話しでも聞いてもらうとするかな。
知っての通り、ワタシは心を読める力を持っている。
普通の人間にはない所謂、異能と呼ばれるものだ
そして、この異能のせいで、五歳になる頃には両親に距離を置かれたよ。
やっていいことかどうかの判断もできない年齢だ。
読んだ相手の心をそのまま口に出していてな、気味悪がられたんだ。
まぁ、そんな子供だから友達も出来ずにずっと一人だった。
転機が訪れたのは、二十歳で先代の王都東詰所隊長の副官になった時だ。
副官だからな、上司と常に一緒に行動しないといけないし、会話をしないなんてことは出来ない。
今ほどうまく異能をコントロールできなかったワタシは、心を読めることを正直に上司に言ったんだよ。
そしたら、その上司なんて言ったと思う?
『だからなんだ?』って、一言だけ返された。変わった人だろ?
で、その後に『オマエの能力は使えるから、仕事で十分使えばいい』って言ってくれてな、救われた気持ちになった。
今では、ワタシの一番信頼している人だ。
そしてな、二番目に信用してるのはギズロ、オマエなんだぞ?
涙なんて流してる暇があったら早く言いたい事言って、すっきりしてしまえ」
「あの……隊長……話が長いです……。
あとですね、こういう時は黙って見守ってくれるとありがたかったです。
気まずいという理由で、そんな話をしないでください」
「そうか、それもそうだな。すまなかった。
長話しのせいか喉が渇いた、コーヒーを頼む」
それだけ言ってルインはギズロの肩をポンポンと叩き、それ以上は何も聞こうとはしなかった。
上司の優しさを噛み締めながらコーヒーを煎れようと準備をしていると、突然けたたましいサイレンの音が詰所に響く。
それは、魔物発見の狼煙を監視台の見張りが発見した合図であった。
「ギズロ、仕事だ。いけるな?」
「当然です」
上司の問いに短くそう答えて、状況を報告する。
「現在、第一小隊が町の東部、第二小隊が町の西部を定時巡回中です。
すぐに同行できるのは第三小隊二十名。
あとは非番の隊員達に非常召集をかければ、倍までは増やせます」
そこへ、監視台からの報告が伝声管を通して詰所の各部屋へと伝えられる。
『狼煙が確認されたのは、町の東南東約三キロの地点です。
繰り返します。
狼煙が確認されたのは、町の東南東約三キロの地点です』
「聞こえたな?発見したのは第一小隊のようだ」
「編成はどうしますか?」
「ワタシが第三小隊を率いて出る。
第三小隊長ワッツは非常招集をかけた隊員をまとめていつでも出撃できるように準備させておけ。
出発は十分後だ。遅れるなよ!」
「はい!」
そう言うと、ルインは魔物発見地点周辺の地形を確かめるために、部屋に張られた地図の前に移動する。
ギズロは隊長からの命令を第三小隊の隊員たちへ伝えるために、走って部屋から出て行った。
ここ最近、カズキたちの監視が主な任務になっていたが、魔物討伐こそが彼らの本来の任務なのである。
二人の顔は監視任務の時とは比べ物にならないほど、険しく、そして真剣であった。