02話 異世界九年史 その2
――こちらの世界についてから、二年が経っていた――
言葉にも慣れ、読み書きもそれなりにできるようになっても、
問題は残っていた。
生活様式や文化の違いだ。
生活様式については、元の世界のヨーロッパとほぼ一緒だと思う。
主食がパンだったり、テーブルマナーにうるさかったり、
純日本人の私にはやはり少し居心地は悪かった。
服装は少し現代寄りでTシャツを普段着として着る文化が定着しており、
夏に街へ出ると半数はそれを着ていた。
男性がスカートを履くのも割りと当たり前のことのようだったが、
気恥ずかしくて一度も履いたことはない。
文明レベルは元の世界でいう十七世紀後半から十八世紀初頭くらいであろうか。
大きな街では至るところに、
オイルランプ式の街頭が設置され夜の街を明るく照らしている。
違う世界なので、元の世界に当てはめて考えすぎるのはどうか?とも思うが、
参考程度にはなった。
北方にあるカクラルム山脈のさらに北には魔物も住んでいるというが、
一度も見たことがない。
こういうのは異世界を実感できた。
異世界といえば、ファンタジー小説などで見られる魔法の存在も、
私の生活圏内では見ることはなかった。
魔物がいるのだから、この世界のどこかにはあるのかもしれないが……。
こうしていろいろなことを知り、少しずつ異世界の生活に順応していった。
言葉の問題がクリアできた頃、新たな仕事が与えられた。
幸運だったのは、こちらの世界でもアラビア数字が使われていたこと。
計算能力を買われ、経理の仕事を任される事になった。
これで、下男から見習い従業員という立場に昇格。
と、同時にオルロさんの娘の家庭教師に任命される。
娘の名前はエルリア。愛称はエルで、年齢は八歳。
綺麗な青い目をしていて、腰まで伸びた金髪を動くたびに揺らしている、
可愛らしい女の子だった。
最初の家庭教師の授業の時に
「『お嬢様』と呼ばれるのは好きではありません、できれば愛称で呼んでください」
と言われ、似たもの親子だと笑ってしまう。
一年ほど家庭教師を続けると、可愛いだけなく聡明で普段は大人しいが、
時折頑固な面を見せることもある芯の強さを持った少女、
という印象に変わっていた。
私の時間が空いた時には、逆にこの国の歴史などを教えてくれたりもした。
経理の仕事を始めてから三年が経った時、次の転機が訪れた。
その日、オルロさんに呼ばれ、一人の女性を紹介される。
名前はラフィル・ミーン、年は二十一歳。
ショートカットが似合う、縁無しメガネをかけた知的な感じの女性で、
朝顔を連想させる紫がかった薄い青の髪色が目を引いた。
彼女は五年前に肉親を全て失い、
それから生活の為にバルトス商会二号店で働いていたらしい。
真面目で仕事熱心な性格だが、無口で愛想がなく妥協を許さない姿勢から、
周りと衝突することもたびたびで、二号店店長が扱いに困っていた。
それをオルロさんが引き取って、私のサポート役につけ、
新規オープンする四号店の運営を二人でさせる、という。
下男として拾われてから、たった五年での異例の出世。
幾らなんでも早すぎる思い辞退を申し出るが、却下された。
店長就任が決まった時に、正式にバルトス商会の従業員へ昇格。
住んでいるオルロ邸の離れから四号店は遠い為、引っ越す事になった。
但し、週二回のエルへの家庭教師は継続された。
四号店の仕事は順調だった。
サラリーマン時代の経験も役立ったが、ラフィルの働きも特筆に値した。
私の仕事のやり方をすぐに理解して、的確にサポート、更には改善案まで。
欠点は、少し無口で無愛想であること、話し方が堅すぎること、
私を呼ぶとき名前に『様』をつけて呼ぶことくらいだ。
私自身オルロさんを『様』付けで呼んでないないので、
出来れば辞めてほしかったが、いくら言っても直らないので、
何か言えないこだわりがあるのかもしれないと考え、
目をつぶることにした。
この頃、少し体調を崩して一ヵ月ほど、店を休むことになる。
エルが学校帰り毎日のように看病に来てくれて、とても助かった。
復帰後知ったのだが、エルが頻繁に来てたのはラフィルの依頼だという。
自分も看病に行きたいが、それをしてしまうと店の営業に差し障りが出るので
信頼できるエルに頼んだそうだ。
雇われてる立場の自分が、雇い主の娘にこんな事を頼むのは非常識だ、
と何度も何度も頭を下げながら。
ラフィルを有能で信頼できる人物、そう思うようになっていた。
四号店を任せされてから、一年が経過。
右肩上がりの売り上げで、ついに四店舗の中で一番になった。
この世界に来てから、ここまで六年。
このまま順調に行けるほど、人生は甘くなかった。
事務所で仕事をしていると、珍しくオルロさんが訪ねて来た。
開口一番、謝罪される。
話を聞くと、私に対する他の従業員たちの批判が、
ついに庇いきれない程に大きくなったという。
直接の原因は、四号店の売り上げが一番になったことだろう。
つい最近まで下男だった男に負けるのは、プライドが許さなかった、
というところか。
そこで、王都から他の都市へ異動させるということで、
なんとかなだめたという話だった。
勝手に決めたことを、重ねて謝罪される。
「今までに受けた恩に比べれば、たいしたことないです」
そう伝えると、目に涙を浮かべながら、笑ってくれた。
新しい赴任先はザグナルという、
初めてオルロさんと出会った場所の近くにある中規模都市だった。
ザグナルでは用地買収・店舗の設計と建築・仕入先確保の全てを一人でやることになった。
難しい仕事になることはわかっていたが、
貴重な経験ができると割り切り、心機一転頑張ることにした。
四号店の後任店長には、ラフィルを推薦した。
ザグナル赴任前日。
やっておくことが幾つか残っていた。
まず、オルロさんへの挨拶。激励の言葉をいただく。
次にエルへの四年続けた家庭教師、最後の授業。大泣きされたが、
「今生の別れになる訳じゃない、またすぐにあえるよ」
と、なんとかなだめることができた。後任店長の為の資料整理なども完了。
そろそろ寝ようとしたところへ、ラフィルから突然の訪問を受けた。
しばしの沈黙。彼女が口籠もってしまう話題を想像できず、困惑した。
小一時間程ほど待って、彼女から出た言葉は、驚愕するに十分な内容だった。
ここを訪れる前にオルロさんの所へ行き、辞職を願い出て、
その足でここへ来て、自分をザグナル店で雇え、そう言うのだ。
彼女の有能さは私が一番理解していたので、嬉しい申し出ではあったが、
ザグナルにはまだ店舗がない。
当然、従業員としての経費は落ちず、店舗完成まで自費で雇うことになる。
私の経済状況を正直に話し、給料の減額などのリスクを説明したが、
それでも彼女の意思は堅かった。
そして、彼女の心の叫びにも思える言葉を、初めて聞くことになる。
「食べる為に十六歳から働きだして、仕事を楽しいと感じた事は、
カズキ様と一緒に働いた時間以外には、一度もございませんでした。
私みたいな無口で無愛想で、融通の利かない、働くだけしか能がない女が、
そう思える上司と職場に次いつ出会えるかわかりません。
もしかしたら、もう出会えないかもしれない。
後任の店長に推薦してくださったことは、大変感謝しておりますが、
どうか……どうかこのまま、お側で働かせていただくことは、
できませんでしょうか?」
普段無口なラフィルにここまで―特に後半部分は目に涙をためながら―、
言われれば断ることなど出来なかった。
とりあえず話は理解したが、
私一人で全てを決めていい問題ではないと伝え、夜も遅いので家まで送る。
翌日ラフィルを連れて、オルロ邸へと向かった。
無論、彼女をザグナルへ連れて行く許可を取る為だ。
四号店の後任店長の件で揉めるかと思ったけれど、
あっさり連れて行くことを認めてもらえた。
ラフィルの同行が認められたので、出発が少しだけ延期になった。
彼女の引越し準備や、仕事の引継ぎの為だ。
少し時間が空いたので、ザグナルという街の復習をしておくことにした。
街の北にはカクラルム山脈という三千メートル級の山々がそびえ、
その雪解け水のおかげで非常に肥沃な大地が広がる。
その土地を利用して大豆・トウモロコシ・綿花などを栽培している穀倉地帯である。
また、カクラルム山脈は人間領と魔物領の境界線でもある。
ここ五十年、それを超えて魔物が進入してきたことはなく、
ほとんど問題視されていない。
王都に比べれば街の大きさは半分以下で、人口は四分の一程度しかいない。
地域の人間性の特徴としては、情に厚い人が多いが事があげられる。
オルロさんの出身地でもある。
ああ……なるほど……、と納得した。
――過去を振り返る旅は、もう少し続く。