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②買い出し その2

買い出しの続きです。

 そうして二人は酒屋にやってきた。

 今日最後の買い物だ。

「あの、予算これだけしかないんだけれど、どうぞヴォルフの好きなお酒選んで下さい」

「え、いいのか? というかロマンに会いに来ただけなのに、なんか色々気を遣わせてしまって申し訳ないな」

「大丈夫。お客さんにはいつもこんな感じだから。ちなみにいつもはこの辺りのワインを買ってるんだけど……」

 言いながら、ブランカはいつも買っているワインの棚へとヴォルフを案内する。ワイン生産の盛んなフラウジュペイで一番市場に出回っている種類の物だ。値段は安い割に飲みやすくて美味しいと、大人たちの間では評判のメーカーだ。

 ふぅんと棚に並ぶワインを見渡しながら、ヴォルフは聞いてきた。

「お前も飲むの? 確かフラウジュペイって十六、七から飲酒できたよな」

 正確にはワインやビールなどの度数の低い醸造酒が十六歳から、ウイスキーやテキーラなどの度数の高い蒸留酒が十八歳から法的に飲酒を認められている。

 しかしブランカは首を横に振った。

「飲んだことないです。せいぜいホットワインくらいならあるけど、それもあまり」

「何で?」

「だってあまり飲む機会もないし。それに私、多分弱い」

 言いながらヴォルフの方を向くと、彼は「へぇ」と口角を上げた。これはきっと良くないことを企んでいるときの悪い顔だ。

「……今度は何? 言っておきますけど、私は飲みませんからね」

「いや、流石に弱い奴に飲ませるような真似はしないけどな。しかし、酔ったらどうなるのか、きっとさっきみたいに大声上げるんだぜ。見物だな」

「ちが……っ! あれはヴォルフがからかうのが悪いんでしょ!」

「そうだな、飲まなくてもお前は元気だった」

「そういうことじゃなくて……っ」

 先程のやりとりを思い出してかヴォルフがククッと笑いを堪えるので、ブランカは再びカーッと赤くなってヴォルフをぽかぽか叩く。本当にこの人相手だと、調子を狂わされて仕方がない。

 ブランカがむっと頬を膨らませた時だった。

「――お客さん、店ん中で騒がないでくれますかね?」

 やけに棘のある男の声が、二人の会話に割り込んだ。振り向けば棚の入り口にエプロンを下げた一人の少年が立っていた。ブランカもよく知る男の子だ。

 ヴォルフはすぐに「すみません」と下手くそなフラウジュペイ語で謝るが、少年はブランカとヴォルフを機嫌悪そうに眺めると、嫌味っぽい笑みを浮かべた。

「おにーさん、余所もんっすよね? 大丈夫っすかぁ? そいつに触ると菌が感染るって、ダムブルクじゃ有名なんすよ?」

 少年は鼻を摘みながらたっぷり間を持たせて言った。顔も思いっきり顰めて、よくそんな汚い物と一緒にいれる、と言いたげだ。

 ヴォルフが隣で驚いたように息を飲むが、ブランカにはよくあることだ。特にこの少年に限ってはいつもそう。

 彼は元々ダムブルク児童施設に保護されていた子供の一人で、ブランカと同い年だ。去年この酒屋の店主の養子となって施設を出て行ったが、昔も今も、ブランカを見つけては病原菌だの爛れ女だのと罵ってくる。そう言えば施設の子供たちがブランカを病原菌扱いするようになったのも、この少年が発端だった気がする。

 今日は店に入ったときにいなかったので油断してしまったが、とにかく相手にするのも面倒臭い人物だ。

「ヴォルフ、お任せしてしまうけれど、買い物終わるまで外で待ってます。これも渡しておきますね」

 ブランカはすっと顔から表情を掻き消して、ヴォルフの片手に買い物リストをねじ込んだ。自分一人なら無視すればいい話だが、ヴォルフも一緒となると、ブランカがここにいてはただ彼を不快にさせるだけだ。

 そう思って早々に退散しようとするが、不意に腕を引っ張られ、ブランカは気が付いたら背中から頭を抱えられるようにしてヴォルフの腕の中にいた。

 ブランカは何が起こっているのか、頭の中が一気に真っ白になった。目の前の男の子も絶句している。

 頭上でヴォルフが言う。

「その話、もっと聞かせてくれよ。触って菌が感染ってどうなるんだ?」

 ヴォルフは至って愉快そうな雰囲気で尋ねる。しかし何故か少年は一歩後退って顔を引きつらせた。この子の場合ならヴォルフの下手なフラウジュペイ語を笑うことだってあり得そうなのに、そんな様子は一切ない。

 少年はふんと仰け反り返って言った。

「は、肌が爛れるようになるんだよ。気持ち悪いだろ?」

「へえ、実例あるのか? あるなら教えてくれ」

「じ、実例は……」

 少年は分かりやすく目を泳がせて狼狽えた。口から出任せなのだから、そんなものあるはずもない。

 だけど段々ブランカは少年のことはどうでもよくなってきた。ヴォルフの息遣いが近くて、正直それどころじゃなくなっていた。触れているところが熱くて、顔まで熱が上がってきそうだった。

 少年はぐっと唸ると、「そ、それに!」と声を上げた。

「髪が全部白くなって老化するんだぞ! こんなババアくさい髪、最悪じゃん!」

「お、それはいいな。かっこよさそう。あ、でも俺の髪はブランカみたいに綺麗な真っ白になるかな」

「き……っきれ……っ!?」

 さらりと返すヴォルフに少年はまたも絶句して口をぱくぱくさせるが、これにはブランカも耳を疑った。

 買い物に来る道で彼は病原菌のことを真っ向から否定し、火傷の痕も白い髪も肯定してくれていたけれど、こんな人前で堂々とそんなことを言われるのは反則だ。なんだか無性に恥ずかしくて居たたまれなくて凄く逃げ出したいのに、だけどもの凄く嬉しくて身体が熱い。

 目の奥まで熱くなってきて、ブランカは思わず空いた手で顔を覆った。

「あ……っあんた頭湧いてんじゃねえ……!? そんなベタベタ触って歯の浮くような台詞言ってさあ! 気味悪くないの!?」

「いや、全然。思ったことを言ってるだけだし。あ、本当は君ももしかしてブランカの髪、良いとか思ってるんじゃないのか?」

「は……っはあ!? 何言ってんだよ! こんな奴のどこが! こんな無表情で無愛想で反応の悪いつまんねえ女!」

「あれ、そうなのか? 俺はめちゃくちゃ楽しいぞ。さっきだっていきなり大声上げて叩いてくるし――」

「もう! やめてください!」

 流石に聞いていられなくなって、ブランカは勢いよくヴォルフを押しのけた。相変わらず楽しそうな顔が視界の端に入るが、今はヴォルフの顔を真っ直ぐに見られない。

 ブランカは目の前のワインの棚から三本ボトルを手に取って、少年の手にそれらを押し付けた。

「これ、買うからお会計して!」

 少年は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてブランカをまじまじと見るが、次第に悔しげに顔が歪んでいく。

「男連れて浮かれてんじゃねーよ、バーカ!」

 少年は唾を飛ばす勢いで吐き捨てて、レジを打ちに行った。後ろでヴォルフが「度が過ぎたか?」と呟く。

「ま、これでさっきみたいなのを言わなくなるといいけどな」

 言いながらぽんぽんと頭を叩かれるので、ブランカは思わず顔を背け、身を小さくした。

「もう、本当にからかってばっかりで、心臓に悪い……どうかしています」

 頭に浮かんだまま小声でブランカは言う。心臓があまりにうるさくて恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい気分だ。

 だけどこれだけは言わなくてはと、ちらりとヴォルフを見上げた。

「でも、あの、少しだけスッキリしました……」

 消え入りそうな声でぽつりと言って、ブランカはレジの方へ急いだ。ヴォルフの方を見ていられなかった。

 後ろでヴォルフが「確かに俺もどうかしていたな」と苦笑混じりで呟くが、ブランカには聞こえていなかった。

 強引で変わった人で、しょっちゅうからかったりして意地悪な人。だけど真っ向からブランカを受け入れてくれる当たり前に接してくれる不思議な人。

 彼といるとブランカはいつも通り振る舞えなくて調子を狂わされるけど、だけど全然嫌じゃない。むしろ心地良くて嬉しくて、そんな自分に戸惑ってしまう。

 こんな人、本当に初めてでどうしたらいいのか分からない。

 本当に、身体が熱くて心臓がうるさくて、だけど心が温かくて。

 この気持ちは何なんだろう。

 ブランカがそれを知るのは翌日のこと。

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