73 ヒョーノ派魔法
目覚めたら、すぐ隣に裸のサヨルが眠っていることに気づいて、すぐに眠けなど飛んでしまった。
「少し、さっきの本でも読むかな……」
着替えて、この地方に残る魔法の資料の前でマナペンを取り出した。アーシアがすぐに顔を出す。
いつもと違って、やけに照れたような顔をしていた。
「時介さん、大人になったみたいですね……」
「そのことは指摘しないでください……。あと、教育者としてもどうかと思いますよ……。出てきてもらったのは、これについて聞きたかったからです」
俺の視線は例の資料に向いている。
「いわゆるヒョーノ派という魔法ですね。公的には残っていませんので、私はカリキュラムには組み入れてません」
そりゃ、残ってないものは教材にしようがないか。それならそれでいいんだけど。
「本当に残ってないと考えていいんですね?」
俺は念を押した。
「根拠がないから周囲には言ってないんですけど、この地方に入ってから胸騒ぎみたいなものを感じるんです。この感覚みたいなのは、おそらく剣技をやって研ぎ澄まされてきたものなんですけど」
剣技は肉体を使うものだ。なので、鍛えていくと、空気の違いに敏感にもなる。
イマージュがそんなことを言っていた。だから、熟練の剣士は暗殺者の存在にもすぐに気づくようになると。
「俺の実力と経験だけじゃ、明確な脅威があるからなのか、たんに遠い土地だから感じ方が違うだけなのかわからないのが困りものなんですが」
「教材にできるようなレベルでは何も残ってない、私はそうとしか言えないですね」
アーシアは顔をしかめた。
「ただ、本来、異なる魔法を使っていた土地に来て、ぞわぞわするということはあるかもしれません。体のマナはあくまで今、時介さんが使ってる魔法体系に慣れてますから、それ以外の土地では変な気分になるのかも」
はっきりした結論は出ないけど、アーシアの意見が聞けただけでもありがたい。
「それじゃ、また何かあったらお聞きしますね」
「はい!」
元気な声を出して、アーシアは消えた。
しばらくしてから、サヨルが出てきた。目が合った途端、お互い、いろんなことを思い出してしまう。
「お、おはよう、サヨル……」
「うん、おはよう……」
●
そのあと、俺たち教官はヒョーノ山の郷土料理を食べた。夜は担当の時間は起きていないといけないので、少し早い夕食だ。
ヤムサックは衣服についた枯葉を手ではたいていた。
「先ほど、軽く見回りに行ってきたが、どこもそれなりに真剣にやっていたな。落とし穴を用意しているところあれば、剣士と魔法使いでチームになって敵のほうに向けて進んでいるところもあった」
「負けた時の罰がそれなりに厳しいですからね。必死になってもらわないと意味ないだろうし」
「あと、毎度のことだが、旗を土に埋めて隠蔽しようとして、痛みが発生して苦しんでいる連中がいた」
ヤムサックがおかしそうに言った。たしかに旗を奪われなければ負けではないというルールだから、隠してしまえばいいと考える連中もいそうだ。
「まだ、脱落チームは来てないですね」
「メンバーは違っても戦略は自然と似てくる。例年、主な勝負は夜になる。明るいうちは自分の姿も丸見えだから、正面突破をやる勇気がある者は少ない。なんとかして、夜に敵を倒そうと考えるものだ」
やはり、人間の心理なのか、そのへんは共通してしまうものなんだな。
「回復要員の聖職者にも巡回してもらっているし、この時間は問題ないだろう」
誰もこの土地に違和感を覚えていたりはしないようだ。まあ、例年のことなのだろうか。
夜十時からが俺とサヨルの当番だった。
屋外でサヨルがマジックライトの詠唱を行う。周囲を照らす魔法で、俗にたいまつ代わりと言われている。
「ランタンだと虫が寄ってくるからね。このほうがいいの」
教員用のテーブルが置いてあるので、そこに座った。
ほかの教員が置いていった脱落者リストには赤と青の両チームから一班ずつの名前が書いてあった。夜になると動きがあるというのは本当だったらしい。
「じっと待っているのも退屈だから持ってきちゃった」
サヨルはまたヒョーノ派魔法の資料を用意していた。
俺はサヨルが読んでない冊子に目を通す。そこには、『古代魔法継承者オンダ翁からの聞き取り』とタイトルが書いてあった。
「それは二百年前の本だけどね、ここの魔法を伝承してると主張してる老人がいて、その人から聞いたことをまとめたもの。ただ、真っ赤なウソだって言ってる研究者もいるし、本当のところはわからない」
「もし、本当だとしたら、二百年前まで残っていたわけか」
「本当だったらね。その老人は聞き取りのあと、変死したらしいけど、それも含めてできすぎた話だって言われてる」
たしかに作ったような話だけど、もしすべてが事実だとしたら、少し気味が悪くはある。
――老人はこのように語った。
『我々は憎しみを何世代も何世代も海水から塩をとるように煮詰めてきた。それは一言で言えばこの国を滅ぼされた恨みである。その憎しみが観念にまで変われば、魔法の契機になるのだ。とはいえ、それにも疲れ果てた。もはや、ヒョーノ派の魔法が力を持つことはないだろう』
作り話と言う奴の気持ちもわかるな。この老人が肝心の魔法を何も使っていないし。
しかし、伝承者がどれぐらいの数いるとか、集落からはずれた森の洞窟で集まっていたとか、具体的な言葉で書かれている箇所もある。
ふいに、強い悪寒がした。
冷たい風が吹きつけてきたような感覚だった。
「なあ、サヨル、今、変な風が来なかったか?」
「風? そんなの感じなかったけど」
俺も神経質になりすぎてるのかな。マジックライトの明かりをたよりに本の続きを読むことにした。
しかし、それから二十分ほど後――
「助けて! 助けてください!」
はっきりとそんな声がした。




