56 ご褒美をもらう
イマージュの弟子になった直後は大股走りの成績が落ちた。
「あれれ……? おかしいですね。体はなじんでるのに、足がついてきていないですね」
アーシアもキツネにつままれたような顔をしていた。
「体力を無茶苦茶消耗してますからね。それのせいなんだと思います」
イマージュの弟子になったことを告げたら、「ファイトです!」と激励された。それと激励されただけでなく、タオルで汗まで拭かれた。え、そんなことまでするの!?
「いや、汗ぐらい自分で拭きますって……」
親にされるんじゃないんだから、これはちょっと恥ずかしい……。
「いいえ、今日からは私が拭きます。これまでも汗かきすぎで、風邪引くんじゃないかって不安だったんです! 先生に任せなさい!」
この調子だと抵抗しても無駄なので、俺はアーシアにゆだねることにした。アーシアと付き合ってる関係なら、まだむずがゆくもなかったかもしれないけど。
「イマージュさんとの修行を考えると、私のほうの時間は短縮したほうがいいですかね? あるいは魔法のほうを中心にする方向に戻しますか?」
「いえ、このままやります。先生が無意味なカリキュラムを組むことなんてありえないですから」
教師と生徒の関係は言うまでもなく、不均衡だ。教師のほうが偉いっていうのは当たり前だけど、見通しって点でもそうだ。
俺は自分がこの練習でどういうふうに成長できるか、やってる最中はわからない。もしかしたら、何の成果もないかもしれないのだ。
だから、生徒は教師を信託する必要性がどうしても生じる。
きっと、この人は自分を成長させてくれると懸けないといけない。
「わかりました! それじゃ、ミスが三回以下になるまで走ってください! ご褒美用意して待ってます!」
「先生は本当に生徒をやる気にさせるの上手ですね」
「それと同じぐらい、時介さんも教師をやる気にさせるのが上手ですよ」
弟子になってからの稽古による疲労は三日ぐらいで克服できた。また、一トーネルを走れるようになった。
それから一週間後。
また、いつものようにアーシアが出した円の光の上を走っていく。
今回は中盤を越えて残り三分の一というところでも、円の外に足をはみ出してしまうことが一回しかなかった。
こんなにペースがいいことはこれまでなかった。だいたい中盤までに三回、足が出て、あとはぐだぐだで、ラストのほうで足がついてこなくなってきて、足が届かなくなってくるのだ。
これ、もしかしたら、ミスを三回以内で抑えられるかもしれない。
すでに完走は当たり前の身だ。ミスの回数に意識がいくのは当然だった。
「時介さん、すごいですよ! このままなら合格できますよ! 焦らず、慎重に! どんな長い距離も一歩の繰り返しで踏破できます! やれます! 負けるな!」
アーシアの応援にも自然と熱が入る。
本当に自分のことみたいに応援してくれるな。
言われて思い出したわけじゃないけど、慎重に、慎重に。一度体のバランスを崩すとミスを連続して起こすからな。
とにかく、次の光の円に足を入れることだけを考えた。
残り二割ぐらいの距離まで来たな。感覚的にそれがわかる。
汗がしたたり落ちるが、いつものことだ。それで走れないわけじゃない。
そろそろ足を止めたくなってくる。もちろん、止めたらその場で失格だ。しんどいところで無理をしないと成長できない。
喰らいつくように走る。
「残り一割ほどです!」
アーシアからの声が届く。思った以上にハイペースだ。一歩一歩、カウントダウンがはじまる。これまでにない変な緊張があるが、これは悪い緊張じゃない。
けど、最後の最後でアクシデントが起こる。
汗が目に入った。しかも、ほぼ同時に両目に入りやがった。
目をつぶったら、距離感がつかめなくなる。痛いけど、心持ちさっきより長く跳ぶ感じで進む。
それでも意識が足に集中しないのが悪いのか、さっきよりジャンプ力が落ちる。
足が円の手前についた。
「二度目のミスです!」
あと、二回ミスしたら終わりか。
気を取り直したいけど、それより目に汗が入ったのが気になる。たいして進んでもないのに、もう一度足が届かなかった。
「三度目! 次のミスで失敗です!」
もう、こうなったら意地だ。
円の外側を芝生だと思うな。谷底だと思え。
一歩一歩、これが最後だという気持ちでやった。大股なんだ。走る回数も知れている。ゴールはそんなに遠くない。
体は限界に近かったけれど、もう、ここまで来たら精神面の勝負だ。
「合格です! 完走しましたね!」と言ってくれと願いながら、走った。もう走ったという感覚もなくて、足を出してるだけという調子だ。
そして、ふらつきながら何度目かの足を出した時――
「合格です! やりましたね!」
アーシアの声が聞こえた。
「よかった……」
石がなさそうなところに、大の字に倒れる。これが魔法使いだなんて誰も信じられないような光景だ。
「おめでとうございます! はい、お水ですよ」
アーシアが出してくれたカップの水を飲み干す。そしたら、すぐに次が用意されたので、三杯飲んだ。これだけ水がおいしいと思う時もそうそうないだろうな。
「ご褒美、忘れないでくださいね……」
「はい。ちゃんと用意してきていますよ。私もこれを時介さんに渡せてうれしいです」
そして、アーシアが倒れている俺に見せたのは――鞘に収まった一本の剣。
「これは精霊が祈りをこめた剣です。敵の攻撃魔法をいくらか防いでくれます。武器としての威力もなかなかのものですよ」
「そういえば、俺、自分用のまともな剣、持ってなかったですね……」
「はい。なので、記念に用意しました」
俺はよろよろと起き上がって、その剣を受け取った。
思っていた以上に剣は重い。
抜いてみると、月明かりを受けて、刀身は美しく輝いている。
「これまで頑張ってよかった……」
こんなふらついた体で扱うのは危ないなと思って、早目に鞘に戻した。
いつか、この剣を思い切り振って戦う日が来たらいいな。
いや、こんなに振り回して戦わないといけない日が来たらよくないか……。




