36 政変勃発
ビンゴゲームっていうものがある。
もっとも、ゲーム要素はあんまりない。指定された数字がカードの中に入っていれば、そこに穴を開けていく。縦横斜め、どこでも一列の穴がすべて揃えば「ビンゴ!」ということになる。
中央は最初から穴が空いていることになっているから、理論上は最速四つ目の数字が決まった時点で一列が揃う。幸運な人間はそれにほど近い回数で列を揃えられる。
一方で不運な人間はまったく穴が開かなくて、残り一つで一列が揃う状態――つまりリーチだ――でとどまってしまうことになる。
そして、その真ん中というのもある。
つまり、穴は空きまくって、ダブルリーチやトリプルリーチという状態なのに、最後の一つの穴が空かない場合だ。
今のハルマ王国はきっと、このトリプルリーチだかなんだかの状態だ。
気付いている者にとっては、王国が一日で瓦解するかもしれないような綱渡りの有様だとわかっている。
なのに、ラスト一押しが来ない。来ない以上は平穏であるように振舞うしかない。
この状況がぶっ壊れるのはいつだ?
その不安を抱えながら生きている。
もうちょっと利口な人間は、「ビンゴ」が完成した時に上手く立ち回れるようにと気をつかっているはずだ。
それが意味を持つかと問われれば怪しいところだが。
「今日もよろしくお願いいたしますね」
人が寝静まりだした午後十一時。俺はカコ姫と護衛のタクラジュ・イマージュと合流する。
これが日本ならまだ寝てない人間はいくらでもいるし、働いている人間だって珍しくはないだろう。だけど、異世界では夜に王城で働く業務などはほとんどない。日が沈めば多くの人間の仕事は終わり、そして、そう時間を置かずに眠る。
だから、夜十一時は日本で言うところの深夜二時ぐらいの静寂に包まれている。
「俺のほうこそよろしくお願いいたします」
姫は俺にとっての先生役でもあるのだ。これまでにもいくつも貴重な魔法を教えてもらっている。すべてを使えるようになっているかというと、それは別の話だが。
「では、今日も庭園の途中で見張りを頼むぞ」
そう、タクラジュが言った――で正しいのか? 緑色のリボンをしているぞ……。
「業務内容はいつものとおりだ。だからこそ、いつものとおり、気を引き締めてやるように」
そう、イマージュが言った――のか? こいつは白のリボンだし。
「ああ、今日の私はイメチェンでリボンを黄色から緑にした。なのでタクラジュだ」
「妹と同じく青から白にした。なのでイマージュだ」
「紛らわしすぎるからやめてくれ! リボンの色しか区別つく要素ないんだから!」
「「妹と一緒にするな!」」
「そこをハモられても説得力のカケラもねえよ!」
姫がくすくすくすと笑っていた。こんな楽しそうに笑う姫の顔なんて、なかなか見られないだろうな。
「ごめんなさい。この時間はわたくしも命のせんたくができるというか、自分に素直になることができるのです」
この国中の人が姫の一挙手一投足に注目しているだろう。そこでは言葉一つ気楽に使うことはできないはずだ。一言の愚痴が大きな政治的意味を持ちかねない。
そんな状況に二十歳にも届かない女の子が置かれちゃ本当はいけないのに。
「好きなだけ笑ってください。なんでしたら芸人の真似事だってやりますよ」
「ありがとうございます、島津さん。ですが、それならタクラジュとイマージュで間に合っていますから」
「「えっ!? どういうことです!?」」
双子が素でショックを受けていた。
正直、いつも以上に和気藹々(わきあいあい)とした時間だった。俺もこんなにリラックスできる時間はなかなかないと思った。できるだけこんな時間が続けばいい。
だからこそ――怖かった。
人間が永遠に近いものを求めてしまう時というのは、たいていそれが貴重なものであるということを、どこかで感じ取っている証拠なのだ。
殺気なんてものは今のところない。ごく普通に仕事をして、これまでのように明日を迎えるんだ。
俺は庭園に立ち、異質な空気が生まれていないかを探る。
何かが侵入してくる気配はない。なのに、不安感が消えない。
突如、背後から殺気の塊を感じた。
とっさに振り向き――直後にパイロキネシスを使った。
その判断は正解だった。槍を持った兵士が燃えていた。もし、わずかでも逡巡すれば、その槍で突き刺されていた。
それだけじゃない。ほかにも兵士が同じように武器を持ってこちらを狙っている。燃やした奴を除いて残り三人。
確実に息の根を止める必要があった。
無詠唱でパイロキネシスを使う。そいつらを焼き払う。
魔法での防御が一切できてないから、魔法使いではなく、純粋な戦士なのだろう。純粋な戦士が土の中に潜っていただなんてことは信じづらいが。
異変が起きている。
俺が笛を吹こうとした瞬間――池のほうからも笛の音が響いた。
姫を助けなければ!
俺はすぐに池の側へと向かった。
すでに池の周囲では交戦がはじまっていた。
タクラジュとイマージュが剣を抜いて応戦している。タクラジュのほうは腕にいくつもの切り傷があった。あれは風の魔法で切り裂かれたものだ。敵の中には魔法使いが潜んでいたのだ。
「島津! 敵だ! 我々はいいから姫を守れ!」
たしかに姫も数人に囲まれていた。何枚もの盾を実体化させるウォール・オブ・シールズで急場はしのいでいるが、危機的なのは間違いない。
炎で一掃するか? いや、姫も巻き込みかねない。それに敵の正体を知れないままなのは得策じゃない。
コールド・マジック――敵を足下から膝まで凍りつかせる。
ただし、これで安全が確保できたとは言えない。敵の一人がそんなこと気にも留めず、フレイムの詠唱をはじめていたのだ。
詠唱より先に!
フレイムを無詠唱で使って、そいつを火だるまにした。
悲鳴をあげて、その男は燃え尽きて倒れた。
おそらくだけど、この数分で人生で初めて人を殺したんだろうな。具体的に何人の命を奪ったのかはよくわからない。後悔の念みたいなものはほとんどない。きっと、後悔する暇がないと俺自身が理解しているからだ。
今の俺は後悔できるぐらいの落ち着きがほしいよ。




