有害指定プログラム (1)
「押すなよ!絶対押すなよ!」
透明アクリルで成型された浴槽のヘリを掴んで必死に訴える俺。
アミィはそんな俺を無言で眺めている。
「…押せよ!」
「え…押すの?」
間もクソもなくおもむろに尻を押され、熱湯の張られた浴槽へイン!
「殺す気か!!!」
「だって押せって言われたし…」
悲鳴を上げて熱湯風呂から上がり抗議してみせる俺に、アミィは明らかに困惑している。
バーチャル世界での一件依頼、アミィがちょくちょく遊びに来るようになった。
主にリラ目当てなんだが、俺が教える“生身時代の遊び”もそれなりに楽しんでくれているようだ。
「…とまあ、こんな具合にするのが一連の流れだな」
「へー…そういえばこのイス、変わったデザインだね」
「おう、これはな」
「ただいま――!?」
外出から戻ったリラが表情を凍りつかせる。
メガネのレンズにはパンツ一丁でスケベイスに座る俺と、向かい合ってひざまずくアミィの姿が映っていた。
「もしもしウルトラ警備隊ですか?」
理由も訊かず通報を始めたリラから慌てて端末を取り上げる。
「待て誤解だリラ!」
「またアミィにロクでもないことを吹き込んでいたろう」
「ロクでもない事は認める!」
「パンツ一丁で威張るんじゃあない!」
この光景も日常茶飯事になってきている。
「お姉さま…おかえりなさい。どこ行ってたの?」
リラの腕にしがみ付き、前髪に隠れた両目を輝かせるアミィ。
長身でスタイル抜群のリラと小柄で色々と平坦なアミィの組み合わせは、歳の離れた姉妹といった雰囲気だ。
「おやっさんの所へ行ってきた。ほら、先日のデータを売却できないかとね」
『透視』で追跡したスパイウェア作成者の所からブン獲ってきたデータの中には、定番の名簿リストやあからさまに不穏なニオイのする顧客情報などが目白押しだった。
持っているだけでもヤバそうなモノもけっこうあったので、後腐れなく換金してしまおうという事になったのだ。
「で、どうだった」
「おやっさんのルートじゃ扱ってないとさ」
「そっか。ンじゃまあ消去しちまうか」
「いや、まだチャンスはある。代わりに“情報屋”を紹介してもらったぞ」
「さすが…お姉さま」
小さく拍手するアミィに、リラもまんざらでもない様子。
「じゃあ“コレ”終わったら行ってみるか」
「それ、そんなに重要なことなのか?」
熱湯風呂には欠かせないルーレットと紅白カーテンに覆われた着替え台を引っ張ってきた俺を見て、リラのメガネが筋の通った鼻梁からずり落ちた。
*
「いいかアミィ。このルーレットが指示した奴があそこで水着に着替えてお風呂どぼーん。そういうことだ、OK?」
「……理解OK」
「おい、私の名前だけやたら多くないか?」
「アミィ、公平を期すため今回は特別にお前の名前も追加するぞ」
「…了解OK」
「おい、アミィと私両方入ってるマスが半分くらいあるじゃないか」
文句が多いリラとは裏腹に、アミィはやる気充分に何度も頷いている。
多数決の勢いに流されたリラも含めた三人で、ルーレットのスイッチオン。
時計回りにリレー点灯するランプを目で追う俺たち。
――まさにその水面下で、“それ”は行われていた。
俺は念じたビジョンをスイッチを通してルーレットのランプを制御する回路に送り込んだ。
魔法使いアミィも、ワイヤレスで回路にアクセスし割り込み制御をかけた。
奇しくも俺たちの狙いは一致。
そう、勿論リラとアミィの同時生着替えであった――――!
*
「見とけやオンナども!オトコ魅せたらぁー!」
無情なルーレットの指示を受け、俺は着替え台の幕の中へ。
俺の念力とアミィのハッキングが競合した結果、ルーレットの行方は何者も望んでいない場所に着地したのだ。
うんざりした表情で台に立つ俺を見送る女たち。
誰にも幸福をもたらさない戦いがいま始まる。
「うおおおお!制限時間短けェー!」
まさかここまで余裕がないとは。
パンツまで脱ぎ捨てた段階で残り時間は2秒を切った。
オーディエンスの少なさが凶と出たか、タオルは飛んでこない。
このままでは女性二人を前にして全裸を晒してしまう。
そして、俺の裸体を外界と隔てていた紅白のカーテンは制限時間の経過と共に無情にもレールから脱落した。
「ムム、全裸!?」
「…変態」
メガネを光らせて唸るリラ。
傍らのアミィは小さな両手で目を覆っている。指のスキ間開いてるけど。
「当方に人間の尊厳あり!」
視界が七色に明滅し、電脳に多大な疲労感が押し寄せる。
あわや陳列の罪に問われるところだったが、とっさのサイコジェネスが成功。
股間に“人間の尊厳”を装着し難を逃れた。
局部を死守したひょっとこの顔もどこか誇らしげだ。
「よし…押すなよ…絶対に押すなよ!?」
今度はノータイムでリラに突き落とされチャレンジスタートだ……って、なんか熱くね!?
「熱っちィ!さっきと違うよ!?何コレ、ねぇ何コレ!?何度!?摂氏で!」
「…今ちょうど100℃だよ」
「バカじゃねえの!?」
「芸達者だなタクス。なかなかリアクションうまいじゃないか」
湯の温度と赤く茹るおれのシリコン皮膚を見てちょっと心配そうにし始めたアミィに、リラは「大丈夫だよ、これがお約束なのさ」などと吹き込んでいる。
その辺りの怒りも根性に変換。沸騰する風呂の中、実に23秒を耐えたところで限界来たる。
飛び跳ねるように浴槽から脱出したのが、いけなかった。
リラとアミィが見守る真正面で、俺の“人間の尊厳”は儚くも股間より――脱落。
アミィの息を呑むような声が妙に耳をくすぐる。
「隊員さん、こっちです」
俺はウルトラ警備隊に連行された。
*
――一時間後――
「「おかえりー」」
どうにかパンツ一枚で生還した俺は、テーブルで優雅にお茶する二人にぞんざいに迎えられた。
「よく帰って来られたな」
足を組んでカップを傾けるリラ。
アミィは合成樹脂のペレットから作られた茶菓子を頬張っている。
とりあえず今現在の興奮を言葉にのせてみよう。
「あのね、俺、『テレパシー』覚えちゃった!で、ダンさんとテレパシーで会話した!」
有名人の名前を出したところやはり同世代、カップが飛沫を上げるほど慌ててテーブルに置き立ち上がる。
「ダンさんって、あのダンさん!?」
「ヘヘヘ、サイン貰っちゃった!」
パンツの尻部分を誇らしげに見せる。
そこには、単なる油性マジックでの殴り書きながらシンプルかつ宇宙の神秘を感じさせる記号が連なっている。
リラは俺の尻を凝視して興奮気味に歓声を上げた。
それで俺もちょっと興奮した。別の意味で。
「…なにこれ。模様?記号?ラクガキみたい」
俺たちのエキサイト振りをよそに、純サイボーグの現代っ子は首をかしげている。
「未来の子供はあの兄弟のサインも知らないのか?いかんなあ、明日から猛勉強だぞ」
言いながら取り出した記録ディスクをアミィに手渡す。
「あ…怪獣の動画だ。ありがと…またお家で観てくるね」
「キミはすこぶる教育上よろしくないな」
いつものように俺の秘蔵動画ファイルを嬉々として受け取るアミィを見て、リラはため息をついていた。
*
公園のベンチに、未来世界だというのに浮浪者風の薄汚い身なりをした中年男が座っている。
躊躇うリラに代わり声をかけたのは俺だ。
「“アミーゴ”のおやっさんから紹介されたんだが」
くすんだチューリップハットの下から、風体にそぐわぬ鋭い眼光。
「……用件は」
「“帳面”を買い取ってくれないか」
“情報屋”のしゃがれた声に、できるだけ憶さず答える。
無言で差し出された灰色の掌に、データの保存されたカード媒体を渡す。
情報屋はその場で『解析』スキルを使い、僅か5秒足らずで査定をつけ終えた。
「コレで買い取ろう」
「な…足元見すぎだろう!?相場の半値じゃないか!」
俺の後ろで恐々見守っていたリラが、額面を見るなり身を乗り出す。
情報屋のオヤジは身じろぎもまばたきもしない。
「どうせタナボタで手元に転がり込んだブツのやり場に困って来たんだろ。アシつかないようにしてやる手間賃だよ」
オヤジの一言に黙るリラ。まあ、おっしゃる通りだよな。
名残惜しそうにしながらも一歩退くリラに代わり、俺が頷くことで商談成立。
香ばしい情報がぎっしり詰まったカード媒体と引き換えに、俺のクレジット端末に幾ばくかのはした金が振り込まれた。
「なあオッサン。“もう一つ”あんだけど」
「なんだ」
「“仕事”を探してるんだ。なるべくデカいやつ」
俺は(たぶん)この世で唯一の超能力サイボーグだ。
この力を単に小銭稼ぎの為に使い倒すつもりは無い。
『あの時代』で叶わなかったことを、未来やるんだ。
超能力で名を上げる。それが俺の目的。
その為にはデカいヤマをこなして裏社会でも存在感を大きくしていこうと考えたのだ。
ついでに金も稼げて生活も潤うだろうしな。
「…俺ァおたくの事を何も知らん。『知り合い』じゃなきゃ仕事は回せん」
値踏みするように俺を見据えるオヤジ。
こいつは、試されているんだ。
目の前のオヤジは俺をビジネスパートナーとできるかどうかを見極めようとしている。
なら、それに足る何かを提示してやればいいんだ…ダメ元でいってみるか。
「悪ィな気が効かなくて…“お近付き”の印だぜ」
二つ目の情報媒体を手渡す俺に、内容を確認する情報屋のオヤジ。
数秒して、彼はどことなく満足げに頷いた。
「なかなか大胆なことするじゃねえか、坊主」
「大したことじゃねえよ」
「けっこうなモン見せてもらった。一件心当たりを見せてやる。言っとくが手加減無しだ、悪く思うなよ?」
「望むところだ」
オヤジから『依頼』のデータを受け取り、踵を返す俺。
リラもその後に続くが、状況がいまいち呑みこめていないようですこぶる何か言いたげだ。
公園を後にした辺りで、彼女との質疑応答が始まった。
「おいタクス、あのオッサンに何を渡したんだ?なんというかその…私の方をニヤニヤして見ていた気がするんだが」
「ああ、アレな。渡したのはお前の『生着替えポロリハプニング動画』だ」
俺が告げると同時に、リラが眉間に皺寄せ「ハァ!?」と抗議か非難の声を上げる。
「私をダシに使ったのか!?…いや待てよ、そんな動画のような状況になった覚えはないぞ」
「ああ、『念写』した」
「ねんしゃ?」
「生身時代テレビ番組で見たことないか?気合でポラロイドカメラを現像するアレ。デジタルの動画でも出来るんじゃないかと思って。“熱湯ルーレット”では失敗したけど、上手くいったな。コツ、掴んだぜ」
思えば超能力を実践で使うようになってからいくつか場数を踏んだ。
その甲斐あってか、リラの『解析』なしでも今の自分に“できること”や“できそうなこと”の区別がつくようになってきているのだ。
『念写』能力は、そうして初めてノーヒントで編み出した超能力だった。
誇らしげにコピー元の動画データを見せると、鬼の形相をしたリラに端末をブンどられデータを完全消去された。
「今後念写は禁止!罰として今晩はメシ抜き!」
*
「股木々(またぎき)様から話は伺っております。“依頼”の件ですね」
黒のスーツで身を固めた異様に礼儀正しい若衆の案内で、これまた異様に掃除の行き届いた事務所の応接室に通される。
情報屋のオッサンに紹介された依頼人の居所は、このように非カタギの匂いしかしないデンジャーゾーンだった。
「ようこそ…タクスさんにリラさん…ですね」
応接室の豪奢なソファに腰を下ろした白スーツに琥珀色の色眼鏡で身なりを整えた男が慇懃な口調でもって頭を下げた。
「さっそく本題に入りましょう。ムダ話をしていてはビジネスのうま味が逃げてしまいます。迅速さが必要な仕事ですからね」
男の口元は微笑んでいるが色眼鏡の奥からこちらを覗く目元は一切笑っていない。
彼の言うビジネスとやら、絶対にロクなものじゃないだろうな。
こちらの緊張に気付いた男がいっそうわざとらしく目を細め口元をUの字に曲げて言った。
「なに、簡単な作業です。こちらの『荷物』を指定した場所まで届けるだけ」
重厚なデスクの上に置かれた金属製のアタッシュケースに手を起きながら「ただし」と続く。
「手順に従ってください。『荷物』の中身を詮索しないこと」
開いた掌の指を一つずつ折り、男がゆっくりと話す。
やはり眼は笑っていない。
「運搬中は外部との連絡、ネットワークへのアクセスは一切しないこと。ルートも指定します。あらゆる場所に監視役を潜ませていますから、違えばすぐに判ります」
リラがゴクリと喉を鳴らす。
俺は俺で背筋に緊張の寒気が伝っているが、平静を装い口を開く。
「ルールを違反したらどうなる?」
「私にとってもあなた方にとってもうま味のない結果になります。私はビジネスにケチがつく。あなた方には罰則が科される」
「罰則とは?」
俺の声に勢いをつけられたからか、ビビり気味だったリラがおずおずと発言。
「……想像にお任せします。プロフェッショナルな仕事を期待していますよ」
最後の質問に答えた彼の顔は、凍りつくほどの無表情だった。
*
「ハジをかかされた挙句こんな危険そうな仕事をさせられるとは…散々だよ、もう」
ハンドルを握るリラは、さっきから文句を垂れ流し続けている。
助手席のシートに身を預け、ひたすらそれを受け入れる俺。
彼女が言うことは実際その通りで、俺も軽はずみに仕事を引き受けたことを少々後悔している。
「ホント悪かった。しかし何だかんだでこうやって付き合ってくれるから感謝してるぜ。サッサと終わらせちまおう」
「こんなのは二度とご免だからな」
素直に侘びを入れたことが意外だったらしく、彼女は漸く矛を収めた。
「サッサと、つってもテレポートで飛ぶワケにも行かないんだよなあ」
「監視役ってのはどこに居るのかな」
「さあ…“この中”の誰かなんじゃね?」
俺たちが車を走らせているのは、この辺じゃかなり人通りもあるメインストリート。
指定されたルートはこういう賑やかな場所をわざと選んで設定してあるようだ。
「木を隠すには…と言うことか」
行き交う人びとに目をやり、リラがため息をつく。
今の状況は「鏡張りの部屋に入れ。ただし鏡は全部マジックミラーだ」と言われているようなモノだ。
この道中、真綿で首を絞められるようなプレッシャーが付きまとっている。
「――名づけて『逆マジックミラー号』ってとこか」
思考の端が思わず口をついて出る。
リラは助手席の俺に横目を流し、また一つため息をついた。
「よくそんな下らない事を言えるな。どうしてマジックミラーなんだい」
「ああ、ええとね、つまりだなー」
気晴らしに敢えて丁寧な説明を始めようとした矢先、急ブレーキ。
シートベルトが胸を圧迫する感覚に、思わず一瞬目を閉じる。
瞼を開くと、車道の真ん中で仁王立ちする“何者か”の姿が否応無く目に入った。
(2)へつづく