電悩空間 (1)
時刻は午前9:00。
自室の電脳メンテナンス機能つきベッドから起き出して階下へ。
高火力ヒーターが据え付けられたキッチンにリラが立っている。
いつの間に用意したのか、端に控え目なフリルのあしらわれたエプロンを着け、慣れた手つきで何やら作業中だ。
俺は彼女の背後にあるテーブルまで無言で歩き、椅子の背もたれを抱くようにして逆向きに腰掛けた。
「ショック」
そう言うとようやく俺の登場に気付いたリラが、無言ながら体全体で驚きのリアクションをとる。
「あいさつくらいしたまえよ。どうしたんだい藪から棒に」
「オレ オナカ スイタ」
「そうか。かわいそうに」
「ナンデ オレ オナカスク……?」
俺の疑問には答えず、キッチンでの謎作業を再開するリラ。
フライパンのようなものに液体でビチャビチャになった物体を乗せて加熱しているようだ。
「ナニソレ」
「合成用シリコンパンの触媒液漬け焼き」
返ってきた答えは聞いたことある単語を組み合わせた聞いたことのないモノの名前だった。
「ナニソレ ドウスル」
「そりゃ朝食だよ。キミの分も作っておいたぞ」
「食ベ……ル…………?ワカラナイ ワカラナイ…」
フライ返しを持って首を傾げるリラ。
俺も負けじとフクロウに迫る角度で首を傾げてやる。
「アイ…ユウジョウ…ニンゲンノココロ…ワカラナイ…ワカラナイ……」
いかん。
『データに無い力を発揮する人間を見て混乱するコンピューターごっこ』にいつの間にか夢中になってしまった。
我に返ったとき、目の前には誰もおらず。
リラはとっくに調理を終えて、完成した“朝食”をテーブルへ運んでいた。
*
俺とリラは、昨日から一つ屋根の下で生活を始めている。
行くアテのない逃亡者である俺はもとより、それにガッツリ関わってしまっているリラも元の自宅に戻ることは危険と判断。
まだ“女になった自分”に慣れきっていないのか、同居を提案してきたのはリラの方だ。
「どうせなら一緒に住もう。お互いその方が安心だろう?」なんて言っていたが、たぶん自分が心細かったんだろう。
物件探しを彼女に任せてみたら、躊躇無くワンルームを選ぼうとしたので鏡に映った自分と俺の姿を見せて言い聞かせる羽目になった。
何やかんやあって、“港の強盗退治”で稼いだ報酬は狭い土地を三階建てにした縦長の新居に充てられた。
三階に俺、二階にリラ、一階は共用スペースといった具合だ。
*
「サイボーグになっても腹って減るんだな。ところでそのシリコンをどうにかしたヤツ本当に食うの?」
「触媒漬けシリコンは吸収効率が極めて良いんだぞ。レース前に食べるスポーツ選手も居るくらいだ」
「マラソンランナーの話はどうでもいいけどよォ。俺らってモノ食っていいの?」
皿の上で湯気を立てるどうみてもフレンチトーストな物体を前にようやく一番の疑問を口にした。
焦げ目のついたクリーム色のカタマリを上品にナイフとフォークで切り分けていたリラがはたと静止する。
「……もしかしてキミ、汎用ボディになってから何も食べていなかったのか?」
俺が頷くのを見て頭を抱えるリラ。
「ベッドで充電はしてたぞ」
「すまない、本当に何も知らないんだったな」
リラが申し訳なさそうに説明するには、サイボーグ人類の身体はできるだけ生身の頃の生理機能を再現してるそうで。
皮膚に使われている自己再生シリコンやナノマシンの材質補充は経口摂取で行われるという。
その為の『食品』も、可能な限り往時の見た目や触感、匂いを再現しているんだそうだ。
「利便性や効率で言えば全く無意味な仕様だが、私はナンセンスだとは思わないね」
持論を語る合間に触媒漬けシリコンもといフレンチトーストを咀嚼するリラ。
説明を聞きどうにか安心した俺も、そもそも腹が減っていたので皿の上のカタマリにフォークを突き立て、プルプルと持ち上がったクリーム色にかぶりついた。
噛みしめた合成用シリコンから甘く香ばしい香りの触媒液が染み出すと、口中に香り通りの甘い味が行き渡る。
「うまい」
「それはどーも」
思わず漏れた素直な感想に、向かい合って座るリラは嬉しそうに微笑んだ。
*
「今日は、あまり腹の減らない…つまりリアルボディを消耗しない仕事をやってみようか」
リラが言い終わるのが早いか、カウンターの向こうからデータが送られてくる。
「バーチャルの仕事は今ンとこそれしか無いよ」
「やっぱりここんとこ減ってるな。ま、こっちは初心者だし丁度良いか」
おやっさんの言葉に得心がいっている様子のリラ。
「置いてけぼりにしないでくれ。この“ボット潰し”ってどんな仕事なんだ?バーチャルの仕事って言ったよな」
「平たく言えば、仮想現実世界でやる害虫駆除さ」
*
裏の勝手口・喫茶アミーゴの店奥に常備されているヘルメットのようなダイブ・デバイスを頭に装着。
俺とリラはバーチャルスペース――ネットワーク世界にスイッチ一つで潜り込むことができた。
「おお、ゲームみたいだ」
黒地に緑の走査線が格子状に走る空。ローポリゴンの建築物。行き交う人の頭上に脈絡無く浮かぶフキダシ。
文句なしにサイバーでバーチャルなコンピュータ世界だ。
こうなってくると、現実世界と変わらない見てくれと感覚を保っている俺自身がこの世界から浮いているようにすら感じる。
「俺たちの格好はそのまんまなんだな」
「バーチャル・ダイブ時は電脳がセーブした情報を使ってアバターを生成するからな。基本的にリアルと姿は変わらないよ」
「アバター強化するヤツとか居ないの?」
ゲームっぽい世界だからもしかして、と思って軽く訊いてみるとあっけなく「居るね」との答え。
「ネット活動をメインにしてる連中はアバターをカスタマイズしている。現実世界には持ち込めないスキルが多いから普通はそんなことしないがね」
話していると、不意に足元に気配を感じた。
見れば、ゴム草履に六本脚が生えた何かがグリッドの走る地面にカサカサとうごめいている。
草履の上にはカメラらしきモノが乗っかっていて、Gから始まるアレみたいな挙動で動きながら俺とリラを撮影しているようだった。
「おっと!」
声を挙げたリラが前方へ手をかざすと、何もない場所から全体が銀色の霧吹きのような道具が現れた。
指が二本は引っかかるちょっと大きめのトリガーを引くと、発光する粉のようなものが放射されてG草履に降りかかる。
すると、今まで元気にカサカサっていた彼は急に足をジタバタさせて俺たちから離れていき、ちょっと行った所で仰向けに転がってから消滅した。
「あれを探して消すのが今回の仕事さ」
霧吹きを顔の横に掲げてドヤ顔を決めるリラ。
絵面的には殺虫剤でアレを仕留めたってだけだし別にカッコよくもないぞ。と言ってやるべきだろうか。
その後、バーチャル世界にひしめく構造物の隙間を覗いては、潜んでいる昆虫型のスパイプログラムやデータウィルスを地道に潰していった。
半日ほどかけて二人で合計200匹ほどを退治完了。
「こんな所だろう、お疲れ様。ボット潰しは駆除した数がそのまま報酬になるから、地味だけど手堅い仕事だよ」
苦も無く言うリラだが、俺の方は少しばかりくたびれている。
この空間ではサイコキネシスは使えないようで、俺もリラも作業の条件は同じ。
バーチャル空間での活動に慣れていない分、肉体は消耗していないとはいえ結構疲れた。
*
「ここにも居なかったか」
構造物の隙間を覗き込んで数秒、落胆と共に首を横に振るリラ。
先日に続きネットワーク世界にダイブし駆除するボット探しを始めた俺たちだったが、2時間探して一匹も見つからないのが現状だ。
「このエリアはそうクリーンな場所じゃないハズなんだが…」
「不潔とか清潔とかあるの?じゃあ、ここよりもっと汚い場所へ行ってみようぜ」
「あ、ああ、それもそうだな」
俺の提案に歯切れ悪くうなずくリラは、深刻そうなトーンで忠告してくる。
「用も無く周囲を見回したりは絶対にしないこと。無事では済まないぞ」
*
奇跡・第二章
祐一「敵部隊を肉眼で確認!戦闘に入る!」
香里「相沢君、久瀬さん、舞さん、真琴は前に出て切り込んで!名雪と佐祐理さんは後方で援護よ!」
佐祐理「了解。さゆりん3はさゆタンクに変形します。」
*
「うわあああああああ!!」
わずか三行で耐え切れなくなった俺は、黒ずんだ瘴気をたたえるその場所――『二次創作SS墓場』からダッシュで逃げ出した。
後ろから追いかけてくるリラの疲れ顔に「言わんこっちゃない」が貼りついている。
ようやく安全圏まで辿り着き、バーチャルの肉体なのに不思議だが肩でぜいぜいと息をつく。
「だから見回すなって忠告したろう」
「な、なんだよアレ…」
「名も無き人びとが残した“青春の残滓”ってヤツだな」
「そっちじゃない。アレだよ、アレ」
暢気に黒歴史ノートの解説を始めようとするリラを制し、顔を上げるや否や目に入ってきたモノを指差す。
そこにはビル型構造物と肩を並べるほど巨大な背丈の二足歩行トカゲ。
端的に言えば怪獣が、ハサミのついた尻尾の先端を器用に使って虫型ボットをつまみあげ次々と自分の口へ放り込んでいた。
「リラ!ぐ、ぐ、ぐ、グリッドマン!グリッドマン呼ばなきゃ!」
「いやよく見ろタクス。あいつボットだけを食べてる。食物連鎖を支える益獣なんだ。自然界の前ではヒトは無力だ」
やっぱりプチ混乱してんなこいつ。
だいたいバーチャル世界で自然に居る怪獣ってなんだよ。
「人工物に決まってんだろこんなの!ネット社会は平和になるかもしれねーが俺たちの生活は危険に晒されてるぜ!」
どう危険かと言うと。
ボットが駆除できない→報酬が手に入らない→貧困→犯罪者→『組織』に目をつけられる→死。
だ。ヤバい。
「命かかってる!なんとかすっぞリラ!」
「その必要はないわ!」
頭上から落ちてきた甲高い声に見上げると、怪獣の頭頂部に人影がひとつ。
人影はビルの屋上ほどもある高さから飛び降り、音も無く俺たちの立つ場所へ着地した。
「心配しなくていいからお下がりなさい。その方はアタシが養ってあげるんだから。幸せにしますわ、リラさま」
人差し指をビシッと俺に向けガンをつけて来た、女。少女だ。
尖った帽子に肩を覆う短めのローブ。
幼さの残る顔立ちに対しアンバランスなほど発育した体を派手なフリル過積載気味のミニワンピースに押し込め。
ボリュームのあるサイドアップの髪には原色のメッシュがあしらわれ、衣裳も同じく目を痛めそうな色使いで纏め上げている。
極めつけは、左手に携えた棒状の何か。先端にハートと羽と歯車のシンボルが主張する何か。魔法の杖のような何か。
「おまえ魔法少女の知り合いが居たのか」
「バカいえ。この姿になって一月も経ってないんだぞ。面識のあるヤツなんて居るもんか」
「ウフフフ、初めましてリラさま。ふつつかものですがよろしくおねがいします」
頬を染めてウィンクしてくる原色少女。
「いきなり出てきて何のつもりだテメー」
「……」
「キミ、名前は?」
「アタシはアミィ!アミィ・ペパーミントと申します。バーチャル界隈では『魔法つかいアミィ』で通ってますわ」
「もしかして、あの怪獣はキミが作り出したのかい」
「ええ、その通りですわ。あれくらいの自動駆除プログラムなら簡単に作れますの」
少女の視線は一切俺と交わることがない。徹底スルーの佇まいだ。
「見ず知らずの私を養うと言ったように聞こえたが」
「それもその通りですわ!アタシ、先日貴女をお見かけして…その…恥ずかしながら一目惚れでしたの」
見た目だけじゃなかったか。満遍なくイカれてるな。
「これは運命!リラさまは私のもの!私はリラさまのもの!」
同心円を描く瞳で迫る少女アミィに、リラもドン引きだ。
「し、慕ってくれるのは悪い気はしないが…それはできないよ」
「!?そんな、どうして…」
「引越しもしたばかりだし、仕事も“相棒”が居るからね」
そう言って、あろうことか隣の俺を指し示すリラ。
何てことしやがる。
見ろ、クレイジーガールが俺を多重ロックオンしちまったじゃねえか。
「アナタ!リラさまを解放しなさいッ!」
「別に拘束はしてねえよ」
「許さないわ…必ずこの人を救い出してみせる!」
「テメーは別の誰かとハンズフリー通話でもしてんのか。頼むからフレに呼ばれてくれ」
現実だったら即サイコキネシスなんだがな。
歯がゆさで余計にイライラしてきたところへ、氷水のようなアミィの甲高い声が引っ掛けられる。
「勝負しましょう!私が勝ったらアナタはリラさまのもとを去る。アナタが勝ったら私が去るわ」
「…いいぜ」
ちょうどムカついてきたから渡りに船だ。
横でリラが何やら抗議しているが、俺もアミィもスルー佇まいだ。
「何でカタつける?やっぱ“コレ”か」
血管の浮く握り拳を掲げてみせると、魔法少女は大げさに肩をすくめ頭を振った。
「やっぱりオトコは下品で野蛮ね。勝負はバーチャルスペースの流儀でやらせてもらうわ!」
そう言って、ウィザード・アミィが手にした杖を右手に持ち替え一振り。
杖から光の塊が生み出され放り投げられる。
問答無用の魔法攻撃かと身構えるが、光の塊は俺たちの立つ場所から見て真横へ飛んでいき地面に落ちた。
「バーチャルの戦いは古来から伝わる“ビデオゲーム”!それが流儀よ!!」
アミィの甲高く幼さの残る呼び声に応えるかのように、何もないグリッド走る地面から巨大なモニターがせり出してきた。
映画館のスクリーンほどもあるモニターの手前に少し遅れて出現したのは、同じくやたらと巨大なゲームパッドだ。
アズキ色を貴重とした本体に映える真鍮色。据えられている黒いボタン。
「こ、この掌よりデカいボタンと十字キーは!?」
「ワールド1でハイスコアを出した方の勝ちよ!」
点灯したモニター内にはドットで描かれた緞帳。
幕が開くと、ヒゲを生やしたオッサンが『3』という文字の下で元気に走って跳んでいる。
全てを察した俺は、心配していいのか呆れていいのか決めかねているリラを背にして巨大ゲームパッドの元へ。
モードは当然“二人プレイ”だ。
俺は無言でバカでかいスタートボタンを押下した。
(2)へ続く