念慟無双
カウンター越しに渡された丼を受け取る。矢継ぎ早に麺を盛られた皿が渡される。受け取る。
箸先で皿の麺を二すじ手繰り、丼に張られたスープに尾先をかすめてから口へ運ぶ。
麺を咀嚼すれば歯先に独特の弾力と冷感が伝わってくる。なかなかよく締めてある。
手繰った麺を一口目よりもやや深く丼に浸す。
冷たい麺が熱いスープと出会い、両者が互いの矛盾に気付くより早く口へ運ぶ。
冷たく熱い。
相反する二つのものを内包した滋味が口中に広がる。
この味わい、一様ではない。
麺をどれほどスープに浸すか。
スープと一体となった具材を抱き込むのか。
麺には香辛料を振ってもいい。あるいは酢を。
食す者の思いにこれほどまでに応えてくれる。
――やはり、つけ麺は至上の食事体験だ。
俺は、ありとあらゆる料理の中にあってつけ麺こそが最高であると信じて疑わない。
本日脚を運んだこの店、新参の店舗ながらまずまず及第点。
つけ麺玄人の俺に及第点を出させる店舗はこの界隈でも数える程度だ。
充分に麺を堪能した俺は、丼の中に目をやる。
出会った頃より熱が冷め、半分ほどにかさも減ったスープがそこにある。
カウンターの向こうに居る店主に声をかけ、丼を差し出す。
「あ、うちスープ割りやってないんですよ」
店主が返した言葉に、俺は軽い眩暈を覚え――――
*
瞼をゆっくり開くと、枕元に美少女が立っていて俺を覗き込んでいる。
肩につかない程度に切りそろえられた透明ミントグリーンの髪は、窓からの陽射しを含み淡く光っている。
袖口や襟元にさりげなくフリルのあしらわれたパフスリーブの白いブラウスに黒のフレアスカート。
清楚さと可憐さがオーラになって見えるかのようだ。
寝ぼけた頭に、お人形さんみたいな美少女の情報がグイグイ入ってくる。
このブラウス、ボタンが白金色の歯車みたいになってる。
オーダーメイドなんだなコレ。デザインに見覚えがある。
「……目、開いた。タクスおはよう。もうお昼だけどね……」
「おう、アミィ。魔法の杖の先っちょとおそろいなんだな」
「……?」
「そのボタン。歯車デザイン」
「……あ、コレのこと。うん、お母さまに仕立ててもらったの」
言葉を交わすうちに段々と頭がさえてきた。
「タクス、起きてからちょっとの間ぼんやりしてたね……ずっと服のボタン見てたの?」
「んー、ちょい寝ぼけてたわ。妙な夢観ちまってさ」
あと普段のパーカー姿と全然違うアミィが居たからってのもあるが、何となく気恥ずかしかったので伏せておく。
「……夢?」
「異様に鮮明なんだよ。つけ麺至上主義者がスープ割り頼んだけど断られる夢だった」
アミィが固まる。
これは、俺が何言ってるか全く理解できなかった時の反応だ。
「……よくわかんない」
「どの辺がわかんなかった」
「全部」
「わかんなくてもイイよ。スゲーどうでもいい内容なくせにやけに鮮明な夢だったってコト」
アミィはふぅん、と相槌ひとつ残し、先に階下のリラのもとへ降りていった。
*
「しかしアミィ、今日は随分とおめかししてきたじゃないか」
いつものティータイム開幕早々リラが言う。
「……お洒落、興味出てきたんです。リラお姉さまもキレイだし、リアルでも釣り合うレディーに、その、ならなきゃって」
ティーカップを両手で持ったアミィが照れて俯く。
家柄もあってか元々ちょっとした挙動に育ちのよさが窺える彼女は、今や360度どこから見ても完璧なお嬢様ッぷりだ。
「ふふ、私も負けていられないな。切磋琢磨して女を磨いていこうか」
これまた品のいい微笑を少女に向けるリラ。
こいつに関しては元々が野郎だったこともあり、最初の頃はけっこう地が出ることもあったのだが。
近頃は外見に違わぬ所作を身に着けているあたり、努力の賜物だろう。素直に感心する。
こうなってくると問題は、二人の女子力が上昇するにつれ共用スペースに俺が居づらくなってきたことだ。
「中和するためにおやっさんの所へ行こう」
アミィはまた固まって「ちゅうわ?」なんて呟いている。
リラは鼻で笑いながら憐れみの視線を投げてきやがった。
*
『アミーゴ』を尋ねると、いつも通り薄暗い店先でタッチパネル端末を黙々といじる中年男の姿。
このむさ苦しさにホッとする。最近はこの店のことを街のほっとステーションと呼ぶことすらある。
「ちっす。おやっさん、何やってんの」
手にした端末をカウンターの向こうから覗き込むと、俺達が住む地域周辺の地図が見えた。
点在するマーカーのうち一つを呼び出し、データを編集しているようだ。
「ささやかな趣味だ」
端末から目を離さず返事を返すおやっさん。
別段仕事一辺倒という感じもない人だが、趣味があるってのは意外だな。
「で、何やってんのさ」
「ランキングマップ作りだ」
「ランキング?」
「飲食店に点数とレビューをつけて回るんだ。作ったデータベースをどこへどうするって訳でもないがな」
食べ歩きかよ。ますます意外。
おやっさんはぶっきらぼうな印象を受ける中年だが、尋ねたことはこうして素直に答えてくれる。
「飲食店の中でも、俺はジャンルを限定してる」
それに、割と自分からも話してくれる気の良いオッサンなのだ。
「へぇ、どんなジャンルなの」
ちょうど編集が終わったらしい彼は、端末をデスクの傍らに置いて俺の方へ向き直った。
「つけ麺だ」
*
「塩梅のいい仕事ない?」
カウンターに肘をついて言ってみると、おやっさんはあからさまなため息をつく。
「いい加減なオーダーしやがって。塩梅ってどういうこった」
「今の俺の実力にちょうどいい難度の仕事ないかなって。ヌル過ぎずヤバ過ぎずみたいな」
「お前の実力っつうのはどの程度なんだ」
返され、リラに視線を投げる。
「はいはい」
視線だけで察したリラが聴診器型の解析端末を取り出し、俺の額へ。
「だいぶ能力が育ってきているな」
「マジか。詳細、詳細」
「口で説明するには複雑だから、こうしよう」
リラは小型の携帯ホログラフディスプレーを起動。
自分の電脳が読み取った解析結果を直接出力するのだ。
浮かび上がったのはスキル名の書かれたアイコン群が下へ向かって扇状に拡がる樹形図。
「なるほど、これが俺のスキルツリーか」
「あくまで見やすくしただけだから、実際のスキル成長や発展の仕組みはもっと複雑だがね」
ツリーをまじまじ眺める。
脇の方で盆栽のようにささやかな佇まいなのは『紙ちぎり伸ばし』のスキルだな。
そして、ディスプレーのど真ん中に生い茂るでかいのが超能力、と。
超能力ツリーの幹は大本で二手に分かれていて、『ESP』とある幹は青や白の枝が何本も短く伸びている。
テレポートやテレパシーなんかはこっちのツリーなんだな。
もう一方の『PSY』――赤い幹はひたすら太く長く伸びていっている。
「そちらがサイコキネシス。もう少しでそちらも新たなスキルが派生しそうだよ」
「派生って事は、サイコキネシスじゃない超能力が覚えられるのか」
頷くリラだが、俺の方には疑問が残る。
そもそも、超能力スキルってどうやって育成するのかを俺自身が今ひとつ分かってないのだ。
「なあリラ。スキルってさあ、反復作業続けてたらいつの間にかレベルカンストとかある?ひたすらスプーン曲げしてたらレベルアップとか」
「ものによるね。単純な反復で伸びていくスキルもあるが、ブレイクスルーとなる条件を充たさなくてはならないスキルもある」
「そういうのって見分けつくの?」
「こればかりは経験則だね。ポピュラーなスキルはそれだけ習得者の母数が大きいからスキルを伸ばす方法も明確だが……」
「よくわかんねースキルは自分で伸ばし方を見つけるしかない、か」
「そういうこと。ひとつのスキルを育てるのには長い時間が必要だし、電脳の容量にも限りがあるのだから皆慎重にスキルを選ぶのさ」
もっともキミは容量の方は心配要らないようだが、と付け加え、リラは妙なため息をついてメガネのズレを直した。
「んで、お前らどんな仕事を請けるつもりなんだ」
微妙に返事を急かしてくるおやっさんだが、スキルの状況を把握したものの“よく分からんということが分かった”状態なので首をかしげるばかり。
そんな俺の横をすり抜け、ついてきていたアミィがカウンターのイスを踏み台にしておやっさんを呼んだ。
「……アタシ、今度ボディを載せ換えようと思うんだけど」
*
「載せ換え?」
「うん……現実世界の方も、もっと大人っぽい身体にするの」
「どうしてンなことする必要があるんだよ?」
俺達サイボーグ人類が標準的に持つ人工肉体の仕様は、俺自身がこの汎用ボディを手に入れたときリラから説明してもらった。
可能な限りかつての生身人類の肉体に似せたボディは、殆どの部品が自己再生・自己増殖する代謝型素材で構成されている。
外部から食物として素材を吸収すれば消耗した部品は再生するのだが、それだけじゃない。
サイボーグ体は成長できるのだ。
電脳が、持っている遺伝子データを基にボディを構成する要素を少しずつ更新していく。
だから最初は子供だった純サイボーグも、時間が経つと共に段々大人の身体になることができるんだ。
ボディを丸ごと載せ換えるなんてのは、大人になった人体改造マニアかボディにどうしようもない欠陥が出てしまった者がやることだと言う。
その辺りの事情を俺に言って聞かせたリラが、心配そうにアミィを覗き込む。
「アミィ、もしかしてどこか欠陥いのかい?」
「いえ、特に……」
「じゃあ何で」
再び俺が投げた疑問符に対し、アミィは首をかしげた。
「別に、やっちゃダメなことじゃないし……でしょ、お姉さま?」
「まあ確かに……選択は個人の自由にされているね」
「載せ換えるボディをウチで探すのか」
「ううん……それはもう見つけてあるの」
携帯ホログラフに表示されたのは、透き通るような白い肌に光沢のある金髪が腰まで伸びる美女。
所々に“SAMPLE”とマーキングの入った保護フィルムに包まれた体躯は、リラに勝るとも劣らない完璧なラインを描く。
――――今のアミィとは似ても似つかない“大人の女性”だった。
「……こっちのボディになった後、今のボディをひきとって欲しいの」
「そうかい」
まるで車を乗り換えるかのようなやり取りをするアミィとおやっさん。
俺は胸の奥から何ともいえないモヤモヤしたものがせり上がってくるのを感じた。
「ちょ、待てよ。今の身体売っ払っちまうのかよ!?」
思わず口を挟んだ俺に、アミィはまたも疑問符を浮かべる。
「だって必要無くなるし……それに、ボディ買うお金はアタシのお小遣いでやりくりしてるから売らないと後がキビしいもの……」
アミィの視線が逆に俺に問うてくる――アタシ何か変な事言ってる?――と。
これが、改めて思い知るこの世界の“普通”なのだろう。
何の気構えもなく、ある日目覚めたらこの未来に居た俺だけが、きっと“おかしい”のだろう。
理解したつもりだった。納得した上でこの世界をエンジョイしてるつもりだった。
だけど、身近な少女が何気なくやろうとしている事に対して、俺は今、どうにも納得できないでいる。
だけど、それが上手く言葉に出せなくている。
俺はそれ以上彼女といることに耐えられなくなり、何も言わず『アミーゴ』を後にした。
*
自室のベッドでひたすらぼんやり天井を眺めていると、扉を軽くノックする音。
俺の返事を待たず、リラが入ってくる。
「アミィ気にしてたぞ。キミがなんかヘンだった、って」
開口一番、不貞寝のタネを口にするリラ。
俺も同じく単刀直入に、胸につかえているものを口にする。
「なぁ、あいつは自分の体を捨てちまうことを何とも思ってないのかな」
「……純サイボーグにとってはそれが当然のことだからな。まあ、私にはお前の言わんとしてることは分かるよ」
彼女の言からは、本心を見透かされる居心地の悪さではなく寄りかかれるような安堵を感じた。
ハイブリッドとして同じ違和感に向き合う者としての共感があるからだろう。
「ちょっと一人にしてくれ。頭冷やすわ」
頷いたリラが部屋を後にするのを見届け、俺は瞼を閉じる。
不貞寝を始めると、次第に意識がまどろみに落ちていく。
暗く曖昧な視界は、ゆっくりと青く染まり――――
*
俺は、今まで訪れたことの無い“どこか”を俯瞰していた。
白一色の内装に擬似生体の観葉植物をワンポイントにあしらった、清潔感のある一室。
余裕のある空間の真ん中に二つのリクライニング・シートのような装置が在り、そこにはそれぞれ女性と少女の体が横たわっている。
ここがどこかは分からないが、どういう所かは何となく分かる。
俺がサイボーグとして目覚めた『医療施設』によく似ていたのだ。
女性の長い睫が揺れ、瞼を開くと傍らの少女をゆっくりと見た。
少女――アミィはまるで眠っているように動かない。
「まだ手足がよく動かせないけど……ボディ交換の直後ってこういうものなんですか?」
女性が、シートから伸びるケーブルが接続された先、壁に据え付けられた端末を操作する白衣の男に尋ねる。
全く見覚えの無いこの光景と、女性の発した全く聞き覚えのない声。
その二つは、確かな事実を俺に告げる。無情に告げる。
俺はどういうわけか、アミィが電脳を別の身体に載せ換える場面を覗き見ているらしかった。
「ああ、それはネェ」
男の口調はどこか馴れ馴れしい。
向き直って見せた顔立ちから、俺とそう変わらない年恰好であることが、どうしてだかささいな苛立ちを覚えさせる。
彼の口端がいやらしくつり上がっていたことも一因だろう。
そして、男が発した言葉にアミィと俺は絶句した。
「一生そのままですヨ。だって、そういう風に細工したんだモンネ!」
「え……どういう……」
「だから、そういうコト。あ、どうしてこんな事するかって訊きたかった?いいヨ教えてあげる」
男が立ち上がり、端末のキーを叩く。
モニターに表示されたのは、いつぞや俺達が懲らしめてやった盗撮野郎の顔。
「出羽クンの盗撮動画はボクタチの癒しだった。彼はネェ、いい職人だったんだヨ。だけど彼の生み出す素晴らしい動画はもう観れない」
「そんな……こと……」
「そんなこと知らない?関係ない?こっちも同じサ。“仕返し”はさせてもらうよ」
女性が口元を震わせ首を振る。
傍らの“アミィ”は、なおも眠ったように動かない。
「出羽クンの残した最後の動画、ボカァ何度も何度も見た」
次にモニターに映し出されたのは、雑然とした画面だらけの部屋でひとりでに吹っ飛ぶ男――出羽という盗撮野郎に、俺とアミィの姿。
奴が自分の部屋を撮影していたのだ。そして、いま得意げに話すこの男の手にデータが渡った。
「それで、気付いたんだネェ。アミィチャン、“容姿”にコンプレックスあるでショ?」
男の指摘にアミィが身じろぎする。とはいえ、動くのは首から上だけだ。
今の彼女の身体に施された“細工”は手足の自由を完全に奪っているようだった。
そんなアミィの表情を見てしたり顔で頷く男。
「人間カンサツが趣味でネ。わっかりやすいねえ、やっぱ“子供”なんダネェ」
胸糞悪い顔と声に女性の表情がこわばる。
俯瞰している俺はといえば、苛立ちはとっくに怒りに変わっている。
だが、一方で冷静な部分が疑問符を浮かべる。
――これは悪い夢なのか?と。
「キミの目につきそうな界隈に散々“撒き餌”の広告を打ったからネェー。まさかこんなに上手くイクとは思わなかったヨォ。キモチイイ!」
「だ……誰か……!」
「ムダだよォ。この施設は買収済み。話の分かる同好の士がけっこう居てネ。本日貸し切りサ」
美女の顔が恐怖に染まるのを、男はうっとりとした視線で舐めつける。
「世の中を知らないと痛い目に遭うんだヨォ?勉強になったネェ。もっとも、君に教訓を活かすチャンスは無いけどネ!」
部屋の自動ドアが開く。
所々にプロテクターのついた黒服に身を固めた屈強な体躯の大男が4人、足音を立てずに入ってきた。
男達は棺おけほどの大きさがある半透明な円筒を二つ運び込む。
円筒の下端――土台には木目調の装飾が施されていて、上端の蓋からは手錠のついた長い鎖が垂れている。
「お前は今日から『肉人形』だ。変態には泣き叫ぶダルマ女が好きな連中も居てネエ。オークション、盛り上がるだろうネ」
「イヤ……やめて……やめて……!」
唯一動かすことを“許された”首から上を必死に動かし声を絞り出すアミィだが、男達は意に介さず彼女の身体を巨大な標本ケースに押し込めていく。
「あと……この『空きボディ』にも需要があるからネ。別口でオークションだ。ンー、さすがお嬢様のカラダは綺麗だネェー」
残された少女の身体。
無抵抗なアミィの身体の緩やかな曲線に沿って、男の汚らわしい指先が這う。
目の前で自分の身体が嬲られるのを見せ付けられアミィが叫ぶが、透明な壁に隔てられ声は届かない。
――――もういい。もうたくさんだ。
夢だろうが現実だろうが関係ない。
今すぐ“あそこ”へ行って野郎をブン殴る。
視界を縁取っていた『青色』は、俺の意思と共に白くなり視界を染め上げていく――
*
視界を染めた白が消えると、床を踏む確かな感覚。
目の前には今まさに俯瞰していたクソ野郎と手下の男達、カプセル詰めにされた美女と眠るように横たわるアミィの姿。
こうしてテレポートできたとなれば、見えていた光景はやはり現実だった。
「お前、アミィと一緒に“あの動画”に居た男か?」
動揺した野郎の声が耳に入ってくる。
その声はむしろボンヤリとしか聞こえない。
昂ぶった怒りが、俺の感覚をも塗りつぶし始めているからだ。
ここが現実の場所だと理解した時から、俺の目の前は真っ赤に染まっている。
「ココの防犯システムは軍用の隠蔽機能だって丸ハダカにできるハズなのに……どうやって侵入した!?」
「うるせえ。ゴチャゴチャ喋るな。俺が“どうやって来たのか”は分からなくても“どうして来たのか”は分かるだろ」
俺が一歩踏み出すと、野郎は大げさな身振りで右手を俺の前へ。左手は背後に控える黒服の手下達へと向け声を荒げる。
「このガキがどうなっても良いのか!」
左手の合図と共に、黒服どもが身動きの取れないアミィとアミィの身体に手を伸ばす。
その動作を見るだけで電脳に流れるはずのない血が上っていく。
――視界は真紅に染まる。
「その娘に触るな!」
八つの何かが赤黒い液体を撒き散らしながら吹き飛び、白い壁にぶつかり汚した。
四対の腕。アミィに手を伸ばしていた四人の男達の肘から下がもぎとられていた。
液体は男達の肘先からも流れ落ちている。血液の代わりに循環する触媒液だ。
遅れてきた痛みをようやく認識した男達が苦悶の声をあげる。
そこへ追い討ちのサイコキネシスをぶつけ、連中の体も腕と同じように壁に叩きつけてやった。
「なにが起こってるんだ……!おい、早くコイツをなんとかしろ!!」
野郎が襟元のバッジにうろたえ声をぶつける。
声に応え、壁を隔てた通路に続々と黒服が集まってくるのが透視える。
そして、天井……それよりも上の方から降ってくる者の姿も。
程なくして頭上から金属的な衝突音と振動が、次第に大きくなりながら近付いてくる。
最後の音と振動と共に、俺達が居る部屋の天井が破壊され、そいつが“降りて”きた。
「正義センサーに感あり!観念しろ悪党!!」
瓦礫の降る白い床にメタリックな着地音響かせ、ヒート・B・プレッシャーの両目が光る。
彼は俺と野郎のちょうど真ん中に降り立ち、“向こう”を見据えていて俺達には気付いていないらしい。
「よう、ヒート」
「タクス!それに……捕まっている女性と、アミィちゃん!?」
「仲間を呼んでいたのか!?4階建ての屋根をまっすぐぶち抜いてくるなんて滅茶苦茶だ!」
「俺ァ呼んじゃいねえよ」
「ボクの正義センサーは、どんなわずかな悲鳴も聞き逃さない!!既に状況判断は完了した。覚悟しろ、悪党!!」
アミィたちの姿を見たヒートが関節から蒸気を立ち上らせながら戦闘態勢をとる。
「ヒート、お前はアミィをリラとおやっさんの所へ連れてってくれねえか」
「む、確かに彼女達の救出も優先事項だが。それならタクスのテレポートの方が有効なのではないか?」
「頼む。コイツらは直接ぶちのめしたい。それに――そろそろ“加減”が効かなくなりそうなんだ」
こうして喋っている間も、俺の視界の端は赤や青にめまぐるしく明滅している。
四方の壁は常に透けて視えてしまっているし、連中が数秒後にとりそうな行動もどういうわけか手に取るように分かる。
怒りの高揚感と共に俺の超能力は全開状態になっているみたいだ。
ヒートは無言で頷くと、アミィの囚われたカプセルをパンチで破壊。
アミィとアミィの身体を両脇に抱え跳躍し、今しがた降りてきた天井の穴から脱出した。
同時に扉を蹴破って銃火器で武装した黒服が10人ほど部屋になだれ込む。
最前列の連中が一斉に手にした光線銃を構えるが、トリガーが惹かれる前に銃身がぐにゃりとひん曲がる。
手元を二度見して困惑する黒服を尻目にテレポート。
部屋の外の廊下から間抜けどもの後頭部を見ていると、一番近くに居る黒服が気配に気付き振り返る。
それを合図にサイコキネシスの衝撃波をぶつけ、黒服の集団をまとめて部屋の中へ吹き飛ばした。
男達の吹っ飛ぶ軌道もコントロール。クソ野郎の上に折り重なるようにして積み上げる。
更に念力を集中すると、視界が燃えるように赤くなる。
――視界の赤は、炎。
目に映る黒服の山が本当に燃え始めた。
初めて発動した超能力だが、今は仔細なんかどうでもいい。
倒れた男達の下敷きになったクソ野郎が這い出してくる。
あれだけ上に乗った男達がボーボー燃えてるというのに、こいつだけは白衣がスス汚れたくらいで済んでいた。
ヒィヒィと鬱陶しい呻き声を上げて一向に火の山から出てこないクソ野郎。
「さっさと出て来いよ」
サイコキネシスで無理矢理引きずり出した後、空中に固定。
四肢の関節を砕いて目の前にハリツケにしてやる。
「な、なんだよ……“何”なんだよ、お前はッッッ!?」
唯一自由にすることを許してやった首から上で、恐怖と驚愕の表情を露わにして喚く男。
「世の中知らねえと痛い目に遭うんだ。勉強になったろ?」
右の拳を握り締め、硬質化。
俺が詰め寄ると、目の前のクソ野郎が悲鳴を上げた。
「もっとも、テメーに教訓を活かすチャンスは無ェけどな。だろ?」
渾身の『俺の力』で、真正面からぶん殴る。
鼻面がめり込むほどにひしゃげた野郎が、触媒液と煤で無残に汚された床に崩れ落ちた。
「……まさかとは思うが、“自分は安全だ”なんて思っちゃいないよな」
そう言って、部屋の隅に声をかける。
何もない場所に念を込めれば、空間が燃焼。
光学迷彩が解けた偵察メカが融解しながら壁の隅から床に落下した。
真っ赤に染まっていた視界を青に転じて『透視』の後、白へ。
一瞬で降り立ったのは人がようやくすれ違えるほど窮屈な部屋。
スイッチだらけの機器やモニターひしめく中に、チェックのシャツをジーンズに押し込めたメガネ男が収まっている。
男が向き合っていたモニタは黒い背景に『lost』と表示され、隣に据え付けられたサブモニタにはさっきまで俺が居た一室の光景が映し出されていた。
モニター男が何か言葉を発するより早く、脳天をサイコキネシスで横殴りにしてやる。
男の頭が叩き付けられたモニタが景気よくブチ割られた。
認識できたおよそ全ての“標的”を叩き潰し終え、次に俺は叫んだ。
もはやそれが怒りなのかも区別がつかない。
これほどの激情が湧いてくる理由も、本当にアミィがひどい目に遭わされたということだけなのか、それとも今日に至るまで腹の底に溜まっていた鬱憤もまとめて吐き出されているのか、自分でも分からない。
ただひたすら叫んだ。吠えた。
サイコキネシスは叫びに応え、俺の全身あらゆる角度から衝撃波を放射する。
自分がまるで爆弾になったようだ。身の回りを窮屈に取り囲んでいた機械類が、壁が、天井が、みるみる見えない“圧”にひしゃげ砕けてゆく。
四隅の壁や天井が八方に飛び散り外の風景が光と共に見える。
どうやらこの部屋は車輌の一部だったらしく、トレーラーの先頭が目の前で横転していた。
「ざまぁ……見やがれっ……!」
誰へともなく吐き捨てる。
充分な破壊を終え、溜飲が下がると同時に凄まじい虚脱感が電脳の奥底から込み上げてきた。
膝から突然力が抜け、自分の体が前のめりに倒れてゆくのが分かる。
搾りカスのような精神力を振り絞り、視界は白。テレポート。
どうにか『アミーゴ』の店内に降り立ったことを確認した所で限界が訪れる。
意識と共に暗闇に沈む視界の中、リラが駆け寄ってくるのが見えた――――
*
眼を覚ますと、枕元に少女。
透明ミントグリーンの髪。
清楚で可憐な白いブラウスに黒のスカート。
白金色の歯車みたいなボタン。
「アミィだ…間違いなくアミィだな」
目の前の少女が、こくりとうなずく。
目は覚めたが、まだ頭ン中はぼんやりしてる。
夢と現の狭間で俺は“元通り”になって心配そうな顔で俺を覗き込むアミィに声をかける。
「なあ、上手く言えないけどさ…あっちの身体よりこっちの方が」
朦朧としているからなのか、言葉は考える前に胸の底からするりと口を滑り出した。
「お前らしくてさ、可愛いと思うぜ?」
彼女は俯いて何も言わない。
それでも、どういう訳か俺は満足している。
しばらくして。
無言の静寂が充ちたベッドルームにあってさえ聞き逃しそうなほどの呟きが聞こえた。
「……ありがと」




