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クマソタケルの館にて | 絶世の美女と思わせといて、実は最強のヒーローでした

作者: 宇美

 遠目に赤い砂埃を撒き散らしながら近づいてくる、クマソ軍を見た時には、もうこれは相当な苦戦になるな、とは予想がついていたのです。

 ただ、ここまであっという間に、コテンパに負けてしまうとは、思いもよりませんでした。


 日頃ぼろをまとい、不良仲間とそこらをほっつきまわっているコウス様だって、一応は、大事な大事な王子様です。

 それに、今回のクマソ征伐は、彼にとっては、いわば戦の練習のようなものでしたから、危険が無いように、前線よりずっと奥まった所にいたのです。


 しかし、一旦クマソ軍が現れたかと思うと、まるで津波のように押し寄せてきて、周りの兵は、次々とクマソの弓矢や刃になぎ倒されていきました。


 ついには、コウス様の頭上を、弓矢が飛び交うようになり、それでも、ご自分の身の安全なんか、ちっとも考えないで、身を乗り出していこうとされるので、側でお守りするのが、本当に大変でした。


 もう目の前に、コウス様を捕らえようと、クマソタケル兄弟がやってきて、その顔の眉間に刻まれた皺も、縮れた髪の一本一本も見える近さにいるという、土壇場になって、慌てて、ある命を惜しまない、忠義心の高い男が、コウス様の着物を着て、馬にまたがり、クマソタケル兄弟の前に走り出でたのです。


 クマソタケルはそれをコウス様だと思い、まっすぐな矛で影武者の胸を突くと、男は胸から血を吹き出しながら、馬から落ちました。


 私達は、クマソタケルが偽者の背中に足を乗せ、両手を挙げ、喜びの雄たけびを上げるのを、すぐ近くの竹やぶで、息を殺して見ていました。

「もうこのとおりです。十分おわかりになったでしょう。とても太刀打ちできません。ここはあきらめて帰るか、お父様の助けを借りましょう」

と、私はコウス様を諭しましたが、歯軋りをなさって、頭を振って、

「いやだ、いやだ。クマソタケルなんか、三日で倒してやる、と親父に言ったのだ。今更助けを求めるなんて、恥ずかしくて死んでもできない」

とおっしゃいます。

「でもこのとおりですよ。これでどうやってクマソタケルを倒すというのですか?」

 

 五体満足で残っている兵なんて、私とコウス様以外、ほとんどいませんでした。

 コウス様は、頭を使うんだよ、とおっしゃっていましたが、では頭を使ってどうするんですか? と聞いても、答えはないようでした。

 

 とりあえず腹ごしらえをしましょうよ、とコウス様を騙して、母親の代からこの土地で、拝み屋の傍ら、密かに私達の為の仕事をしてくれている女の家に、無理やり連れて行きました。

 そこで握り飯を握ってもらい、ほおばりながら、どうやってコウス様を説得しよう? いや、眠り薬でももって、眠っていらっしゃる間につれて帰ってしまおうか? と煩悶していると、あたりが若い娘の声で騒がしくなりました。

 何だね? と尋ねると女が言うことには、クマソタケルの屋敷で、今夜の戦勝祝いの宴会の為に、お酌をする若い娘を集めているとのことです。

 一晩働けば、お米一俵もらえるんで、近所の女の子達が、皆で連れ立って行こう、ということになって、その話でもりあがっているのだといいます。


 それを聞いたコウス様が、にわかに目が覚めたような顔をなさったか思うと、立ち上がり、拝み屋の女に向かって、きっぱりとした声で、お前、女物の着物を二揃いと、化粧道具を貸してくれないか? とおっしゃったので、私は女装して逃げようとお考えになったのかと思いました。

 ただ、そんなことは一番コウス様が嫌うことなのに、急にどういう風のふきまわしだろう? と思って、コウス様のお顔を見れば、さっきとは別人のように晴れやかで、どうやら運が向いてきたようだ、とおっしゃいます。

 何を考えていらっしゃるのかと聞くと、なんとお酌の娘達に混じり、クマソタケルの館の宴会に入り込み、そこでクマソタケルの命を狙おうと、おっしゃるのでした。


 私は最初冗談かと思いましたが、拝み屋の女もすぐにその作戦に納得して、さっさとコウス様の着付けとお化粧を始め、あっという間にコウス様は素敵な美女になってしまいました。

 さあ次はあなたの番よ、と女に言われて、下着姿になり、手をあげ、着付けと化粧をされながらコウス様を見ると、コウス様は私の着付けをじっと観察しつつ、ケタケタと笑っていらっしゃいます。

「さあいっちょあがり。われながら傑作よ。見てごらんなさい」

女にそう促されて、姿を水桶に映してみると、それこそイザナギノ尊が黄泉の国から帰ってくるときに、桃を投げつけて追っ払ったのみたいな、酷い醜女が映っていたので思わずのけぞりました。


 お客が来たので拝み屋の女が出て行くと、目の端から紅色に染まった、コウス様の人差し指の腹が飛び込んできて、私の頬に当たりました。私の顔をご覧になりながら、

「ははは、お前ますます可愛くなったぞ」

と大笑いをされています。どう変わったんですか? と聞いても、教えて下さらないので、もういちど水鏡をのぞくと、さっきの酷い醜女の頬の真ん中に、桃のような、まん丸の頬紅がさされていて、醜いだけでなく、まるで馬鹿みたいな女になっていたのでした。

「ははは、ははは」

コウス様は気でも狂ったかのように大爆笑をされています。

「がはは、がははは」

膝を折って地べたに座り込んで、こぶしで地面を叩きながら笑い、最後には膝を抱え寝転んで、なお笑い続けていらっしゃいました。

 私は、コウス様がおかしくなったのではないか? と当時は不安に思いましたが、後で思い返せば、いくら豪胆なコウス様といえ、たった二人で敵の館に乗り込むのは恐ろしく、それでその不安を打ち消すかのように、大笑いをされていたのでしょう。

 

 笑いすぎて、せっかくのお化粧も着付けもとれてしまいましたので、またきれいにお化粧と身づくろいをされたコウス様と、私は、つれだって、クマソタケルの館まで行きました。

 

 高い門の周りに、若い女性が蟻のように集まって、列になっています。ここに来るお客さん相手に、一晩お酌をすればお米一俵、というのはクマソの庶民にとっては、相当な魅力とみえました。

 

 門には槍を持った、背が高く、筋肉質で、濃い顔立ちの男が、四人組になって立っていました。

 集まってきた娘達の、身元を問いただして、怪しい者がいないかどうか確認しているようです。

 かなり細かく聞いているので、どうなることやら、と思っていると、コウス様の番になりました。

 男は強面をいっそうこわばらせて、だれの娘だ? 年はいくつか? と尋ねると、コウス様が器用に女声で、鍛冶屋のテツヒコの娘で十七歳です、とお答えになります。

 するとおや、と思うほど簡単に、じゃあ、行け! と言って通してしまいました。

 次に私も名前を聞かれたので、どうしよう、とあせっていると、こちらは私の姉で二十歳、とすばやく私に代わってお答えになったので助かりました。

 男の横を通るときに、ふと振り返ると男は色黒の顔を耳から真っ赤に染めています。

 

 案内役の腰の曲がった老婆の導きで、他の娘達と共に、両脇に高見台のついた、それぞれ数名の門番のいる門を、三つほどくぐりました。

 その後、無数の藁葺き屋根の米蔵の合間を、沢山の奴隷や召使が行きかいしている中を、通りぬけます。

 

 途中で手かせ、足かせをはめられた、数珠繋ぎになった、二、三十人の男が、武器を持った男に連れられ、歩いていくのも見えました。

 私達とすれ違った所で、皆揃ってコウス様の方に顔を向け、きれいな娘だ、でも何処かで見たことないか? とざわめいています。

 どうやら捕虜になったわれわれの兵達のようでした。

 

 他にもたんかに乗せられた傷ついた兵士達とか、壊れた武器を担いでいる男達とか、今日の出し物の練習をしている芸人達などの間を通り抜けました。

 最後にたどりついたのは、戸から煙が十筋ぐらい立ち上る、地面から直に建てられた、細長い藁葺きの建物でした。

 

 入れば土間になっていて、両端に五つづつ並んだ竈に向かって、若い娘達がせっせと食事の支度をしています。

 

 そこらじゅうに置かれた籠には猪の頭や、先ほど殺されたばかりのウリボウ、まだ生きているウサギ、などが入っていました。

 

 そこで若い娘達に指示をしている三十がらみの眉毛のつりあがった小生意気そうな女に、出来上がった料理を、大皿にもりつけるように命じられたのですが、私はこれでも家に帰ればそこらいったいの族長の若様ですから、そのような下働き、それも女がやるようなことはまるでできません。

 皿に盛り付けようと、おひつからひしゃくで丸い肉団子をすくったとたん、お団子が、ひしゃくからころころと零れ落ちて、床をまりのようにはぜています。

 

 女に、大切なご馳走を無駄にして! と怒鳴られ、うなだれていると、回りの女の子達のあざ笑いが聞こえます。

 

 ふん、こんな連中、本当なら俺にあれこれ指図できる立場じゃないのに、と悔しく思いながらも必死で謝って、もりつけにとりかかると、少しずつ慣れてきて、途中からはなんとかできるようになりました。

 一仕事終わり、ほっとしたので、ふと向こうをみると、コウス様が猪の頭の周りに蕗の葉を器用に飾りながら、高く澄んだ声で、てきぱきと皆に指示をしています。

 

 日が落ちた頃に、宴は始まりました。

 お炊事場を離れて、宴会場でのお客の世話を、もっぱらにやるように命じられたので、心底ほっとしました。

 後はどうせ適当にお酌をしながら、にこにこ笑っていればいいんでしょう。

 池の上に堂々と建てられた、桧皮葺の大きな高床式の本殿に入る為に、階段を登りながら、下を眺めれば、松明を先導にして、毛皮の敷物が敷かれた輿に担がれた、鬼のような顔つきに長い縮れた髭を生やした、クマソのお大尽様方が次々とやってきます。

 

 長い廊下をわたり宴会場に入ると、既に主人とお客の何人かは来ていて、頭のついた熊の毛皮の上に胡坐をかき、酒を飲みながら、猪の頭や、ウリボウの丸焼きをつついています。

 娘達が料理をお客の前に並べたり、茶色い土に赤い火山灰で絵付けがされた杯に、どぶろくをついだりしています。

 大皿に盛り付けられた料理を、取り分けたりしなければならないので、思ったより簡単ではなく、右往左往していると、知らぬ間に、隣に、男が化けた私に負けないほど、がっしりとした体つきに、ごつい顔だちの娘が座っていました。

 

 私は当時は地元の族長の若様ですし、見た目だって普段はそんなに悪くはなく、結構もてましたから、日頃は美人の女以外は目もくれませんでしたが、その日は何故かこの娘に親しみを感じたのでした。

 娘の方も、美しく生まれなかった女同士、仲良くしましょうよ、という風情で私に近づいてきたのでした。

 娘はコウス様をこっそりと、平べったい爪のついた、節くれだった指でさして、太い眉をしかめ、産毛のふさふさと生えた口元を私の耳もとに近づけて囁きました。

「ねえ、見てよ、あの娘、いやらしいわね、媚媚じゃないの。愛人にでも、してもらうつもりかしら」

見れば、コウス様はいつの間にかクマソタケル兄弟の間に陣取って、お酌をしていました。

「まあ素敵。すごい。お素敵。すごいですね。なんて素敵。本当におすごいですわねえ!」

何がそんなに素敵ですごいのかよくわかりませんけど、満面の笑みをつくりながら「素敵」と「すごい」を連発しています。

 左の手を軽く握り、あごの下にあて、兄弟の話をじっと聞き入ったかと思うと、両手を胸の前でぱっと広げ「まあ!」と驚いたそぶりを見せます。

 それからまた両手を胸の前で合わせて、ふんふんとうなづきづきながら、兄弟の話を聞いていましたが、しばらくすると、細い指を花のような形にして、お下げにつけた髪飾りをもてあそびながら、下を向いて恥ずかしそうに

「わたくし、そんなことはわかりませんわ」

と言います。

 にやけた顔のクマソタケル兄弟に挟まれて、数秒の間黙りこくって、膝に置いた手をじっと見ていましたが、しばらくすると、何かに気づいたように、濃い睫毛で縁取られた目をぱっと見開き、両手の指をやさしく、つまむように瓢箪に添えると、少し下を向き、お辞儀をするように、背を前に倒し、空になった杯に酒をそそぎます。

「やあ。さっきは変なこと聞いて悪かったよ。それにしても君、実にいいねえ。誰の娘だ? 年はいくつ?」

とクマソタケル兄弟に聞かれ、

「鍛冶屋のテツヒコの娘で十七歳になります」

と答えます。

 クマソタケルの弟の方が、

「十七歳でこの色気! 僕、君みたいな娘、大好きだよ!」

と喜びながらコウス様の白魚のような手を握ると、今度は兄の方が負けじと太い腕を伸ばして、コウス様の肩を抱きます。コウス様は目を真ん丸くして、

「あら!」

と言ったきり下を向いて袖で顔を隠したのですが、すぐに顔を挙げ、目をきらきらと輝かせ、にこにことしながら兄弟の話をいかにも興味ありそうに聞いています。

「まあ素敵。すごいすごい。なんてお素敵。おすごいですわねえ!」


「いやあね。あんな風にだけはなりたくないわね」

娘がげじげじ眉をしかめ、皺のよった厚い唇を尖らせ、私にそう言うので、私は、ええ、そうね、と同調しました。

 

 話を聞いていると、クマソタケル兄弟が、コウス様相手にしている自慢話は、なんとコウス様相手の武勇伝ではないですか?

「あの生意気な若造が、お父ちゃんにもらったとかいう、やたら沢山の兵隊とか、豪勢な武器とか、良い馬とかを見せびらかしにきたが、みんななぎ倒してやったよ」

「いろいろと装備は立派だったが、しょせんおぼっちゃんが率いる軍隊だから、こっぱみじんにするのは簡単だった」

「まあ素敵。すごいすごい。なんてお素敵。おすごいですわねえ!」

 にっと不自然な作り笑いをしながら、お酌をなさるコウス様の目は、獲物を捕らえる前の獣のように、ぎらぎらと輝いていていました。

 

 コウス様から、死んでも飲むな、と念を押されていましたから、その晩は一口も酒を飲んでいませんでしたが、まわりの酔っ払い達の雰囲気に影響されたのでしょうか? 女の格好なんかしているからでしょうか? 煌々と光り輝く、妙に赤みがかり、いつもより大きく見える満月のせいでしょうか? 敵の陣地の、ど真ん中に乗り込んでいるなんていう実感がまったくなく、ふわふわと雲の上を浮いているような気分でした。

 

 満月を背に、長い橙色の袖を翻しながら、天女が舞踊ります。顔には赤化粧を施し、真紅の鉢巻、メノウの首飾り、やはり真紅の帯に、赤い前掛け、そして赤く塗られた剣先のようにとがった爪……

「あれで男だなんて!」

そう叫ぶ声が聞こえ、私は急に冷水を掛けられたような気分になりました。

 着物の下に隠し持った二本の短剣を、いつでも出せるように気構えながら、コウス様を探しました。

 

 ところがコウス様が何処にもいらっしゃらない。

 目に映るのは、けばけばしい着物に毛皮を羽織った、髭面で眉毛の濃い男達と、日に焼けた、頬の赤い、丸顔の娘達ばかりで、コウス様の水晶のように涼やかなお顔は、いくら探しても見当たらない。

 

 男だとばれて捕らえられてしまったのだろうか? 今頃尋問にあっているだろうか? どうしようか? この短剣をいっそのこと自分に向けて息絶えてしまおうか? いや、その前にクマソタケルの兄か弟だけでも刺してからにしよう。

 

 そう思って今度はクマソタケルを探したが、いかついクマソの男達の中でも、とりわけ獣じみたあの二人も、いつの間にかいなくなっています。

 

 もうあの自分勝手なコウス様なんか見捨てて、尋問を受けているコウス様が、私のことをしゃべらないうちに、一人で逃げてしまおうか? 急にそう思い立った時に、

「これで男だなんて!」

さっきと同じ声がしたので、ついに自分も男だとばれたのかと思い、声のする方を恐る恐る振り向くと、声の主は、先ほど私がお酌をしたお爺さんで、彼の前には天女が立っています。

「お嬢さん来たまえ!」

 そう言われて、すごすごとお爺さんの前に行き、天女を目の前にすると、彼女のあご周りには髭がぼつぼつ生えていて、やせた首にはのど仏が見えます。

 どうやら女の格好をして踊る芸人のようでした。「これで男!」で「あれで男!」なのはコウス様でも私でもなく、この男のことだったようです。

 

 私がほっと息をついていると、

「君、この娘にどうしたらもう少し女らしくなれるか、教えてやってくれよ。このままじゃお嫁の行き先がないだろうから」

 このお爺さんは、先ほどお酌をした時に、私の顔が面白いと褒めてくれたのですが、私の将来を心配してくれていたようで、その女形芸人に、そう頼んでくれたのでした。

 芸人もよい人らしく

「杯を持つときは、そう五本の指でつかむんじゃないよ。こう親指と人差し指から薬指までを合わせて、つまむように持って、小指をちょっと浮かすんだ」

などと親切に、わざわざ、クマソの男にしては、白く細い指で、杯を持って、お手本を見せてくれました。

 

 いつの間にか、さっきコウス様の悪口を言っていた娘がやってきて、芸人が言うとおりに、赤く太く短い指で、つまむように杯を持ってみせ、

「先生? こうですか? わあ! 私の指なのに何だかとっても可愛く見えるわ!」

と喜んでいます。

 私もやってみるように女形芸人とお爺さんから促されましたが、とてもそれどころではありませんでした。

 コウス様もクマソタケル兄弟も何処に行ったのでしょう? コウス様ときたら、また私に一言も相談せずに、勝手なことをなさって、本当に困ります。

 

 コウス様とクマソタケル兄弟が、何処に行ったのか、お爺さんに聞いても、芸人に聞いても、まるで知らない、とのことでした。

 娘にも知っているか? と聞くと

「さあ、何処に行って、何をしているかしらね。ああ、知りたくもないけれど、いやらしいわね」

と当初はすましていましたが、

「本当に何処に行ったのかしら?」

と私がしつこく気にしていると、知りたくない、と言っていたわりには三人の話をよく聞いていたようで、三人はおそらくあそこに行っただろう、ここに行っただろう、とかなり細かく教えてくれました。

「でも何故、あなたそんな気になるの?」

「だって妹だもの」

「ええ! 知らなかった……ごめんなさい」

「いいのよ。私だってあんな妹、大嫌いだから。無謀で独りよがりで急にいなくなるし」

 私は思わず、日ごろのコウス様に対する不満を娘にぶちまけた後、コウス様を探しに、けたたましい一気飲みの掛け声を背に、外に出ました。

 

 夜風に吹かれると、体中の毛が肌をくすぐり、幅の広い袖や長い裾が腕や脚にまとわりつきます。

 ぷんと鼻につく土のにおいの中、少し歩くと、宴会の賑わいは次第に小さくなり、今度は虫の大合唱が耳につくようになりました。

 娘が言うには、裏の池の周りの南天の木のそばで、クマソタケル兄弟が酒を飲みつつ、棒術の試合をすることになって、コウス様は二人のお世話をするためについていった、とのことでした。

 たまにぽつぽつと通りかかった人に行き先を聞き、裾が夜露にぐっしょりと濡れた頃にたどりついた場所には、池に沿って南天が植えられていました。

 そこには、あれよりはぐっと小さいけれど、宴会場によく似た形の、池に張り出した建物が建てられていて、今晩のような月夜に酒を飲むには丁度よさそうな場所でしたが、あたりには全く、人気がありません。  

 

 何か目印はないかと地面に目をやると、南天の実が一粒一粒列になって落ちていて、丁度建物に上がる階段のところにまでつながっています。

 階段を上りきると、暗くてよく見えませんでしたが、床に灯りを当てると、また転々と南天の実が朱塗りの簾まで続いていて、簾の後ろから男のものらしい足の爪が見えました。

 私は着物の下の短剣の上に手をやりながら、前に進むと、次に親指が見えて、血管が浮いた足が見えて、足首が見えて、森のようなすね毛が生えたふくらはぎが見えて、その真ん中ぐらいに女の着物がかかっていました。

 

 愛らしい娘の姿のコウス様が柱に背中をもたれ、ひざを抱え座りこんだまま長い睫毛を伏せ、ぽかんと口を開けうつむいています。

「コウス様!」

 私の呼び声に、はっとした様子で顔を上げ、見開いた両目には、私が手に持った灯りの、赤い炎が映っていました。

「ああ、お前か……」

 コウス様の周りに、何かこんもりとしたものが転がっていました。灯りを当てると、それは地面につっぷしたクマソタケルの、弟の方の背中でした。

「二人とも殺した。兄の方はあっちに転がっている。殺す前に名前もらっちゃったよ。こんな強い女は始めて見た、何処の女だと聞かれたから、ヤマトから来たといったら、これからはヤマトタケルメと名乗れだってさ」

いつもとはうってかわった、情けないぼそぼそ声でおっしゃるので、

「お手柄です。でも何故、座りこんでいらっしゃるのですか? 早く逃げないと」

「俺。こんなことは何でもないと思っていたんだ。だけど息絶えた弟が、俺にのしかかってきた後は、なぜか膝に力が入らなくて、腰が抜けてしまって……」

私はこのコウス様にこんなことがあるのだ、と驚きながらも、両足を開き、しゃがみこむと、コウス様の腰をだいて、えいと力をいれて立ち上がりました。

 コウス様、見た目こそほっそりしていらっしゃるけど、結構重いのです。

 

 右に左によたよたしながら、なんとか足を踏ん張り、階段を降り、急く心で、予定していた出口に向かうと、

「何処に行く?」

という男の声が聞こえたので、もはやこれまでか? と思いましたが、見ればみずらも、膝まで伸びた髭も、真っ白な、ここの人にしては小柄な、気のよさそうなお爺さんで、

「お嬢さん。帰るのなら、お米一俵を、ちゃんともらってからじゃないとだめだよ」

と分厚く横に長い唇を、にっこりとさせて言うので、

「この子、酔っ払っちゃったので、家に置いてきてから、また来ます」

と答えて、堂々と門から出たのでした。

    


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