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アナログな感覚を信じる

 2人目の被害者は40代のサラリーマンだった。深夜にビル街を歩いていたところ、白い男に遭遇。不幸にもその命を落とした。

 死体発見時、男はうつ伏せで倒れていた。背中は真っ赤に染まり、状況から、背後からひと突きされたと思われる。

 鯨岡は犯行現場に来ていた。死体はもちろんのこと、血の跡もいまではきれいに洗い流されており、

 とてもここで凄惨な殺人事件があったとは思えない。

 しかし。

 鯨岡はカバンからタブレット端末を取り出し、タッチパネルを操作する。ロボットと組むことを拒否しながら、きっちり文明の利器に頼ってしまうとは、

 我ながら一貫性に欠けること甚だしい。苦笑しながら、3次元保存しておいた現場のホログラムを呼び出す。

 驚きに目を見開き絶命している男。じぶんがおかれた状況をまともに理解できないまま、彼岸へと旅立ったのだろう。立体再現しているとはいえ、けっきょくは虚構。どこか作り物めいてみえるのは、

 じぶんの眼鏡が曇っているからだろうか。

 ただの有機物と化してしまった死体を眺めながらも、鯨岡の思考は先ほどまで乾とのやり取りに向けられていた。

(まがいものか)

 よくもまあ言ってのけたものである。大して知りもしないで、安直に批判しようとするのは、新しいものを拒否しようとするおやじの本能なのかもしれない。30を前にして、鯨岡は自身の老化をはじめて感じた。

 ――いいや。そうじゃない。

 なんとなしに批判しているわけではないのだ。鯨岡には鯨岡なりの考えがきちんとある。あるはずだ。

 ただ。

 そのきっかけがなにかは思い出せない。

 一度、カウンセラーにじぶんがデジタル全般を嫌悪する理由を相談してみたことがある。我ながらバカなことをしたものだと振り返って、苦笑するしかないが、カウンセラーの女史は、真摯に相談に乗ってくれた。

「なんらかの心的外傷が記憶を抑圧しているのかもしれません」

 言っていることがいまいちピンと来なくて、

「……心的外傷?」

 と、バカなオウムのように繰り返してしまったものだが、彼女は辛抱強く、かつ丁寧に鯨岡に説明してくれた。

 いわく、幼少期に大きなトラウマを背負った人は、じぶんを守ろうと無意識のうちにそのときの記憶を封印してしまうものなのだ、と。

 わかったようなわからないようなはなしだ。

 なんせ、肝心要の記憶が欠落しているのである。あなたには重大なトラウマがありますと言われても、

「はあ、そうですか」としか答えようがない。

「多くの場合は、ある日突然、ふとしたきっかけでその記憶を思い出します」

「きっかけ……ですか」

「ええ。たとえば交通事故の記憶ならば、その事故現場を大人になってからたまたま通りがかったとかですね。あるいは――」

 ――トラウマの原因自体を克服するとか。

 彼女のその言葉は、なぜかよく印象に残っている。

「まあ、現実問題、なかなかむつかしいですけどね。そんなに簡単に克服できるなら、そもそもトラウマにならへんわ!」

 なぜか関西弁で彼女はツッコんだ。だから、覚えているだけかもしれない。

「いずれにせよ。原因がわからないと、対処のしようがないということですね」

「残念ながら」

 カウンセラーは一転して至極残念そうに言う。感情の起伏が激しい人だ。そんなことで、人の感情を安定させるカウンセラーが務まるのか。いっしょに連れてかれるんじゃなかろうか。

 彼女はなぜかつづけて

「申し訳ございません」

 と、謝った。

 なにも悪くないのに謝罪された。

 こういう仕事に就く人は、患者にいちいち同情していては身が持たないと思うのだが、彼女の表情と声は心からあふれ出ているようにみえた。やさしい人なのだろう。それとも、ただカウンセラーとして未熟なのか。

(あのあと、なんと言ったんだっけ)

 申し訳ないような、いたたまれないような気持ちになり、カウンセラーになにか言葉をかけた気がするのだが、思い出せない。どちらがカウンセリングを受けているんだがわからない、とあきれたことは覚えているのだが。不思議なことに具体的な記憶は見事に抜け落ちていた。

 もしや、関連のある記憶だから、無意識のうちにそれを「抑圧」しているのか。

 まあ、あまり深く考えていてもしかたあるまい。

 そもそも回想に浸るために、わざわざここに来たのではない。

 現場見分。デジタル捜査が一般化したいまの警察組織において、昔ながらの現場百遍を愚直に実行している刑事などほとんどいない。

 鯨岡は、その数少ない現場主義者のひとりだ。

 現場に残る匂い、音、手触り、空気。デジタルでは決して再現できない、言語化不可能なアナログな感覚。そういうものにこそ、犯行現場の核がつまっている。そう信じていた。だからこそ、じぶんはわざわざ電車を乗り継ぎ、汗を流しながら、足を運ぶ。事件解決に直結するからこそ、そうするのだ。

 同世代や年下の刑事はもちろんのこと、鯨岡より何年もベテランな刑事ですら、そのやり口をみて、

「古臭い」

 と笑う。

 だが、冷房の効いた部屋でデジタルモニターとにらめっ子するだけでは、犯罪の本質など見抜けるはずはない。市井の人びとがやむにやまれぬ事情で、もしくは狂おしい嫉妬で起こす事件というのは、概して生々しい、いや、生臭いものなのだ。

 そんな思いを抱えながら、鯨岡が死体の側にしゃがみ込んでいたときだった。

「…………うん?」

 違和感を抱く。そして直後の既視感(デジャヴ)

 以前にも似たようなことがあった。それもつい最近。

 死体は相変わらず、ガラス玉になってしまった両目を丸々と見開くばかりだ。

 どす黒い鮮血は、視覚情報からでも、鉛のような血の匂いを伝えてくる。

 もやもやとした感覚。右の掌で、頭を抑える。しかし、拡散した違和感がひとつの直感に凝集することはなかった。

「ダメか」

 集中力を高めてみたものの、芳しい効果をえることはできず、鯨岡は落胆する。

 とりあえず、電子手帳に所見をかき込んでおく。この思いつきのような感覚が、熟成し、やがて確信へと姿を変えることがかならずあるからだ。

「よし」

 手帳を閉じる。

 タブレット端末を操作し、参照したデータを閉じる。

「ほんとに厄介な事件だ」

 ため息をつきたくなるが、こらえて、鯨岡は署に戻ることにした。

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