コントラストな殺人者
カッコいい男たちを描きたいです。ゆるゆるとお付き合いください。
男は摩天楼を縫うように歩いていた。ふらつき。足取りはおぼつかない。ビルのガラスが月夜を反射する。顔が照らされる。赤ら顔。
夜半を過ぎた東京のビジネス街は閑散としていた。男以外には、人ひとりいない。
「酔ってるー。おれは酔ってるう。楽しいなあっと」
つぶやく声に答える者はいない。それでも、男はご機嫌なようすだ。
「どんなときでもお、どこにいるときでも、強く強く抱きしめてえ」
奇妙な節回しで歌う。
「情熱があ日常に染まるううとしてもおお――お?」
四半世紀前の歌謡曲のサビが打ち切られる。
歌うのをやめて、男は目を凝らす。
「なんじゃあ、あれ」
薄くなった頭頂部をかきながら、歩く。アルコールのせいか、頭のてっぺんがほんのりと桜色に染まっている。目を細める。下をみる。
視線の先には、黒。まっくろな布が道のど真ん中に、無造作に置かれている。
「だれか落としたんかいな」
立ち止まり、布を見下ろす。深夜になっても首都を煌々と照らすビル群の光も、夜の底まではとどかない。底闇と一体化し、正体が知れない。
かがみ込み、持ち上げようとする。やめた。布がいたるところで破れていたからだ。ボロ布。
「なんやあ、汚いな。だれが捨てよってん」
男は立ちあがる。一瞥し、つばを吐く。
「これやから東京は。きったない街やで」
そういって、男は歩き出す。しばらくぶつぶつとつぶやいたあと、ふたたび歌いはじめた。
「雪がああ舞い散るうう夜空ああ――ああ!」
男の歌は、ワンフレーズもいかないうちに、またもや打ち切り。突然、音程を外して高くなった。
「ああ、ああ」
今度は歌声にもならない。あえぎ。
背中から臀部にかけて熱くなる。ゆっくりと。けれども、痛みは急激に。
ぷうん、と生臭い野蛮な香りがする。ワイシャツが湿り気を帯びていく。
口をパクパクと開け閉めしながら、ゆっくりと振り返る。
じぶんの背中をみようとする。が、うまくいかない。身体が固い。
なにが起きたかわからず、男は首を大きく左右に振りながら、なんとかして背中を確認しようとする。なにが起きたのか。だれに――なにをされたのか。痛みの原因はなにか。じぶんのしっぽを追いかけるヘビのように滑稽な姿だった。
ざっ。
足音。
「――!」
どうして気づかなかったのか。背後にだれかが立っていた。
そいつの手もとでは出刃包丁がテロテロと光っている。
光沢だけではない。紅い。
赤い液体が、刃先からこぼれ落ちる。
ぽつり。ぽつり。
一滴、一滴。確かめるように、夜へと吸い込まれていく。
男は呆けた表情でゆっくりと地面に落ちる液体をみていた。
床に水たまりをつくる。いや、血だまりをつくる。
「お、おま、おれの、おれの……」
消えゆく意識のなかでようやく事態をおぼろげに理解したのか、男は驚愕に目を見開く。
ぼろ布のようなマントを羽織った正体不明の人物は、なにも答えない。
男が、ふうふう、と荒い息を吐く。言葉がでてこない。
意識が混濁していく。意志がおぼろになる。
それでもようやく、指をさす。正体不明の人物の顔面にむかって。それが最後の抵抗とでもいうかのように。
ビルのガラスが再びきらりと光る。
顔面が発光していた。いや、正体不明の人物の顔はもともと白かった。それが光っているようにみえたのだ。
マスク。真っ白い、能面のようなマスク。
眼の部分だけ針のように細い穴でくりぬかれている。
マスクの白。マントの黒。そして血液の紅。
すべてがコントラストとなり、互いを盛り立てる。ぎらぎらした光景だった。
「――マ、マスクの」
そこまでだった。男は前向きに倒れ込む。スラックスが血でどす黒く変色する。
見届けたマスクマンが踵を返す。ゆっくりと歩き去る。
足を止めた。まるでなにかにぶつかったようだった。が、ビル街のよく清掃された道には、ごみひとつ落ちていない。
振り返り、かつてサラリーマンだったどす黒い死体に近づく。右手をマントのなかに入れ、なにかを取り出す。かがみ込んで、置く。
立ち上がり、じっと死体をみる。無表情のマスクが心なしか満足げだった。