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禁色の闇姫  作者: ときおう慧実
一章 相生の正妃
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6

8歳になりました。

 湿った風が肌を焼くような冷気を伴ってやってくる頃。今年一番の雪が舞い降りてきた。

 そんな中、幼い少女特有の甲高い声が草原に響いた。


「【雪よ、彼の山にその白さを見せよ】」


 すると、万遍なく近隣に降る筈であった氷の結晶は草原に隣する山に集結していった。

 トントンと河の間にある岩を伝い川辺に辿り着くと、その勢いのまま眼の前の浅黒い巨体に向かって跳ね上がる。


「ベル!!」


 跳躍から重力に従ってベルナルドの背に乗ると、本人(ベルナルド)もわかってバサッとその大きな翼を広げ空に飛び立つ。傾度は低いが、元から低い外気が風圧と相俟って凍原にいるかのように感じる。


 慌てて右手で円を描くように(・・・・・・・)大きく回し自身の周囲(・・・・・)を一周させながら「【温暖】」と唱える。途端、痛いほどの冷気は消えて仄かな温かさに包まれた。


 三歳のときは防壁の陣を手動で作ることしか出来なかったが、今は違う。別種類の同時展開――重複魔法を発動するために、口は火魔法の詠唱、右手は風魔法の描出に使う。


 空気を大きく震わせながらベルナルドと共に里へ戻り、礼を言うとすぐさま自宅へと向かう。土と砂利でぐしゃぐしゃのままバタバタと足音を立てて玄関を開けて靴を脱ぐ。因みに家の中で土足厳禁という規則は、数年前から少女の望みによって確立された。


淑女の振る舞い教育担当者が見たら満面の笑みでお説教になること間違いなしのまま目的の扉をノックする。入室を許可されて転げまわるようにお目当ての人の傍に寄る。


「お母様、おはようございます。お加減は如何ですか」

「よく眠れたし、朝餉も食べたわ。リアは今朝はどこへ?」


 その問いに「ふっふっふ」と嬉しそうな笑みを浮かべて、纏めてある銀髪を後ろに流す。翠色の瞳に期待を溢れさせているオフィーリアは、五年前よりも更に痩せ細った母へと、腰につけた鞄から淡い緑色を差し出した。


「あら! 月光草の花びら? まぁまぁまぁ、こんな珍しいものどこで……」


 そして母の予想通りの驚きように、然りと頷く。


「昨日オビディオが、満月の翌朝だからもしかしたら北の山には咲くかもしれない、と教えてくれたんです。という訳でちょっと頑張ってみました!」


 月光草は茎が月色、花が緑色という珍しい配色を持つ。そして茎だけでも珍薬として有名だが、薬師でも滅多にお目にかかれない花は厳しい寒さと月の光、加えて険しい山地にあるものにしか咲かない。そして希少価値に相当する治癒能力は確かに高い。


 二へ二へしながら見せびらかしていると、セラフィーナはキョトンと目を見開いた。


「あら、オビディオが!?」

「えぇ、ですからベルと行ってきました」


 喜色満面の笑みを浮かべたと思ったら、セラフィーナは次の瞬間には頬を引き攣らせていた。


「え、ちょっ。オビディオが教えてくれたのに、里長と行ったの?」

「はい。オビディオは朝に弱いそうなので、ベルにお願いしました。なんでか苦笑されましたけど」


 それはそうだろう、と昨日のベルナルドの思いが今になってわかるセラフィーナだった。


 オビディオはまだ年若いが次の里長に相応しく美しい淡緑色の雄竜だ。素っ気ないが弱者には優しく、年齢を重ねれば良い長になるだろうと専らの評判だ。セラフィーナ自身も何度か話したことがあり、自身の相棒に負けずとも劣らずの逸材と視ていた。


 恐らく昨日の流れとしては、月光草のことを教えてオフィーリアと共に北の山へ行く筈だったのだろう。だが情報提供をした後に、余計なことを口走ったに違いない。『朝は苦手だけどどうしてもって言うんなら』とかなんとか。そして気を使ったオフィーリアは今までも幾度となく一緒に飛んでいるベルナルドに頼んだ、と。


 オビディオは人間で云えばまだ十歳そこそこだ。それが普段は大人顔負けに落ち着いているくせに、オフィーリアに対してだけは年相応になる。


 さっさと契約してしまえばいいのに。……それが素直に言えるようなら、今こんな風になってないわね。


 ベルナルドと似たような苦笑いを浮かべたセラフィーナに首を傾げながら、やっと思い出す。


「お母様、イシュは?」


 そうだ。ぶっきら棒な戦闘の師匠はどこだろうか。


「イシュならコンラッドからの荷を取りに麓まで行っているわ。もうすぐ帰ると思うけど」

「麓まで? そんなに量があるのですか?」

「量じゃなくて質の問題だと思うわ。念の為に、ね」


 それもそうか、と一人掴み取る。


 セラフィーナたちが使う【道】は定められた範囲では謂わばブラックホールだ。そして通れる条件は、セラフィーナたちに害しないもの。曖昧が故に一つ一つは明確に定まっていて、通るのに条件はあれど満たしていれば問題ない。

 かと云ってそこまで神経質になることはないだろう。前回ビクビクしながら待っていたら、持ってこられたのは一冊の本だった。

 略式の、だが手本通りの礼をしてキッチンに向かう。来る途中の川で濯いだ月光草を魔法で出した水で洗い、毟った花を入れたカップに火と水を重複して作った熱湯を注いだ。途端、カップの中は鮮やかな緑色で埋め尽くされた。


「うーん、なんとも言い難い色だなぁ。薬茶にしては薄いし、ハーブティーにしては濃いし」


 まぁどっちかと云うと薬茶だろう。幸いなことに不味くないらしいが。


 残った分は避けておき砂糖を添える。準備が出来たお茶を持って再びセラフィーナの寝室に行くと、そこにはもう一人短い金髪を持つ青年がいた。


「お帰りなさい」

「リアも」


 キラキラ光る金よりも魔王のイメージカラーの黒のほうが似合うイシュメルは、至極当たり前にセラフィーナを支えていた。


「お母様、どうぞ」

「ありがとう。外にセドがいるから、分けてあげてくれる?」

「セドに、ですか」


 彼らは熱い飲食物は好まなかったと思ったが、記憶違いだっただろうか。


 考えていることがわかったのか、イシュメルが窓の外を指した。


「彼らは常温以外の食べ物は好まない。お茶でなく、出涸らしの花をやってくれ。生のままだと栄養過多だから食べないが、湯に潜らせたものは好物だ」

「ほへぇ」


 間抜けに頷いて部屋を出ようとしたところで思い出した。


「イシュもどう? まだ残ってるよ」

「お気持ちだけ。俺はお前らと違って花茶は好まないんでね」


 頬を引き攣らせながらの応えに、ベッと舌を出して抗議する。


「ドロテアにも頼む!」と慌てた声で頼まれたが、そんなことはわかっている。イシュメルとドロテアは違うのだ。






 玄関から外壁を伝ってセラフィーナの部屋の近くへ行くと、話を聞いていたのか二体の竜が目を爛々と輝かせていた。


『リア、僕が先だよー!』

「お帰り、セド。はい、あーん」


 掌に乗せた花弁は、セラフィーナの契約竜――セレドニオにとってはちょろっと舐めるだけで無くなってしまうものだ。それでもセレドニオは幸せそうに咀嚼している。

 こちらも嬉しくなってニコニコと目尻を垂らしていると、ドスッと腰を叩かれた。いや、本人(?)にしたら突っ突いたくらいの気持ちなのだろうが。


『リア、リア、わらわにも』

「はいはい、ドロテアもあーん」


 セレドニオよりは幾分か小さいが、それでも下手な建物よりは大きいのはイシュメルの契約竜――ドロテア。お坊ちゃん気質なセレドニオにある意味似ている女王様だ。


 二体に同じ量をあげて手の中が空っぽになったのでゴロリとその場に転がる。するとすかさずセレドニオがその巨体を横に並べた。

 ドロテアが呆れていることも隠さずに溜息を吐く。


『其方は真に妙な人間よのう。このような土の上で転がるなど』

「土の上じゃないよ、草の上だよ」

『屁理屈はいいのじゃ。其方ももう大人であろう』

「まだ八歳だよ?」

『それでも、ならねばならんのじゃ』


 隣にいるセレドニオがだんだんと沈んでいくのがわかった。


八歳の少女に大人になることを強要する。その意味を、此処にいる者は全員知っている。

だからこそ反射的に噛みついた。


「信じなければ叶わないよ」

『現実から目を背けるのは止めよ。セラフィーナはもう――』

『黙れっ!!!!』


 ムキになって言葉を続けたドロテアに、セレドニオが怒鳴った。竜のそれは咆哮に近く、耳は痛み、肌はびりびりと震えた。


 普通ならこんな行動は喧嘩開始の合図で、セレドニオとドロテアの争いが始まる。だが、セレドニオは震えながら項垂れ、ドロテアは居心地悪そうに目を逸らしている。


『……黙れ』


 震えながらもう一度同じ言葉を絞り出したセレドニオは、泣いていないのが不思議なほどの悲痛を抱えていた。


「セド」


 セレドニオをギュッと抱き締める。竜の巨体に腕がまわる筈もなく、しがみ付いていると言ったほうが正しい気がするが。


 竜は、契約者以外には触れさせない。かろうじて、気まぐれで背に乗せることはあっても親しく体温を感じさせることは許さない。それでもセレドニオも、セラフィーナの他にオフィーリアだけは親しく触れることを許している。


 セレドニオに抱き着いたまま、顔だけドロテアの方へ向ける。


「【言霊】って知ってる? 発した言葉は現実になるの」


 よくわからない、と不満げな表情を隠そうともしないドロテアに苦笑する。


「言葉は力になるんだよ。口にしたら伝染して浸食して、どんどん口にした方へ進むんだ。良くも悪くも」


 ポンポンとリズムを持たせてセレドニオをあやす。


「ドロテアの考えは間違っていないのかもしれない。それでも私たちは、仮定・・としてでしか言えないんだ」

『リア……』

「私もセドも、諦めていないの。勿論、イシュも」


 敬愛する契約者の名に怯んだドロテアは、静かにその場を飛び立った。

 静かになった草の上で、潰されかけながらもセレドニオからは離れない。


 本当は、わかっているのだ。ドロテアの言葉がどんな意味を持つか。オフィーリアも、セレドニオも。だけど噛み付いたのは、それが痛かったからだ。わかっていても抉って欲しくないからだ。

 竜は、自らも他の生き物も状態がよくわかる。体のどこが悪いか、――死期までどのくらいか。


 竜でなくとも、わかってしまう。それくらい今のセラフィーナは、危うい匂いが充満していた。

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