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カフェテリアから外廊下を通り、だんだんと若者の騒がしさが聞こえなくなると自然と思い出されるのは翠のことだった。
(演習か……懐かしいな)
義務教育課程の課外授業ではなく、門下一同で互いの心身を限界まで高める修行は、それでも対外的には演習と称された。岩山を抜け、身一つで食うか食われるか。そこだけ切り取ると、二十一世紀の日本とは到底思えないような世界が広がっていた。兄弟弟子である蘇芳と技を競う合間に、緋陽からの襲撃を避ける。なかなかに気を抜けず、訓練には最適であった。
そうして真正面から相手にしなかったことを、翠は今になって酷いことだと知った。翠が緋陽を、排除すべき敵として捉えていたら彼女はあそこまで――
(まぁ、今更どうしようもない)
仮定した未来を歩いたところで、また新たな問題が出ることまで考えたら、答えが出ないことに疲れてしまった。ため息と共に図書室の重たい扉を開くと、ちょうど退室しようとしていたのか目の前に男子生徒がいた。
「失礼致し――」
「なんだ、其方か」
さらりと青っぽい黒髪をなびかせたのは、第一王子アドルフだった。
「で、殿下。私のことを覚えておいでで?」
内心しかめっ面でいると、アドルフはあからさまに不機嫌になった。
「私に対してあんな暴言を吐いた平民を忘れるはずがないだろう、フィア・ジェリドフ」
「その説は大変な失礼を……」
ため口で偉そうに説教垂れてしまったことに変わりはないので素直に頭を下げると、アドルフはふんっと口を尖らせてオフィーリアを中に入れてから扉を閉めた。自身も中にいるまま。
「まぁ、其方のことはその前から知っていたがな」
「へ?」
「コイブサーリの双子と親しくしていて、目につかない筈がないだろう」
アドルフのとんでも発言に固まったものの、それは至極真っ当な理由であった。人嫌いの天才双生児の友人と、オフィーリアとミックはすっかり有名人になってしまった。とりつげと煩い輩は邪魔だが、実害もないので気にも止めていなかったが。
「左様でしたか。……お変わりなくお過ごしでしょうか」
「嫌味か」
「いえ、ただの常套句です」
意識して浮かべた笑みに、アドルフは仏頂面で固まった後に喉の奥から笑いをこぼした。くっくっく、と目尻を垂らしている。
「不思議だな、其方は。とっている言動は無礼なのにどこか品があるし、何故か親近感を覚える」
何気なく言われたであろう言葉に、内心びくりと震えた。品と親近感――その言葉の意味が頭の中でぐるぐると渦を巻く。
オフィーリアはセラフィーナを恨んだことなどない。もちろん、コンラッドもイシュメルも。だが、王家から逃げることが出来なかった目の前の異母兄を意識すると、ふとした瞬間に罪悪感が湧き出る。どうしようもないとわかっていても。
必死に「光栄です」とだけ返すと、アドルフは小さく笑った。春に会った時からは想像もつかないような、柔らかい笑みで。
「たとえ都合がいいときだけ擦り寄ってきて、普段は見てみぬふりをされていても、私はこの国の第一王子だからな。このように話せることを、誇るがいい」
ぱっと、どろどろとした答えのでない考えは吹っ飛んだ。目を見開いて気持ち上にあるアドルフを見ると、「ん?」と首を傾げた。
「あ、いえ……春先の殿下からは考えられないようなことを仰ったので」
鼻で嗤いながら自嘲し、それでも認めて欲しいと叫んでいた少年だったはずだ。目の前の彼は。
(若者の成長は著しいなぁ)
先ほどの翠を引きずり、思わずしみじみとしてしまった。
言うと、アドルフは溜息をついた。やけに浅く短く。だけど妙に濃いものを。
「私だって少しは考え、成長している。……まぁ、その切っ掛けをくれたのは其方だから、そこそこ役に立ったが」
なにを言っているのか、わかりそうでわからない。オフィーリアは処理しきれない情報の連投に、軽くショックを受けた。
「とんでもございません……私など所詮、演習のグループ編成も上手くいっていないので」
なんとか会話を続けようと努力して出てきたことに、もう少し考えてから口に出すべきだったと瞬時に後悔した。これではまるで――
「何故だ? コイブサーリの双子と其方と、他はどうした」
「……ミック・アハテーの他には決まっていません……」
「ふむ……」
面白いものを見つけたとばかりにニヤリと口角を上げるアドルフを見て、オフィーリアは自分の失敗を痛感した。




