2 竜の里
此処は大陸のほぼ中央に位置する【不可侵の楽園】
魔法国家ジンデル王国とブルィギン公国の国境にあるその存在は一般常識なれど、実際に見たことのある人間は極僅か。
それもその筈。不可侵の楽園はどんな生き物であれ殺生は許されず、あまりに広大なその土地にたどり着くまでには様々な障害がある。なんとか近辺まで行くことができても、楽園には【監視者】がいる。彼らは邪なモノに咎人の印をつけて追放し、清らかなる者以外の入園を決して認めない。
では、過去数人の例がある人間は何故入園を許されたのか。
最も多いのは、監視者より祝福を受け、険しい障害を越えることなく来園を許された者。彼らは監視者が気紛れに人間の住処に降り立った時に、監視者を見つけられた者。
そしてもう一路としては、監視者の【住処】で産まれた者。
*****
辺り一面に広がるのは緑豊かな草原。さわさわと草花が擦れる中に、一カ所だけ妙な場所が在った。魚、虫、草食動物、肉食動物と食物連鎖を無視した集団。異種生物同士が近くにいるだけなら、珍しいことではない。
此処は不可侵の楽園。
されど、数えることが不可能な数が身を寄せ合うようにして一つの生命体を囲むことはない。ましてやその中心にあるのが、人間であったなら。
空気の張り裂け暴発する衝撃が身体を揺らす。本来なら草原の隅まで飛ばされるような暴風を受けながらも、そこにいる生き物たちは平然としていた。
皆が来訪者に向けて静かに礼をする中で、唯一人だけは満面の笑みのまま来訪者に駆け寄った。ただし、ぽてぽてと一歩一歩が小さい上に危うく。
そんな様を皆は微笑ましく見守っていた。
「べる!」
舌っ足らずな幼女が駆け寄ったのは、硬い鱗に全身を覆われている来訪者であり監視者。四本の足に二本の角、耳に髭が目立つ巨体な【竜】だった。
『リア、コンラッドが来た。戻るぞ』
「こんあーと、きたの!?」
パァアアと笑みをより濃くする幼女に、竜の里長--ベルナルドは目を細めた。
幼女がスッと呼吸を調えると、その身体はふわりと浮き上がってベルナルドの首筋にたどり着く。その場で右手を円を描くように大きく回しながら自身の周囲を一周する。
『よいか?』
「うん! みんな、またね」
バサァアと大きな羽が羽ばたき、その巨体が持ち上がる。幼女は地上に向かって手を振りながら竜の背で空を飛んでいた。
青い青い空と緑深い大地を見ながら、静かに瞼を下ろす。
初めてこの世界を認識したときは、己が脳を疑った。だけどあれから月日は流れていくうちに、此処が【私】の生きる世界だと自然に受け止められた。
肩まである銀色の髪を靡かせ、深い緑色の瞳を持つまだ幼い少女。それが私、オフィーリア。竜の里で生まれ育ち、今日に至るまで人間は三人しか見ていない。
楽園の隣――とは云っても山と河川を十は隔てた先に竜の里はある。ベルナルドは呼吸をするように目的の人の元へと降り立った。
礼を言って滑るようにベルナルドから降りると、ひょいっと持ち上げられたまま抱き締められた。
「あぁっ、リア! 相変わらずなんて可愛いんでしょう!!」
とろけんばかりの表情で微かに甘い香りを漂わせて、オフィーリアの顔中にキスを撒き散らしているのはコンラッド。オフィーリアの知る中で最も愛情表現過多な赤銅の瞳を持つ青年だ。
「なかなか会いに来れなくて申し訳ありません。臣下が使えな――ではなくて、仕事が忙しくてですね」
誤魔化せてない。誤魔化せてないぞ、コンラッド。部下が使えないんだね? まぁここにコンラッドの職場を知る人は他にいないから、コンラッドが駄目上司である可能性も無きにしも非ずだけど。
記憶にある限りコンラッドはオフィーリアに対してはこんな調子だからファーストキスもそうなんだろうな、とかぼんやり思う。興味無いから覚えてないけど。
コンラッドの肩に頭を乗せると、コツンと指の背で叩かれた。
「いしゅ」
無愛想だが穏やかに微笑んでいる青年の瞳は、澄み切った紫水晶。見ていると引き込まれそうになる彼はイシュメル。物語の王子様のようなコンラッドとはまた違ったタイプの美形で、普段から鍛錬を怠らない寡黙な騎士のよう。
「長が迎えに行って下さったのか」
後で礼を、と頷いているイシュメルは本当に真面目だと思う。
「さあさあ、家に行こう。セフィが待っているよ」
いつもと変わらない優しい二人の笑顔を見ながら、石と土壁で出来た我が家に戻る。そこには、今にも折れてしまいそうなほど細い身体と豊かな髪、年齢不詳の美女――セラフィーナ。その細い身体に見合った小ぶりの茶器を手にしたまま、少しだけ此方に近付いてから屈んだ。
「お帰りなさい、リア。これはわかるかな?」
差し出された茶器から漂う香りでピンときた。
「緑山のしんちゃか碧河のにばんちゃ!」
この二つは香りだけだと同じだが、口に含むとその違いがわかる。それぞれの個性があって面白い。
条件反射で手を挙げて答えると、セラフィーナは「よく出来ました」と椅子に腰掛けた。追いかけるようにしてオフィーリアたち三人も各指定席に座ると、イシュメルが苦笑いをしていた。
「リアは凄いな。上級貴族でも難しい香比べがわかるんだもんな」
どのくらいがこっちの世界の人の平均的な嗅覚かはわからないけどね。生まれたときから竜に混ざって暮らしていれば多少なりとも敏感になるでしょ。うん。
この国ではお茶を嗜むことはとてつもないステータスらしい。何故かはいまいちわからないが、皆喜んでくれるし悪いことはしていないだろうからいいだろう。
一人納得していると急に視界が真っ暗になった。オフィーリアとしては体験したことのない現象に身を強ばらせると、今度は視界いっぱいに母様たちの姿。
「オフィーリア、三歳おめでとう!!」
三人の声が一言一句違わない言葉を紡ぐ。
そうだね、もしや忘れてる? と疑わなかったら嘘だけど貴方たち意外とこういうサプライズとか好きだよね。わかってますよ祝ってくれているですよねありがとう。……暗闇でかなり驚かせなかったら素直に喜んだのに。
三歳児の涙腺はかなり弱いようで、ボロボロと涙が零れる。するとセラフィーナとコンラッドが慌て謝ってきた。イシュメルは呆れている。
いや、貴方もでしょーが。
「ああ、リア。どうか許しておくれ」
コンラッドが目に見えてオロオロしている。見た目は百戦錬磨の遊び人が三歳児に振り回されているのは酷くちぐはぐだが、コンラッドだから当たり前だ。
そしてふと、その手元に目がいく。
そ、それはまさか……!!
ピタリと泣き止んで目を爛々と輝かせたのに気付いたのか、コンラッドは安堵してそれを差し出した。
「これはプレゼントだよ。無理しないで程ほどに頑張るんだ」
もらったのは、本。生まれてからずっと欲しくて欲しくてたまらなかったもの。
「こんあーと、ありあとー」
愛しくて仕方のないそれをギュッと抱き締めると「いや抱き締めるなら私を……」なんてほざいていたのは気のせいだろう。
そんな見た目だけ王子の中身変態を押し退けて、今度はイシュメル。
「俺からはこれを」
手にしっかりと重みを感じさせるそれは、守刀。短剣と同じような長さで、三歳児の身体には隠すことは難しい。だが一生物だと思えば小さく感じる。
三年ぶりに真剣を持ったことに体の随から歓喜する。
「それを使えるようになるべく、明日から剣の稽古を始めるぞ。まずは木刀からな」
構いません構いません! 剣を振るえるのならば!
「いしゅ、だーいしゅき!」
守刀に頬摺りしながら告白すると、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられた。
ぬぉおお、銀髪に溺れる!
「リア、大丈夫?」
ぐったりと疲れ果てた私を救出してくれたのはセラフィーナでした。イシュメルを優雅に脚で蹴飛ばして。
……貴方たちは漫才でもしているんですが。いつものことながら。
「はい、リア」
首の後ろにセラフィーナの細い手が回る。かけられたのは、翠色のペンダントだった。
装飾品にしては随分荒削りなそれに首を傾げていると、セラフィーナは楽しそうに微笑んで種明かしをした。
「魔力抑圧の魔石よ。明日から剣術と平行して魔法も身につけましょうね」
その言葉に、ポカンと固まる。
今までずっと、三人や竜たちが操る美しくも厳しい世界に憧れてきた。魔法を使いたいと言っても断られるばかりで、ここ半年は口にすることはなかった。それなのに。
「い、いの……?」
恐々と尋ねると、セラフィーナはふわりと笑った。
「ええ。でも私たちがいないときは決して使ってはいけないわ。約束できる?」
まともに考えずに反射的に首を勢いよく縦に振る。
「かぁしゃま、かぁしゃま……!」
またじんわりと涙が滲みながら、セラフィーナに抱きつく。すると、ギュッと抱き締め返してくれた。
まだよく分からないことでいっぱいの新しい人生だけど、こんなにも素敵な家族に囲まれているだけで幸せだと思う。
家の周りを祝いにきてくれたたくさんの竜に囲まれながら、四人でオフィーリア三歳の誕生日を言祝いだ。
話の区切りのいいところで分けるので、一話毎に文字量が大きく違うと思います。申し訳ございません。
そしてお気に入り登録ありがとうございます!! 色々な数値があるのにどれがなんだかよくわかっていません。← それでも「お気に入り」ってあるんだからまぁ悪いことはないだろう、と呑気に考えています。ゲームやっている方ならわかるのでしょうか。
次はこの世界についての(どうしてここまで変態になってしまったのかわからない)コンラッド先生による説明です。
早いとこ新しい子を買いに行かないといけないのに凹んでいて立ち直れません……