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第18話 夢と現


「お父さん、行ったらダメ!」


 1人の少女が、赤銅色の髪をした逞しい旅装の男の腕にしがみついて駄々をこねていた。歳に似合わぬ真剣な目つきで、男を真っ直ぐ見つめながら。

 男は優しげな笑みを崩さないまま少女の少し癖のある黒髪に手を置き、腰を屈めて少女と視線の高さを合わせた。


「一体どうしたんだい? いつもは聞き分けが良すぎるくらいなのに、今日に限って我儘言うなんて」

「わかんないけど、何かよくないことがおきる気がするの。だから、行ったらダメ」


 穏やかに問い掛ける父親に、少女は行くなと繰り返した。思っている事をうまく表現できないもどかしさからか、じれったさそうな顔をして、男の腕を掴む手に先程よりも力を込めていた。

 笑みが苦笑に変わった男を援護したのは、べっこう色の長い髪を綺麗に結った、少女と似た面差しの玲瓏な女性だった。


「あらあら、珍しいわね。お父さんの事なら心配しなくても大丈夫よ。そうよね、エバン?」

「そうそう。今までだって色んな所に出掛けて、ちゃんと帰ってきたじゃないか」

「で、でも……」


 2人の言い分に理があるのを認めたのか、少女の勢いが目に見えて減じた。だが父親から逸らさぬままの瞳が、まだ諦めていない事を示していた。

 それに気付いた男は、しょうがないなあと言いつつ懐から1冊の手帳を取り出し、少女の手に握らせた。


「じゃあ、父さんが帰ってくるまでこれを預かっていてくれるかい?」

「これは……?」


 少女は自分が手にしている物が何か分からず、可愛らしく小首を傾げた。男は黒革の表紙に触れながら語った。


「これはね、お父さんのとても大事な手帳なんだ」

「てちょう?」

「そう、手帳。昔、お父さんの親友がくれたものでね。とっても大事な物なんだ。だから、お留守番している間、これを預かっていてくれないか? お父さんがちゃんと家に戻ってくる保障として」


 少女は暫くの間手帳と父親の間で視線を行き来させていたが、やがて憮然とした表情ながらも頷いた。それを見て、男は柔らかな笑みを浮かべて少女の頭を撫でた。


「ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」

「……ぜったい帰ってきてね」

「勿論。それじゃルナ、後は頼んだよ」

「ええ、任せてちょうだい。気を付けてね」


 縋るような瞳で懇願する娘の頭を最後にもうひと撫ですると、男は妻と笑みを交わし、旅立っていった。

 ――もう2度と、帰ってくる事が叶わぬ所へと。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「――――!」


 真っ暗な客室で、ミラは唐突に目を見開いた。

 一瞬の後、息を乱しながらも我に返ったミラは、大きく息を吐きながら虚空に差し伸べられていた自らの手を下し、額に浮かぶ冷や汗を拭った。脳裏では、今さっき見た夢の光景がまだちらちらしていた。


「またあの夢……。ここ数年はずっと見ていなかったのに」


 ぽつりとそう零して半身を起こし、額に片手を当てたまま再度溜め息を吐いた。

 暫くその姿勢のままじっとしていたが、不意にベッドから抜け出して窓辺に向かった。そしてそのままバルコニーに出ると、手すりにもたれ掛った。

 月は既に沈んでいて雲も出ており、微かな星明りと見張り兵の持つカンテラの揺らめく光以外には、辺りを照らすものは無かった。城下町も城内も、すっかり眠りに落ちているようだった。

 春とはいえ、真夜中ともなれば風も少々冷たい。だが、今はそれがミラには心地良かった。


「はぁ……。本当、どうして今になってあの夢を見たんだろう? もう忘れたと思ってたのに。色々あったから、疲れてたのかなぁ」


 夜空に向かって吐き出された言葉に返答する者は当然のことながら無く、吸い込まれるように消えていくだけだった。

 ミラは徐に懐に手を入れて、古びた黒い手帳を取り出した。途端に夢の光景がよみがえり、ミラは苦しげに顔を歪めた。

 何かを振り切るように首を振って、ミラは手帳の1ページ目を開いた。この暗さでは読めるはずもないが、ミラに支障はなかった。そのページは、文字通り手垢が付くほど何度も何度も読み返して、ほとんど暗記してしまっていたからだ。


『我が愛しき娘、ミラへ。君がこれを読んでいるという事は、父さんはもうこの世には居ないということなんだ。約束を守れなくて済まなかったね。どうか父さんを許しておくれ――』


 それは、自分が死ぬことを予想していたからこそ書ける文句で始まっていた。

 最初、手帳には魔術で鍵がかかっていたため、中を見ることは出来なかった。ところが父親が家を空けてから数か月後、肌身離さず持っていた手帳が突如熱を持ったのだ。手帳はそれまでずっと開くことが出来なかったのが嘘のように自然に開き、ミラに父親との永遠の別れを突きつけた。

 何故両親の説得に応じてしまったのか。何故父を説得できなかったのか。

 このページを読むたびに、ミラはそう思わずにはいられなかった。

 手帳に書かれていたのは、ミラへの別れの挨拶だけではない。別のページにはミラに向けた魔術や弓術の指南が書かれていたのだ。父の死を知って以来最後の日の夢に悩まされていたミラは、父の事を考えないで済むようにとそれに従って一心に訓練した。そうしている内に、いつの間にか村人達から絶大な信頼を得られるようになった。

 肉親を失った悲しみも徐々に薄らぎ、悪夢を見ることも無くなった。

 当時は気が付かなかったが、今ならそれらが父の狙い通りの結果であることは容易に理解できる。だからこそ何度も読み返したのだ。何が父を死に追いやったのかを知るために。

 だがどんなに探しても、それが分かるような記述は何処にも無かった。母が事情の一端を知っているのではないかと睨み、あの手この手で問い詰めもしたが、結局何も語らないまま夫の後を追うようにこの世を去ってしまった。


「はぁ……。何考えてるんだろ。今はもっと差し迫った問題があるっていうのに」


 ミラはまとまりのない過去の記憶を投げて、今現在の自分の状況を考えようとした。

 しかし、どうしても気が散ってしまい、思考はちっとも纏まらなかった。それに苛立ってしまい余計に頭の中が整理できなくなり、ついには諦めてしまった。

 一応、状況は進歩してはいる。しかし、アンから齎されたカードだけではまだまだ弱い。年齢の事を持ち出したところで、18になるまで待つと言われてしまうだけだろう。それどころか、むしろ未来の自分の首を絞めてしまうことになってしまう。

 最善の方法としては、ギルバルトを抑えることが出来る人物を味方につけて説得してもらうことだ。法的にはまだ子供ということで、同情も得られやすいかもしれない。

 問題は、条件に当てはまる人物の当てがミラには無いことだ。

 ここにいる人間でミラが知っているのは全員ギルバルトより身分が下で、僅か8人。アレンやオルテなら望みがあるかもしれないが、ミラを引き入れることの意義を鑑みれば主に味方する公算が高い。そもそも内面をよく知らない者ばかりなのだ。当てにするのは危険過ぎる。


「……まあ、そんな都合よく話が進むわけがないよね。ここは敵地なんだし」


 見通しのつかない現状を嘆き、ミラは目を閉じた。髪を揺らしながら吹き抜けていく風の音がやけに大きく、寂しく耳朶に響いた。メイデルテスを警戒しておいてきた精霊たちのことが思い出され、目を開けたミラの表情がほんの少しだけ切なげになった。

 出会ってからは狩りの時以外ほとんど一緒に過ごしてきたので、隣に彼らが居ないのにはやはり物足りなさを感じた。


「それもこれもあの人の所為だと思うと……やっぱり腹が立つなぁ。絶対ここで働いてなんかやらない」


 改めて心に誓い、ミラはそのまま夜明けまで空を眺め続けた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 アレンは自室で伯爵に提出する報告書をしたためていた。

 文机の横手の窓からのぞく空はまだ暗い。夜明けまではあと2時間はありそうだった。

 彼の今日の仕事は訓練ではなくミラの案内なので、いつもより朝に時間の余裕があったため、久し振りに使う自室のベッドでゆっくり寝るつもりだった。

 しかし夢見が悪かったのか早くに目が覚めてしまい、二度寝する気にもなれなかったので、仕事に手を付けたのだ。

 報告書自体は慣れているのであまり時間をかけることなく書き終えた。確認のために読み返していると、ふと黒髪の少女の姿が脳裏に浮かんだ。

 昨日ミラと別れてから、アレンは城の通信室の者に頼んで王都にいる伯爵に伝言を送ってもらった。ミラの事を相談するために、直接話をしたかったからだ。当然、多忙な伯爵からすぐに返事が来るとは思っていないが、ミラの事を思うとギルバルトの仕事が一段落するまでにはどうしても何とかしたい、というのが本音だった。

 自分で何とかできればいいのだが、ギルバルトは一度決めたらそう簡単には動かない。しかもミラにはこれまでの例以上に入れ込んでいるようで、ミラがいない所での発言の端々から窺える執着ぶりが半端ではなかった。もはや、アレンが諌めたところで焼け石に水だろう。

 オルテならばアレンよりもギルバルトに対する発言力があるが、彼はミラに対する恩があるわけではない。主を利するとみれば積極的にミラを仲間に引き入れようとするだろう。

 正直に言えば、アレンもミラを引き入れる事に魅力を感じている。マラカイト村に滞在したのはたったの3日間だったが、ミラという人間の魅力は村人達の彼女に対する態度から容易に推し量れた。

 それにアレンが村の食糧について質問した際、ミラは実に簡単に農業と狩りで調達していると言っていたが、あの村の周囲は厳しい地形や一般人では相手が出来ない魔物が多く、個人で狩りをするなど常識的にはありえない。にもかかわらず、村で御馳走になった食事の礼を村長に伝えた時、彼はあっさりとミラのお蔭だと口にしたのだ。

 しかも、まだ若いのに薬草に造詣が深く、詳しくは分からなかったが少なくとも魔術師を名乗れるだけの力量があるらしい。これ程素晴らしい人材は他にいないだろう。少し考えただけでも使いどころが複数思い浮かぶ。共に働いたら楽しいかもしれない、とも思った。

 だが、ミラ本人がそれを望んでいないのだから、自分はそれを願うべきではないのだ。だからアレンはミラに関して知っていることや、自分の考えを主に伝えなかった。多少後ろめたさは感じるものの、恩人を裏切るのは己の信条に反することなのでどうしても譲れなかった。 アレンは報告書の確認を終えると、大きく伸びをして首を回した。本来机の前に座るよりも体を動かす方が好きなので、ペンを執るとどうしても肩が凝ってしまうのだ。

 かといってアレンの私室は体を動かせるほど広くは無い。そこで、気分転換も兼ねて散歩に出ることにした。


 夜警の者以外はまだ寝ている時間帯なので、アレンは出来るだけ物音をたてないように部屋を出て階段を降り、城の外に出た。

 東の空はまだ白み始めておらず、明かりを持ってこなかったアレンは星の光と記憶を頼りに歩いた。さすがにこんな時間から起きだしている酔狂な人間は彼以外にはいないようで、人影は見当たらなかった。

 特に当てがあるわけではないので、城の敷地内をぶらぶらと歩いた。時折城壁の上から誰何の声が掛けられたが、アレンと分かるとすぐに皆警戒を解いた。

 自室のある北棟側から南棟側まで来たとき、彼の視界の端に灯りが映った。見上げると、南棟の最上階の一室の窓から光が零れ出していた。


「まだ夜明け前だっていうのに……。自業自得とはいえさすがに気の毒だな」


 アレンがやれやれ、と思っていると、件の部屋の窓が開いてバルコニーに人影が生まれた。逆光でアレンには誰だか分からなかったが、人影は彼に気付いたらしく、彼に向けて軽く手を挙げた。

 少しの間を置いて人影は手すりを乗り越え、減速しながら(・・・・・・)落下し、官服の裾を揺らしてふわりと着地した。


「誰かと思えば。相変わらず器用な奴だな。あんな所から優雅に飛び降りれる人間はなかなかいないと思うぞ?」

「素直に褒め言葉と受け取っておくことにします」


 アレンの呆れを多分に含んだ眼差しを軽く受け流し、オルテは柔らかく微笑んだ。つい先程精密な魔術制御をやってのけた人物とは思えないような余裕ぶりだ。


「褒めたんだって。ああいうことに関してお前以上の腕を持つ人間はこの国にはほとんどいないだろうからな」

「まあ、攻撃魔術はからっきしですけどね。それにしても貴方がお世辞を言うとは、珍しい事もあるものですね。渦中のあのお嬢さんの影響でも受けましたか?」


 笑いながら、それでも真面目な瞳でそう言うアレンに、オルテにしては珍しく少しおどけた調子で返した。するとアレンは心外だ、という顔になった。


「おいおい、どうしてそこであの娘が出てくるんだ? 影響されるほど長く一緒にいたわけじゃないぞ。そっちこそ、こんな時間まであいつが起きて仕事してるのに、ここで油売ってていいのか?」

「ギルバルト様がいらっしゃらなかった所為で片付かなかった案件ですから。言ってしまえばギルバルト様1人で出来る仕事なのですよ。まあ、精神的にはかなりきついでしょうけれど。それがお嫌なら普段から真面目に仕事をして下さればいいだけです。斟酌する必要など無いかと」


 微笑んだままさらりと厳しいことを言う。しかも口調が嫌がらせ用のものになっていた。だが付き合いの長いアレンは肩を竦めただけで特に何も言わなかった。彼の腹黒発言には慣れているのだろう。心の底では同じことを思っているからかもしれない。


「とはいえ、私は今日も通常通り仕事がありますから、そろそろ仮眠を取らなくては。ただでさえこの2日間は睡眠時間が削られていましたしね」

「……お前ら文官連中には本当に頭が下がるよ。特にお前には毎度毎度皺寄せがいってるからな」

「現状の改善を私達が諦めてしまう前に、ギルバルト様が成長して下さる事を切に願っていますよ」


 オルテが見せた疲れた表情に、アレンが同情してオルテの肩を叩いた。

 2人の背後ではいつの間にか夜明けの兆しが見え始めていた。オルテはお休みなさい、と時間に合わない挨拶をして、小声でぶつぶつ何かを呟いた。一瞬の後にオルテの体がふわりと浮きあがり、弧を描くようにして元のバルコニーへ戻っていった。

 アレンはオルテが部屋の中に入ったのを見届けると、ゆっくりと北棟の方へ足を向けた。いとも容易く魔術を操るオルテが少し羨ましいと思った事は、本人しか知らない事である。




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