第17話 今更な事実
ミラ達が入った入口は、主に政務に必要な資材や食糧等を搬入するために使用するものだった。その為か、周囲で忙しそうに立ち働いているのは召使いらしき格好の者がほとんどだ。ぱっと見渡せる範囲だけでも50人はいる。皆、話しながらではあるものの、見ていて気持ちがいいほどてきぱきと働いていた。
先程、ギルバルトがオルテに連行されるかのようにしてここを通ったはずだが、そのことを気にしている者がいなさそうなのは、流石と言うべきか。本当によくあることなのだ、とミラは実感した。
召使い達は、アレンとミラに気付くと、洗練された挙動で低頭した。そして、不躾にならないようにではあるが、誰もがミラを好奇心に彩られた目で見つめた。こういうことに免疫のないミラは、少し硬い顔で、黙ったままそこを通り抜けた。
複雑な通路を抜け、階段に差し掛かる頃には人も少し疎らになり、やっと大量の視線から解放され、ミラの表情が緩んだ。今頃きっと、女達を中心に話に花を咲かせ始めているだろうと、容易に想像できた。
「はは、ああいうのは苦手か?」
ミラの気分を察したのか、アレンが足を止めて声を掛けてきた。
「ええ、まあ……。あんなに大勢の人に見つめられるなんて体験、したことありませんから」
「そりゃそうだろうな。ま、皆ちょっと噂好きなだけで、悪気は無いんだ。許してやってくれ」
「はい。気分ももう落ち着きましたから」
周りを見る余裕ができたので、ミラは周囲に目を向けた。城は重厚な造りで、床はピカピカに磨き上げられた大理石。階段は7人位が横に並んでも余裕で通れそうな程の幅がある。壁に等間隔で取り付けられているランプは、蝋燭ではなく魔術の火を灯していた。邪魔にならないところに設置された、凝った装飾の施された花瓶に生けられた花が、さりげなく廊下に彩りを添えている。
ミラが一通り辺りを見渡し、アレンに視線を戻したのを見計らってか、アレンが止めていた歩みを再開し、階段を上り始めた。2段ほど下をついてくるミラを振り向きながら、この城の構造について説明した。
「この城は北・中央・南の3つの棟から成り立ってる。防衛上の理由から、最上階はコーシャス家の皆様の居住空間で、限られた者しか入ることができないし、衛兵も厳選された者のみが駐留するようになっている。政務に使われる部屋や高位の文武官の私室は北棟と南棟とに分散されていて、万が一賊が侵入したとしても、簡単に目的の情報を盗まれたり、重職が一度に大勢犠牲になったりしないようになっているな」
「では、中央棟はどのようになっているのですか?」
「中央棟には、主に夜会に使われるホールや食堂、図書室、大会議室なんかがあるな。客室もほとんどが中央棟だ」
「でしたら今は中央棟へ向かっているのですか?」
「ああ。南棟から中央棟へ行くには2階の渡り廊下を通る必要があってな。中央棟を担当する侍女に聞けば、ミラの部屋が分かるはずだ」
話している内に、既に件の渡り廊下のすぐ手前まで来ていた。それを通過して少し行ったところに、向かい合わせになった扉があった。アレンはその内の1つに向かい、迷いなくノックをした。一瞬の間ののち扉が開き、20歳くらいの溌剌とした女性が顔を覗かせた。侍女服が可愛らしい容姿にとても良く似合っていた。
しかし、彼女の対応が侍女らしかったのは、最初の3秒にも満たない間だけだった。
「はい、如何なさいました……って、お、お兄ちゃん? 大丈夫!? 怪我したって聞いて心配してたのよ! いったいいつの間に帰ってき、たの……」
彼女はアレンを見た途端、愛想の良い侍女から、兄を心配する1人の女性になってしまっていた。言葉通りアレンの身を案じていたのだろう。彼女の目にミラの姿は一切映っていないようだった。
が、アレンの渋い顔をしているのに気付いて言葉を止め、訝しげな顔つきになり、視線をアレンの顔から少し下にずらした。そしてそこに漸くミラの姿を認めると、目を見開いて口に手を当てた。
「あ……っも、申し訳ありません! 御客様の前でとんでもない口の利き方を……」
「あ、じゃないだろう? アン。まったく、仕事中はどんな時でも気を抜くなとあれほど言ってあっただろうに」
大慌てで頭を下げた女性を呆れ返った目で見つめながら、アレンは嘆息した。
「だって……っと、ですけど、兄様も悪いと思いますわ。無事だとは聞いていましたけど、私本当に心配していたのですから」
「大袈裟な。仕事柄、俺が怪我するなんて日常茶飯事だろう?」
「う……。その通りで御座いますが」
アンは思わず素で反論しかけたが、アレンの無言の圧力をいち早く察知し、すぐさま仕事用の言葉遣いに直して文句を言った。僅かに頬を膨らまして上目遣い、という仕草が、可愛らしい容貌を更に引き立てている。無論、兄であるアレンにはさして効果は無く、冷たくあしらわれただけだったが。
アレンの対応に一転して不満顔になったアンだったが、背後から掛けられた声で反射的に背筋を伸ばした。
「アン、いつまでお客様をお待たせするつもりなのです? 早くご案内しなさい」
「は、はい! 今すぐに!」
「おい、ひょっとして、担当はお前なのか?」
アレンがまさかな、という表情でそう問うと、アンは目を逸らしつつ頷いた。それを見て、アレンは一気に不安そうな顔になった。アンは一瞬むっとしたが、すぐに表情を改めてミラに再度頭を下げた。
「先程は大変失礼致しました。私は今回、ミラ様の身の回りの御世話を担当させていただくことになりました、アンと申します。御用があれば何でも御申し付け下さい」
「あ、はい。こちらこそお世話になります」
「それでは、御部屋に御案内いたします。こちらへどうぞ」
アンは漸く侍女らしくミラに挨拶を済ませると、ミラを先導して歩き出した。
暫くして、先程までは殆ど黙ったままだったミラが、遠慮がちにアレンに尋ねた。
「あの……あの方はアレンさんの妹さんなのですか?」
「ああ。義理の、ではあるがな。妻の妹で、アンという。義妹が失礼した。昔からどうも粗忽者でね」
その言葉に、前を歩くアンの肩がびくりと揺れた。言い返したいのだろうが、客の手前、これ以上軽率な真似は出来ないと自制しているのだろう。
「いえ、気にしていません。そもそも私は敬語を使われるような立場の人間ではありませんし」
「いや、ミラは客としてここに来ているのだから侍女が礼を尽くすのは当たり前だぞ? そうだろう、アン」
「……勿論ですわ」
ミラの言葉にアレンが反論し、少し嫌味のこもった声音でアンに投げた。アンは少し詰まったが、振り返ってから返答した。義兄妹揃って先程の件を引きずっているらしい。ミラは苦笑するしかなかった。
アンは階段を上り、4階の南棟よりの一室にミラを案内した。
「こちらがミラ様に御滞在いただく部屋ですわ」
そう言って、アンは部屋の扉を開けた。ミラは一応危険が無いか探ってから、部屋の中に足を踏み入れた。椅子やテーブル、カーテン等は茶系の色で統一されており、落ち着いた印象の部屋だった。あまり派手な色が好きではないミラの趣味には合っている。窓からは商人通りがよく見えた。だが。
「……ここは本当に1人用の客室なのですか?」
「そうですが……何か不都合でも御座いましたか?」
村人としての生活が基準のミラにとっては、大いに不都合な点があった。部屋が大き過ぎて落ち着かない、という実に貧乏くさい点において。マラカイト村で一番大きい村長宅でも、一人で使用する部屋はこの部屋の半分以下の大きさしかないだろう。それでも十分だと感じていたミラには到底信じられなかった。ここが客室ならこの城の主たちの部屋は一体どれほど広いのか、想像もつかなかった。
しかし、それを正直にいう訳にもいかないので、ミラは何でもないと言って誤魔化した。
「じゃあ、今日はあまり時間もないから、城の施設を案内するのは明日にしよう。オルテの様子からして、ギルバルト様は少なくとも3日は執務室から出られないだろうし、時間的余裕はあるからな。移動で疲れただろうから、ゆっくり休んでくれ」
「お気遣い感謝します」
「アン、後は任せた。くれぐれも粗相の無いように」
「勿論ですわ。御任せ下さい」
アレンはミラに笑いかけてから、客室を後にした。
ミラは扉を閉め、アレンの足音が十分遠ざかったのを確認してアンに話しかけた。
「あの、アンさん」
「はい、何でしょう」
「その言葉遣い、止めません? どうぞ普通に話してください」
「えっ?」
予想外なミラの要望に、アンは目を瞬いた。
「年上の方にそのように畏まった話し方をされるのは慣れてないものですから、どうも落ち着かなくて。ですから、気楽に話してください」
「ですが、私は侍女に過ぎません。御客様に対して気安い口を利くわけにはいきませんわ」
ミラは重ねてお願いしたが、アンは恐縮した顔で断った。先刻の失敗を思い出したのか、仄かに顔が赤かった。これ以上、義兄に色々言われる隙を与えたくはないのだろう。だが、ミラも中々退かなかった。
「他の方がいる時は仕方がありませんが、今のように2人の時だけでも。折角ですから色々とお話ししたいですけど、硬い言葉遣いじゃ気まずいですし。あ、私は元からこの様な話し方なので気にする必要は無いですよ」
「……。では、侍女は本来必要な時以外は御客様に話しかけてはならないのですが、ミラ様とは御喋りをさせていただくということで御勘弁を」
とうとうアンが苦笑しながら妥協案を出し、ミラも少し残念そうだったが納得して頷いた。
それから2人は向かい合わせに置かれていた椅子に腰掛け、最初はぎこちなく、次第に和気藹々とお喋りをした。ミラは殆ど聞き役に回り、アンが話す街での暮らしぶりや仕事のこと、城内で流れている面白い噂話等に楽しそうに耳を傾けていた。
暫くして、アンがそういえば、と話題を変えた。
「ミラ様は御幾つなのですか? 私は22なのですが」
「私ですか? まだ16です」
「えぇっ! そうなのですか? すごく落ち着いていて大人っぽいですから、私とあまり変わらないと思っていました」
「よく言われます。小さい頃は子供らしくないと呆れられたこともありました。可愛げが全くありませんでしたから」
アンが口元に手を当てて驚きを露わにした。その手の事は言われ慣れているので、ミラは苦笑しながらもはや定型となっている科白で答えた。
だが、それに続いたアンの言葉は完全にミラの予想の範囲外だった。
「そうですか。まだ成人もされていなかったのですね……。てっきりギルバルト様のお誘いでいらっしゃったのだと思っておりましたが、違いましたか。少なくともまだ1年以上はこちらで働くことはできませんし」
アンは残念そうに、仕方が無いことですけれど、と呟いた。対してミラは、アンの発言の意味が分からず、首を傾げて真意を尋ねた。
「あの、1年以上は無理ってどういうことですか?」
それを聞き、アンは何を当たり前のことを、と言いたげな顔をしたが、本当に分かっていなさそうなミラを見て、先程とは別種の驚きを浮かべた。
「御存知ないのですか? この国では男性は15歳、女性は18歳にならないと王族・貴族の方々に御仕えすることは出来ません。勿論例外等もありますが、ミラ様の場合は当てはまらないかと」
「そうなんですか!? ……初めて聞きました」
「そういえば、ミラ様は山間部の御出身と仰ってましたね。高貴な方々に御仕えしようと思わなければ一生縁のない法ですし……。そう考えれば初耳なのもおかしくありませんか」
ミラが驚愕しているのを見て、アンは気の毒そうに言葉を足した。しかし、ミラはアンが思っているような理由で驚いたのではなかった。
(働けない人間をどうして勧誘したんだろう、あの人。田舎に押し掛けて、脅してまで引き入れようとしてたのに。精霊のことを知って貴重な戦力になるって考えたのは分かるけど、部下に出来ないのなら意味が無いはず。私みたいに法を知らないのは有り得ないし。……そういえば、アレンさん達にも歳を聞かれた事は無かったなぁ)
考えている内にある可能性が思い浮かび、ミラは顔を顰めた。それと同時に無意識に思考の欠片が口から零れてしまった。しかも精霊たちに対して以外は決して使わない本来の口調のままで。
「歳が分からないから調べるって事をしなかったのかな? 外見だけで歳を判断して。案外間抜けね」
「ミラ様? 何か仰いましたか?」
「え、いえ何も」
しかし幸いにも、呟き未満の音量だったお蔭でアンには何を言ったかは聞き取れなかったようだった。訝しげに問い返されたことで思ったことを声に出していた事を悟り、首を振って誤魔化した。
それからミラは話題を変えたアンに適度に言葉を返しながら、思いがけないカードをどう使うのが最善なのかを考えていた。