第15話 味方は案外傍に
遅くなりました。大変申し訳ありません。
「はぁ……」
爽やかな春の午後には似つかわしくない溜め息が、馬上の青年から漏れた。自らが護衛する馬車へと向けるその視線には、呆れと心配が器用に同居していた。
「隊長? どうかしましたか?」
青年のすぐ前で同じく護衛の任に就いていた、少年とも言える顔が、金髪を揺らしながら振り返って問い掛けた。その心配そうな声音を耳にして、青年はハッと我に返り、そちらを向いて苦笑を浮かべた。
「すまん、ティル。何でもない。それより、今は小隊だけで行動している訳じゃないんだから、隊長は止めろ」
「はーい、アレン先輩」
どこか気の抜けた返事をして、ティーライネスは視線を前方に戻した。それを確認した後、今度は誰にも聞かれないようにと、アレンは心の中でひっそりと溜め息を吐いた。視線は再び、馬車に固定されている。
護衛がそれで良いのか、と言いたいところだが、この辺りは人通りこそ少ないものの、比較的安全だ。現に、真面目に任務に就いているその他の人々の顔からは、緊張は窺えない。
だからと言って、普段部下を纏める立場の彼がサボって良い訳がないが、生憎彼の頭は現在ある事に支配されており、任務どころではなかった。
アレンは、上官であるギルバルトのことを誇りに思い、尊敬している。それは紛れもない事実であり、部下として身近で彼を見てきた自らの経験から生じた、確固たる思いだ。
しかし同時に、世間では完全無欠と謳われる事もある彼に、とある欠点があることを知っていた。
ギルバルトの父親は、あの24年前の戦争で亡くなった父親の跡を継ぎ、若くして伯爵の地位についた人物で、先王がまだ王太子だった頃から彼の陣営に加わっていた。大改革の際には、持ち前の才能を遺憾なく発揮し、王をバックアップした。 そのため、コーシャス家は貴族社会の鼻つまみ者と認定された。その権勢を目当てに集まる下級貴族はいるが、それ以外の殆どの貴族がコーシャス家の敵と言えた。
当時まだ幼かったギルバルトの周囲も、安全とはとても言えなかった。厳選された召使いに囲まれていても、常に暗殺の危険があったのだ。
その所為か、彼は自分の周りを自分で選んだ人間で固めたがる。性格やものの見方、魔術、武術、話術等、選ぶ基準は様々だが、一度気に入ったら最後、その人物にとことん拘り、必ず自分の陣営に引き込むのだ。時にはかなり強引な手段を使ってまで。
アレン自身も、元は王都で働いていたところを、ギルバルトに引き抜かれた経験の持ち主だ。断ってもしつこく声をかけ続けられ、最終的に妥協したという感じだった。
だが今は、従いていくことを選んだことを後悔していない。妻や部下達に出逢ったのも、この地だったのだから。
(――しかし、誰もが誘いをかけられて嬉しい訳じゃない)
そう思いながら、アレンは苦々しい顔つきで、馬車を睨みつけるように見た。まるで、そうすれば中の様子が分かるとでも言うように。
そう、確かにアレンは後悔していないし、彼と同じ境遇の同僚達も、ギルバルトの為に日々生き生きと働いている。
だが、今この馬車に乗っている――いや、乗らされている少女は、このまま放置したら将来不幸になるのではないかと、アレンは危惧していた。
あの時、ミラとギルバルトが何を話していたのか、アレンには半分も聞こえなかった。それ程距離は離れていなかったが、2人が途中からかなり小声で話し始めたからだ。
話の内容が気になってはいたが、主君の内緒話を聞いても良いものかと悩み、近づけないでいた。ギルバルトがメイデルテスを呼び、2人で漫才のようなことをしているときも、動かなかった。
だが、ギルバルトとメイデルテスが意味不明な会話をし、その後、ほったらかしにされていたミラに話を振ったときに、彼女がその瞳に困惑と動揺を浮かべていることに気が付いた。
報告をしたときから、上官がミラを既に気に入っていることは察していた。嫌な予感がしたアレンは、迎えを寄越すと言ってきた上官に、“お前は来るな”と釘を刺していた。
それにもかかわらずやって来て、どうやら無茶をしているらしい。
アレンにとっては、ミラは恩人だ。上官とは言え、悪い癖が出て彼女を困らせているのならば、放ってはおけない。
そう思って口を開いたのだが、彼よりも先に口を挟んだ人物がいた。
「ギルバルト様、少しよろしいですかの?」
ギルバルトは、村長が入ってきたのが予想外だったらしく、驚いた様子を見せた。しかしすぐに笑顔に戻り、村長に向けて頷いた。
「ええ、勿論。何でしょう?」
「貴方様のことはこの数日、アレンさん達から伺っておりました。とても素晴らしい上司だと」
それを聞き、ギルバルトは謙遜したものの、彼の笑顔が嬉しげなものになった。褒めたはずの部下の1人が、今は自分の後ろで微妙な顔をしているとはつゆ知らず。
「それでの、儂はこう思うわけじゃ。部下にそれ程慕われている御方が、本人の意志を無視して無理やりその子を連れて行くような真似はしないじゃろう、と」
が、村長の次の言葉を聞いて、ギルバルトの笑顔は若干引きつった。それに構わず、村長は続けた。
「じゃがミラ、頭ごなしにお断りするのも、乱暴というものじゃ。どうかの、取り敢えずは向こうでお話を伺うというのは? あちらに出向かなければ判らないこともあるじゃろうし。どうするのかはその後で決めれば良いのではないかの。断るなら断るで、伯爵様に直接そう申し上げておけば、また誰かが此処へ派遣されて来ることも無いじゃろうし」
村長はそう言うと、人の良い笑顔でミラを、次いでギルバルトを見た。
(いや、村長さん。そいつは派遣されて来た使者とかじゃない。仕事を放置してまで自分で来たがった、只のバカだ)
アレンは思わず心中で突っ込んだ。人前ならばいざ知らず、人が聞いていないところや本人と2人きりだと、彼は主の扱いがぞんざいだった。
(それにしても、“本人の意思を無視して無理やり”、か。俺の言いたかったことをそのまま代弁してくれたな。まさか村長さん、この短い間にあいつの欠点を見抜いたとか? ……まぁ、さすがにそれはないか)
アレンがそんな事を考えている間に、ミラは村長の勧めに従う事にしたようだった。ギルバルトが少しだけ悔しそうな顔をしていたのが印象的だった。ミラがついでに寄りたい場所があると言い、ギルバルトが了承して、詳しい場所を聞いている。
アレンは複雑な思いを胸に、2人の様子を見つめていた。
その後、自宅で旅装を整えてから、村人総出の見送りを受けて、ミラは馬車に乗り込んだ。
その際に、ミラと若干涙目で近寄って来た子供との間で交わされた、
「ミラ姉ちゃん……帰ってくるんだよね?」
「当たり前でしょう。私の居場所はここなんだから」
「ほんと?」
「本当よ」
「分かった! 待ってるからね!!」
という会話が、グサリと胸に突き刺さったように感じたのは、きっとアレンだけではあるまい。
アレン達は村人達に厚く礼を言った。それからゼノンと、馬を失ったロイドは馬車に、それ以外の者は護衛の任に就いた。
そこまで思い出したところで、アレンは意識を現実に引き戻した。
心中でまた溜め息を吐いてから、視線を馬車から外し、空を見上げた。既に高度を下げ始めている太陽は、柔らかな光をこちらに投げ掛けている。千切れた紙片の様な雲が、時折陽光を遮りながら、ゆったりとした速度で空を横切っている。
だがそんな穏やかな光景も、アレンの悩みを消してはくれなかった。
それから暫く、彼は道端に咲く花々や、青々とした葉を茂らせる木々を見るとも無しに見ていた。
爽やかな風が耳元を通り抜けた時、彼は漸く心に折り合いを付けたようだった。僅かに瞑目してから、腹の底から息を吐いた。その瞳には、やっといつもの活力が戻って来ていた。
(まあ、本人が来ると決めた上でこうなったんだ。今更後悔しても意味は無い。……よし、せめて、すっきりと断れるように尽力しよう。そうと決まれば、あいつが文句を言えないように、伯爵様に根回ししなければな)
ギルバルトは伯爵に話を通しているように言っていたが、十中八九それはない。村長やミラは知らなかったが、国政に深く関わっている伯爵は1年の8割は王都の別邸に滞在している。魔術を使えば連絡は出来るが、忙しい彼と私的な話をするための時間が取れたとは思えない。
それは自分が伯爵と話をするのも難しいと言うことだが、息子関係の事ならば聞いてくれるとアレンは思っている。伯爵からは直々に息子の目付役を言いつかっているからだ。尤も、それは彼だけではないが。
ギルバルトも、さすがに父親には滅多に逆らわない。だから伯爵を味方に付ければこっちのものだ。なるべく早く連絡を取ろう。
そう決意すると、アレンはやっと護衛らしく周囲に注意を向け始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アレンが固めた決意など知る由もなく、ミラは馬車の窓から外を眺めていた。
勿論、景色が珍しい訳ではない。ガタゴトという無粋な音など一切立てない馬車の中から見るのは初めてだが、この街道自体は何度も通ったことがある。
窓際に座っているミラは、ローブのフードを被って外を見ていれば、余計なものを視界に入れずに済む。ローブを着てきたのは、最も綺麗な(見苦しくないという意味で)服だったからだが、意外なところで役に立っていた。ミラは気付いていないが、漆黒のローブのフードを目深に被ったその姿は、同乗者達に無形の圧力を感じさせてもいた。
馬車に乗ってから彼女はずっとこうしていて、時折恐る恐るという風に振られる話も無視し続けていた。子供っぽい行動なのは自覚していたが、それが今の彼女に出来る唯一の抵抗だった。
村長の有り難い助言により、一時的に誤魔化す事には成功した。だが、ギルバルトから逃れられるかどうかは、向こうに着いてからの勝負にかかっている。
何としてもこれ以上の秘密の漏洩を阻止し、村に帰らなければ。そんな思いを胸に考えを巡らしてはいるが、そうそう良い案など浮かばない。しかも、今は精霊達から助言を受けることも出来ない。自分で何とかするしかないのだ。
(取り敢えずは、秘密がどこまで知られているか探ることと、秘密を知る人間とは2人きりにならないこと、この2つを実践しよう。落ち着かなきゃ、隙を見せたら負けなんだから)
何も解決策が思いつかない事に焦りそうになる心を抑え、ミラは僅かに見える空を仰いだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ボルドルは、国内でも指折りの治安の良い都市として有名だ。だがそれでも、街の北部や西部には、少々怪しい雰囲気の店が立ち並ぶような、陰気な区画が存在する。
民家らしきものも見られるが、明らかに表側の家々の住人とは経済的格差があることがわかる。田舎から立身出世を夢見てやって来た者達が、ごく一部の成功者を除いて最終的に辿り着く場所は、どんな街でも変わらない。それを証明するような光景だった。勿論、元からここで暮らしている者もいるが。
ここ数年は大きな騒ぎが無いため、警備隊の巡回はあっても、街の他の区画に比べて格段に厳しいという訳ではない。
従って、大っぴらに宿泊したくない客を相手にこの区画で商売をしている宿は、今日も今日とて密かに繁盛していた。
「どうだ、午前は何か収穫はあったか」
あちこちガタがきているのが一目で分かる、この界隈でも一際陰気な宿。相場に比べれば格安とは言え、わざわざ金を出して泊まるような場所には決して見えない建物の一室に、5人の男が集まっていた。
年齢はまちまちで、下は20代から上は60代といったところ。纏う雰囲気もそれぞれ違っている。共通点といえば、全員この辺りではあまり見かけない顔立ちをしていることだろうか。
「いいや、それらしい人物の噂はあるんじゃが、まだ真偽は確認できておらんな」
最初に発言した髭面の大男に、最年長らしき老人が答えた。手には小振りな杖を抱えている。座っていても矍鑠とした印象を与える男なので、それを歩く際の補助に使うと勘違いする人間はまず居ないだろう。
「ちっ。普段は威張ってるくせに、いざっていう時に役に立たねえなぁ、魔術師ってやつは」
老人の仕事振りが不満だったのか、がっしりした体つきで30歳くらいの男が、腰に下げた剣の柄に手を置きながら毒づいた。唯一、窓の傍に立ったままでいる。老人を罵りながらも、その鋭い視線はドアと窓の外を行き来しており、周囲の警戒を怠っていない。
「なんじゃと? 青二才が知ったような口を」
「事実じゃねぇか。移動速度が落ちることを承知であんたをメンバーに加えたのは、あんたの諜報技術を買ってのことだ。なのにまだ碌に情報が集まってないときた。これじゃ、何の為にあんたみてぇなジジイのお守りをしてきたか分かりゃしねぇ」
「貴様、ワシを愚弄する気か!?」
一気に機嫌を急降下させて声を低くめた老人を、三十路男が更に嘲罵した。顔を見もしないことが、余計に老人の神経を逆撫でした。
老人の目に剣呑な光が宿り、三十路男が一瞬だけ老人に軽侮の眼差しを送る。
一触即発の状況を打開すべく動いたのは、この場では最年少の、20代前半くらいの青年だった。飾り気のない明るい灰色のローブを纏い、老人と揃いの杖を持っている。身長を考慮して造られているようで、青年の杖の方が少し長い。
「お2人とも、よしてくださいよ! まだこの街に到着して5日、調査を始めてから4日なのですから、大して進展してなくて当然です。寧ろ、この短期間で噂だけでも掴めたのなら幸運ですよ。この国では魔術を使う際には慎重にならなければなりませんから」
青年の言葉に、老人は我が意を得たりとばかりに頷いた。
「そうじゃ! 幾ら大都市とは言え、門番や警備兵の中にも魔術師が配備されとるなんて、想定外じゃ。これではおちおち探査魔術も使えんわい」
「そうですね、流石は魔術大国といったところでしょうか。他の小国や、イストネキア帝国の様にはいきませんね」
これまで黙っていた、着ている平民服が全く似合っていない、どこか気品を感じさせる優男が、老人と青年の意見に賛同の意を示した。
髭面の大男も頷き、全員の顔を見渡してから口を開いた。どうやらこの男がリーダーらしい。
「ここがそういう国柄なことは来る前から知っていたことだ、今更嘆いても仕方がない。調査が進みにくいのは気にするな。焦って捕まる方が余程国の不利益になるだろうからな。それよりも、仲間内で不和を起こす方が問題だ」
じろり、という効果音が聞こえてきそうな目つきで、大男が老人と三十路男を睨んだ。老人は気まずそうに身動ぎし、三十路男はどこ吹く風と受け流す。その様子を見て、大男は溜め息を吐きそうになったが、部下の手前なんとか堪えた。
「とにかく、気長にやるしかない。これは元々そういう任務だ」
「そうですね。では、現時点での情報の擦り合わせをして、調査を再開しましょう」
その後、正体不明の男達は30分程話し合い、ばらばらと宿から出て行ったのだった。