第14話 受難の始まり
アレンの暴露の後、自宅に戻ったミラは、フラムレールとメールフルーヴを呼び戻して報告を聞き、言葉少なに労った。
そして、暫く精霊達でさえ声を掛けるのを躊躇うような空気を纏っていたかと思うと、ただ一言だけ、
「心を無にしてくる」
と告げると、精霊達が止める間もなく弓等を手にしてふらりと真っ暗な屋外へ出て行った。
ミラは意識的な思考を一切挟むことなく山々を駆け巡った。気が付いた時には既に夜が明けた後、ヴェルガ山にまで至っており、普段は3日掛けて狩る量の獲物を仕留めていた。
それを見て一瞬呆然とし、やっとのことでミラの心が静まった。
(よく考えたら、アレンさんの上司があの人だというだけよね。更なる関わりが出来てしまったのは嫌だけど、本人がわざわざ部下を迎えに来るわけがないから、顔を合わせる事はないんだもの)
ミラはせっかくここまで来たんだし、とたっぷりヴェルガ山の空気を楽しんでから、昼前には村に帰った。……ストレス発散の際の犠牲を誤魔化すのに苦労したことは、今は関係ないので脇に置いておこう。
しかしながら、ミラは自分の考えの甘さを思い知らされる事となった。
翌日の朝、アレンの言っていた通り、迎えと思しき集団が村にやってきた。
この時には、ゼノンもまだ体力は回復しきっていないものの、普通に起き上がれるようになっており、ミラは何の心配もなく村人達に紛れてアレン一行を見送れる筈だったし、ミラ自身そう思っていた。……しっかりと武装した騎士に護衛された馬車と、それに刻まれた、何処かで見たことのある紋章を見るまでは。
ミラは現実から目を逸らす為の方法を必死で考え始めたが、その努力を嘲笑うかのように、無情にも馬車のドアが開き、ミラの脳裏に浮かんだものと寸分違わぬ顔をした人物が現れた。
反射的に溜め息を吐いてしまったミラを、目敏くギルバルトが見つけ出した。
「やあ。こんなに早く再会できるとは思っていなかったよ。また私の部下が迷惑をかけたようだね」
にこやかかつとても親しげに話し掛けるギルバルトに、奥様方の熱い視線が集中していたが、ミラには悪魔がほくそ笑んでいるようにしか見えなかった。
名前を呼ばれなかったのを良いことに無視しようとしたが、トレムが
「ねえねえ、あの人、父さんやミラ姉ちゃんが会ったっていうおじさんじゃないの?」
と発言し、周囲の視線がミラに集まってしまったため、不可能になった。
おじさんと呼ばれた時に、若干ギルバルトが顔を引きつらせた事に少しだけ満足感を抱きながら、諦め顔でミラは口を開いた。
「お久し振り、という程でもありませんね。私のような者が貴殿に再びお会いする機会を得ようとは、夢にも思っていませんでしたが。アレンさんに貴殿のことは伺っていましたが、まさかこんな田舎にわざわざお越しになるとは思ってもみませんでした」
皮肉を多分に含んだ迎撃を、ギルバルトはさらりと受け流した。
「アレンから詳しく報告を受けているよ。ゼノンの命を救ってくれた事、本当に感謝している」
「……確かにゼノンさんの治療を行ったのは私ですが、礼を言われるべき者は私ではありません」
「勿論、アレン達を治療してくれたサナ殿やアム殿、それに今日までの滞在を快く許可してくれた村長殿を始めとした皆さんにも、とても感謝しているよ」
そう言うなり、ギルバルトは村人達に向けて深く頭を下げて謝意を示した。
明らかに貴族だと分かる人間にそんな事をされ、面識のあるハーティとミナト以外の者達の間に動揺が広がっていく。頬を染める女の子も出始めた。
それに気付いたミラは、頭が痛くなってきた。
(はぁあ。まあ、外見と言動は一切問題無いもんね。余裕で物語の主役張れるくらい。でも、この前この人にした評価は訂正すべきだって気がするんだよね。……よし、今は勘を信じるべき。早いとこお暇してもらおう)
ミラは内心で決意を固め、口を開こうとしたが、その間に姿勢を戻していたギルバルトが機先を制した。
「今回ここに来た理由は2つ。1つは、どうしても直接礼を言いたかったから。そしてもう1つは――」
一度言葉を止めて、ミラの方へ真っ直ぐに歩いて来た。それから、ミラの目の前まで来てにっこりと笑みを作ると、片膝を付いた。
そして、どよめき距離を取る周囲の人々を一切意に介することなく、固まったミラの手を取りながら続きを述べた。
「――ミラ殿。君を我が城に招待したかったからだ」
ミラは暫し硬直していたが、女性陣の上げた黄色い悲鳴を聞いて覚醒し、手を瞬時に振り解いて大きく跳躍し、距離を取った。
そんな失礼極まりないミラの態度にも、ギルバルトは笑顔を崩さなかった。
「まあまあ、そんなに喜ばなくても」
無礼な振る舞いを咎められるかと思っていたのに、見当違いな発言を齎され、ミラはずっこけそうになってしまった。
「……さっきの反応の何処をどう見たらそんな解釈が出来るんですか! 何故私のような一介の村娘を城にお呼びになる必要があるのです? いえ、そもそも、どの様な故が有ろうと、その様な分不相応な真似は出来ません!」
正気に戻り、辛うじて体裁を保ちながら拒絶したが、ギルバルトに効果は無かったようだった。
「実は以前の事を父に話したら、とても君の事を気に入ったらしくてね」
「親子揃って変わり者なんですね」
「はは、そういう言葉のセンスも気に入った点の1つだよ。それで、是非とも君を引き入れたいという事で意見が一致したんだ」
「……私の意見は聞いて下さらないのですか?」
「聞いたら断るだろう? 折角仕事放って来たのにそれじゃあね」
「貴殿の事情など私には関係ありません。仕事を放置してこられたのなら、早くお帰りになった方がいいのではないですか?」
ミラは溜め息を吐きたいのを堪えながら、吐き出すようにそう告げた。
「第一、私のような者を雇って何になると言うんですか?」
「君の身のこなしは、この間見せてもらった。君、只者じゃないだろ?」
ミラはほんの一瞬だけ眉を動かしてしまいそうになったが、なんとか自制した。
「私はただの一村民に過ぎませんよ」
「ただの村民の女の子が山に平気で狩りに行くのかい?」
「働かない者は生きていけませんから」
「あくまで自分は凡人だと?」
「先程からそう申し上げています」
笑顔と真顔の攻防戦が、本人達にしか見えない火花を散らしながら繰り広げられる。それは膠着状態に陥ったかに見えたが、ここでギルバルトが一気に戦局をひっくり返しにかかった。
彼はミラにすいと近付くと、警戒したミラに距離を取られる前に、ミラにしか聞こえない位の小声で囁いた。
「なら、君は精霊術師も一般人だという考えなのかい?」
予想外の発言に、ミラは表情こそ変えなかったものの、さすがに反応が遅れた。
「……どういう意味でしょうか?」
「惚けても無駄だよ。この間ボルドルに来てたとき、君、うちの新人諜報員と接触したんだって?」
尚も小声で囁かれ、ミラも今は関係無さそうな先日のことを思い出した。
「彼の監視役が、私の所の新人精霊術師だったんだよ。私が城に帰った途端に執務室に飛び込んできて、自分とは比べ物にならないくらいの力を持った精霊術師を見つけたって言うから、冗談かと思ったよ。話を聞いて、その人物と君が一致した時は更に驚いたけどね」
「……人違いでは?」
僅かな期待を込めてそう言ったが、無理な惚け方なのは分かっていた。なぜなら彼女の外見は、
瓜二つどころかちょっとでも似ている人を見つける事も難しいようなものだからだ。
案の定、ギルバルトは笑みを深めながら、ミラの瞳を覗き込むようにして言った。
「私は今まで、任務でそれなりに様々な場所へ行ってきたと自負しているが、黒髪の人間は初めて見たよ。それに、その瞳の色も。それ、いったい何色なんだい?」
「……私に聞かれても困ります。私が選んだ訳ではありませんので」
「それはそうか。とにかく、部下は絶対の自信が有るみたいだけど? 君が精霊術師だっていう」
(ど、どうしよう? 今まで、自分以外の精霊術師に遭遇するなんて考えたこともなかった……。それに、精霊術を使ったわけでもないのにバレるものなの?)
ミラが内心でいい具合に混乱しているのを知ってか知らずか、ギルバルトは更に畳み掛けようと思ったらしかった。
「ひょっとして、私の言う事が信用できないかな? それなら……メイ! 出て来てくれ!」
振り返りながらのギルバルトの言葉が終わらない内に、馬車のドアが少々乱暴に開けられた。
現れたのは、美しい金髪を背中まで真っ直ぐに伸ばした、若草色の瞳の人物だった。服装はシンプルな白いローブだが、高貴な血筋を連想させる上等なものだ。繊細な目鼻立ちに、今度は男性陣が惹き付けられる。
しかし、文句無しに美人と言えるであろうその顔は、何故か怒りに歪んでいた。
彼女は猛烈な勢いでギルバルトに駆け寄ると、胸の辺りの服を掴んで(首元を掴むには背が足りなかったらしい)喚きだした。
「ギル! あれほど僕のことをメイと呼ぶなと言っただろう! 僕の名はメイデルテスだ!」
「? メイデルテスだから、メイ。どこか間違っているか?」
首を傾げて見せながらそうのたまったギルバルトは、メイデルテスの怒りの炎に油を注いだらしかった。
彼女――いや、彼は、憤怒の表情でギルバルトを揺さぶり始めたのだ。
「そんな! 女みたいな名で! 僕を! 呼ぶなって言ってるんだよーーー!!」
ここまでくれば、置いてきぼり気味だった周囲の人間にも、女のような容姿は彼のコンプレックスなのだと理解できた。……哀しいことに、懸命に叫ぶその声までも、女性のような高く澄んだものだったが。
ミラは至近距離で叫ばれたために耳を塞ぎながら数歩下がり、自分よりも余程女の子に見える貴族らしき青年を物珍しそうに見た。
そこに、ヴァンスィエルが話し掛けてきた。
「ミラ。あれは本物だよ。君に比べれば極々僅かな力しか持ってないけどね」
ミラが少しだけ頷いて聞いたことを示すと、ヴァンスィエルは更に続けた。
「どうやら、風の下位精霊を数体従えているようだね。それが限界みたいだけど。普段下位精霊なんて気にも留めてないから、目の前を通過したとしても僕達は誰も気付かないだろうね。でも下位精霊には、正確なところは分からなくても、僕達の存在は強烈に感じられただろうね。3人も居たんだし。ごめん、ミラ。これは僕達の落ち度だよ」
ミラは難しい顔をしたものの、不審に思われない程度に首を振って、気にするなと伝えた。別にヴァンスィエル達が傲慢だったとかいう訳ではない。精霊の格の差とはそれ程までに絶対的なものなのだから。
話が終わった頃には、メイデルテスの金切り声が止んでいた。ミラの視線の先で、まだ顔が赤く息が切れているメイデルテスを面白そうに見ながら、ギルバルトが服装を整えている。
どうも、メイデルテスはギルバルトに遊ばれていただけのようだ。
「すまなかったね。これが先程言った、新人のメイデルテスだ。さあ、本題に入ろうか。メイデルテス、この人で間違い無いんだろう?」
「はぁ、はぁ……ああ、そうだよ。今も感知出来るって」
メイデルテスはギルバルトではなく、虚空を見つめながら答えた。恐らくはその先に、彼の使役する精霊が居るのだろう。
「それは良かった。ではミラ殿、改めてお願いしよう。貴女の能力を是非私達のもとで活かして欲しい」
ギルバルトの言葉は、表面だけ見れば丁寧な頼み事だ。しかしその裏側には、精霊の事を他人に知られたくなければ自分のもとに来い、という脅し文句が有った。それをミラは正確に読み取り、その上でどう返答すべきか迷った。
メイデルテスが精霊術師である事は、十中八九機密事項だろう。従って、彼がミラは精霊術師であると言っても、それを聞くのは機密を知る者だけ。その者達もメイデルテスの事が露見するのを恐れ、下手に騒ぎ立てることは出来ないはずだ。
だが、それが噂として広められれば話は別だ。不特定多数の人間にその様な話が伝われば、たとえ噂話でも無視する事は出来ないと、大々的に調査を行う大義名分を得られる。そうなれば逃げ切るのは厳しいし、村の皆に迷惑を掛けてしまう事になる。
強力な精霊を従える精霊術師を手に入れたならば、秘匿せずに積極的に存在を公開し、他国を牽制するという手段も取れる。なので、ギルバルトがわざと情報を民間に流す可能性は十分にあった。
しかし、だからと言って今ギルバルトの申し出を承諾すれば、自分は精霊術師だと認める事になる。一度認めたら最後、ミラはこの先、ギルバルトを始めとした権力者達のもとに留め置かれ続けるだろう。
どう答えれば目の前の男から逃れられるのか。ミラはこれまでの人生で最大の危機に陥っていた。