第13話 嵐到来の予感
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ミラは1階からは見えない、2階の一番手前の部屋の扉に凭れ、ヴァンスィエルと向かい合っていた。
「そういえば、フラムは?」
「ああ、彼女はまだ焼却処分中だよ。延焼させないよう力を加減するのに手こずっててね。ま、数が数だし。僕の仕事は全部終わったから、先に戻って来たんだ」
フラムレールの困り顔が容易に想像できてしまい、ミラは小さく笑みを零した。
「成る程。で、話って? ひょっとして、ファングビーストの死体は山中にあったのかな?」
真剣な表情に戻ってそう告げられ、ヴァンスィエルは顔に驚きを滲ませた。
「ああ、その通りだよ。丁度それを言おうと思ってたんだ。どうして分かったんだい?」
「彼等、何か隠してるってフィユトが言ってたからね。それに、スィエル、さっきまでの会話聞いてたでしょ? あのタイミングで帰ってきたら、この話題だろうなと思うよ」
「流石。それで、さっきも言ったけど、下にいる奴等とファングビースト20匹が戦闘を行ったのは山中だったよ。ガーネット村の近くっていうのは本当だったけどね」
それを聞き、ミラはうーんと唸った。
「やっぱり巡察じゃ無かったか。ファングビーストのことは知っていたから、自分達の言っていることが不自然だということは彼等も理解してるはず。それでも隠すんだから、余程の事よね。……上司から密命でも受けているのかな? 最大規模の群と5人で戦ってあの程度の怪我で済んでるから、兵士としてはかなりの実力を持っているんだろうし」
巡察や討伐を行う兵士にとって、魔物についての知識は剣や魔術の腕と同じくらい重要だ。時には生死を分けると言っても過言ではない。
外見的特徴や、毒の有無、注意すべき攻撃の他、生息地も魔物の基礎知識の範疇である。したがって、出会って名前が分かったのならば、生息地を知っている筈なのだ。
「そんなところかもね。でも、こればっかりは調べようがないな。戦闘が行われた場所を中心に、半径500メートル位はざっと調査したけど、特におかしな事は何もなかったよ。人も、人にとって脅威になりそうな魔物も居なかったしね」
両手の平を上に向け、首を振りながら紡がれた科白にミラは溜め息を吐いた。やや芝居がかった動作だが、彼はこれが素なのだ。
「そっか。仕方無い、ちょこちょこ鎌を掛けて、口を滑らすのを期待するしかないかな」
「それが妥当だろうね。でも、密命を下されるような人間相手では厳しいと思うよ?」
「それは承知の上。私達に都合が悪いことかもしれないもの、放って置くことは出来ないよ」
ミラが真剣な顔で告げると、ヴァンスィエルも真剣な顔で頷いた。
「まあ、ミラに面倒を掛けるようなら僕等が根こそぎ消すから、その辺りは任せてよ」
さも当たり前といった発言に、ミラが半眼になった。
「……また真面目な顔して物騒な事を。最良の結果を出すために行動してるんだから、最悪の想定は置いておこうよ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
戻った後暫く話し込んでいたものの、これといった収穫は得られなかった。
分かったことと言えば、それぞれの家庭環境くらいだった。
アレンは妻子持ちで、奥さんには頭が上がらないだとか、ティーライネスはウォード男爵家の末息子で、家族と馬が合わず家出のような形で兵士になったとか、ロイドは下手な貴族よりも金持ちの商家の長男だが、面倒だから弟に家督を押し付けただとか、バルダは鍛冶屋の次男坊で、目下修行中の兄が作った剣で任務を遂行するのが夢だとか。
上で寝ているゼノンは父親が既に他界していて、母と幼い妹を養う為に一生懸命なんだそうだ。
アレンを除く3人はお喋り好きらしく、ミラの両親が既に他界しているという所から、延々1時間もこの話題だけで潰してしまっていた。
(そのまま口を滑らせてくれたら楽なのになぁ)
ミラは話を聞くのを楽しんではいたものの、心の中では愚痴をこぼしながら溜め息を吐きまくっていた。
このまま話をしても欲しい情報は得られない、ミラはそう判断し、仕切り直しのために一旦会話を打ち切って、彼等を村長に引き合わせた。
だが、簡単に紹介と説明をしただけで自分はフルフィユテールを監視に残して辞去し、自宅に戻った。
「ミラ、どうしたんだい? まるで逃げるみたいに帰ってきたけど」
「……私は甘い人間だからね」
怪訝そうな顔に、自嘲の笑みで返答する。
「どういうことだい?」
「私には『お友達』を作る資格が無い、ってことよ」
ミラの本来の力をもってすれば、『お友達』を守ることは容易かもしれない。
だが彼女は、力を隠して生きる道を選んだ。
そして現段階では、親しみを覚えた相手が、防ぐ手立てがあったにも関わらず目の前で死ぬのを見過ごせる程、彼女の心は強くなかった。
その為、街では行きつけの店や工房に知り合いが居るだけだし、出張した先の村にも顔見知りが数名居る程度なのだ。
既に『家族』を守るのに手一杯なのだから。
「前々から分かってる事だよ。さ、この話はもうお終い。男性客が5人も来たから、食糧が間違いなく足りなくなるだろうし、近場で狩りをしてくるね」
ヴァンスィエルは何か言いたげな顔をしていたが、ミラの表情を見て開けかけた口を一度閉じ、目を伏せて小さく溜め息を吐いた。
「……了解。ここは任せて」
「ありがと」
ミラは淡く微笑むと、狩猟用具一式を手に家を出た。
村が見えなくなるまでは普通に歩き、その後は周囲に人気が無いことを確認してから魔力循環を使って走った。
最も近い狩場である山に入ると、少し速度を落として自分の気配を断ち、獲物となる生物の気配を探りながら進む。
普段は保存できる食糧をメインで調達しているため、獲物も保存がしやすかったり、味が落ちにくいものを選んで狩っている。だが今回はすぐ消費する分なので、選択肢の幅が広い。獲物を見つけるのにそれ程苦労はしなさそうだった。
余談だが、田舎、特に農村部などでは昼にしっかりとした食事を取る習慣がない。主な理由は経済面だ。
今のマラカイト村の経済状況は問題無いが、昔からの習慣がそのまま残り、1日2食となっている。
だが、都市部、特に兵士のように体が資本の人間にとっては、1食抜くのも辛いだろう。その為、一度昼前に戻ってから夕食用の食材を狩りに行くという二度手間が必要になっていた。
(まあ、昼食の材料は無いことはないんだけど、あまり味気ない料理を出すのもあれだからね。作るのも楽しくないし。それに、きちんと計画立てて消費してる食糧を使う方が、後々面倒になるしね)
そう心の中で色々と言い訳がましく呟いている間にも、少し離れた所で生き物の気配を捉えた。
更に速度を落とし、足音も呼吸音も立てないようにそちらに近づき、大きな木の後ろに隠れて前方を窺う。
数メートル先にいたのは、1頭の牡鹿だった。顔はこちらに向いているが、ミラの存在には気付いていないらしく、のんびりと草を食んでいる。
牡鹿が移動しようと視線を逸らした瞬間、木の陰から出ながら流れるような動作で弓に矢をつがえ、牡鹿に向けて放った。
所用時間、僅か2秒。
矢は正確に牡鹿の心臓に突き立っていた。
牡鹿は地面に倒れ込み、暫く痙攣していたが、やがて完全に動かなくなった。
ミラは成果を確認すると、淡々と処理をすませ、小さく息を吐いた。
最小の労力で、4人分の食事の材料としては十分な量が手に入ったことに、少し満足そうな顔で。
「……よし。後は、何か適当に付け合わせの山菜でも摘んで帰ろうか」
小さく独り言を言うと、頭の中に広げた地図から目的の場所を探し出し、そこへ向けて走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
空の色が、燃え立つオレンジから静謐な青紫に変わる頃。
ミラは村長宅の厨房に立っていた。
「悪いねぇ。昼も夜もわざわざ食材取りに行ってくれた上、調理まで手伝わせて」
「いえいえ。どうせ、自宅でいつも作ってますし。料理は好きですから」
隣で調理しているアムから掛けられた言葉に、ミラは微笑みながら首を振って返答した。
「そう言ってもらえると助かるよ。この前のお客さんは1人だったからまだ良かったけど、流石に4人分ともなるとねぇ。そういえば、後1人の様子はどうなんだい?」
アムの科白の前半で一瞬ミラの顔が強ばったが、辛うじてアムが気づく前に元の微笑を取り戻した。
「経過は良好ですよ。明日には目覚めると思います」
「そりゃあ良かったさね。そうそう、ミラちゃんも夕食ここで食べていきなさいな」
「え、でも――」
「遠慮しないで。材料も足りるどころか余りそうだからねぇ」
ミラは暫く視線を彷徨わせていたが、アムが譲る気が無さそうだったので、苦笑して頷いた。
「分かりました。私もお相伴させていただきます。ついでですから、食後にはお茶も出しましょう。後で取ってきますね」
「それは楽しみさね」
2人は会話をそこで止めると、手元のウサギ肉に目を戻して調理を進めた。
食事を共にしたのは、村長とアム、アレン達、それにミラの7人だった。
食事中は、主に村長とアムとアレン、ティーライネスとバルダとロイドの組み合わせで会話が盛り上がっていた。ミラは終始聞き役に徹し、話を振られた時だけ会話に加わるようにしていた。
食後にミラの淹れたお茶を飲みながら和やかに談笑していたとき、アレンが思い出したかのようにミラに話し掛けた。
「そうだ、ミラさんにはまだ話していなかったな」
「何をですか?」
ミラが小さく首を傾げて尋ねた。
「ミラさんが居ない間に、上司に連絡を取ったんだ。こちらの状況を報告したら、ゼノンはまだ馬には乗れないだろうと、明後日の朝には迎えがこちらに着くように手配した、と」
「そうですか。分かりました。大したもてなしなど出来ませんが、今日明日はゆっくりと体を休めてくださいね」
ミラは優しい微笑みを浮かべて口上を述べた。……この辺りの仕草は、ヴァンスィエルのことを芝居がかっているだの何だのと言えない気もする。
「重ね重ね、申し訳ない。そう言えば、ミラさんは俺の上司と知り合いなのか?」
「? いえ、軍務に就いている方に知り合いは居ないはずですが」
怪訝そうな顔をしたミラに、アレンはさらりと爆弾を投下した。
「だが、報告した時、ギルバルト様はミラさんの事を知っている素振りだったが」
その名が出た瞬間、ミラは割と本気でこいつらを助けなければ良かった、と思った。