第9話 巡回と鍛練
ゴールデンウイーク記念連続投稿(仮)、第二弾です。
昨日村に来ていた客人は実は盗人で、村に害を為そうとしたから追い払った――夜が明けたらデロンが消えていた事について、ミラは村長にこう説明した。
色々突っ込まれるかと密かに息を詰めていたが、村長は何も問わず穏やかな顔で、
「そうかそうか、ご苦労じゃったな」
と言ったのみだった。
実は村長、全部分かっているのでは……? とミラが勘ぐってしまったのは、仕方の無い事だろう。
他の村人達には、客人は早朝の内に旅立ったと村長から説明された。
村は事実を知ること無く、今日も平常運転を開始した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ヴェルガ山を擁する山系に属する、ヴィシュヌ山。
山頂までの高さはそれ程ではなく存在感が薄いが、起伏の激しさでは他の山々に引けを取らない。
そんな山の中に、ミラの姿があった。今回は狩り目的ではないので、精霊達も傍らにいる。
現在の時刻は昼下がり。麓ではもうすっかり春だが、山の中はまだ初春のような気温だ。それでも、バーベナやコリダリスやミムルス、スミレ等が木漏れ日の日溜まりに集まって咲いている。その色は赤、青、白、ピンク、黄と様々で、ミラの目を楽しませていた。
「毎年の事だけど、冬の枯れ葉と雪の世界から春の色彩豊かな世界への変化って、やっぱり凄いよね。まだ盛りには遠いけど、十分綺麗」
ミラが感嘆をもらした。
「……春は、一番落ち着く季節だ」
普段は無口無表情なフルフィユテールだが、今はミラ達以外が見たとしてもハッキリと分かるくらいに微笑んでいる。大地を司る精霊である彼にとって植物達は子供のような存在らしく、花盛りの時期になるといつも機嫌の良さが表面に出ていた。
「花を愛でるのは良いけれど、ちゃんと此処に来た目的は覚えているのかしら?」
賛同が得られて嬉しげなミラに、メールフルーヴが少しだけ呆れたように言う。彼女やフラムレール、ヴァンスィエルは花にはさして興味がないようだった。
「酷いなあ。流石にそんな簡単に目的を見失ったりしないよ」
ミラは一転、苦笑しながら返答する。
この山に来た目的は2つあった。
1つは、山の巡回。
ヴェルガ山そのものだけではなく、その山系にも人は寄り付かないが、全くという訳ではない。人目を避けなければならないような人間や、手付かずの資源を狙う人間が少なからず存在しているのだ。
そういう者達に山を荒らされるのを防ぐために、ミラは狩りをしていない時はヴェルガ山系の山々を巡回していた。同時に薬草や山菜の分布状況も確認出来るので一石二鳥だ。と言っても異常が見つかる事は滅多に無いが。
もう1つは、鍛練をすること。
ミラはこの世界に流布している魔術とは全く別の、完全なオリジナル魔術を使っている。
ミラが魔術を使用する際に一言程度しか発していないのは、詠唱を省略しているのではなく、元々呪文がそれだけしか無いからなのだ。
それを他人も扱えるかどうかは分からないが、世間にバレれば間違い無く国の研究施設に引っ張って行かれるだろう。そしてこの新魔術の一番の利用先になるのは確実に戦場だ。ミラにはそれは絶対に許容できない。故に、ミラは己の真価を隠し続けているのだ。
それは村人達に対しても同じで、彼らの前ではわざわざ呪文を唱えて普通の魔術を使っている。
だから村で魔術に纏わる練習をする訳にはいかないので、いつも巡回ついでに行っていた。
「にしても、今日は本当に何も無いね。まぁ、無いにこしたことはないんだけど」
「そうねぇ。これじゃあ気が抜けるのも仕方ないわね」
辺りを見回しながら言うミラに、メールフルーヴが答える。周りは木々が生い茂り、幾つかの花々の蕾が綻んでいるという光景が続き、聞こえるのはシギやツグミを始めとする鳥や一部の虫の声だけ。正に平穏そのものだった。
一行は暫く雑談しながら歩き続け(実際に足を動かしているのはミラだけだが)、やがて開けた場所に出た。午後の日差しに照らされて、周囲よりも少し暖かい。
ヴィシュヌ山に来た時にいつもミラが鍛練をしている場所だ。
「もう此処に着いたのか。今日は実に平和だったね」
「そうだね。さて、じゃあ鍛練に移ろうかな」
ミラはそう言うと、荷物を地面に置いて開けた空間に進み出た。精霊達は邪魔をしないように、ミラの側から離れた。
ミラは中央で正座すると、静かに瞑目し、ゆっくりと息を吐き出した。胸一杯に息を吸い込み、一瞬止めてから倍の時間をかけて吐き出す。心から雑念が消えるまで、唯ひたすらそれを繰り返した。
やがて、心に細波1つ立たなくなったところで一度目を開き、呼吸を普段のように戻した。
それから再び目を閉じて集中し、魔力を動かし始めた。
己の内にある魔力を、手足の指先や髪の毛先に至るまで一部の隙無く巡らしてゆく。
これまで、魔力を体内で循環させようと試みた者は居なかった。
そもそも世間一般では、『魔術を使用するための原動力=魔力』という認識が為されているため、『魔力を魔術という形を取らずに利用する』という発想自体が無かったのだ。
だがミラは違った。
発想の切欠は、他人の体内にある魔力、つまり魔術に使われようとしていない魔力を感知するのはかなり難しい、と魔術師であった母に聞いた事だった。
ミラは弓の扱いはかなりのものだが、剣に関しては才能らしき才能は無かった。しかしそれではもしもの時に近接戦闘に持ち込まれてしまえば終わりである。
身体強化魔術を使って身体能力を底上げすれば話は変わるが、自分の特異な魔術を隠す為には他人の前では極力魔術は使わないようにしなければならない。
そこで、他人から見えにくい魔力をそのまま利用して、魔術のような効果を狙えないかと考え始めた。
中々上手く行かず、形にするのに数年掛かったものの、全身に魔力を循環させることによって様々な副次的効果を生み出す事が出来る技術の開発に成功した。
その効果は、身体強化や感覚強化、傷の回復速度上昇等戦闘に関わるものだけでなく、血行を促進し、健康維持に役立つというものもある。
現在のミラの対人戦法は、魔力循環により上昇した身体能力から生まれるスピードを活かした、速攻の一撃必殺。昨晩盗賊団を始末した際もこの戦法だった。
だが当然の事ながら、唯身体能力を上げるだけでは駄目だ。普段の自分と異なる高い身体能力には、それに見合った思考回路や判断力、体捌き等が求められる。それを身に付ける事がミラの現在の課題だった。
1人で行動するミラにとっては、狩りや戦闘において僅かな判断ミスが即、命取りとなる。秘密を守り通しつつ生き残る為には早急にクリアすべきなので、ミラも鍛練の時ばかりはいつになく真剣だった。
(……よし。循環の速度も効率も、前より上がってる)
確かな手応えを感じて少しだけ満足げな笑みを浮かべると、息を吐いてから立ち上がった。
肩を回したり軽く足踏みしたりして体を解してから、振り返った。
「皆、相手してくれる?」
「勿論よ」
「任せろ」
「了解」
「……承知した」
「ありがと。……シールド」
精霊達の了承を得てから、周囲に被害が及ばないように結界を張った。
「それじゃあ、お願い」
ミラが合図をするや否や、精霊達は一斉に動いた。
メールフルーヴが水の弾丸を、フラムレールが炎の矢を、ヴァンスィエルが風の刃をミラに放つ。フルフィユテールは地面の植物を操り、ミラを襲わせる。次々と向かってくるそれらをなるべく小さい動きでかわしていく。
次第にペースが上がっていき、攻撃と攻撃の間が短くなっていく。それに従って、ミラの表情からだんだんと余裕が無くなっていった。
やがて植物に足を取られてよろめいた隙にメールフルーヴの腕が閃き、一際大きな弾丸が飛来し、ミラの眼前で停止した。
「……参りました」
ミラが降参の科白を言うと、精霊達が腕を下ろし、準備されていた攻撃も解除された。普段余り息を乱すことのないミラも流石に呼吸が荒く、座り込んでしまっていた。額や首筋には汗が浮かんでいる。
「お疲れ様。前よりも動きが良くなっていたわよ」
「そうかな?」
「ああ、かなり速いペースにもついてこれるようになってたしな」
「そうだね。確実に進歩してると思うよ」
「……だな」
精霊達の褒め言葉に、ミラは嬉しそうに笑った。人を惹きつけるその笑みに、精霊達も思わず笑顔になってしまう。
暫くして息が整うと、ミラは真面目な顔に戻って立ち上がり、服に付いた土を払った。
「さてと……もう一戦お願いしてもいい?」
ミラが先程の一戦のせいであちこち罅が入っていた結界を張り直してから、精霊達は再び攻撃を開始した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後結局もう一戦し、時刻はもう直に夕方になろうとしていた。空は薄いオレンジ色に染まっている。
「はぁ……。流石に疲れたなぁ」
ミラが大きく息を吐き出した。魔力も聖力もかなり消費し、長時間集中していた反動で、もうヘトヘトだった。正直歩きたくなかったが、今日中に帰り着きたいならもう下山し始めないといけなかった。なのでブツブツ言いながらも、足はしっかり動かしている。
「まあ、あれだけ動けば疲れるのも無理ないわよ。何処かで1度は休憩を取りましょう」
「それが良いね。今日のミラは少し気合いの入れ過ぎ気味だったから、いつもより余計に疲れてるだろうし」
ミラは言われて初めて、力が入り過ぎていた事に気が付いた。昨晩は招かれざる客の所為で睡眠時間を削られたからなぁ、と心の中で言い訳する。
「ごめんね、気を使わせちゃって。じゃあ、南側の斜面の小川沿いで休憩にしようか。彼処は確かまだフユイチゴの実が採れるはずだから、皆への良いお土産ができるしね」
ミラはそう言うと、採取時間を稼ぐために早足になりながら、獣道をを下っていった。
「ちょっとミラ! 休憩する為に急ぐだなんて、矛盾してるわよ? もう少しスピードを緩めなさいな」
メールフルーヴが後ろから呆れ半分笑い半分の声でミラに呼び掛けたが、当人は聞こえないふりをして、また少し足を早めた。それに精霊達が顔を見合わせて苦笑した。その顔は皆どことなく嬉しそうだった。