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第二話 追憶、追跡

 その日だっていつものように始まって、そしていつものように終わるんだと彼女は信じて疑わなかった。

 そう、信じていた。

 いつものように、徹夜でふらふらの彼に朝ご飯を食べさせる朝、そして休まず机に向かう彼に夜食を運ぶ夜。そんな一日を。


 彼女は十八年前に異形使いとして生まれた。

 両親はそれで彼女を捨てるような真似はしなかったが、小さな町でそのことを隠して育てるには限界があった。

 異形使いという人種はひどく恐れられている。

 いつも右手に手袋をはめているティナを、町民たちは変な目で見た。小さい頃に火傷をしたのでそれを隠すためと偽っていた。

 十二歳まではそれでなんとかなった。だから、それまで上手くいっていたものがなぜその時に限って駄目になってしまったのか、彼女には分からなかった。

 発端は些細なことだったと記憶している。

 大人の仕事を手伝った後の時間で、友人たちといつものように遊んでいた。何かのゲームをしていて、それでティナはいつもより調子がよかった。当時気になってきていた少年にも褒められて悪い気がしなかった。

 だからもっといいところを見せたくてはりきったのだが、それが一人の少女の不興を買ったようだ 後になってなんとなくわかったが、その子も少年のことが好きだったのだと思う。少女はティナがズルをしたと非難し、言いがかりをつけた。

 ティナは当然怒って喧嘩になった。ところがその時に手袋がもぎ取られてしまったのだ。異形使いのことは少年少女でも知っている。恐ろしい存在なのだと、小さい頃から大人からいい聞かせられて育ってきた。

 ティナの手の甲を見た少年の、ひきつった顔を、ティナは忘れられない。

 町中にティナの事情が伝わって、ティナは子供心に殺されることすら覚悟した。いや本当は怖くて震えていたのだけれど。

 彼がそんなときに町を訪れたのは、幸運を通り越して奇跡だったと言えるかもしれない。

「ぼくがこの子を引き取りましょう」

 両親すらティナを守ることを諦めたところに、事情を聞いた彼が言った。

「この近くに研究のための屋敷を買おうと思うんですがね、助手がいるんですよ」

 その日から、彼女は町の外れの屋敷で彼と暮らすことになった。

 彼は名をラウロといった。ティナは二日以上寝ないで大丈夫な人を初めて見た。

「夢中になると、どうにも寝付けないんだ」

 目をこすりながら彼は言った。

 ラウロは彼女より年上だったが、無邪気に作業に取り組む姿は小さな子供のようだった。

 彼は何かにつけて彼女を褒めた。彼女の髪の色を好きと言ってくれたし、勉強の呑みこみがいいと撫でてくれた。

 何より彼は彼女の異形を怖がらなかった。

 まだ異形の制御が分からなかった頃のこと。試しに化けてみたら戻れなくなった。

 彼に怖がられるのが嫌で、屋敷の裏の小屋で縮こまっていた。

 探しに来た彼は笑った。

「今日は僕が晩御飯を作ったよ。食べよう」

 その日は異形の姿のまま彼と一緒の床で寝た。

 ラウロの腕の中はあたたかくて、ぐっすり眠った後、朝には人間の姿に戻っていた。

 満たされていた。こんな日がずっと続くことを信じて疑わなかった。

 実際、六年間それは続いた。

「ラウロ・マグリーはいるか」

 訪ねてきた長身、長髪の男は冷たい視線でティナを見下ろした。

「異形部隊だ」

 その時から嫌な予感はしていた。

 奥から出てきたラウロはいつものように微笑を浮かべていたが、それでも彼女の不安は晴れなかった。

 彼は言った。

「ティナ、ちょっと地下室に探し物をしに行ってくれないかな」

 ティナは分かった、と応じた。それが彼との最後の会話になった。


……


 執務室のその机をぶっ叩いたところでメッセンジャーはひるみすらしなかった。

 異形使いを恐れない人間には共通するところがある。

 異形使いといえども所詮中身は人間であると知っていることだ。人間ならばいくらでも弱点はある。それを知っているということだ。

 軍のメッセンジャーは大概そういった人間のようだった。

「だから何度も言っているだろう」

 そののっぺりとした無表情に、ティナはいらだちをそのままぶつけた。

「補給馬車の情報を流した男がいた、ラクリマという名前だった、だがその男は元異形部隊のヴィルフレード・アリオストだった!」

「ほう」

 メッセンジャーはその言葉から数呼吸間をおいて続ける。

「それは興味深いですな。異形部隊の元分隊長が賊の情報屋となっているわけですか」

 余計イライラが募る。

 先ほどからこんな問答を繰り返していた。つまり、主張し、それをやんわりと受け流されるといったやりとりを。

「そうか、あなたの興味を惹けたようでよかった喜ばしい。けれども俺が言ってるのは、だからヴィルフレード現ラクリマという男を早急に捕縛対象として手配して欲しいということだ!」

 再び机を殴打する。

 メッセンジャーはわずかに顔をしかめた。ただ、それはひるんだというよりも単に机が傷まないか心配しているだけに見えた。

「それは無理ですな」

「なぜだ」

「いいですかアルベルト殿。世の中には道理があります。死んだ人間に捕縛手配はできません」

「奴は生きている」

「いいえ」

 メッセンジャーはかけていた眼鏡をはずし、磨きながら言葉を継いだ。

「異形部隊分隊長ヴィルフレード・アリオストは半年前の任務で殉職しています。コルツァ事件。ご存知ですね?」

「コルツァという町が壊滅した件だな。だが死体は確認されていない」

「おや、よくご存じで。公開されていない事実のはずですが」

 つい、とメッセンジャーはこちらに目だけを向けた。

「ついでにいえばアリオスト元分隊長の容姿をはじめとする個人情報も秘匿されているはずでしたが」

「異形部隊の権限を知らないわけじゃないだろう」

 内心冷や汗を流しながら応じる。

「それくらいの情報は我々の権能で引っ張り出せる」

「そうですか」

 メッセンジャーの視線はじっとりとこちらにまとわりついた。

 どのメッセンジャーにも共通するのは、異形使い相手に退かないこと、事務という方向に極端に特化していること。そしてこの視線だとティナは思う。絡め取り、自由をひっそりと奪うこの視線。

 たかだか伝言役のはずなのだが。だがもしかしたら、その伝言という役目こそが真に組織を支配しているのかもしれない。

「とにかくだ」

 沈黙に耐えきれず、ティナは口を開いた。

「少なくともラクリマという男を追う必要がある。手配を――」

「ああ、それならば済んでおりますよ」

 メッセンジャーはさらりと口をはさんできた。

 怪訝な顔をするティナに彼は続ける。

「アルベルト。そして補佐バジル・カジーニ。治安妨害の容疑でラクリマを捕縛するよう指令が下っております」


……


「なーんで儂らがやらんくちゃならんのじゃ」

 公舎の個室で椅子の背に反り返りながらバジルがぼやく。

 傾いてギシギシと音を立てるその椅子を見るともなく眺めながら、ティナは壁に背をつけ腕を組んでいた。

「あーやっとれんやっとれん。なんのための税金じゃ。何のための警衛兵どもじゃ」

 ぎしぎし、ぎしぎし。

「おい、何を黙っておる」

 言われてもしばらくは虚空を見下ろし、頭の中の整理を続けた。

「思うに」

 それから言葉を選んで口にする。

「これはチャンスじゃないかしら」

「ん?」

「うん。やっぱり好機だわ。公式に奴を追う大義名分ができた上に、いざって時に変な邪魔が入らずに済む」

「……」

 バジルは椅子を軋ませるのを止めると、こちらに半眼の視線を投げてきた。

「前々から思っとったが、利口そうに見えてお前さん、実はアホじゃろ」

「なによ」

 むっとして見やると老人は再び椅子を揺らし始めた。

「考えてもみい。まず第一に、奴は半年間も国に見つからずに姿を隠し通してきた。それを儂ら二人だけでどうして見つけられると思う」

「それは……」

「探し当てるにはまず人手が必要じゃよ。これは動かせん」

 ティナは口をつぐむ。

「第二に、賊の情報屋に落ちぶれても奴は元分隊長じゃ。異形使い……いや戦う者としての実力は本物じゃよ」

「わたしは……確かに敵わないかもしれないわ」

 しぶしぶ認める。

「でもあなたも手伝ってくれるんでしょう?」

「お前さん一人でなんとかなるとは思っとらんよ。当然儂も出る」

 じゃがの、と彼は続けた。

「儂はこの通り老いぼれじゃ」

「まだ初老でしょ」

「ハンデもある。この通り」

 右手を持ち上げてこちらに見せる。指を二本残したのみの掌。

「無理じゃ」

 言われて壁に深くもたれる。正論だ。認めたくはないが。

 自分の実力などたかが知れてる。半年前までは人を傷つける術など引っ掻くくらいしか持たなかった小娘だ。部隊に入ってからこの老人にみっちりと鍛えてもらったつもりだが、所詮は付け焼刃である。

 対して老人の実力は本物だ。異形部隊は各異形使いの能力的な個性が強すぎるために"実際には"隊は組めない。一人の異形使いに対し複数人の非異形使いである補佐がつく。その補佐役の中でも老人は古兵であり、本来ならば自分のような新米にあてがわれる程度の器ではない。

 が、それでも足りないのだ。

(どうしたものかしら)

 どんよりと気持ちが沈む。考えても考える程に無謀さだけが際立っていく。

 焦ってもしょうがないことは分かっていた。しかし、落ちついていたからと言って、これまたどうしようもない。こうしている間にもあの男は遠くに逃れようとしているというのに。

「そうじゃ」

 ぽん、と唐突に老人が手を打った。

 傾いた椅子を、かたんと水平に戻して立ち上がる。

「なに?」

 期待に思わず身を乗り出す。

 老人はあくびを一つかましてドアを向いた。

「とりあえず町に出んか。わしゃ腹が減ったよ」

 なによそれ。こっちはそれどころじゃないってのに。

 むかっ腹が立ったが、不意に空腹に気づいて、仕方なく後を追った。


 オリ―ヴァの町は今日も変わらず穏やかだった。

 窓の外の商店前を人が行き交い、規模は小さいながらも町はそれなりの活気を見せている。町の喧騒は通り沿いのこの食堂の中までは聞こえてこないが、その気配だけは伝わってきていた。平和そのものだ。

「じゃのになんでお前さんはそんなに仏頂面かね」

「そんな気分じゃないの」

 不機嫌に告げる。

「町の雰囲気とわたしの機嫌は別よ。分かるでしょ」

「まあの」

 言って、バジルは皿の上のパンをとりあげる。

「じゃが焦っても仕方あるまい?」

「そうね。あの野郎の捕縛手配の申請とその返答を待つための時間で完全に手遅れになったわ。ヴィルフレードがどこに逃げたかわかりゃしない」

 店の隅の席を使っているため会話を聞かれる心配はない。

 服装も異形部隊の黒衣から着替えていた。念のためにフードは手放せないが。

 同じくバジルも軍服から平服に着替えていた。

「それが焦っとるというんじゃよ」

 パンをぷらぷらと弄びながら、あくまで老人は冷静だった。

「広いようで狭い世界じゃ。そのうち見つかるじゃろ。ほれ、だからこそ半年で奴に辿りつけたわけだし」

「あんな幸運、そんなに続きゃしないわよ。あっちも警戒してよりいっそう足跡を消そうとするでしょ」

「そうじゃな」

 バジルはあっさり認めてパンをちぎった。

「では精一杯焦ってみるか。焦れば焦るほど追いつける可能性は減るがの」

 ぐっ、と言葉に詰まる。

「まあ、若者は常に生き急ぐ。仕方のないことではあるな。急いだ所で行きつくのは大抵見当外れの場所じゃが」

「……うっさいわね」

 ここら辺はまあいつも通りのやりとりだ。こうやって少しずつ落ち着きを取り戻す。

 バジルがパンをかじり、呑みこむのを待って、ティナは話を続けた。

「分かったわ。冷静に行きましょう。あいつに追いつくために必要なことは何?」

「まずは落ちつくことじゃが、それはいいみたいじゃの。なら次は情報収集じゃ」

「聞き込み?」

「メインはそうなる。奴も補給馬車の情報を流すなどと大胆な真似をしている以上、何かしら痕跡は残しとるはずじゃ。それを見つける」

 スープをつつきながらティナは訊ねる。

「痕跡って、そんなもの役に立つの?」

「奴が何をしてきたか。それによってこれから何をするかが読める。何をするかが分かればどこに行くかも当然分かる」

「あいつは何か目的があって動いてるってこと?」

 バジルは肩をすくめた。

「さて、そこまでは分からんよ。ただ、調べる価値はある。というより他にできることがないからの」

 それもそうか。ティナは納得してスープをすすった。

 とりあえず、これで行動の指針は立ったようだ。

「問題はわたしじゃ聞き込みがしにくいことね」

 指名手配されている人物だと予想外のところで看破される恐れがあった。

「そこはまあ儂に任せとけ」

「いいの?」

「おう。その代わり胸かケツを揉ませてくれんかの」

 ぎょっとして身を退く。

「ちょ、ちょっと……!」

「冗談じゃ。お前さんに欲情するくらいならそこらの娼館にいくよ」

 いちいち気に障ることを言う。抗議しようとした時、ティナの背後から声が降ってきた。

「おい小僧にジジイ。そこは俺らの席だぜ」

 振り向き見上げると、がっちりとした体格の男たちがそこにいた。

 男たちは五人。もれなく薄着で、筋肉に覆われた屈強な身体を余すところなく周囲に見せつけていた。鋼鉄のような肉体。農業を営んでいればそれくらいの容貌は当たり前だが、どうにも違和感がある。ティナは視線を下げて納得した。男たちはめいめいに鞘におさめられた短刀等の獲物を手にぶら下げていた。

 農作業のための筋肉ではない。暴力のための筋肉だ。

「何だ」

 男の声を作って応じる。

 一番先頭にいた男が不機嫌に繰り返した。

「そこは俺らの特等席だっつってんだ。繰り返さすな愚図が」

「……」

 ティナは口をつぐんで相手を見返した。

 異形使いが妙な輩に絡まれることはそれなりにある。だが、今は格好が格好のため異形部隊の所属であることは知られていないだろう。純粋に自分たちの居場所に見慣れない人間がいることが気に入らなかったようだ。

「なんじゃいお前さんらの席だったんか。名前が書いてないから気づかなかったわい」

 視線をやると、バジルは白髪の頭の後ろで手を組んで、椅子にふんぞり返っていた。

「所有を主張するならそれくらいしてくれんと困るぞガキンチョ」

「バジル」

 制止の声を上げかけるが遅かった。

「ああん、ジジイ? 今なんか言ったか」

 手に持った短刀をこれ見よがしにちらつかせながら先ほどの男が凄む。取り巻きらしき他の者たちもにやにやと武器を軽く持ち上げる。

「俺たちが誰だか知ってんならもう一度言ってみろ」

 なにやら雲行きが怪しい。だが老人はひるみさえしなかった。

「知らんからもう一度言う。名前を書く知恵くらい持っとけアホガキ」

 ぴくり、と男の顔がひくついた。さすがに予想外だったようだ。

 だが、それでも存外忍耐強く彼は続ける。

「そうか、知らないのか、それなら仕方ない」

 ダン!

 突然激しい音と振動が炸裂する。

 視線をずらすと、男は抜く手も見せずに抜刀した短刀を脇のテーブルにぶっ刺していた。

「俺たちゃアバティーノ家の護衛団だ! 覚えとけクソジジイ!」

(アバティーノ?)

 聞き覚えはあった。どこで聞いたのだったか……

「ほう、名のある商人の。あれの護衛団とは」

 老人は多少表情を変えた。とはいっても嘲り見下す表情から微笑にひっ換えた程度だが。

 思い出した。アバティーノはこの国を代表する商人の一人だ。有数の資産家で、あらゆる植物域に支部を置いている。もちろんこの町にもだ。

 補給馬車は通常国が運営し、各植物域の流通を手掛けている。そんな大仕事は国しかできないからだ。商人はそれぞれの植物域に数多くいるが、植物域間の物品のやりとりとなると、その全てを国に依存している状態である。

 しかし、アバティーノほどの大商人となると話は変わる。商売にはあちこちへのつながりと物品の融通が不可欠だ。それを国に頼っていてはその分だけの見返りを要求され、足元も見られてしまう。それを防ぐためにアバティーノは独自の流通パイプを持っているのだ。

 護衛団はそれに要する人員だ。国の搾取を受けない代わりに、保護もまた受けられないため自衛の手段は自分たちで用意する必要がある。

 その構成員は流れ者であることも少なくない。なにしろ本当に優秀な人員は軍に吸い上げられるため、多少は質が落ちるもやむなしといったところがある。

 流れ者は確かな収入源と寄りどころを求めて護衛団の募集に群がる。それはそうだ。荒野で人は生きられない。町でも定住権がないとなると――

「……」

 ふと気づくところがあった。バジルを見る。

 老人もまた、なにやら光の灯った目でこちらを見返していた。彼は面白がるように笑みを大きくした。

 筋肉男はティナ達のそんな様子が気に食わなかったようだ。

「おい、ジジイ。言っとくが俺たちに容赦は期待するなよ。なにしろ――」

 言いながらティナを通り過ぎバジルに詰め寄る。

 大きな背中だ。ティナより頭一つ半程背も高い。その後頭部目がけて。

 ティナは振り上げた椅子を叩きつけた。

「がッ……!?」

 鈍い音と共に一瞬身体を震わせ、それから男はくずおれる。

「な……何しやがる!?」

 残りの男たちがざわつく。

 その中で一番前にいた者の頭にも椅子が命中した。これはバジルが投げたものだ。

 完全に男たちが硬直した。反応しきれていないようだ。それを見ながらティナは三歩ほど引いた。

「後は頼んだ」

「普通は若いもんが頑張る場面だと思うんじゃが……」

 ぼやきながらもテーブルを蹴り飛ばし老人は飛び出していった。

 ティナは、五分ぐらいかな、と見積もった。いや、もう少しは短いだろうなとも思った。それから泡食って飛び出してきた店員を制止し、後でいくらでも弁償するからと短く保証する。

 そしてあとは成り行きを見守った。

 男たちの制圧には結局二分ほどしかかからなかった。弁償額も安く済んだが、異形部隊の経費からは落ちなかった。


 その翌日。昼下がり。

 ティナとバジルはオリ―ヴァで一番大きいと思われる建物を見上げていた。

「ほほう、豪華な屋敷じゃの」

 バジルが感嘆の声を上げる。

「まあかの有名なアバティーノの屋敷の一つだしな」

 そういいながらもティナとて気圧される感があった。

 両者ともに正装、つまり黒衣と軍服である。今日は異形部隊として動く、そういうことだ。

「では、行くかの」

「ああ」

 門に向かう。入口を守っている私兵が、脇にどいた。


 屋敷の中は外から見た以上に広く思えた。

 ティナが先ほど口にした通りアバティーノが所有する屋敷の一つである。オリ―ヴァにおかれた支部で、この裏手にある倉庫で各種商品を管理していると聞く。国の手が届きにくいここのような町では、国よりも大きな力を振るえると言ってもあながち間違いではない。

 案内人に連れられて奥へと進む。

 いくつかの角を曲がり、通された部屋は軍の執務室より明らかに広い。

「ようこそ」

 そしてそこにおかれた、やはり軍支給のものより明らかに立派な机についた男が声をかけてきた。

「私がアバティーノ家のオリ―ヴァ支部を任されています、フェルモ・ボナです」

 三十代半ばを過ぎた、その歳にしては細身の人物だった。

「アルベルトだ」

 応じてティナが偽名を名乗ると、フェルモは立ち上がり、机の前のソファを示した。

 各人腰を落ちつけたところでフェルモが笑みを浮かべて口を開いた。

「して、今日はいかような御用件で?」

「忙しいところ、お時間をいただき感謝する」

 ティナはまず礼を述べた。と言っても形だけのものだ。

 なにしろこちらから無理矢理引き出したものだから。

 昨日、護衛団の男たちを叩きのめした後、彼らに一つ"頼みごと"をした。この町の支部の代表にできれば会いたい、といったようなことを。決して強制したわけではないが、身分を明かしナイフをちらつかせたのでどうとられたかは定かではない。

「いや、かまいませんよ」

 フェルモは穏やかな微笑で答えた。

 その顔には含みはない。先の事情は全て知っているはずだが。

(いや、もしかして知らないの?)

 メンツを保つためにあの男たちが一部をぼかした可能性もあった。考えてみればわざわざ自分たちの無能を報告する馬鹿もいないだろう。それはそのまま自分の解雇につながるかもしれないからだ。仕事にあぶれれば命にかかわる。賊に身を落とすぐらいしか道もない。

 だがまあ今はそれはどうでもいい。

「それで今回の訪問の理由だが」

「なんでしょう」

「ああ。あなたに確認したいことがあった」

 一拍置いて続ける。

「ラクリマという名に聞き覚えはないか」

 フェルモはわずかに考えるためと思しき間を置いた。もしくはわずかな動揺の間か。

「いえ。知りませんね」

「そうか」

 ティナは次の言葉を慎重に選んだ。ここで誤れば、二度と奴に追いつけない。その足掛かりはここにしかない。

「ラクリマという男は元異形部隊の所属。だが、半年前軍規に背いて今は追われる身だ」

「罪人ですか?」

「ああ」

 もちろん嘘だ。正確にはヴィルフレードは殉職扱いである。

「詳しくは明かせない。だが、奴には頼る相手がいない」

「はあ」

 フェルモはいまいち分からないといった顔で声を漏らした。

 そのタイミングで、ティナは視線を心もち鋭くして相手に刺した。

「率直に問う。奴はあなたたちを頼りはしなかったか?」

「いいえ」

 返答は早かった。

「言い切るな?」

「ええ。素性の知れない輩は採用しないようにしておりますので」

 涼しい顔でフェルモは言う。

 しかし。しかしティナはほんの少しの違和感を見逃さなかった。理屈ではない。しかし嘘を見抜くのは得意だった。

 ラウロの嘘だっていつも見破って見せた。自信がある。

「そうか。ならすまなかった。あてが外れたようだ」

 だが、一旦は引く。代わりに別のものを突きつける。

「ところで、あなたの護衛団は最近編成を変えたりはしなかったか?」

「え?」

 明らかに虚を突かれた顔でフェルモが言う。

「いや、あなたの護衛団の一人から妙な話を聞いたものでな」

「……と、言うと?」

 警戒を滲ませてフェルモ。

 この攻め手は当たりだ。確信してティナは続けた。

「異形使いが入った。そう聞いている」

「それはあり得ない」

 フェルモがうめく。

「何を言っているのですか」

「護衛団の編成を変えたことは否定しないのか?」

「いえ、そちらも否定させていただきます」

「それはおかしいのう」

 唐突にバジルが口を開いた。

 老人は無礼にならないぎりぎりまで姿勢を楽に崩していた。その脚を組み、言う。

「こちらが手に入れた資料では編成変更は事実なんじゃが。異形部隊とよく似た編成らしいの」

 これはハッタリだ。資料などない。

「そんな資料などありません」

 フェルモもそれは承知していたはずだ。だが、表情に余裕はなくなっていた。

 普通はあり得ないことをやってのけるのが異形部隊である。"存在しないはずの資料を手に入れる"。そんなこともやってのけるのではないか。異形部隊はそう思われるほど恐れられている。

「また話は変わるのだが」

「なんです?」

「最近護衛団から一人失踪者が出たそうだな

「それがラクリマとやらだと?」

「さて。そこまでは」

 はぐらかす。全てを知っている。それとなくそう思わせる方がいい。

「……不愉快ですな」

 しばらくの沈黙をはさんでフェルモは立ち上がった。

「帰ってください。憶測で妙な疑いをかけられても困る」

「もし罪人を雇っていたとなれば問題だ」

 立ち上がりながらティナはかぶせる。

「だが、確証はない。わたしたちもまだ調査途中だ」

「なにしろ儂らしか人員を回してもらってないんでの。大変じゃ」

「そうですか。ご健闘をお祈りしますよ」

 それだけ言ってフェルモは部屋を出ていった。

 ほどなくしてティナたちも屋敷を後にした。


 屋敷を出ると、既に日はかなり傾いていた。

「さて、どうなるかのう」

「上手くいってるといいんだが」

 実際は五分五分といったところか。

「まあ、やるべきことはやった。後は運に任せるだけだ」

「異形使いに神は微笑まないと聞くがの」

 老人を睨むと、素知らぬ顔で彼はこちらに背を向けた。

「じゃあ、儂はここで失礼するよ」

 手をひらひらと振りながら、バジルは通りを曲がって姿を消した。

 見送ってため息をついた後、ティナもまた歩きだした。

 路地に入り、真っ直ぐ歩く。日当たりは良くない。そのためかなりうす暗くなってきていた。人気もない。ひっそりと静まりかえり、そしてどことなくきな臭い。

 ティナはゆっくり息を吸った。それからまたゆっくり吐いた。タイミングをはかる。

 老人に教わった方法では、意識を鋭敏化させることに思っている以上の意味はないそうだ。

 感覚を信じつつもそれに引っ張られ過ぎない。理性による推測にも意味がある。

 もう一度吸気し――それから一気に吐いた。

 黒衣の下から抜いたナイフで背後から突きこまれてきていた鋭い気配を受け流す。すれ違うように体さばきし、身を沈めた。頭上を二撃目が通り過ぎていった。

(くっ……)

 胸中で悪態をつきながら、路地の壁まで飛び退る。

 そこでようやく襲撃者たちの姿が確認できた。

 三人。いずれも覆面をし、加えて薄暗闇の中では人相は判別できない。ただ、手練であることはすぐに分かった。老人ほどではない。しかし、相手に傷を負わせ、命を奪う方法を熟知している者は気配が似る。

 襲撃者たちはそれぞれ良く似た短刀を持ち、じわじわと包囲を狭めてきた。

 ティナは強烈に右手袋を意識する。

 しかし使えない。町中では使えない。基本的にはそういう軍規だ。破れば懲罰だけでない。非異形使いからの異形使いへの視線が一層厳しくなる。異形使いは人々に本当の意味で受け入れられてはいない。

 たとえその力にどっぷりと依存しきっているとしてもだ。

 向かって右方の襲撃者が踏み込んできた。横薙ぎに短刀が振るわれる。

 後ろには下がれない。だからティナは逆に踏み込み返した。

 相手の短刀よりこちらのナイフの方が刃渡りは短い。踏み込めば踏み込むほどこちらに有利になる。逆もしかり。と、理屈ではそうだが、それを実行に移せるようになるまではだいぶ訓練を要した。

 相手の懐でその手首を押さえ、逆にその内側の腱を狙う。切り裂くが、浅い。二人目が来ていたからだ。

 一歩を一人目の陰に移動するのに使った。それで二人目の一閃はかわす。が、二の腕に痛みを覚えてよろめく。三人目が回りこんで来ていた。動きを読まれていた。

 隙を見せたことで三つの刃が一気に襲いかかってきた。

 身をよじり、足を踏み変え、必死で逃げ回る。

 もう反撃の余裕はなかった。身体のあちこちに細かい刃傷が生じた。

 バジルなら。バジルなら上手くやっただろう。歴戦の戦士だ。相手の攻撃に合わせて一撃で無力化し、沈める。

 自分はそれには届かない。届かせる方法は一つしかない。それはこの右手にある。右手の甲に刻まれている。だが……

 次の瞬間、相手の刃が右肩を貫いた。

 悲鳴が口からこぼれる。足から力が抜けて尻もちをついた。

 その頭上を鋭い気配が通り過ぎた。もし身を沈めていなければ頸動脈を切り裂かれていただろう。

 とはいえこれで終わりだ。もう逃げられない。

 見上げる刃が、逆手に構えられた刃がゆっくりと――

「そこまでじゃ」

 静かに声が響いた。

 襲撃者たちが俊敏に声の出所に向き直る。

 いつの間にかすっかり暗くなっていた。路地にはいくつも暗闇があり、その一つから軍服の老人が姿を現した。

 不覚にも泣きだしかけていたらしい。ティナの目にはそれがぼやけて見えた。

 襲撃者の一人が飛び出した。しかし一瞬の交錯の後、老人の前にくずおれる。

 残りの二人はわずかに躊躇を見せた。そしてその隙に割り込む形で、老人が右手をそちらに向けた。

「もう無意味じゃよ。やめておけ、アバティーノの護衛団諸君」

 襲撃者たちは明らかに動揺したようだった。一歩を引き、それからすぐに遁走した。

 残されたのは尻もちをついたティナとバジル、それからのされた男が一人。だけではない。老人の背後にも一人、縛られ地面にもがく影があった。

「ち……くしょう」

 良く見ると、昨日の男だった。ティナが最初に椅子で殴り倒したあの。

「意外にもこの男が襲撃者たちの指揮だったようじゃ」

 老人がティナの傷に布を当てながら言う。

 立てるか? と聞かれ、ティナは首を振った。腰が抜けている。

「とりあえず話してくれたよ。やはりラクリマという男はフェルモが雇っていたようじゃ」

 老人に肩を貸されて立ち上がる。壁にもたせかけられ、息をついた。

「じゃあ、やっぱり当たりか」

「そうじゃな」

 ヴィルフレードは異形部隊所属だった。異形部隊というのは絶大な権能を与えられているが、そこから脱退してしまうと頼るべき相手がほとんどいない。そんな輩を引き受けてくれるのは、脱退の事情を知ってまでもその能力を利用したいと思う相手だけだ。独自の流通パイプを持ち、有能な護衛人員を必要とする商人がその一例というわけである。

 何にしろ、これでひと段落だ。震える息を必死で抑え、ティナは俯いた。

 これで、またあいつに追いつける。殺すチャンスが生まれる。たとえこんな窮地がいくつ訪れようとも、必ず成し遂げてみせる。


……


 フェルモ・ボナは数日後に軍に拘束された。素性の知れない者を雇い、その者による補給ルートの情報を漏洩させた罪状で。

 補給ルートはそのまま国民の命にかかわる。そのため間接的な漏洩とはいえ微罪ではすまない。フェルモは厳しく処罰されるだろう。フェルモが首都に送られる前に、ティナたちにも彼を尋問する機会が回ってきた。

「ラクリマは南に向かうと言っていた……」

 監房で、うなだれたフェルモはかすれ声で話し始めた。

「ある人物のことを調べているらしい」

「ある人物?」

「ラウロ・マグリー」

 あの人の名だ。ティナは驚いた。

「その男の研究、が目的だそうだ」

 次の日、ティナとバジルは乗合馬車に揺られていた。肩の傷はまだ痛む。だがそれでも行かなければならない。奴に追いつくためにはどうしても必要なことだ。どれだけ傷つこうが進むことは。

「無理はするな」

 ふいにバジルが口を開いた。

「無理はいかんよ」

「でも」

 思わず反駁するティナを遮って彼は続ける。

「お前さんはあの程度の男と刺し違えるつもりなのか?」

「それは」

「いかんよ。いかん。生き急ぐのはいい。だが若者は死ぬことを考えてはならん」

 言って、それからバジルは笑う。

「死んでからやっとこさ喜ばれる老人とは違うんじゃ。命は大切にな」

 ティナは黙って聞いていた。

 馬車の外には荒野が広がる。荒野には乾いた風が吹く。

 乾いた風と死んだ大地。

 それらを越え、自分はどこに辿りつけるのだろうか。そんなことを思い、彼女は眼を閉じた。

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