2011年、深夜②
――哀しい結末は現実だけで十分だろう?
その言葉に達郎は一瞬迷ってから、注意深くいった。
「あの話は別に、俺やあんたたちのことを書いたわけじゃない」
「知ってるよ。じゃあ、 なんであんな哀しい物語を書いたんだ?」
達郎が黙り、次の言葉を探している間、垂火は店内に流れている音楽が次の曲にうつったことに気づいた。 知っている曲だった。
アズ・タイム・ゴウズ・バイ。時の過ぎ行くままに。
オリジナルからだいぶかけ離れているが、スタイリッシュで好みのアレンジだ。
「……昔は、」
と、達郎が口を開いたので、垂火は意識を隣に戻した。
「昔は、なんで古今東西の作家が哀しい物語を書くのかわからなかったよ。 だから自分で書いてみようと思った」
「で、どうだった。何かわかったのか」
「ああ。本当に哀しい人間は哀しい物語なんて読まないってな」
てっきり笑われると思ったが、垂火は何もいわずにただ何度かうなづいた。納得しているというよりも、言葉をかみ締めているように達郎の目にはうつった。
「お前は自分の書いたものを、本当に哀しい人間に読んでほしいんだな」
そういった声音があまりに深かったので、達郎はそこに垂火と時子と自分との間に流れ去った時間を見た。あの頃なら分からなかっただろうが――いや、分かろうとすらしなかっただろうが、今なら慮ることができる。この七年という歳月に、この男もまた自分と同じように神経を消耗させていたのだということが。
垂火はそれ以上のことはいわず、バーテンダーにジャックダニエルをロックで頼んだ。そしてやはり煙草を吸った。
上手なキス云々はともかく、たしかに煙草の味を教えたのは垂火だったと達郎は思い出す。さっきはあんな風にいったが、他にも垂火からは色々と学んだ。 創作の原理や、大人の狡さや弱さなんかを。
「やっぱり碌なこと教えてねーな……」
「何が?」
「タバコ。おかげで毎月一万近く、 こんな百害あって一利なしの有毒物に使う羽目になってる」
「人の所為にするなよ。それに、 まだマシじゃねーの。クサ吸ってたどっかのバカに比べたら」
「昔から気になってたんだけど、あの人どっからあんなの仕入れてたんだ?」
「あんなの望めばどこでだって手に入るよ。大麻はたまにやる分には煙草とさほど変わらねーし、 むしろ俺はもっとヤバイもんにいつ手を出すかってハラハラしてたね」
「洒落になんねーよ、それ」
達郎は呆れて呟いた。だが、たしかにそんな紙一重の雰囲気はあった。
「あいつは昔から中毒体質なんだよ」
琥珀色のウイスキー越しに達朗の顔をのぞきながら、垂火はいった。
「熱しにくいが、はまると異常なほど冷めにくい。絵を描くことすら、 そこに中毒性があったからのめりこんでいったんだ。それがあいつの才能を開花させたともいえるけど、 ストッパーを持たない人間は脆い」
「その役目があんただった」
「それは遠まわしに批判してんの」
「違う。遠まわしに賞賛してる」
垂火はちょっと目を見開き、それから喉の奥で笑った。
「驚いたな。おまえは大人になった」
「…悪かったな」
「今のはストレートに褒めたんだよ」
達朗は何もいわず軽く肩をすくめた。
二人分の煙が気だるげに空気に混じり、やがて消える。と同時に、流れていた音楽も終わった。 曲名そのままに。