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(匂いがするね)

(うん、匂いがする)

(どっちの匂い?)

(どっちだろう?)

(一緒だよ)

(そうだね、一緒だ)

(来るかな)

(きっと来るよ)

(だって、来なきゃいけない)

(来なきゃ不思議だもの)

(歓迎しようか)

(勿論さ)

(何て言う?)

(おかえりなさい?)

(お久しぶり?)

(はじめまして?)

(それとも)


(いただきます?)



   第二話 今にも落ちて来そうな屋根の下で 




 美しい青空である。

 鳶が大きく輪を描き、霞のような雲が遠方の地上付近で風に攫われていた。春真っ盛りの麗かな昼下がりは、恋のひとつでもする気にさせる空気を孕んでいた。

 その青空の下、極寒の時化を纏った少女が盛大な溜息を吐いていた。ここ数日で優に百回は超える溜息は、ともすれば本人でさえ悩みがあるから溜息が出るのか溜息が出るから悩みがあるのか、判別する事を危うくさせている。

 少女は地べたの草原に座り込んで、手元の淡い桃色の布に留めてあった町針を凝視する。うるさい太陽の主張に耳も貸さず、そっと針を摘んだ。静かに抜き取り、位置を僅かにずらして再び刺す。そしてまた抜き取り、刺し、抜き取り、刺し――。

「………何してんの」

「あひゃあ」

 突然背後から声をかけられ、少女はおざなりに立ち上がり、振り返る。そしてスカートの端を摘むと、

「今日のテーマは社会の歯車になんてなりたくないと慟哭するミノ虫の涙です」

と面倒臭そうに溜息混じりに言った。

 声をかけた張本人であるキリアは、じっと少女を見つめていたが、やがてぼそりと呟く。

「……それ、一昨日着てた茶色のやつだろ。今日のは黄色じゃねえか」

 言われて初めて、少女――ガリーナはスカートを摘み上げたままその色に目を落とした。そしてたっぷり一呼吸分の沈黙の後、間違えました、と矢張り溜息混じりに答える。

「カラメル嫌いのゲンさんちで出た誕生日のプリン、でした。私としたことが、うっかりさんです」

 なんで素直に黄色ですと言わないのだろうとキリアは毎回脳裏を過ぎる疑問を看過し、彼女の持っている布に目をやった。可愛らしい清楚な桃色の服を作るつもりなのだろう、彼女はここのところ毎日この布を持って自宅の寺院や川辺やここの様な草原に座り込んでいた。あれだけの時間を費やしているのだから、それなりに服の形を作っているだろうと思っていたのだが、布は未だ単なる布のままである。

 先程から彼女はずっと、町針を抜いて刺して抜いて刺してを繰り返し、布に微細な穴を開けているだけのようだった。まさかこの数日間、延々とそれを繰り返していたのだろうか。

「お前、とうとう本気でヤバいアレな人になっちゃったのか……」

 きいい違います何ですかアレな人って許しませんよ小童、と普段ならこう来る。

 しかし、少年の揶揄に僅かに眉を垂れただけで、ガリーナは何も言い返さず再び草の上に座り込んだ。

 そして再び針で布に穴を開け始める。

「もう止めろよ、この布だって高いんだろ! 可哀想じゃないか! お金が」

 居たたまれなくなったキリアが布を引ったくり、そしてすぐに奪い返された。彼の言葉は確かに耳に届いたらしく、ガリーナは針を放棄して今度は布を揉み始める。穴が開かないだけ良いか、と少年は見て見ぬ振りをした。

 暫くの間の後、少女は消え入るような声で呟く。

「私、カイムさんに酷い事をして……」

「ああ、らしいな」

 キリアは適当に頷いて、数日前の事を思い出した。

 ミミの策謀によって彼らが二人きりになった際、コイビトタケのコロンの所為で前後不覚に陥っていたガリーナがカイムに十連撃をお見舞いするという事件が起こった様なのだ。頭からだらだらと流血しつつも、律儀に少女を村まで送ってきたカイムは、村の入り口まで辿り着いた瞬間に昏倒した。今から思えば、あの鮮赤は動脈だと推測する。

 若さの所為か、その後二日もすると彼は大きな絆創膏を額に張って普通の生活に戻ることが出来た。今も大事をとってこの村の宿で安静にしているはずだった。

「でも、謝ったんだろ? あの兄ちゃん、本気でキレると滅茶苦茶怖いけど、筋が通ってる事には安易に怒ったりする奴じゃないぞ」

 観察する時間は僅かではあったが、先の件でキリアは彼の性格の大方は把握したと思う。普段は控え目な性格だが、その実裏でとんでもない事をしていても同じ顔を保つ豪胆さも併せ持ち、誠意の無い事――特に料理に関しては瞬間的にリミッターが限界を突破する。繊細なのか直情型なのか、意外と解り易い性格だとキリアは考える。

 この馬鹿と比べれば、天と地ほどに。

「謝りました、カイムさんが昏睡している時に耳元で百回、目を覚ました時に土下座で四十回、夜寝る前のおやすみ代わりに二十回、謝りに謝り通しました。一生分のごめんなさいを一日で言いました。でも、カイムさんは最後にこう言ったんです。『もう来ないで欲しい』って」

「うん、それは多分おれでも同じ事を言うと思う」

 真顔で確りと首を立てに振る少年をちらりと見ると、ガリーナは今迄で一番の大きな溜息と共に肩を落とした。

「私、嫌われてしまいました……」

 喜怒哀楽の激しい少女ではあるが、大体が常に喜と楽の境をふらふら歩いているような人間なので、時折こうして落ち込むとその余りの差に傍から見ていて気の毒になってくる。キリアだって、出来る事ならば仲直りをさせてやりたいとも思うのだが、理由が理由だけにどうしようも無いような気もする。

 未だに村の入り口に出来た血溜まりが土に染み込んだために流れないのだ。あれ程の大怪我を負わされたら、キリアならば噛み付いて同じ目に合わせてやったかもしれない。

「……まあ、お前が悪いけど、一番悪いのはミミなんだよな……」

「なんでですか? ミミさんは関係無いでしょう」

 一切合財の記憶が吹き飛んでいるガリーナは、不思議そうな顔で今もカイムと同じ宿屋で寝泊りしている王都からの客を示した。何でもない、とミミに硬く口止めをされているキリアは、目を逸らして同じく草の上に座り込む。

 それきり二人は黙り込んだ。辺りを満たすは風の音と草の音、鳥の声、ガリーナの溜息。

 その時、

「あ……あの……っ」

小さな小さな声がして、二人はぐるりを見廻した。

 すると、何時の間に居たのだろう、見たことの無い顔の少女が不安げな表情で背後に佇んでいた。ガリーナと同年代だろうか、一見して目を惹くのはその明るい桜色の染髪だった。チョッパヤ通りの大工の息子が何かの実で緑色の染髪をしていたが、この村でこれほど鮮やかな色を出せる道具があるとは思えない。

 ガリーナは思わず自分の持っている桃色の布と見比べ、「ちょっとしつこいかな」と呟く。すると相手は体を震わせて、縮めていた身を益々小さくする。

 一方、キリアは桜色の髪よりも胸部に視線を置いていた。

「でけえ」

「えっ? あ、あの、ご、ごめんなさいやっぱり気持ち悪いですよね、変ですよね、すいません!」

 見知らぬ少女は両肩を抱きしめるようにして後退りをし、泣きそうな顔を作る。ガリーナがぺちんとキリアの額を叩いて叱責し、「何でしょうか」と笑顔で尋ねると、桜色の少女は眉を下げ、喉を鳴らし、二人の顔を交互に見比べ、実に長い躊躇の後にやっと声を出した。

「わ、わ、わたしと、しょしょ、しょ」

「しょ?」

「しょ、しょ、しょ……」

「あ、分かった。しょぼん玉ですか?」

 すると途端に少女は顔を歪めて目に涙を一杯に溜め、口の中ですいませんごめんなさいと呟くと脱兎の如く駆けていった。途中、石かモグラの穴かに蹴躓いて大いにすっ転び、ごろごろと転がりながら坂道を下ってやがて見えなくなった。

 二人には唖然とその様子を見送るしか術が無かった。

 春になればああいう変なのがぽこぽこと沸いてくるから不思議なものである。

「どなたでしょう、可愛い方でしたね。ちょっと挙動不審さんでしたけど」

「なあガリ、しょぼん玉って何」

 ガリーナは再び布に目を落とすと、大きな溜息を吐いてから立ち上がる。

「それより、カイムさんです。もう一度ちゃんとお話して、許して貰います。……許してくれると、いいなあ……」

「なあ、しょぼん玉って何」

「頑張ります、私。必ず許して貰います!」

 拳を握り、草原の果てを強い視線で見据える。一際大きな風が吹き、草色の波と共にガリーナの黄色のスカートもはためいた。

「しょぼん玉って」

 少年の問いかけも、最期まで答えを待たぬまま波の泡沫と消え逝った。


   +


 宿屋の前では、ちょっとした喧騒が発煙していた。

 三人の人間がてんでばらばらに――正確には二人が、我が我がと大きな声で喋っている。

「それならわたしの所に来てくれるね? うちは和気藹々とした素敵な職場ね。お給料もはずむよ」

「やめなさいよお、ハゲがうつるわよ。それよりあたしんとこに来てよう。サービスしちゃうから」

 目を爛々と輝かせて迫る頭髪の薄い小でぶ中年と、胸を強調した服の女性の二人に迫られ、絆創膏の青年は困惑したように身を引いていた。小でぶは九里金豚のファイ、女性はバーバババ亭の女給チタである。二人は火花を散らす目線を交わすと、更に声量を上げてカイムに迫った。

「ロードの料理長を務めたその力、生かせる職場は味覚の金字塔九里金豚しか無いね! さあいざ共にお玉を携え行進よ、同胞!」

「バーバババ亭は出会いの酒場! 昨日の涙が今日の笑顔、美人にお茶目に割れ鍋綴じ蓋、暑苦しい人情が売りの我が家へいらっしゃい!」

 カイムの引いた身はどんどんと傾斜を傾け、ずいずいと迫る二人の顔から逃れようと背は三十度近くまで反り返った。

 領主お気に入りの料理人がフリーになった、というのは彼らにとっては無視出来ない事態である。味方につければ心強い分、敵に回ると恐ろしい。そんな心理から、引き抜き合戦が進退これきわまるのも当然のことだと言えた。

 当の本人は幾度か言葉を挟もうと努力はしているようだが、口をぱくぱくさせるだけで二人の気迫にとても分け入る事は出来ない。しまいには二人の熱は急激に上昇し、カイムそっちのけで大喧嘩を始めてしまう。口を挟むことが出来ないので、ただその口論を眺めることしたカイムは、ファイが実はカツラだとかチタの胸は偽物だとか酒に水を入れて薄めて出しているとか彼氏が豪く個性的な顔だとかゴキブリ入りのスープを出したとか給料未払いだとか、有益な情報を手に入れることが出来た。

 だがすぐに飽きた。

 絆創膏を弄りながら宿屋の玄関にもたれ掛かってひらひらと舞う蝶を目で追っている所へ、派手な格好の副村長がやって来た。

「客人、具合はどうだい? まあ急がずに、全快するまでゆっくりしてけや。田舎もいいもんだろ」

 彼は一瞬だけ悪口雑言戦争を一瞥し、すぐに笑みを作ってカイムと向き合う。カイムは会釈して、「もう平気です」と返した。

「ところで、領主の屋敷が局地的な嵐だか何だかで滅茶苦茶になっちまったって聞いたが、あんたこれからどうするつもりなんだ?」

「その事なんですけど、出来ればこの村に住まわして貰えないでしょうか。元々が風来の者ですから、一つの地に長く居過ぎるのも性に合わなくて。どこか空いている部屋にでも」

 そりゃ願ってもない、とマーブルは口の端を上げて青年の肩を叩いた。

 最近は王都主義と呼ばれる世代の若者がどこでも増えていて、将来ある若い者ほどお洒落な王都にと流出してしまう。この村も例外ではなく、村内会書記官が計算したところによると、現状のままでは百年後には人っ子一人居ない廃村になってしまうという結果が出た。ただし、この計算では産まれる子供の数を計算に入れなかった為、甚だ信憑性に欠けるというのがもっぱらの噂である。

 とにかく、重鎮連中にしてみれば若者が一人増える事は村の為にも良い、という訳だった。

 マーブルはカイムの肩に手を回し、辺りを見廻してから声音を落として囁くように言う。

「ひとつ、良い空き屋敷がある。村外れという多少利便性には欠けるが、まあ小さい村だから問題無かろう。庭付き二階建て地下倉庫あり、裏庭には井戸があって付いてくる土地も十・十トーマス(注釈:トーマスおじさんが十人寝っころがった長さの二乗)、厩もある。どうだ? 良い物件だろ。というか他に空家は無い」

 青年は豪勢な単語が連なるにつれて徐々に渋面を作り、老人の派手な色眼鏡の奥を見据えて低い声で尋ねた。

「……で、お値段は」

「タダだ」

「タダぁ!?」

 声がでかい、とマーブルが小さな声で怒鳴ると、カイムは口を引き結んで眉を顰めた。

 そんな立派な屋敷ならば、月々最低七万エンスは出さねばならないのが普通だろう。勿論、領主からしこたま奪い取った退職金やら何やらで彼にとっては払えない値段ではなく、寧ろ千万エンス程度ならば買い取る事も可能である。

 そんな屋敷がタダ。

「…………胡散臭い」

 ぽつりと呟いた青年に、マーブルは慌てて言葉を継いだ。

「理由があるんだよ! 七十年近く前に主が出てったきり、放ったらかしでな。あちこちガタが来てるから修理やら何やらが必要で、そんな金は誰も出せないしで。ま、一度見てくれりゃ解るがそれでもそんなに悪くない」

 早口に言って肩を竦め、副村長は小さく頬を引き攣らせる。カイムは訝しげにそんな相手を眺めていたが、熟考の末やがて頷き、その提案を受け入れる事にした。

「では、その家までの道筋を――」

「あのう」

 控え目な声が差し挟まれ、彼は口を噤んで一声を発した者を見返した。

 何時の間にか後ろにいたガリーナは相手の視線に引き攣り笑いを浮かべると、もじもじと両手の指同士を突付きあったりぐるぐる回したり印を組んだりと落ち着かない様子を表しながら、遠慮がちに言った。

「宜しかったら、私がご案内しますけど……」

「いや、いいよ」

 素っ気無いものである。

 カイムはそれきり少女から視線を外すと、先にたつマーブルを追ってさっさとその場を後にした。

 頭の後ろで手を組みながら、その鮮やかな別離を背後から眺めたキリアが吐息を漏らす。ガリーナは固まっている。二人の後姿が道の先の角を曲がって見えなくなる頃、少年は彼女の隣まで出た。

「……泣いてんの?」

「泣いてませんっ」

 ずびび、と鼻をすする音と共に小さな声が返ってくる。

 それを合図に、今までずっと延々と口喧嘩をしていたファイとチタが、料理人の居なくなったことに気付いてまた大騒ぎをし始めた。

「カイム君、どこ行ったね! 話はまだ終わってないよ!」

「そおよ、あたしんち来てくれるって言ったのに! 酷い男!」

 言っていないどころか、何一つ言葉を挟めずただ蝶々を眺めていたのだが。

「村外れのお屋敷に行きましたよ」

 落ち込んだ声で少女がそう言うと、二人は先程までの剣幕が嘘のように黙り込んだ。しんと耳に痛いほどの静寂が四人を包み、お互いの顔を見合わせたファイとチタは、「仕方無いね」「また今度ね」と落胆しつつもその場を後にする。

 キリアが頭を掻きながら、地面に生えたつくしを足先で突付く。

「なんであんな所に行ったんだろう、兄ちゃん」

「そうですね、いつ話しかけようかとどきどきしてたので二人の話は全然聞いてませんでした。そしてどきどきしただけ損でした。無駄に寿命が縮みました」

 死人のような声で俯いたまま言う。その顔はヴェールの陰になってキリアが見ることは出来ないが、恐らく世にも深く落ち込んでいるのだろう。

「見学、かな。好き好んであそこに行く奴なんかいないもんね」

 突付いても突付いてもつくしは起き上がる。

 頑張れガリーナつくしのように、と心の中で激励しながらキリアは続けた。

「――あんな幽霊屋敷」

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