最終話 「それでも回る」
コインランドリーに行く理由がなくなった。
そのことに気づいたのは、宇宙人――彼がいなくなってから、三日ほど経った夜だった。洗濯物は部屋の隅にたまり始めていたが、急ぐほどでもない。
だが、何となく洗濯機を回した。ドラムが回る。
水の音、泡、見慣れたはずの光景なのに、どこか新鮮だった。
その様子を眺めながら、僕はコインランドリーの蛍光灯や、乾燥機の回転音を思い出していた。
洗濯槽の奥に映る自分の影が、揺れるたびに形を変える。
その不確かさが、妙に今の気分に似ている気がした。
それから一カ月後の夜。僕は久しぶりにコインランドリーへ足を向けた。
初めて来たときから変わらず、夜空を背景にした真っ白い看板は何だか浮いて見えた。
理由ははっきりしている。洗濯ではない、確認だ。
だからこそ、洗濯物も持ってこなかった。言い訳はもう必要ない。
自動ドアは相変わらずの速度で開いた。
蛍光灯は全て点灯している。誰かが交換したのだろうか。これも変化だ。
深夜だというのに、やけに明るい。
中に、彼はいなかった。
当たり前だ。最終観測は終わった。
それでも、僕は無意識に、あの位置――彼がいつも立っていた洗濯機の前を見てしまう。
空っぽだ。
ベンチに腰掛ける。
何も入っていない乾燥機が、静かにたたずんでいる。
僕は、硬貨を一枚取り出した。
迷ってから、乾燥機に入れる。
ドラムが回り始める。
熱風が、空の内部を循環する。
彼が言っていた言葉を思い出した。
――余白です
進路相談は進んだ。本格的に院試の準備も始めなくてはならない。
将来のことは、相変わらずはっきりしない。周囲と比べて焦る夜もある。
けれど、以前ほど「止まっている」感じはしなかった。
回っている。
たとえ空でも。
乾燥機の表示が、静かに数字を減らしていく。
残り7分
止まること、迷うこと。
それ自体が、異常ではないのだと、もう知っている。
乾燥機が止まり、終了音が鳴る。
僕は立ち止まり、ドアに触れた。中は、相変わらず空だ。
それでいい。
外に出ると、夜風が頬を撫でた。
街は変わらず、信号機は色を変え、誰かの人生がどこかで回っている。
自転車にまたがり、ペダルを踏み出す。
観測されなくなっても、記録されなくなっても、日常は続く。
そして、たぶんそれこそが、人間という現象なのだ。
遠くで、洗濯機の回転音がした。それはもう、聞き間違いかもしれない。
それでも、僕は思わず呟いた。
「ありがとうございました」
誰に向けた言葉かは、分からないまま。
夜は、静かに回り続けていた。
これにて完結です。
拙い小説でしたが、ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。




