第四話 「最終観測」
それから二週間後、大晦日の夜。僕は実家に帰省せず、夜遅くまでバイトの予定を入れていた。この時期は帰省する人が多く、シフトが組みづらいのだ。
帰宅した時にはすでに二十三時過ぎだった。
僕はすぐに家を出て、自転車をこぎながらコインランドリーへ向かっていた。
洗濯物は持ってこなかった。けれど、どうしても今日はあそこに行かなければならない気がした。理由は説明できない。ただ、そう思っていた。
自動ドアが、いつもより遅く開いた気がした。
蛍光灯は半分だけ点灯し、残りは薄く瞬いている。
彼は、そこにいた。
いつもの洗濯機の前ではなかった
彼はメタリックな服を着て、洗濯機の列と乾燥機の列のちょうど中央、まるで空間そのものを測量するような位置に立ち、静かに周囲を見渡している。
「こんばんは」
彼は、こちらを向いて軽く頭を下げた。敬語だった。
「やっぱり、ここに来てましたね」
「はい。本日が最終観測日だったので」
その言葉は、予告のようで、報告のようでもあった。
胸の奥で、何かが音を立てずに沈んだ。
「……最終、ですか」
「はい。この地点における観測は、本日で終了となります」
僕は何か言おうとして、言葉を探し、見つからなかった。
彼はそれを待つ様子もなく、淡々と続ける。
「君の進路相談の結果は、拝見しました」
「え」
「大学院に進むことにしたんですね」
なぜ知っているのか、という疑問は浮かばなかった。
もう、そういう存在だと理解していた。
そうだ、彼は最初から自分をそう言っていたじゃないか、宇宙人だと。
「正直、まだ不安です」
「当然です。不安のない選択は、選択と呼べません」
彼は乾燥機のドアに触れた。中は空だ。
それでも、硬貨を入れ、スイッチを押すと、ドラムはゆっくりと回り始めた。
「この機械は、本来、何も入っていない状態で稼働することを想定していません」
「無駄ってことですか」
「いえ。余白です」
乾燥機の回転音が響く、一定のリズムを刻む。
「君の人生も、現在は余白の時間に入っています」
「…余白って、必要なんですか」
「はい。これからの記述のために」
彼はそう言って、初めてこちらを正面から見た。
その視線は、測定器のようでありながら、不思議と冷たくなかった。
「君は、自分が何者になるかを、まだ書いていない」
「でも、周りはどんどん書き進めてます」
「比較対象を誤ると、文字は歪みます」
蛍光灯が一つ、消えた。
「私たちの文明では、完成した個体は観測対象から外れます」
「完成?」
「変化しなくなるからです」
彼は、少しだけ間を置いた。
「君は、まだ変化している」
それは、誉め言葉のようにも、別れの言葉のようにも聞こえた。
「もう、会えないんですか」
僕は、ようやく尋ねた。
「確率は低いでしょう」
「ゼロではない?」
「ゼロではありません」
乾燥機が止まり、電子音が鳴った。
終了を告げる音だ。
「最後に、何か聞いておきたいことはありますか」
僕は考えた。
宇宙のこと、文明のこと、未来のこと、いくらでも思いつく。
それでも口をついて出たのは、もっと個人的な疑問だった。
「……あなたは、楽しかったですか。ここで観測して」
彼は、少しだけ首を傾げた。
「感情という概念は、私たちには限定的にしか存在しません」
「それでも」
沈黙。
そして、彼は答えた。
「有意義ではありました」
それは、彼なりの最大限の肯定だったのだと思う。
自動ドアが開き始める。
「では、失礼いたします」
「ありがとうございました」
僕は頭を下げた。彼も、もう一度頭を下げた。
「こちらこそ。観測にご協力いただき、感謝いたします」
ドアが閉まり、彼の姿はなくなった。
乾燥機の中は、空のままだった。
それでも、僕はしばらくその場を動けなかった。
しばらくして、僕はいつも通り、安っぽいベンチに腰を下ろした。
夜明けの光が、ガラス越しに差し込み、床に長い影を作る。
影の形は、少しだけ、前よりもはっきりしていた。
次が最終話です。




