第二話 「乾燥機と時間」
洗濯機が直ってから、しばらくはコインランドリーに行かなかった。
宇宙人と遭遇した次の日、管理会社に電話をすると、業者は翌日の昼過ぎにやってきて、洗濯機の裏側を開け、劣化した部品を交換した。それだけで、あれほど唸っていた機械は何事もなかったかのように回り始めた。「よくある故障ですよ」と業者は言い、工具を片付けて帰って行った。
回転するドラムを眺めながら、僕は妙な気分になった。
直ってほしいと思っていたはずなのに、胸のどこかが落ち着かなかった。壊れた洗濯機は、簡単に「元通り」になってしまった。
――それが、あなた方の強さです
彼の言葉が思い浮かんだ。
それから数日、洗濯は家で済ませた。
音は正常、水も漏れない。問題は何もなかった。
それなのに、夜になると無意識のうちにコインランドリーの白い光を思い出している自分がいた。
金曜の夜だった。
バイトから帰ると、洗濯機を回す。洗濯終了のアラームが鳴ったが、僕は洗濯物を干さずに、ビニール袋へと詰め込んだ。
アパートを出ると、冷たい夜風が吹いていた。
昼間は夏の気配が近づいているというのに、夜になるとまだ少し冷える。空気は澄んでいて、街灯の下を歩くと影がくっきりと伸びた。
コインランドリーの自動ドアが開く。
あの匂い。洗剤と乾いた布の混ざった、少し人工的な匂い。
そして、奥の方に、やはり彼はいた。
大型乾燥機の前に立ち、ドラムの回転を見つめている。
相変わらずメタリックな服で、まるでこの場所に溶け込む気がない。
「こんばんは」
「こんばんは。再訪ですね」
まるで偶然ではないかのような口ぶりだった。
「分かってたんですか?」
「確率が高かった。あなた方は、同じ環境を選び、好む傾向にあります」
「……そんなに分かりやすいですか」
「はい。あなた方は、自覚しているよりも規則的です」
僕は洗濯物を乾燥機に移して、硬貨を入れた。
ボタンを押すと、ドラムが回り始める。残り時間の表示が点灯した。
「今日は乾燥だけなんですね」
「洗濯機は直りましたから」
「それでも、ここに来ました」
言い返せなかった。
この夜、彼は「時間」の話を始めた。
唐突だったが、不思議と違和感はなかった。
「あなた方は、時間を測定しますが、同時に歪めています」
「歪める?」
「同じ十分が、同じ価値を持たない」
乾燥機の中で、シャツが何度も裏返る。
「あなたが大学で受けている講義の十分と、待ち時間の十分と、眠れない夜の十分は同一の価値ではありません」
「…確かに」
「我々の文明では、時間は均一でした。一秒は常に一秒で、意味の差異は存在しない」
「それって、楽そうですね」
「効率的です。しかし、豊かではありませんでした」
残り時間の表示が、一分減る。
僕は、無意識のうちにスマートフォンを取り出していた。通知は特にない。それでも画面を見てしまう。そんな僕を見て彼は言った。
「あなたは、待つことが苦手です」
「…分かります?」
「開始から五分で、三回画面を確認しました」
言われて少し恥ずかしくなり、スマホをポケットにしまった。
「あなた方は、待ち時間を“空白”だと考えます」
「空白じゃないんですか」
「いいえ。最も多くの思考が発生する時間です」
乾燥機の回転音が、規則正しく響く。
何も起きていないように見えるが、内部では確実に変化が進んでいる。
僕は、乾燥機の前のベンチに座った。
ただ、回転を見る。
最初は落ち着かなかった。何かしなければいけない気がして、体がそわそわする。
だが、しばらくするとその感覚は少しずつ薄れていった。
シャツが絡まり、ほどけ、また絡まる。
完全に整うことはない。それでも乾いていく。
「あなたは、いつも“次”を考えています」
彼が言った。
「次の講義、次の課題、次の選択」
「そうしないと、置いていかれる気がして」
「誰に?」
答えられなかった。そんな僕をよそに、彼は話を続ける。
「我々は、常に“今”だけを観測しました」
「未来は?」
「計算結果として存在しました。しかし、体験はしませんでした」
乾燥機の終了音が鳴った。あっという間のように感じた。
取り出した洗濯物は、まだ少し温かい。完全に整ったわけでもないが、確かに乾いている。
「待つことも行為です」
彼はそう言った。
外に出ると、夜の空気が少し変わっていた。時間は確実に進んでいる。
だが、その進み方は、思っていたより静かだった。
歩きながら思った。
すぐに答えが出なくてもいいのかもしれない、と。




