第7話:再会の斧
町を離れて森の道に入ってから、ずっと胸の奥がざわついていた。
――聖女の力には光が付き纏う。
倒れた馬に触れた瞬間、掌からあふれた眩い光。明らかに折れていた馬の足が光に包まれて治ってしまった。興奮していた馬の尻に切り付けられた痕があったのをロージィは見逃さなかった。故意につけられた傷だ。それすらも治ってしまい、もう証拠も何も出せないけれど。
――私を襲うように、誰かにけしかけられたのでは。
けれど、その場には大勢の人がいた。私がいたのは偶然で、誰か別の人を狙ったものだったのかもしれないし、全くの事故だったかもしれないけれど。
それよりも何よりも、市場の人々も、商人も、通りすがりの旅人も、私を驚いた顔で見ていた。
光が消えたあと、ざわめきが広がるのを耳で感じてしまった。
もし、これが噂になって広まってしまったら。
それが余計に不安を煽った。
「……ねえ、カイル」
森道を歩きながら、私は勇気を振り絞って声をかけた。
「もし……もし、あの噂が広まったら、どうなるの?」
彼はすぐには答えなかった。長い沈黙のあと、低い声で言った。
「人は光を恐れもすれば、崇めもする。だが――どちらにせよ、お前の自由は奪われる」
ぞっとした。
人々に囲まれる自分の姿が頭に浮かんだ。牢獄のような宮廷、知らない誰かの命令に従って癒しの力を使わされる日々。冷たい泉で、息絶える私…。あの夢が、現実になる。
「そんなの……いやだ」
「わかってる」
短くそう告げ、彼は歩みを止めずに剣の柄に手をかけた。
「だから、俺が守る。何があっても」
真っ直ぐな背中を見つめながら、私は言葉を飲み込んだ。
その時だった。
風が止まり、鳥の声が消えた。
カイルが小さく手を上げる。
「……つけられてる」
耳を澄ますと、枝の軋む音、草を踏む微かな気配。胸が高鳴る。
「ロージィ、後ろに下がれ」
彼の声が落ちた瞬間、木々の間から影が飛び出した。
黒ずくめの男たち。五人。全員が短剣と軽鎧で武装している。動きは盗賊よりも整然として、まるで訓練された兵士のようだった。
「小娘……いや、聖女殿。おとなしく来てもらうぞ」
ぞわり、と背筋が冷える。王国の追手だ――そう直感した。
カイルが剣を抜く。甲高い金属音が森に響き渡る。
「ロージィ、逃げろ!」
「でも――」
「いけ!」
言葉が鋭く胸を刺す。けれど足はすくんで動かない。
兵たちが一斉に襲いかかり、カイルの剣が火花を散らす。
彼は速い。鋭い。けれど、相手は五人。背後から迫る気配に気づき、私は息を呑んだ。
「カイル!!」
必死に叫んだ瞬間、体の奥が熱くなる。掌が勝手に光を放ち、後ろから襲いかかった兵を弾き飛ばした。
「――っ」
自分の声にならない声が漏れる。兵は呻き、地面に倒れ込んだ。
「……また出ちゃった」
膝が震える。怖い。でも止められなかった。
「聖女は癒ししかできぬと聞いたが、これはまたじゃじゃ馬な姫だ」
だが、残る兵は四人。彼らは動揺しながらも構えを整え、じりじりと迫ってくる。
カイルは必死に立ち回るが、押し切られそうだ。私を守りながらだからだ。逃げないと。どこかに隠れないと。
「ダメだ、このままじゃ――」
その時。
「下がってろ、ロージィ!」
低く太い声が森を震わせた。
横合いから飛び込んできた巨躯。
大きな斧が一閃し、兵士の剣を粉々に叩き折った。
土煙の向こうに見えた背中。
見間違えるはずがない。
「……ジョッシュ!」
彼は無造作に斧を振り回し、二人を一気に薙ぎ払った。
力任せのようでいて、打ち込む角度は正確。何より経験がにじみ出ている。
追手たちは明らかに怯み、互いに顔を見合わせた。
「くそっ、引け!」
一人が叫ぶと、もう一人はあっさりと退いた。森の奥へと消えていく黒い影を、ジョッシュが見送る。
そして再び静寂が訪れた。
私は肩で息をしながら、目の前の大男を見上げた。
「ど、どうして……ここに?」
ジョッシュは額の汗を拭い、大きく息を吐いた。
「嫌な噂を耳にしてな。聖女を嗅ぎ回る集団がいると……まったく、お前関連だろうと思った」
がしがしと頭を掻き、彼は困ったように笑う。
「オレはもう騎士じゃない。だけどな、一度守れなかったからこそ……今度は守る」
その声は低く重く、けれど決意に満ちていた。
カイルがわずかに目を細める。
「……聖王国の人間か」
「昔はな。今はただの木こりだ」
二人の視線がぶつかり、空気が張りつめる。
やがて、ジョッシュは斧を肩に担ぎ直した。
「ともかく、オレも行く。お前には任せられねえし、ロージィを一人で危険にさらすわけにゃいかねえ」
ぐっとカイルが眉を顰めるが、今回はジョッシュがいなければどうなっていたかわからなかったのも確かだ。
「……助かった。礼をいう」
「勝手に決めないでよ!」と私は口を尖らせたけど、本当は胸の奥では、少しだけ安心していた。
ジョッシュは父のような、兄のような、ロージィにとっては甘えることが残された唯一の家族だ。一緒に来てくれるのはとても嬉しい。俯き加減のロージィの口元が僅かに緩んだのを、カイルは見とめて視線を逸らした。
こうして三人の旅が始まった。
それぞれに秘密と傷を抱えながら――。




