第12話:またいつか
季節は、初夏の風が若葉を揺らす頃だった。
谷間を抜けた先に、静かな村があった。聖王国の庇護の下にありながら、人々が穏やかに畑を耕し、子どもたちが笑い声をあげて走り回っている。山には実り多い果実や木の実が育ち、流れる川は清らかで、時折魚の鱗が光で反射する。
羊の群れが若い芝を食べ、鶏も自由に村を闊歩する。卵を集めるのは幼い子供たちの仕事である。
ロージィはそこで、ようやく腰を落ち着けることになった。
村外れに建てられた小さな家。花の種を植え、裏庭には薬草を並べ、台所には干したハーブが吊るされている。
――彼女の「居場所」が、そこにあった。
ある日の夕暮れ。
戸口を叩く音がして外に出ると、カイルが立っていた。
「……来てくれたんだ」
ロージィが微笑むと、彼は真面目な顔でうなずいた。
「行く前に、きちんと別れを言っておきたくてな」
旅装束のままの彼は、もうこの村を離れて、聖王国へ戻るつもりらしい。
短い沈黙のあと、カイルは真剣な瞳でロージィを見つめた。
「ロージィ。これから先、道は楽じゃない。王国はまだ諦めていないだろう。……だが、俺は信じてる。お前なら、きっと自分の生き方を選び抜ける」
その声に、胸の奥がじんと熱くなる。
ロージィはそっと手を握りしめた。
「ありがとう、カイル。あなたがいてくれたから、私はここまで来られたの」
彼の表情がわずかに揺れる。けれど、言葉にはしなかった。
その代わりに、右手を差し出す。
「……また会おう、ロージィ」
「うん。また、きっと」
二人は固く手を握り合った。ほんのわずか、離すのが惜しいように。
やがて、村を見下ろす丘で、ジョッシュが待っていた。大きな斧を肩にかつぎ、どこか懐かしそうに笑う。
「何も言わず、行っちまうのか、カイル」
「ああ。私はまだ、やらなければならないことがある。それに……ロージィに見合うだけの男にならないと。せめて、あんたに認められるぐらいのな。だからそれまでの間、ロージィを頼む」
「言われなくても。……俺はあいつの《《保護者》》だからな。だが、あんまり待たせんじゃねぇぞ。他にも狙ってる男はいくらでもいるからな」
村を見上げると、ロージィがまだこちらに向かって手を振っていた。
「ロージィももう16歳になったからなぁ。どんどん綺麗になるぞ、俺たちの姫さんは」
「全くだ。急いで用事を済ませてこなければ」
「用事ってのは、あれか。あっちの国のことだろ?」
「……ああ。あの日のロージィの呪詛が神の耳にも届いたらしい…。そろそろだろうから。私も最終決着をつけにいかなければ」
「そっか。まあ、お前だったら問題ないだろうが…、気をつけていけよ」
もう血と炎に追われる旅路ではない。それでも、心の奥で繋がっている。
夕焼けに染まる空を見上げながら、ロージィは思った。
――この旅は終わりじゃない。形を変えて、これからも続いていくのだと。
カイルの背が、丘の向こうに消えていく。
ロージィはその姿を目に焼き付け、ゆっくりと家へと歩き出した。
ここで生きていく。聖女として、人として。
そして、またいつか。
終




