中学卒業編
【中学3年生、春】
「櫻井さん、ミッシェル聴くんだ」
誰もいなかったはずの教室で、机に突っ伏しながら音量を最大まで上げてミッシェルガンエレファントのギアブルースを聴いていた。ダニー・ゴーが終わり、溜めきれなかった涙を拭いながら次のCDに入れ替える時に、そうやって声を掛けられた。
「音、すごい漏れてて気になったからさ」
「ごめん、うるさかったよね」
「そういう訳じゃなくて…ミッシェル聴いてる人が同じクラスにいたんだなって」
「渡辺くんも聴くんだ。…良いよねミッシェル」
会話が続かない。そもそも彼、渡辺聡くんとはこの1年間で話した記憶がない。まさか卒業の日に初めて話すとは不思議なものだ。
「渡辺くんは行かないの?打ち上げ」
「なんとなく分かるでしょ。行っても困らせちゃうだけだ。それに…そんな気分でもない」
なんとなく分かる。本当にそうだ。渡辺くんはお世辞にも言えないくらいクラスに馴染んでいなかった。印象でしかないが無口で進んで打ち解けようとしないし、容姿は悪くないと思うけど、ボサボサな髪と無骨な眼鏡が地味に見える。それに、はっきり言って変わり者で敬遠されていたと思う。
「櫻井さんは行かないの?」
「なんとなく分かるかもだけど、渡辺くんと同じ。多分居場所ない。それに…失恋したばかりなんで一緒の空間にいるなんて絶対無理」
「あーあれか…内野のあれは引いたなぁ」
私、櫻井由佳もお世辞にもクラスに馴染んでいるとは言えなかった。色々とあって腫れ物扱いだったから仕方ない。私も私で学校に居場所を求めていなかったのもある。
それでも人並に恋をした。理由は単純明快で内野くんの顔が良かった。中学生の恋なんて単純なもので、顔が良いと思えば他のあれこれも魅力的に思えてしまうもの。恋は盲目なんて比喩は多いが正にそれだった。
その内野くんが先ほど教室で大々的に前川さんに告白した。教壇に立って「みんな聞いてくれ!」なんていきなり言うからちょっとビックリした…いや引いちゃったけど、告白は見事に成功。2人は卒業の日に相応しく、めでたく付き合いました。クラス全体(一部を除く)で浮かれムードで打ち上げしにカラオケに向かっていった。
そして1人教室に残った私は、儚く散っていった恋心がそうさせるのか、最後なのに誰に気付かれる事なく置いていかれた虚しさからか、涙がこぼれそうになるのを必死に堪え、逃げるように爆音のロックンロールを聴く事になったのだ。結局は堪えらなかったのだが。
「本当にね。なんであんなの好きだと思ってたんだろう」
「最後の日で良かったのかもね。それに気付けないまま卒業しなくて良かった。夢に夢見たとでも思いなよ」
「hideの曲でそんなのあった気がする。それで渡辺くんは?打ち上げ行かないのは分かったけど、なんで帰らないの?」
「うーん。本当は話す事ではないけど、最後だから別に良いか。親が離婚するんだ。それでどっちと一緒に住むか今日中に決めなきゃいけない。でも、まだ迷ってる」
「最後だからって、初めて話すには重すぎるでしょ。まぁ良いけど。じゃあ最後だから聞くけど、なんで離婚する事になったの?」
「良いね、こういうノリは嫌いじゃないよ。親父が病気でね、後1、2年持たないかってくらいなんだけど、そんな中で母さんが浮気してるのが分かってね。言っててなんだけど、すげぇ気持ち悪いな。前から仲悪かったけど、とうとう限界になっちゃったんだろうな」
「それだけ聞くと、お父さんに着いてってあげなよって言いたくなるんだけど。言っちゃ悪いけど、最悪じゃん、お母さん」
「最悪だよね。でも後先考えるとさ、親父といると最期の方は多分付きっきりになる。そしたら学校も行けなくなる。最悪辞めなきゃいけないかも。母さんの方に行けば、一応そういう心配はなくなるだろうな。でも…正直歓迎はされてない感じなんだよね」
「そりゃそうでしょ、はっきり言って渡辺くん邪魔だもん」
「ハッキリ言い過ぎじゃないかな?でもそうだよなぁ。分かってるんだよ本当は。でも絶対これは人生の岐路ってやつなんだよ、そう簡単に割り切れるもんでもないんだよなぁ…」
そう言って渡辺くんは大袈裟な動きを付けながら机に突っ伏した。沈黙が訪れる。
私はそっと渡辺くんの前の席に移動した。2人しかいない教室で中途半端に離れて話すのも、それはそれで良かったけれど、どうにも遠くて話しにくい。それに私と彼には今これが必要だ。
「ミッシェル、一緒に聞こうか」
「は?」
2人で聴くにはイヤホンの長さが足りない。仕方ないからイヤホンを限界まで裂くことにした。どうせ大して上等な代物でもない。
「そのまま顔上げないでね、流石に面と向かうのは恥ずかしいから」
「…ん」
短い返事を了承と受け取り、渡辺くんの片耳と私の片耳にイヤホンを挿した。選んだのはミッシェルガンエレファントのTMGE106。所謂ベスト盤だ。
「うわ、音割れすぎてない?音デカ過ぎだよ」
「これでいいの。動けない時は限界まで大きい音で聴いて、頭の中をロックンロールで一杯にするとさ、余計な事を考えられなくなるんだよね。それに、ミッシェルの声はすごい力がある」
「それはそうだね」
「だから今はミッシェルを聴こう。きっと世界の終わりが流れる頃には何も余計な事は考えてないから。それが一瞬でもさ、私にも渡辺くんにも多分それが必要だと思う」
そう言って私は目を閉じた。本当はさっきと同じように机に突っ伏したかったが、初めて話す男子と頭をくっつける近さにいて平常心を保つ自信はない。椅子の背もたれに背中を付けて、机には肘を置いて落ち着いた
この場面を他の生徒に見られたら付き合ってると勘違いされるだろうなと思いながらも、それも数日もすればどうでも良くなる。渡辺くんには悪いけど、今更噂話が一つ二つ追加されても痛くも痒くもない。それに高校生活が始まれば、隣の県の、それもローカル線を乗り継いで通う私は同級生に会うことがほぼなくなるだろう。それを狙った訳ではなくて、結果的にそうなっただけの副産物だけど、ほっとしているのは確かだ。
ふと目を開けて、綺麗に彩られた黒板を見てみる。卒業おめでとう!最高のクラスだったよ!なんて文字がカッコ良くデザインされて描かれていた。デザインセンスはとても良いと思うけど、そのメッセージは誰に当て嵌まるものではない。私にとってはこのクラスだろうが他のクラスだろうが別にどうでも良かった。思い入れがないのだ。つまり最高ではなかったよ、とせせら笑ってしまいそうになる。私が青春を謳歌出来なかった自嘲的な意味も多く含まれている。
再び目を瞑って耳に意識を集中する。次第に頭の中が音で満たされていくのを感じる。こうやってネガティブな考えを追い出して、ロックンロールに酔いしれる。この瞬間がとても好きだ。ムカついて、辛くて、悲しくて、そんな感情を全部一緒くたにして、全部まとめてどうでも良いやって気分にしてくれる。そうやって私はなんとか救われてきたし、こんな私に話しかけてくれた渡辺くんも救われてほしい。
1時間と少しのCDが流れ終わり、プレイヤーが止まる。自動リピートにはしていない。轟音で聴いた後の余韻に浸る時間も大切だと思う。きっと、頭に思考と感情を再び受け入れる準備をしているんだ。
「やっぱかっけーや」
「うん、かっこいいよね」
CDが止まってから3分位は経ったかというところで渡辺くんが口を開いた。シンプルだがミッシェルはかっこいい。
「少し話が変わるんだけどさ、昔の雑誌でさ、ブルーハーツのヒロトが『学校なんて椅子と机があるんだから居場所はあるんだよ、友達なんていなくていい、誰とも揉めない練習をするところんなんだよ』みたいな事を言ってたらしいんだよね」
「うん」
「それ聞いた時は、友達いないって結構きついの知らねーのかよって思ったけど、今はちゃんと学校に来て、誰とも特に揉めることもなくて、それでちゃんと卒業してさ。ヒロトの言ってる通りになってさ。これで良かったんじゃんって思えてるんだよね」
「確かに私も渡辺くんも揉めたって事はこの1年なかったよね。まぁ誰ともほぼ関わらなかったって事でもあるんだけど」
「そこは結果が全てでいいんじゃない?誰とも揉めずにやり過ごすスキルは俺たちにもちゃんとあるって事実が必要なんだ」
「そうかもね」
「最悪これ以上学校に通わなくても良いかもなって。だから、親父の方にくっ付いていくことにするよ」
「うん」
もしかしたら無責任に重大な決断をさせてしまったかもしれない。そう思うと重い気不味さを感じて言葉に詰まる。もっとも、あくまで決断したのは渡辺くんであって、私の影響などミジンコと同程度だと思う。きっと答えは決まっていた。私との時間は整理する時間を設けただけだろう。
「櫻井さんはどこの高校行くの?成績良さそうだし、東高あたりかな?」
「そんないいとこじゃないよ。みんなが知らなそうな学校なんだ。ここではない何処かへと、と思いましてね」
「グレイの曲だね。櫻井さんとは音楽の話がいつまでも出来そうなのが少し悔いが残りそうだ」
「グレイはお父さんが好きだったんだ。生きてた頃は全く聴いてなかったのに、死んじゃってから聴き始めたんだよね。なんとなく知ってるでしょ?うちのお父さんのこと」
「んー、噂程度だけどね。転校してくる前の事だから、正直あんまり興味もなかったし。あと、とても言いにくい事だけど、本人を前にしてその話をするには、なかなかの度胸が必要そうだ」
「そうやってされたのが腫れもの扱いなんだけどね。気軽にその事を話されても困っちゃうけどさ。別に私が別人に変わった訳でもないのに」
2年生の秋、私の父は殺された。いわゆる通り魔殺人というやつで亡くなった被害者は5人。そのうちの1人が父だった。当時は絶賛反抗期であった為、素直になれないのもあったが、その頃は会話らしい会話をしていなかった。文句ばかり言って困らせていたかもしれない。いや、確実に困らせていた。今なら分かるけど、普通の父で、私には最高のお父さんだった。
父が亡くなり、悲しみに耽る事は出来なかった。複数人の被害者が出るような事件だから仕方ないが、連日テレビのニュースになっていた。困った事にウチにまでマスコミは押しかけてきていた。最初は気が紛れるからと、聞かれれば受け答えをしていたけれど、途中から世論の潮目が変わる。犯人の悲しい過去、虐待を受けてきたなどなど、犯人側が同情される要素が出てきた。すると、マスコミは被害者側に非がないかを探るようになっていた。どうでもいい共通点があればテレビで流し、近所に住んでいたらモザイク越しでも分かる人が適当な事をテレビで語り、どんどんと父が汚されていった。
もちろん学校でもその話題で持ちきりになる。仲が良かったグループの子たちは最初こそ庇ってくれる風潮はあったけど、気が付けば噂を流す中心的な人たちになっていた。世間がこの話題を忘れ始めて風化する頃には、私は学校に行かなくなっていた。
別に引き篭もりになっていた訳ではなく、私より先に母が参ってしまっただけの話だ。完全にノイローゼ状態で、目を離したら死んでしまうかもという不安があった。幸いな事にいいお医者さんを紹介してもらって、薬を飲みながらなんとか安定している。とりあえずは一安心だったが、それでも私は学校に行かなかった。やはり私も参っていたのかもしれない。でも辛いなんて、とても言える雰囲気ではないから、おくびにも出さないようにした。
父は音楽が好きだった。趣味でギターも弾いていた。素人目から見ても上手な部類に入ってるのは分かった。ふと気になって、今は遺品になったギターを何気なく弾き始めた。何度かは挑戦した事があったけど、それでもすぐに指の腹が痛くなった。それでも構わずに弾き続けた。初めは慣らすように慎重に弾いていたが、次第に力がこもっていく。Fが押さえらない私が曲なんて弾ける訳もなく、ただ適当に、コードもビートも関係なく、ただがむしゃらに弾いた。アンプに繋がれたヘッドホンが乱暴に音を返してくる。知らずに上げたゲインがハウるギリギリのところで留まり、絶えず爆発しているような音で頭の中が埋まっていく。いつの間にか無我夢中でギターを弾いた。
指の痛さが限界をとうに超えて、弦が血で塗れている。皮が捲れてるのは感触で分かる。痛い。だけど止めたくない。もっと、もっとこの音の中に入っていたい。痛みを誤魔化すように呻き声が漏れる。次第に濁音が付くような声に変わり、それが叫び声に変わる。声が続かなくなり、同時にギターを弾く腕と手が止まった。何も考えずにそのまま後ろに倒れ込む。鳴らなくなったヘッドホン越しに微かに聞こえる、激しく息切れしている私の呼吸音がとても愛おしく感じる。顔中が汗まみれになっている気がして、つい手を顔に乗っける。皮が捲れた指の腹が汗に触れ、きつく沁みた。手で拭って気が付いたけど、汗だけでなく涙が停めどなく溢れていた。時計を見れば朝の4時を過ぎている。約5時間もぶっ通しでギターを弾いていた事になる。こんな夜中に何をやってるんだと自分に呆れたが、この不思議な充足感はとても心地が良かった。父が亡くなってから今まで泣く事がなかった。泣く機会を失っていた。泣く事が許されないと思い込んでいた。今初めて泣いた。痛みで泣いてるのかもしれないし、今までの鬱憤が涙を流してるのかもしれないが、今はただ流れる涙が気持ちいい。それに分かった事がある。私はお父さんが好きだったんだ。
涙は放っておいて、流れるままに任せる。いい加減に止まった頃に、体を起こすと、横の鏡に赤い何かが写る。それは真っ赤に血が塗られた自分の顔だった。ホラー映画さながらの演出に心底驚いたが、なんとか声は出なかった。あれだけ叫んでおきながら、これ以上騒がしくするのは忍びない。折角、眠剤で眠れているお母さんを起こしてしまうかもしれない。極力音を出さないようにそっと移動する。これだけ汗をかけば体中がベトベトして気持ちが悪い。それにこの真っ赤になった顔。流石にシャワーを浴びたくなる。服を脱げば下着までびっしょりしていた。どれだけ熱中していたんだと思うと少し可笑しくなり笑えてきた。こんな晴れやかな気持ちになれたのはいつ振りだろうか。
次の日も、その次の日も毎日ギターを弾いた。暇さえあればギターを弾いた。母にもギターを弾いてる事は知られている。どういう感情なのかいまいち判断できないような顔をしていたが、黙って抱きしめてくれた。だから私も抱きしめ返した。それで2人して泣いた。気持ちを共有できた気がして幸せに感じた。
私は音楽にのめり込んだ。学校に行ってないから時間は山のようにある。その山のほとんどを音楽に費やした。音楽に使ってない時間は街の徘徊をしていた。もちろん同級生に会わないように深夜になる。中途半端に田舎なこの街では、0時も過ぎれば駅前だろうとほとんどの店が閉まっている。終電も迎えるまでもなく、静寂と微弱な光のみの世界だ。線路に架かる陸橋で自販機で買った甘めの温かいミルクティーを飲みながら暗闇を見るのが日課になった。深夜の冬の芯から凍えるような寒さが、心地よい孤独を感じられて好きだった。ちなみにこの頃の私は、どうせ学校に行かないからと髪を金髪に染めていた。私のイメージとしてはロックスターのつもりだったけど、知らない人が見れば間違いなく不良だと思うらしい。そんなのが深夜に陸橋に1人でいれば、警察から職務質問をされるのは当然だ。お酒や煙草を持っていないかチェックされ、それから名前と住所を伝えて「ああ、あの事件の…」となるのが毎回のお決まりだった。それで補導もされずに見逃してくれるのだから、ちょろいなって思ってしまう。余計な同情も特典だと思って受け取っておくが。そのうち顔見知りの女性警察官も出来た。他愛もないような雑談をしたり、時にはミルクティーを奢ってくれたりと、なんというか程よく気に掛けてくれた。多分だけど自殺しないか、悪い事に巻き込まれていないか、ちゃんとチェックしてくれていたんだと思う。変なおじさんや悪そうなお兄さんに絡まれた時も都合良いくらいに早く駆けつけてくれたし、きっとそういう事で私は守られていた。だから必要以上に擦れなかったし、完全に不良にならずに徘徊金髪少女だけで留まれた。
学校に行けずに2年生が終わる頃、母とこれからについてをちゃんと話し合った。母としては高校には進学して欲しいとのことだったけど、私は学校に対して興味が全くと言っていいほどになかった。むしろ恨んでさえいる。そんな中ではとても学校に行く気は起きない。それでも高校卒業まではしっかり育て上げると昔から父と決めていたと言われれば、それに逆らうことは出来ない。こうして金髪徘徊少女時代は終わりを迎え、健康優良黒髪ボブカットの通学編が始まった。
根が真面目なのもあって、勉強はすぐに追いつく事が出来た。それどころか勉強が楽しく思えた。友達は出来なかったが、1人に慣れれば学校に通うのはいつの間にか苦にならなかった。
誤算だったのは私立高校の全てに落ちた事だ。不登校の時の内申点が効いてるのか、それとも事件の被害者の娘という点で敬遠されたのかは分からない。結果的に落ちたという事実しかない。点数は悪くなかっただろうから、そんなどうでもいい事で落ちた事に落胆した。おかげで公立高校の本番はそれなりにレベルを落とす必要があった。それならばと、確実に受かれるような自由な校風が売りの、誰も行かないだろうと思われる場所に行きたくなった。
そうして受験勉強が必要なくなった私は、益々とクラスメイトたちと溝が深まる事になった。必死に殺気立ちながら休み時間も勉強しているような連中を尻目に、本を読んでいたり、CD聴きながら寝ていたりしていれば面白くはなかっただろう。ただ、邪魔をしていた訳ではないし、自分の為だけに頑張って勉強してるんだろうから、私を恨むのは筋違いだと思い、譲る事はなかった。そんな孤立を深める私に、無駄に顔が良い内野くん話しかけられて、簡単に舞い上がってときめいてしまったのが今は本当に恥ずかしい。
結局、私は中学校に通って後悔していないのか。普通の子みたいに、友達と話したり遊んだりという事はなかったのは確かだ。そんな風景を見るたびに、普通の子からズレてしまった運命を嫌うし、妬ましく思ってしまうのも確かだった。だからと言って、さっきの渡辺くんの甲本ヒロトの話と同じだけど、居座る場所は確かにあったし、表だったトラブルはないし、いじめられていた訳でもない。ただ友達がいなかっただけだ。普通の子と同じ事が出来ない事が悲しかったり、悔しかったり、妬ましかったりしてさっきは泣いてしまったけど、こんな状態でトラブルもなく無事に卒業できるだけでも実は結構すごい事なのではと思える。やっぱ甲本ヒロトは本質を貫くような歌詞を書くだけある。
「櫻井さんって思ってたよりも理屈よりも感情で動くタイプだったんだね。いつも静かにしてるから、勝手に感情があんまりないタイプだと思ってたよ」
「んーどうだろうね。感情があんまりない…とまではいかないけど、薄い方ではあるかも。考えてどうにかなる事だったら、ちゃんと考えてどうにかしたいし。でも考えてもどうしようもない事ってあるじゃん。そういう時は感情に任せるかも」
「あー、理屈っぽいけど理屈じゃないってとこが櫻井さんっぽいね。意外と単純っていうか…」
「渡辺くんは結構イメージのまんまかな。大袈裟な仕草に、こういう皮肉めいた演劇っぽい話し方。それでいて頑なに笑わないし、本音を常に隠してるっていうか。渡辺くん、他の男子のこと馬鹿にしてたでしょ?」
「別に本音は隠してないよ。ただ本音で話し合いたいような、そんな相手もいなかったし機会もなかっただけだよ」
やはりどこか演技めいたような話し方になっている。でもどこか見下してるような、これでは友達も出来ないのも無理はないと思う。人の事をとても言える立場ではないけど。
「私たち、こういう所が友達できない理由なのかもね」
「…そうかもねぇ」
お互いが痛い事を無闇に言ってしまった気がする。会話慣れしてない弊害かもしれない。
「そもそもだけど、友達ってなに?」
「とても友達が出来なさそうな人の台詞ね」
「まぁまぁ、そう茶化さないでよ。で、実際どういう状態が友達だと思う?」
今はこんな私とはいえ、父が亡くなる前は友達くらい普通にいた。深く考えることもなかったが、なんとなくな感覚レベルで分かる。
「気軽に話せる間柄かな?話す事にエネルギーを無駄に使わないような、そんな関係だと思う」
「なるほどね。僕もそう思うかな。だけどこうとも思う。話さなくても信用できる関係っていうのも親愛の間柄じゃないかな」
「それはもうちょっと奥な関係じゃないかなー。そこまでいくと親友ポジションね」
「そうかなぁ。それくらいいかないと、とても友達とは言えないと思うけどな」
「だから友達が出来ないのかもしれないね」
またやってしまった気がする。どうにも余計な一言が口から出てしまう。本当は口撃する気はないのだけど、何故か軽口を叩いてしまいたくなるのだ。
「それじゃあ、例えばの話しで。櫻井さんには迷惑な話かもしれないけど、僕は今、この中学に来てから初めて力を抜いて話せていると思うんだ。それは櫻井さんの無駄なエネルギーを使わない状態ってのに近い。それはつまり、僕は君の事を友人と思って良いのか、という事になってしまうんだ」
「あー…なるほど?うー、んん?」
突然に突拍子もない事を言い出す渡辺くんについ戸惑ってしまう。つまりは私と渡辺くんは友達同士なのか、という確認をされているのか。
「そうね、友人…友達かどうかかぁ。うん、今のこの感じは紛れもなく友達って感じかもしれない」
やや複雑な心情と照れてしまう様な展開に、少し顔が紅潮してしまい、尚更に恥ずかしくなる。だけど、言われた通りだと思ったのだから仕方がない。さっきから遠慮なく不配慮な言葉が出ているのもその証拠なのだろう。
「でしょ?でも僕が言ったような、話さなくても信用できるようなってレベルまでは届きやしない。だから君が言った通り、このくらいの関係が友達ってやつなんだよ」
「中学生最後の日に友達が出来るとは思わなかったな。でも最後の日だけ限定の友達っていうのも、少し儚くてロマンチックで素敵かも」
「最後の日だけ限定なの?」
「だって、今日この場から離れたら、多分会う事もない。高校生になっていつか見かけたとしても私は話しかけないと思うし、お互い同窓会なんてあったってどうせ行かないでしょう?だから今日限定」
「それもそうだね。でも今日限定でも、中学校生活で友人が1人もいなかったって事実よりも、1人は友人がいたって方が、この真っ暗な青春に少しでも色が付くよ。ヒロトには悪いけど、やっぱり僕は友人が欲しかったんだよ」
勘違いしていたけど、渡辺くんは意外と熱い男子だったらしい。彼は私に感情で動くタイプという評価をしていたけど、彼も同じじゃないか。
「私も渡辺くんと友達になれた事は忘れないかな。こんな私だけど、今日だけでも友達になってくれてありがとうね」
「よしてくれ。まじまじ見ながら言われると流石に恥ずかしいし、それになんでか泣きたくなるじゃないか」
本音とも冗談とも取れるような言い方をしているけど、この照れ隠しは本当だと思える。私もやはり恥ずかしさで横を向いて話してしまう。
「でも残念だけど。本当に残念だと思ってるけど、もうそろそろ帰らなきゃだね」
「そうだね。それじゃあ一区切り付いたし、帰ろうか」
「一緒に?」
「別々に」
「そっか。それじゃあここでお別れだね。櫻井さんの高校生活が今よりマシになるといいね。応援してる」
「渡辺くんもお父さんと頑張ってね。応援してる」
私は自然と手を出した。彼も意図を汲んで私の手を握ってくれた。思春期を迎えてから初めて男の子と握手をしたが、想像以上にしっかりとゴツゴツした手で、つい心臓が高鳴るが気取られないよう冷静を装いつつ、手を離した。
「それじゃあ先に帰るね」
「うん、僕はもう少し残ってから帰るよ」
こうして私の中学生活は幕を閉じた。
【25歳、夏】
「何回思い出しても切腹したくなるな…」
「あら、そう?私はちゃんと青春の1ページに消化出来たわよ」
「違うって…あの時はキャラが迷走してたっていうかさ、ほらさ」
言外に「分かるだろ?」と付け足されるが、分からない振りをしておく。
「あの時はまだ何も知らなくてさ。精一杯余裕のある振りをしようと頑張ってたんだって。10代って感じがして可愛いもんじゃないか」
「そういうキザったらしい言い回しが、昔の聡くんとあまり違わないけどね」
「そういう由佳こそ、歯に衣着せぬ言い方、あの時から全く変わってない気がするけどね」
「…お互いコミュ障なのは変わってないもんね」
「言うな、酒が不味くなる」
中学卒業のあの日から、なんだかんだ色々あった。そのお陰で、渡辺くんもとい聡くんとはこうやって普段から会っている。補足だけど付き合っている訳ではなく、所謂男女の仲という訳でもない。気が合う友人が定期的に遊んでいるだけ、という事になっている。向こうはそういうつもりなのだろう。私としては、少なからず異性として意識はしてしまっている。だけど今の関係が心地良い事に甘えて、先に進もうともしていない。いつまでこんな日が続くか分からないけど、出来れば当分終わらないで欲しいと思っている。
「あの頃の聡くんってさ、一人称が俺だったり僕だったりで、なんか定まらないのも演技っぽさを増長させてたけど、よくよく考えてみたら僕って言ってる時の渡辺聡は、真剣に考えてたり答えたりしてる時だったのかなって。そう考えたらこいつ分かりやすいなって思ったよ」
「だからあの時はキャラがね…まぁ由佳がうちに来始めてからはさ、親父の前だし変な繕いも出来なくなってさ。うん、あの時は本当にありがとうな」
「あの頃か、名前で呼ぶようになったの。慣れちゃえばどって事もないけど、初めて名前で呼ぶ時はすっごい緊張した」
そう。中学卒業してからも本当に色々とあった。青春としては辛すぎるような事も沢山あった。一生物のトラウマだってある。死にたくなるような事もあった。けど私は生きている。
「僕も由佳も、10代の頃は周囲の奴らと見比べてさ。それでうまく出来ない事に劣等感を感じてさ。それでもどうにか足掻き続けてさ、今はこうやって一緒に酒を飲むまでになった。今更だけど10代の時のコンプレックスなんて、結局そんなもんなんだな」
「10代の劣等感、なんかとってもロックを感じる言葉ね」
「確かに。それっぽく言うとティーンエイジ・コンプレックスって言うのはどう?」
「うーん、それだと限定的な気がしちゃうな。きっとさ、なんだかんだ言って、私と聡くんだけじゃなくて、もっと色んな10代の子が劣等感があって、日々戦ってるって思うんだよね。あの頃は自分で精一杯だったから気が付かなかったけそ。だからティーンエイジャーズって感じにしたいな」
「オッケー、それじゃあ『ティーンエイジャーズ・コンプレックス』、これで呼び方を統一しようか」
「うん、すごく良い。良い曲書けそう」
「どんなジャンルになりそう?」
「それは決まってるよ」
学もない。資格もない。そんな私でも10代の時の激情は誰にも負けない。10代の劣等感があったからこそ今の私がいる。
私はこれからも劣等感を持ちながらロックを愛し、それを奏でていく。
中学卒業編は終わりました。亀のスピードですが、高校編も書いていきたいと思います。
11,000文字。そこそこの長さだったと思いますが読んでいただきありがとうございます。