伯爵令嬢は最強の平民に嫁ぎます~お父様の命の恩人はただの平民でしたが、王を救って今は騎士。いずれは騎士団長に成り上がると噂の美男です。自分が嫁ぎたかった?残念、もう遅くてよ?~
1.平民との縁談
「お前たちのうちの誰かに、平民に嫁いでもらうことになってしまった」
お父様は、お母様と三人のお姉様とわたくしを書斎に集めると、いかにも絶望していると言いたげに、両手で顔を覆ってうつむいた。
「わたくしたちは伯爵令嬢でしてよ?」
「あなた、どういうことですの!?」
「なんで平民!?」
「平民なんて無理よ!」
お母様とお姉様たちが騒ぎ始めた。
わたくしも口にこそ出さなかったけれど、ひどく驚いていたし、事情を知りたかった。
この家の女たちは、わたくしも含めて、みんな金髪に青い瞳で、似通った顔立ちをしていた。
銀髪に琥珀色の瞳のお父様の前にあるライティングデスクの上には、封筒と便箋。
わたくしは広げたまま置かれていた便箋を手にとった。
手紙はテオドール・トリアンという男性からのものだった。
「辺境で約束してしまったのだ」
お父様は顔を上げ、助けを求めるかのように、わたくしたちを見まわした。
なんでそんな約束しちゃうの……。
「あれは私がいた宿営地が襲われた時だ。私が腹痛を起こして幕舎で休んでいると、敵兵が襲ってきたのだ! あの卑怯者どものせいで、こんなことになってしまったのだ!」
わたくしは知っていてよ、お父様。わたくしが何年、お父様の娘のオリビア・ライン・ランダーとして生きてきたと思っているのかしら。
卑怯者はお父様で、宿営地を襲った敵兵ではないのでしょう?
中村乃愛としてブラック企業で働きに働いて過労死し、転生してきた異世界では、自分の父親が卑怯者だったわたくしの気持ちも考えていただきたいわ……、って無理ですわね。
「私は勇敢に戦ったが、奴らは数で我らに勝っていた! 私がついに崩れた煉瓦の壁の裏に追い詰められた時、あいつと会ったのだ。あの平民のテオドールときたら、ずっと煉瓦の壁の裏に潜んでいたのだ!」
わたくしはお父様が剣を握っているところなんて見たことがないし、弓矢を手にして狩りに行くという話すら聞いたことがない。
お父様はなにでどうやって勇敢に戦ったというのかしら……。
勇敢に戦っていたのは『平民のテオドール』で、煉瓦の壁の裏に潜んでいたのはお父様よね。
「お父様が勇敢に戦っている間、その男は煉瓦の壁の裏に!?」
「まあ、なんという卑劣な男!」
「その方は、ずっとそちらに隠れていたのかしら?」
お姉様たちはすっかりお父様のお話を信じているようだった。
わたくしにはお父様を信じる要素なんてなにも見つけられないのだけれど、お姉様たちはなぜ信じられるのかしら……? いまだに疑問だわ。
お父様のお話のどこがおかしいのか、お母様とお姉様たちに説明して、理解してもらおうと努めていた時期もあったわ。
お母様とお姉様たちは、そんなわたくしに対して、生意気だとか、人を信じる心がないとか、意地が悪いとか言ってきた。
それなのに、困った時だけは、わたくしを頼ってくるんですもの。
もうすっかり嫌になってしまいましたわ……。
「私は死を覚悟した時、娘たちのことを思った。国の駒である貴族などではなく、平民として穏やかに生きてほしいと。そこで、近くにいた平民のテオドールに言ったのだ。私とお前が無事に生きて帰れたら、娘の一人をお前に嫁がせると」
この親父、イライラするわ。正直に言えよ。自分を助けてくれたら娘を嫁にやるから、なんとしてでも貴族であるこの私を助けろ、とかわめいて迷惑かけたんでしょ!?
お父様は自分より身分の低い者には威張り散らして生きてきた。
わたくしたち娘が小さかった時、まだなにも知らないお姉様たちが幼さゆえに間違ったことを言うと、自分の小さな子供たちでさえバカにしていたような方だ。
お姉様たちはそんなお父様がストレスだったのでしょう。わたくしにたくさんの意地悪をしてきましたわね。
最初はお姉様たちを気の毒に思って耐えていましたけれど、今では鬱陶しいとしか思えませんわ。
「あいつ、あの平民は、戦場での口約束を信じて、こうして手紙を送ってきた。娘を寄越せと脅してきたのだ!」
わたくしの読んだところでは、あの時お約束したので、なんとかお嬢様をお迎えする準備をしましたと礼儀正しく書いてきているだけですけど?
どうせ『必ず、必ず娘をやる! だから私を助けろー!』とか必死の形相で言ったんでしょ。
平民のテオドールさんだって、伯爵令嬢を嫁にするとか負担でしょうよ。
だいたい、このお父様は考えがいろいろ足りていない。
国王陛下が辺境に親征なさり、貴族の方々も何人か付き従って出征すると聞いたお父様は、自分も参加すると言い出した。
参加しない貴族だって大勢いたのに、お父様は『ここで手柄を上げて、国王陛下の側近になってやる!』とか、急に出世欲を剥き出しにしてきた。
お父様になにが起きて、そんなことを思いついたのか、いまだに謎だ。
お父様は領地の経営しかしたことがない。その領地経営だって上手くいっていなかった。わたくしがある程度の年齢まで成長してお助けしたからこそ、この家はここまで持ち直したのよ。
お父様は剣も弓矢も他の武器も扱えないし、治療ができるわけでもなければ、兵法に通じているわけでもなかった。
なにでどうやって手柄を上げるつもりだったのか、いまだにまったくわからない。
わたくしは必死にお父様の出征を止めたわ。ちょっとどうかなと思うところは多々あれど、ここまで育ててもらったお父様ですもの。死にに行かせることはできないと思ったのよ。
けれど、お父様たちはわたくしをヤベー奴みたいな目で見てきただけだった。
わたくしからしたら、なにもできないのに出征するお父様と、そんなお父様のご武運を祈って送り出すお母様とお姉様たちがどうかしていると思ったわ。
「平民のくせに伯爵令嬢を娶れると思うなど、身の程を知りませんのね」
「そんな……、身の程知らずな上に、人を脅すような方なんて……」
「そんな恐ろしい方に嫁ぐなんて、わたくし怖い……」
「あなた、なんとかならないのですか!?」
わたくしは、わたくしの家族が怖いわ! どう考えたって、お父様の方に問題があるよね!?
「あの平民は野蛮で恐ろしい男だ。私が娘をやると言ったとたん、張り切って敵を倒し始めた。あいつが最初から本気を出していたら、宿営地は壊滅したりしなかったし、私だって娘を嫁にやるなどと言ったりはしなかった!」
嘘と本音が混じりあって、言ってることが滅茶苦茶なんですけど……。
とりあえず平民のテオドールさんが強そうなことはわかったわ。
「卑怯ですわね……」
お母様……、どうしてお父様の言うことを信じられるのですか……。
まあ、こういうお母様だからこそ、お父様との間に四人もの娘を持てたのでしょうけれど……。
「きちんとお詫びして、娘は嫁がせられないとお伝えくださいませ」
わたくしが言うと、お父様たちはまたわたくしをヤベー奴みたいな目で見てきた。
なんでよ!? 約束したから!? きちんとお詫びして、わかってもらう努力をしてよ!
わたくしのどこがおかしいの!? お姉様たちだって、平民に嫁ぎたくないんでしょ!?
「あのような男ではあるが、私の命の恩人である。約束もした。私はあの男に娘を嫁がせることに決めたのだ」
テオドールさんはかなり強い武人なんだろうな……。お父様から見て、怒らせちゃいけないような感じの方なんだ……。
お父様が『決めた』と言い出すと、もうどうにもならない。出征する時も、他の時も、ずっとそうだった。
「その平民の方のご実家は、裕福な商家なのかしら?」
お母様が唐突に新しい設定を持ち出してきた。
身分がなくてもお金があったらいいな、という願望ですよね。
「孤児で幼い頃から剣を握って生きてきたと聞いている」
お母様とお姉様たちが顔色をなくした。
地位もお金もないのかぁ……。
わたくしだって、貧乏は嫌ですわ。領地経営なら少しはわかるけれど、テオドールさんは領地などお持ちではないでしょうし……。
「なにか、その方に嫁ぎたくなるような良いお話はないのですか?」
わたくしの言葉に、お父様は「顔が良い」とだけ言った。
顔が良い……。
それだけ……?
「本当に!?」
「お父様目線でしょ!?」
「なんとでも言えますわよね」
そこは信じないんだ!?
「この国の兵士をされている方なのですか?」
公務員なら生活が安定していそうじゃない? 前にいた世界では、公務員は結婚相手としてまあまあ人気があったはずだ。
「たぶんな」
命を助けてもらっておいて、なにをしている方かもよく知らないんだ……。
「お父様、オリビアはその方にご興味があるみたいですわ」
「あら、そうですわね!」
「わたくしはオリビアにこの縁談を譲ってもかまわなくてよ」
お姉様たちは意地の悪い笑みを浮かべて、わたくしを見た。
わたくしはお姉様たちのこの表情が大嫌い。
お姉様たちはこうして三人で手を組んで、わたくしを陥れるのだ。
「オリビアは姉妹の中で一番のしっかり者ですもの。平民とでも上手くやっていけそうですわね」
お母様だって、わたくしをお姉様たちから守ってはくれなかったわ。わたくしがまだ幼かった頃からずっと……。
「母や姉がこう言ってくれているのだ。オリビアで決まりとしよう。平民には私から返事を書いておく」
こうして、わたくしの縁談はまとめられたのだった。
2.旦那様は平民
わたくしは大きな鞄一つを手に持って、路地裏にある小さな石造りの家の前にいた。
テオドール・トリアンの住まいは、馬車すら入れないこの細い石畳の道に面していた。
お姉様たちは、平民に嫁ぐのに侍女なんていらないと主張した。
両親はその通りだとうなずいた。
だから、わたくしは質素なドレスを着て一人で立っていて、自分の手で扉を叩いたのよ。
扉がゆっくりと開き、男性が顔をのぞかせた。まるで月光を集めたような淡い金髪を一つに束ねた、森の泉を思わせる青緑色の瞳を持つ、とにかくものすごい美男だった。
「わたくし、オリビア・ライン・ランダーでございます」
名乗りながら、わたくしはあまりにも整った顔を見上げた。
顔が良い……。うん、顔が良い……。
これはすごいわ……。
「テオドール・トリアンだ。入ってくれ」
質素なシャツとパンツ姿のテオドールさんは扉を大きく開けて、わたくしを家に入れてくださった。
テオドールさんはわたくしが想像していた筋骨隆々とした大男ではなく、細身で長身の方だった。その細身な身体は、武人らしくしっかり鍛えられているようだった。
入ってすぐの部屋には、小さな食卓用のテーブルと椅子。奥側と左側に扉があり、どちらかが寝室で、どちらかかがキッチンだろう。
「こんな狭い家ですまない。家を持ったのは初めてなんだ。ずっと辺境の兵舎で暮らしていたので、家がこれでいいのかわからないんだが……」
テオドールさんはわたくしの持っていた鞄に目をやった。
「ああ、すまない。重かっただろう」
テオドールさんがわたくしの鞄を持ってくれて、左側の扉を開けた。簡素な木製のベッドとチェストが一つずつ置かれていた。
テオドールさんはベッドの上に鞄を置くと、わたくしに向き直った。
わたくしは部屋のドアの外で、テオドールさんを見ていた。
「ここは仮住まいだ。もうすぐ住まいがもらえるらしいので、そちらの準備ができてから来てもらいたいと二通目の手紙に書いたんだが……」
「二通目の手紙が来ていたなんて、知りませんでしたわ」
「そうなのか。届かなかったんだろうか……?」
テオドールさんはひどく申し訳なさそうにしていた。
申し訳ないのはこっちだ。どうせお父様が『早く娘を寄越せ』みたいな内容だと勝手に判断して、読まなかったのだろう。お父様はそういう方ですもの。
「お住まいがいただけるというのは、どういうことですの?」
お父様がテオドールさんに館を贈ったりするはずがない。
もしもテオドールさんがわたくしを娶ったことで館がもらえるものと勘違いしているならば、早めにそれはないことを伝えなければ。
「国王陛下が俺の結婚祝いとしてくださるんだ」
「は……? なんて?」
国王陛下が、なんですって? 結婚祝い?
「君の父上をお助けした後、宿営地が壊滅したことを伝えるために本営に行ったら、ちょうど本営も襲われていてね。俺も戦いに参加したところ、国王陛下のお目にとまったんだ」
「お目に……? とまるものなのですか……?」
そんな簡単にお目にとまるわけないでしょ!? ちょっと待ってよ! こいつ、ありえないような大きい嘘を言っちゃうタイプなの!?
「ご令嬢に戦い方などお教えするのはどうかと思うが……。『敵を他におびき寄せておいて、手薄になったところを攻撃する』という戦い方があるんだ」
「ちょっと聞いたことがあります」
日本史の授業だったかなぁ……。よく覚えてないや。
「本営が敵の囮部隊に襲われて、本営にいた兵士たちは、返り討ちにあって逃げるふりをする囮部隊を追いかけて行ってしまっていたんだ。俺が着いた時には、国王陛下の護衛騎士団が国王陛下をお守りしながら戦っていた」
「すごいですね」
そんな場面に遭遇する運がすごいわ!
「護衛騎士団はなぜか苦戦していた。敵の人数が少し多かったからか……?」
「は……?」
なぜかとは? なぜ遠い目をする?
「国王陛下をお守りしながらだと、普段通りに動けなかったのかもしれないな」
「え……?」
そういうことにならないよう、護衛騎士団は国王陛下を守りながら戦う訓練を重ねているのではないかと思いますけど……?
「あるいは、この王都にあるような石畳ではなく、草地での戦いだったからか。理由はわからないが、とにかく護衛騎士団が押されていたので、国王陛下の御前で、俺がほとんどの敵を倒す栄誉に与れたんだ」
なに言ってんの、この人。国王陛下の護衛騎士団が何人いると思ってるの!? 常に百五十人はいるって聞いたけど。それが押されてたのに、『俺がほとんどの敵を倒した』ですって? そんなことできるわけないじゃん。
本当にできたら、館どころか城だってもらえるだろうけどさ。
ホラ吹きかぁ……。辛いわぁ……。
「すごいですね」
「信じられないか」
テオドールさんはやさしい目をした。なんなの。
「貴族のご令嬢に血生臭い話をしてしまったな。申し訳ない。恐ろしかっただろう。配慮が足りなかった」
「いえ、大丈夫ですわ」
問題はそこじゃないんで。
「手紙にも書いたが、君に住まいを選んでもらいたいんだ」
テオドールさんは話を家のことに戻した。
お屋敷がもらえる話って、まだ続くんですか……。
テオドールさんはチェストの最上段を開けて、書類を出してきた。
わたくしに食卓の椅子を勧めて、自分もわたくしの前に座った。
わたくしはテオドールさんに渡された、王家の紋章が金で箔押しされた豪華な書類を読んだ。
「え……? え……!? 城……!?」
三つの城のうち、どれがいいか選べと書いてあった。
王宮から近い小さな城、王都郊外の中規模な城、領地付きの大きな城。
「俺にはどれがいいかさっぱりわからない」
「わたくしも城などわかりませんわ」
「国王陛下は、家具や馬車など一式も付けるとおっしゃっていた」
これは本物だわ……。金の箔押しまでして、こんな意味不明な書類を偽造する意味がないよね。ちゃんとテオドール・トリアン宛てになってるしさ。
「お仕事はどうなさるのですか?」
「これまでは辺境の兵士をしていたんだが、国王陛下から護衛騎士団への異動を打診されてね。ランダー伯爵のご令嬢……、君を娶る予定があったのでお受けした」
テオドールさん……、いや、テオドール様は、どこか照れたように笑った。
うれしそうだなぁ……。あのお父様に『おい、平民、俺を守れ! 無事に帰れたら娘を嫁にくれてやる!』とか上から言われただろうに……。
あんなお父様で申し訳ないわ。
「護衛騎士団の騎士様になったのでしたら、娶る方も選び放題ですわ。わたくしでよろしいのですか……?」
テオドール様はひどく驚いた顔をした。
「俺は君のお父上が震えながら、『お前に娘をやる、娘を嫁にやる、私を助けてくれ』と言いつつ這い寄ってきた時、運命を感じたんだ」
「そう……、なのですか……?」
どこに運命を感じたのか、テオドール様がわからない……。
それに、お父様……、わたくしの想像以上に情けなかったのですね……。
わたくしはうつむいた。
恥ずかしくてたまりませんわ……。
「辺境では俺はなぜか遠巻きにされていてな。あのように親し気にされたのは、君のお父上が初めてだった」
感覚の違いですかね……。親しげにするとは、『震えながら助けを求めて這い寄って行く』といった感じではなかったと思うのですが……。
「こんな俺にもついに友ができたように思えた」
「それはちょっと……、違うと思うわ……」
「まあ、そうなんだが……。平民と貴族なことはわかっている」
テオドール様が少しだけ気落ちしたのがわかった。
うーん、身分じゃないんだけどなぁ……。
まあ、こういう方だからこそ、平民の身で伯爵令嬢を娶ろうとしたのでしょうね……。
普通の平民は、戦場で貴族から娘をやると言われても、本気でもらおうとして手紙を出すなんてしない気がするもの……。
「テオドール様、まずはわたくしを妻兼友としてくださいませ」
テオドール様はやさしくほほ笑むと、「よろしく頼む」と言ってくださった。
お父様があのような方であっても、テオドール様はわたくしの父の命の恩人。
わたくしはテオドール様がこの王都で立派に騎士として務められるよう、できる限りのお手伝いをさせていただくのみですわ。
3.新居は城です
わたくしたちはどの城を選んだらよいかわからなかったので、お城に出向いて『テオドール様の城の担当者』を呼んでもらい、相談にのっていただいた。
国王陛下の王太子時代からの侍従だというその方は、王宮から近い小さな城を勧めてくださった。
領地付きの大きな城は平民から騎士になったばかりの者には釣り合わず、王都郊外の中規模な城も良いが、国王陛下をお守りしたい強い気持ちを表すならば、王宮から近いところが良いだろうと教えていただいた。
引っ越しまでの間は、わたくしがベッドを使い、テオドール様は立ったまま腕を組み、壁に寄りかかって眠っておられた。その眠り方でよいのかわからなかったが、物凄く強い方はやることが常人とは違うのだろう……。
結婚式は小さな石造りの家にいる間に、近所の方を招いて平民のやり方で済ませた。
正式に婚姻したという書類は、城のことを相談に行った時に一緒に相談したら、侍従の方が部下に命じて作ってくださった。
今のわたくしは、オリビア・トリアン。テオドール様の妻よ。
「オリビア、どうだろうか?」
テオドール様が試着室のカーテンを開けて、わたくしの前に騎士服姿で出てきてくださった。
お針子さんやお店のマダムの視線が、テオドール様に集中した。
「素敵ですわ!」
わたくしの麗しの騎士様は、お店のマダムの手によって、濃灰色の騎士服の上に黒いマントを羽織らされた。マントの背中には、黒い糸で刺繍された護衛騎士団の紋章が入っていた。
「オリビア、貴女の騎士です」
テオドール様はわたくしの前でひざまずき、手をとった。
「テオドール様、いけませんわ! わたくしを喜ばせようとしてくださっているのでしょうけれど、国王陛下の騎士様がそのようなこと……」
わたくしは精一杯、力の限りに恥じらってみせた。
国王陛下への不敬を問われた時、わたくしが盛大に恥じらっていたと聞けば、新婚故の過ちであるということで、罪が軽くなるかもしれない。
「そうなのか。すまない」
わたくしの騎士様は、少し気落ちしたような、憂いを秘めた目をして立ち上がった。
憂えているテオドール様の色気がすごい。
「毎日、この姿を見せていただけるのですね」
「君が喜んでくれるのならば、休日だってこの姿でいよう」
テオドール様はわたくしにほほ笑みかけてくださった。
お針子さんやマダムたちが小さく声をもらした。
そうなの、そうなのよ! わたくしの旦那様は、すごく素敵な騎士様なの!
「君の方もとても美しい。良いドレスだ。舞踏会で他の男たちに見せるのが惜しいよ」
テオドール様はわたくしが試着した淡い黄色のドレスを見下ろした。
何度目かの手直しを経て、今日、ようやく完成したのだ。
「まあ……」
わたくしは頬を赤らめて、両手で頬を押さえた。
「俺のかわいいオリビア」
テオドール様が合図をすると、お店のマダムが平べったい箱を持ってきた。
テオドール様が箱の蓋を開けた。中身は、王都で流行中の大粒なバロックパールのネックレスだった。
「唯一無二という意味の宝石が連なったネックレスだと聞いて、君に贈りたくなったんだ」
テオドール様はわたくしの首にネックレスをつけてくださった。
お店のマダムに促されるまま、鏡の前に立った。
この世に二つとない歪な形の真珠が連なり、たしかに唯一無二のネックレスだった。
ドレスとネックレスが互いに引き立てあい、華やかさが増していた。
「ありがとうございます。とても綺麗ですわ」
丸い真珠とは違って見える、不思議な輝き。
離れたところから見ると、まるで空に浮かぶ雲をネックレスにしたかのようにも見えた。
試着を終えると、わたくしたちは店を出た。
わたくしたちとは入れ替わりに、城と共に贈られた従者や侍女たちが、ドレスや騎士服などの入った箱を受け取るために店に入っていった。
城に戻ると、半日ほどの外出から帰っただけだというのに、使用人たちが立ち並んでわたくしたちを出迎えてくれた。こんなの映画とかでしか見たことなかったわ!
この元ルバーフォック大公城は、浪費家だった先代のルバーフォック大公があちらこちらに建てた城の一つで、代替わりするとすぐに維持費の関係で王家に献上されたものだった。
先代のルバーフォック大公は城を建てるのが趣味で、この城にも数日泊まっただけだったため、わたくしたちはほとんど新築の城をもらえたことになる。
両親や姉たちには、まだここに住んでいることは知らせていなかった。わたくしがあの屋敷を出る時、侍女の一人も付けてくれず、嫁入り道具も鞄一つしか持たせてくれなかった方たちよ。あんな方たちに知らせる必要なんてないわ。
「愛しのオリビア、疲れていないかい?」
テオドール様がさりげなくわたくしの肩を抱き、物思いに沈んでいたわたくしを今へと引き戻した。
「疲れてなどいませんわ。とても楽しくて、幸せで、夢のようですわ」
「そうか。それならば良かった。君の幸せが、今の俺の幸せだ」
テオドール様はわたくしを抱き上げた。わたくしは慌ててテオドール様の首にしがみついた。
テオドール様はわたくしを抱えたまま廊下を歩いていき、庭へと続く扉を従者に開けさせた。
「テオドール様……!」
「君の花園が完成したよ」
テオドール様はわたくしを地面に立たせてくれた。
日本にいた頃にもあったような気がする草木や花を集めた、わたくしだけの思い出を秘めた庭だった。
「君はこの庭を通して、どこか遠いところを見ている。俺には君の見つめているものがなにかわからないが、君の心が安らいでくれるなら幸いだ」
「ありがとうございます、テオドール様」
テオドール様はなにも聞かないでいてくれていた。
わたくしが転生してきたことを打ち明けたならば、テオドール様はきっと熱心に聞いて理解してくださるだろうと思う。
けれど、わたくしは、このことは胸に秘めたままにしておこうと思っていた。
転生前だって辛いことが多くて、そんなに良かったわけではないけれど、それでも時々ひどく懐かしくて……。
話をしているうちにきっと泣いてしまって、テオドール様を心配させることになってしまうから……。
4.舞踏会の夜に
豪華なシャンデリアが天井から吊るされて、無数の蝋燭の火がクリスタルガラス越しに輝きを増し、揺らめきながら大広間を彩っていた。
色とりどりの華やかなドレスをまとった女性たちと、タキシードのような服の男性たちが、あちらこちらで集まって、優雅に笑いあっていた。
テオドール様がわたくしの手をとって、大広間の中央へと連れて行ってくださった。
テオドール様は初めて舞踏会にお出になられたというのに、とても堂々としておられた。
「あいつが護衛騎士団の『入団の洗礼』を受けて、全員を叩きのめしたテオドールらしいぞ」
という声が聞こえて、わたくしはテオドール様に問うような視線を向けた。
「護衛騎士団は入団すると、最初に全員と戦わなくてはならない決まりがあるんだ」
新人潰しとか、そういうの、たまに聞くよね……。
相手を選ばないのかな……?
護衛騎士団の方々が気の毒だわ……。
「伝統だからと説明されて、嫌そうにしている百五十人と戦った。辺境では共に戦った仲なので、叩きのめしたりはしていないんだが……。なぜかそのように伝わってしまって困っている」
テオドール様がわたくしを引き寄せた。
平民出身ながら、凄まじい強さの武人であるテオドール様は、その身体能力の高さで、短期間でダンスを踊れるようになられた。
優雅なワルツが奏でられ始めると、テオドール様はわたくしの手をそっと握った。
テオドール様の滑らかな動きにあわせて、わたくしも踊り出した。
周囲の視線がテオドール様に集まっているのを感じた。
少し前に王城に帰って行かれた国王陛下からも、「辺境では世話になった」とお声をかけていただいていた、驚異的な強さの護衛騎士団の新入りですものね。
誰かが「いずれはあいつが騎士団長か」と言っているのが聞こえてきた。
そうよ、テオドール様はきっと騎士団長になるわ。
最初はちょっと妙なところがあるように思ったけれど、それはテオドール様がいろいろなことを知る機会がなかっただけのこと。
「俺のオリビア、君は誰よりも美しい」
ああ、夢のようだわ。
テオドール様の腕の中はなんて心地よいのかしら。
テオドール様のリードに身を任せ、わたくしは優雅に回転しながらほほ笑んだ。
「わたくしのテオドール様も、誰よりも素敵ですわ」
テオドール様の照れくさそうな笑みに、心が温かくなった。
こうしてテオドール様に見つめられていると、自分がこの世で最も美しい宝物にでもなったような気分になるわ。
音楽が終わると、わたくしはテオドール様と共にバルコニーに出た。動いたせいで火照った身体に、夜風が心地よかった。
「ちょっと、オリビア!」
呼ばれたと同時に、テオドール様に引き寄せられた。
「どなたですか?」
というテオドール様の問いかけに、「この子の姉です!」という答えが返った。
「お姉様?」
テオドール様がわたくしを放してくれた。
両親と姉たちが、わたくしたちの近くに立っていた。
「そちらはどなたなのだ、オリビア! あの平民はどうした!?」
「お父様……、命の恩人の顔をお忘れですか?」
お父様はテオドール様とわたくしを見比べた。
「あの平民なのか!?」
「騎士は準貴族です。失礼ですわよ」
わたくしは冷たく訂正した。
「オリビアの夫になった平民が、あの護衛騎士団の新入りのテオドール様なの!?」
「国王陛下の覚えめでたき、城をお持ちのテオドール様!?」
「テオドール様といえば、いずれは騎士団長なんて言われているじゃないの!」
お姉様たちがテオドール様を取り囲んで、テオドール様の名を連呼している。
平民上がりの騎士の名前に『様』なんて付けるような方たちではなかったはずですのに……。
「護衛騎士団の騎士だったのならば、なぜ辺境で会った時にそう言わなかったのだ!」
お父様がテオドール様に怒鳴った。
失礼すぎます……。
「あの時はまだ騎士ではありませんでした。ランダー伯爵とお会いした後に戦功を立て、今に至っております」
テオドール様は落ち着いた声で説明してくださった。
「あの煉瓦の壁の裏に隠れていた……」
お母様が言いかけるのを、お父様がすごい形相で止めた。
テオドール様が煉瓦の壁の裏に隠れるとしたら、なにかお考えがあってのこと。
わたくしのテオドール様は、みんなが戦っている最中に、一人で隠れて震えているような方ではなくてよ。
「テオドール様、本当はわたくしが嫁ぐはずだったのです!」
「いいえ、わたくしが嫁ぐはずだったのです!」
「わたくしが嫁ぐはずが、オリビアが……!」
お姉様たちがテオドール様に向かって、わたくしを悪く言い始めた。
テオドール様は苦く笑うと、わたくしの腰を抱き寄せた。
「気分が悪いので、これで失礼させていただきます」
テオドール様はわたくしを連れて大広間を横切り、舞踏会場となっていた城を後にした。
テオドール様は帰りの馬車の中でずっと黙っておられた。
いつもならば、わたくしの隣に座ってくださるのに、今はわたくしの前に座っておられて……。
こんなことになるのだったら、両親とお姉様たちに手紙でも出して知らせておいたら良かった……。
普段ならば心地よく感じる馬車の揺れで、今のわたくしは乗り物酔いを起こしそうになっていた。
「オリビア、すまなかった。辺境には貴族などほとんどいなかったので、平民が貴族を娶るなど普通はないと知らなかったんだ」
「テオドール様……」
テオドール様にこんな顔をさせることになるなんて……。
「ずっと君に謝らなければならないと思っていたが、なかなか言い出せなかった」
テオドール様がずっとそんなことを考えていたなんて知らなかった。
わたくしはどうしたらよいかわからなくて、ドレスのスカートを握りしめた。
テオドール様は馬車の外へと目をやった。
わたくしもつられて外を見た。
月明かりが王都の街並みを照らしていた。
「王都に来て、君を娶ってから、護衛騎士団に入った。妻が伯爵令嬢だと言ったら同僚の騎士たちに驚かれて、初めて自分のしたことを知った」
たしかに驚かれただろう。没落した家の令嬢が、お金持ちの商人の家に嫁いだという話を聞くことはあれど、ただの辺境の兵士に嫁いだなんて聞いたことがない。
「ランダー伯爵は俺が戦うのを見ていた。『強さが異常だ』と言われる俺が怖くて、あれは本気ではなかったと言い出せなかったんだろう」
見ていた、かぁ……。お父様もなんとかして一緒に戦えよって思うのも、もう疲れてきたわぁ……。
「わたくし、幸せですわよ?」
「幸せか」
「ええ、幸せです」
平民に嫁ぐのも気にならなかったなんて、わたくしにはそんな見え透いた嘘はつけなかった。
嘘は見破られて、悪くすると、本当のことまで偽りに見えるように歪めてしまうことすらありますもの。
「これでよかったのだと思っておりますわ」
わたくしは正面に座っているテオドール様の手をとった。テオドール様の手はひどく冷たかった。
「ずっと君に辛い思いをさせていると思っていた。君が貴族に嫁ぎなおせるよう、身を引かなくてはいけないと何度も思った。それでも、君を手放せなかった」
テオドール様の手を引っ張ると、テオドール様はわたくしの横に来てくださった。
「離縁されなくてよかったですわ」
わたくしはテオドール様の両手を握った。
「今夜、君のご家族に会って、俺はようやく少し安心できた。こんな俺でもなんとか、少しは君に釣り合う男になれてきているようだ」
お姉様たちは、テオドール様を見て大興奮でしたものね。
自分がテオドール様に嫁ぐはずだったとまで言い出して。
あんなお姉様たちでも、わたくしの助けになってくれることもあるのですわね。
「君は俺の妻であり友だ。俺はもう君なしでの人生など考えられない。こんな俺を許してほしい」
テオドール様はわたくしを抱きしめると、わたくしの額に口づけを落とした。
馬車の外から聞こえる馬の蹄の音を聞きながら、わたくしはテオドール様の腕の中で目を閉じた。
テオドール様、知っていて?
わたくし、あなたと共にいるこの時間がなによりも好きですのよ。
どうかこれからも、ずっと一緒にいてくださいませ。




